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ジェンダー学の論争について 学問と政治活動の話

このリンク先の記事では、ジェンダー研究者が政治的な批判に対して学問の立場から答えています。政治的な批判というのは「エマ」誌などに書かれたジェンダー学が移民の性暴力を批判せず言論統制を敷いているというものです。記事は性研究者のパウラ-イレーネ・ヴィラさんへのインタビューです。

Streit um die Gender Studies: „Die Frau im Singular gibt es nicht“

以下はその要約と僕のコメントです。

(訳だけでいいと言われそうですが記事の丸ごと翻訳を載せると著作権上の問題があるそうです。また自分の意見ゼロではブログの体裁も整わないのでどうぞお付き合いください。)
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タイトルは 「単数形の女は存在しない」です。ヴィラさんはジェンダー学は内部で自己批判をしているしそれは必要なこととしながら、エマ誌のジェンダー学批判は「突飛な反知性主義やエリートバッシング、学問の否認」とみなしています。このバッシングはジェンダー学以外にも犯罪・移民・紛争研究者にも向けられていて、ヴィラさんは懸念しています。

アリス・シュバルツァーは「ツァイト」誌でジェンダー学が非フェミニズム的だと言ったことについては、ジェンダー学はそもそもフェミニズムの延長ではないし政治的闘争と関係のない頑強な研究もあると答えています。現代社会の性構造を探らなくてもジェンダー研究はできるし、男女を統計値として処理する研究もあるそうです。ただし単数形で個人について「男は~」「女は~」という言い方でくくることはできず、集団について記述できるだけだと言います。

ここで社会的構築主義(ポスト構造主義)についての説明が入ります。「女は(本質的に)こうだ」というものはなくそれは社会が作り上げたものだという考えです。インタビュアーは女は子を産むが男は産まない、何が構築されているのかと質問します。ヴィラさんは性器や染色体を計測するさえ機器を使って観測や計測をするし、それは社会的実践で歴史や社会が関わると答えます。社会的構築は経験的な洞察で、科学史ジェンダー学にとって重要だと言います。

またジェンダー学が生物学を無視しているという批判は誤りで、生物学者も「XY染色体があればこうだ」と一概には言ず、ジェンダー学は生物学的性も社会的なものだ見なす点で異なるが生物学の否定はしていないと話しています。自然科素朴な実証主義ではなく生物学者は一義的な結論には慎重だとし、エピジェネティクスにもふれています。ジェンダー学を生物学で代替することも十分ではないが思われているよりはあり得る話だと言い、共同研究も紹介しています。

「エマ」誌は、ジェンダー学がミソジニー的な行いを非西洋の中で相対化していると批判しました。ジュディス・バトラーがブルカは「慎みと誇りの風習」だと書いたそうです。他のジェンダー研究者はそれに賛成して、生殖器剪定には中立的だと述べました。これについてヴィラさんはまとまったバトラー批判をしたそうです。しかし残念ながらその内容はここには書かれていませんでした。学問上意義は大きいが政治面でのバトラーには反論したいとだけ言っています。

ジェンダー学で人種差別的発言をしてしまうことへの懸念はじっさい広がっていて、それを避けて特定の問題提起に及び腰になっている人もいるかもしれないと述べています。しかし単数形の「イスラム教徒」については何とも言えないのはもっともだし、宗教やセクシュアリティをあつかう論文も今はたくさんあるとしています。

他にfacebookの性選択が増えたのはジェンダー学の影響ではなくポップカルチャーと政治活動の作用だということ、ジェンダー学は目立つわりに大学内での影響力は小さいこと、国連のジェンダー主流化とジェンダー学に右派が主張するような関係はなく、性を固定した自然と見なしていないこと以外とくに共通点はないことも話しています。 

エマ誌などで大学内で左派のクィアフェミニズムの活動のいきすぎが批判されています。これについてヴィラさんは政治活動の場はあるがゼミにそれを持ち込むときは学問的な論理で行わないといけないと言います。政治と学問を区別する訓練の場だと。仲間内でしか通じないことを話す学生はどのみちそれを説明しないといけないようです。

最後にジェンダー学は頑強な学問であることを世間に明示する必要性があること、いっぽうで専門上のことすべてを一般の人に理解させることはできないしその必要もないことを述べています。

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自然科学よりのジェンダー学の立場から書かれているがこれもやはり具体的な話には立ち入っていなません。構築主義についての説明はなかなか信頼できます。バトラー批判が気になります。ヴィラさんはバトラーについての本も書いているようです。訳されないかなぁ。ドイツ語で読めばいいんですが…。