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フェミニズムと移民問題に関する記事を読んで

今回は移民の犯罪やフェミニストの反植民地主義に反対する立場の記事。著作権の心配をしていたが今回はもう全訳にする。短い記事でレトリックが多いので要約すると短くなりすぎるからだ。

https://www.welt.de/debatte/kommentare/article151084213/Erstaunlich-wie-Feministen-die-Realitaet-ausblenden.html

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驚くべきフェミニストの現実離れ

Von Reinhard Mohr | Veröffentlicht am 16.01.2016
 

ケルンの事件のあと左派は現実を思い知った。今や彼らはオクトーバーフェストでのような事件を日常の性差別主義の一部であるように振る舞うことで問題を「イスラム化」しないようにしている。

かなり以前からドイツの新しい市民の生活区が拡大するあいだに、その社会学的描写は戯画化された月並みなものになった。人はアメリカの塩素漬けチキンやグローバルな金融市場、ナチス地下組織のテロを許容する憲法擁護を恐れている。

レイシズムや性差別や他の差別に反対することは当然善意そのものだが、それは粗悪な善意にもなりうる。テーマは「西洋的なものは何でも罪」である。つまり「われわれ」でも、他の誰でもだ。それはまったく一貫しており、お人好しの農夫の世界観は外の敵を知らない。悪は自分たちの土地に潜んでいるというわけだ。

そのためこの左派から社会の中道近くまで及ぶ黄金の中庸が大晦日の夜の事件によって誤った道を進んだのは不思議なことではない。これが真の現実のショックだ。数日にわたりあるべき憤慨は沈黙に支配された。

レイシズムや性差別や純粋な暴力などの悪いものが、どうにか「難民歓迎!」のかけ声とともに喜んで迎え入れきたことから生じるとは想定されていなかった。

 

際限のない道徳

増大するイスラムのテロの危険と同様に、あらゆる力と熱意をもって、また法と秩序つまりは「諸価値」や「主導文化」のようなものだけでなく日々のしっかりとした自由や民主主義、寛容や敬意をもって擁護すべきものがあると徹底的に明らかになっている。

難民問題はすべて文字通り果てしない道徳の時代のもとで議論されていて、それによってあらゆる疑念は不義や非道に属するものとして叱責された。難民はルター派プロテスタント的でまた非常にドイツ的な、曖昧さを残さない自省の投影幕となった。アンジェラ・メルケルの「私たちはそれを成し遂げる」という言葉はこの道徳のお題目となり、他に選択肢はないかのような努力目標となった。

今や他の選択肢がないという偽りはまもなく終わりをむかえるので多くの人が現実の無理難題に激しく抵抗している。それはこれまで「挑戦」として耳ざわりのよい観念の中でしか公の議論を賑わしていなかった。

ケルンやハンブルクビーレフェルトシュトゥットガルト、フランクフルトやその他での女性犠牲者には驚くほど非情な一方で、その地の多くの人は毎日のように「ジェンダー主流化」には尽力し、頭の中の「ヨーロッパ要塞」を批判する人を擁護している。
 

若いフェミニストの冷淡さ

今の若いフェミニスト女性たちは彼女らの数百人の同年代女性たちが伝える現実から驚くほど乖離している。彼女らは、世界全体に高波を投げかけておりドイツ難民政策の転換点となっている恐ろしい事件がまったく新しいものではなくミュンヘンオクトーバーフェストでのものも日常の性差別の一部であるかのように考えている。

そこでその他では右派ポピュリストやナチスレイシストなど事件で政治的に得する者たちとはさらに激しく戦うことが重要だという。

攻撃は最大の防御。これはうなずけるモットーだ。自らの世界観が侵食に晒されたのに対して破れかぶれの防御射撃をしたことが一部で馬鹿げた様相を呈している。とは言え、否認したりなだめたり美辞や相対化を弄したりする方法は成功している。

とくにこれは2つの誤りと見なされている。一つは、性暴力の問題を「イスラム化」すべきではなく、それによって出自であるアラビア社会の社会文化的文脈の中に置かれるべきである。2つ目は、テロの危険は広く制御のない移住とは「何も」関係がなく、キーワードは「総じて疑いがあるわけではない」。

 

シュペルバーやケストラーの孤独

もちろん当座の混乱を20世紀の大きな時代の変わり目と比較せずとも、この種の疑いに対する精神的道徳的な自己免疫作用は新しい現象ではない。

ヨーロッパ史の中のとくに騒がしい時代は繰り返される自己に対する批判的自己意識の戦いだった。有名な例は前世紀40年代にスターリンヒトラーの間で文字通りすりつぶされた「改宗者」だ。

マネス・シュペルバーとアーサー・ケストラーのような忠実な共産主義者であり反ファシズム者は悲劇の決断を迫る歴史の大渦に迷いこんだ。それは、もし共産主義の思想を手放すなら世界大戦のただ中でファシズムを助けるか?というものだ。

シュペルバーの世紀の小説のタイトルがすでにそれに答えている。「大海に落ちる一滴の涙のように」と。精神の自由の栄光は迫害と裏切りの咎め立て、孤独や政治的な故郷喪失の中にある。
 

サルトルの卑劣さ

フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルは別の道を歩んだ。彼は何年もスターリンのグーラーグ(ソ連の強制労働収容所)体制の存在を認めなかったが、その後1955年にアルベルト・カミュに宛てて「私は社会主義陣営は許容できないと思うが、同様にブルジョア新聞社がそれについてやっている慣例も許容できない」と書いた。

それによってサルトルは大量の犯罪とそれについての報道を同等にあつかった。これは卑劣である。しかし革新派界隈にとっての重大犯罪は当時はまだ「反共主義」だった。

そこにはイデオロギー的な自己防衛というもともとの動機があり、「間違った側を支持すること」がもっとも恐れられた。政治的に敵対する事実の指定に関わることはほとんど抗いがたい不安であり、真実の立証の際の「政治的な腹痛」だった。

その20年後に五月革命の余波の中で信仰と背信の場景はくり返された。かなりの数の党員は愛着ある革命の闘士としてのアイデンティティを無くすために10年以上を要した。赤軍派(RAF)はそのさい忠誠と背信の絶対的な道徳尺度をあてがった。「勝利か死か、人間か豚か」と。

 

統一の喜びはない

1989年の11月9日のベルリンの壁崩壊時にはこのような好戦的な対立関係はもはや流行ではなかった。しかし歴史的大変革の喜びは狭い範囲にとどまった。ともあれ最終的には資本主義が勝ったのだろうか。

「第四帝国」の復活、つまりユルゲン·ハーバーマスの言ったような「ドイツマルクの帝国主義」の時代のドイツファシズムの再来を恐れなくてもいいのだろうか。

四半世紀後にはドイツは世論調査で定期的に「世界で一番好きな国」となっている。

私たちは、今も現実が再び最良の教師となると述べておく。最初の兆候はもう目に見えている。
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多様な民族や地域、宗派からなるイスラム圏を一枚岩のように扱うことが批判されているのに、よりによってひとつの政府であるソ連を引き合いに出すのは分が悪すぎるように思う。左派の過ちと言えば連想するのはやはりそこなんだろうか。