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記事紹介:対談「どうやって私たちは東ドイツ人になったか」


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先月twitterでこんなツイートを見た。

 

"昨日のケムニッツの騒擾について伝える大衆紙。ネオナチが路上で外国人を追い回した。ドイツの恥だ。こんな状況が西ドイツ側には広がらないことを願う。 https://t.co/HHJbL1QSH5 "
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右派の外国人排斥やヘイトは問題だと思うけど、それを国の中の一地域それも比較的豊かではない地域(つまり東ドイツ)と結びつけて「西ドイツ側」から切り離して語るのは問題じゃないかと思った。なにか「ネトウヨは低学歴だ」という言い方と似た厭な感じがする。

案の定、問題を指摘している人はいた。

 

"ドイツに住む日本人ジャーナリストが、なぜ「東ドイツ側」を下に見るような、分断と格差を当然の前提とするようなことを言うのだろう? 端的に言ってこれは「差別」なのでは? 「ドイツの恥」という言い方も含めて、その国の優位な社会階層に同化した発言をする「外国人ジャーナリスト」とは? https://t.co/bao8n8JQoA "

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ぼくは東ドイツにもドイツにも詳しくないが、自分で検索してみると東ドイツに関してこんな記事を見つけた。

アイデンティティ:私たちはいかに東ドイツ人になったか』というJana HenselとWolfgang Englerの対談記事だ。

 

Identität: Wie wir zu Ostdeutschen wurden | ZEIT ONLINE

https://www.zeit.de/gesellschaft/2018-09/identitaet-leben-in-ostdeutschland-praegung-erfahrung

 

現代の東ドイツ人のアイデンティティについて語ったこの記事の始めに、

"もちろん、「東ドイツ」という言い方は許されない略称です。私たちは私たちは東ドイツ人について話すとき本当は使うべきでない概念を使っていると自覚しなければいけません。なぜならそれは結局われわれの周辺化された位置をますます強く固定化するからです。"

と断りがあり、まあそうやんね、と思った。この辺のセンシティブさは共有されているようで、ドイツに詳しい件のジャーナリストももちろんわかってて書いてるんだろうけど、彼の意図はわからない。

 

せっかくなので記事の続きを紹介しておく。

アンケートによると東ドイツの人は「どこに帰属意識を感じるか。東ドイツ、ドイツ、ヨーロッパ…」という質問に最も多くの人が「東ドイツ」と答えているそうで、東ドイツ人としてのアイデンティティがあることがうかがえる。

東ドイツはよく、貧しいが平等で官僚的で、統一後の補償を求めているというイメージがある。しかし東ドイツ人としての特徴は当人たちには政治・経済的なものよりも話し方や文化や精神面でとらえられている。意外なことに、現在の東ドイツ人としてのアイデンティティは東西に分裂していた頃にDDR(旧東ドイツドイツ民主共和国)で形成されたのはなく、統一後に生じたものだそうだ。東西ドイツの統一後に東ドイツが被った変化は、革命的でまた非常に困難なものだったそうだ。その特異な経験がアイデンティティを作っているという。統一後にはエリートだけでなく人口が流出し、出生率が劇的に減り、経済崩壊もあった。DDRを克服する過程で作られたということだ。

 

"この社会の完全崩壊の基本的な経験はもはやDDRの経験ではない。それは東ドイツの経験であり、したがってErich Honecker(*旧東ドイツの元首)には間接的にしか結びつかないがそのかわりHelmut Kohl(西ドイツ、統一ドイツの首相)には極めて直接関係する経験である。"

 

経済システムでも政治的にもイデオロギーでも変化があった。これは歴史的に前例のないことで、外野が後からふり返って考えてもそれがどんなに大変なことかは理解できない。統一して、まだこの先どうなるかだれも知らなかった当時に身を置いて一つずつ検討しないといけない。その偉業を東ドイツ人はうまくやった。さらに困難な要因は東ドイツにもともとあった社会主義だ。北京やプラハでの事件もあった。そこで重要だったのは民族意識だったそうだ。社会主義陣営とか東側とかではなく、ドイツ民族として、ということだろう。

 

"そこで東ドイツの人々は「民族」として構成されドイツの歴史上初めて権力は粉砕された。「DDRの崩壊」は羨望の定型句であり、そこに居合わせたかったが見ているだけだった人々によって広められた。"

 

この経験をアーレントを引用しながら平和的な革命だと述べている。

今は東ドイツ人も西部やベルリンに移住して分断している。Henselさんも職を得るためベルリンに移住したそうだがそれに後ろめたさを感じるそうだ。ペギーダや右翼がデモをしているのを見たときに罪悪感を感じるらしい。東ドイツの若者が統一当時にあれほど移住しなくてすんでいたなら今のような右派の台頭も移民排斥もなかっただろうと言う。

 

"そこ(ザクセン地方の村Clausnitz)では2016年の2月、難民を乗せて到着したバスが「我々は民族だ」というスローガンで怒鳴りつけられていた。この夕べのそのスローガンはその村でとても有名だ。なぜなら平和的な革命のこれだけ単純なモットーがなかったことにされていたからだ。"

 

東ドイツの歴史と現在の右派との関係は、ぼくにはまだよくわからない。物心つく前だからあまり印象にないけど、統一してからまだ28年しか経ってないんだなと思うと不思議な感じがする。ともあれ今日は10月3日(アップ現在)。ドイツのみなさん、統一記念日おめでとう。

 

記事の全訳、つたないですが、必要な方はOkamomomochi7@gメールまで連絡ください。