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ない場所の地図とぼくのシッポ


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こちらに来てよく地元にいる夢を見る。実家やその近く、中学校や通学路の夢。すっかり忘れていた場所も出てくる。そういえばあの道を曲がったところはそんな景色だったなと起きてから思い出す。じっさいの記憶とはずいぶん違ったり、いくつかの場所が混ざっていたり、現在は変わっていたりもするが、夢の中ではたしかに(そうそうこんなところだった)という感覚がある。それらの場所に大した思い出があるわけではない。

脳には地図があるという。こちらに来てあちこち新しい場所をめぐり、脳が地図を更新し、記憶の引き出しに地図をしまっておくさいに昔の地図を整理していて、それを夢に見ているのかもしれない。20年以上使っていない地図。長らくぼくの生活圏には存在しない場所だ。もう使わないかもしれない。

脳の中の地図というと身体地図というのもあるらしい。身体の各部分の情報を処理するために、ここは右手を担当、ここは舌、ここは左足というぐあいにマッピングされているというのだ。他人の体を見て認知するときも同じようにマッピングすることで理解や共感をする。

 

ぼくは昔、実家で犬を飼っていた。もっさりした中型犬で、見た目によらず甘えただったので、日なが一日なでていた。その犬は今は亡くなっている。今年、Nの実家で犬を飼い始めたので久しぶりに犬をなでる機会があった。やんちゃざかりのラブラドールレトリバーだ。耳の後ろから背中にかけて手のひらを滑らせると懐かしい暖かさと頼もしさをおぼえる。首もとを揉むようになでると小さな突起物を指先に感じた。毛をかきわけて見るとダニが食いついていて吸った血で膨張している。(かゆそう)とそのときに感じた。

犬はしばらく庭でNと遊び室内に戻ってきた。Nの母が「虫がついていなかった?」とぼくに尋ね、首もとを探している。「いたよ」とさっきのダニをかきわけて見せる。Nの母がピンセットをもってきてまた見つからなくなったようで、場所をきく。ぼくはまたすぐに見つけることができた。

 

たぶんぼくのほうが犬を触り慣れているから要領がわかるのだ。犬の体のある部分が痒そうだという感覚をいったんもつと、(あそこだ)と覚えられる。ぼくの脳内にはきっと犬の体の身体地図も作られている。いっしょに暮らすNは犬猫アレルギーだから、犬はもう飼わない。だから使わない地図だ。でもたしかに犬の地図はあるし、もしある朝ぼくにシッポが生えていたらぼくはそれを振れると思う。ずっとそこにあったように。とても自然に。