記事紹介: ドイツのイスラム教徒フェミニスト5名
去年3月の記事。ドイツにいるイスラム教徒でフェミニストの女性を5名紹介している。3月27日はムスリム女性の日だそうだ。
5 muslimische Feministinnen in Deutschland - watson
ドイツの代表的なムスリムのフェミニスト5名
2018年3月29日 Yasmin Polatの記事
[序文略]ここではドイツで公にイスラム教内でフェミニズムのテーマに取り組む5人のムスリム女性を挙げる。
Lamya Kaddor
- この宗教教育学者でイスラム学者の女性はリベラルなムスリム女性と自称している。
- 彼女はシリア移民の娘で、数年間はムスリム内のリベラルと伝統主義者の間の意志疎通に力を尽くしている。
- 過激派とイスラム教についていくつかの著作があり、2010年には『ムスリムで、女性で、ドイツ人 現代的イスラム教への私の道のり』という本を出版した
「私たちは民主主義のなかで生きており、男女の性の平等はイスラム教にも規定されています(あなた方は笑うかもしれませんがそう言います)。もちろんそれをまったく実行に移さないムスリムはまだまだいますが」
ZDFの[テレビ番組の]『金曜日フォーラム』での会話での
Lamya Kaddor
「フェミニズムは『エンパワーメント』されるべきもので保護下に置かれるべきではない」
T-onlineのコラムでのKaddor
Seyran Ateş
- 弁護士、作家、女性権論者、イマーム[礼拝時にお手本になる人]
- トルコ人とクルド人を親にもち、長年弁護士として働いている
- 1984年の面談で彼女の依頼人の男が妻を射殺したときにAteşも撃たれた
- Ateşは他の人たちといっしょにベルリンに、リベラルで世俗的なイブン-ルシュド-ゲーテ-モスクを設立し、そのために脅迫され警察の保護下に入った
- 彼女のモスクでは女性のイマームや同性愛者のイマームに礼拝のお手本をさせている
- しかし彼女は評価の別れる人物である。なかでも彼女はイブン-ルシュド-ゲーテ-モスクでベールで覆わない女性を許容しているためだ
- 彼女はさいきん『Krier』紙のインタビューで、ドイツの女性はスカーフをかぶることで外国の政府から給料をもらっているかもしれないと主張した
「まだ確証はないが、その環境に入ればわかる。ドイツの清掃婦はスカーフを被っていると100ユーロ多くもらう。AKP(公正発展党)の支持者はトルコの女性を訪れてスカーフがつまった袋をわたして、『もし君が美容品サロンでスカーフをかぶり、君の女性客にスカーフをかぶるように促せば我々は給料を支払おう』と言う。
これは氷山の一角に過ぎない。女性の大学生には、裁判所前でスカーフをかぶる権利を訴える行進をしても支払われる。まだ証拠を出すことはできないが、いつかこの女性たちが話すだろう」
kurier.at(06.03.2018)のインタビューでSeyran Ateş
証拠はないって書いてるけど本当なんだろうか。ブルカに報酬出てるって...。ちょっと気にして話題追っておこう。
Kübra Gümüşay
- ジャーナリスト、ブロガー、ネット活動家
- 社会的なテーマについて多く意見を述べており、twitterに一万八千人のフォロワーがいる
「女性は、ある宗教を信じても信じなくても、その理由の正当化をしなくてもいい」Kübra Gümüşay 2016年のフリードリッヒ・エーベルト基金の講演にて
- ケルンの大晦日の夜(2015/2016)のあと彼女は #ausnahmslos [例外なく] キャンペーンを開始した。そのなかで彼女は他の人たちと、性暴力はつねに話題にされるべきで、犯人が「よそ者」と推定されたときに限ってはいけないと主張した
- ラッパーのLady Bitch Rayとしても知られるReyhan Şahinは2年前[2016年]にfacebookの投稿でGümüşayがエルドアンに親和的だと非難した
- Gümüşayは彼女のホームページでこの非難に対して声明を出して答えた
そこでたとえばこのように述べている。
「ここ数日間、さまざまな政党や組織について私がその支持者だという嘘を言ってくる人たちがいます。敵味方思考や無力が分断を許容するかもしれないという疑念は私を失望させます。しかしそれは私たちの現在について多くを語っています。私たちの社会や私たちについて。(...) 私は、個人の中でも仕事でも、いくつかのアイデンティティと理念を調和させています。それらは根本的に矛盾するわけではなくてもトルコのあらゆる政治的陣営で(他のところでもですが)、なにかしらひんしゅくを買います」
Şahinは再び反論した。
Reyhan ŞahinのGümüşayへの再反論を書いたfacebookの投稿のリンクが貼られている。Şahinのイスラム教とフェミニズムに関する意見は以前このブログの以前の投稿で紹介していた。Gümüşayのエルドアン支持にも触れていた。
反イスラムの立場からGümüşayを批判するドイツ緑の党なども問題にしていて、かなり公平な、というか率直な記事だと感じた覚えがある。ラッパーだったのは知らなかった。てっきり学者か記者だと思っていた。
Sineb El Masrar
- ジャーナリスト、作家
- 女性誌『Gazelle』の創刊者。この雑誌では2006年からすでにスカーフやベールをつけた女性が討論していた
- 2010年に『Muslim Girls - Wer sie sind, wie sie leben[ムスリム・ガール 彼女らの素顔と生き方]』を出版。その中で彼女はたとえばメディアでのムスリム女性の受容について論じている。この本は2015年にタイトルを変えて再度出版された
- 彼女の著書『Emanzipation im Islam [イスラム教内での解放]』はMilli Görüsという組織の訴えで新聞の大見出しになった
- ムスリム女性やクィアのムスリムの自己決定権のために尽力
「女性はユダヤ教徒、ムスリム、キリスト教徒、仏教徒、あるいはその他のなんでもなれるし、それと同時にフェミニストにもなれます」
frankfurter rundschauのインタビューでのEl Masrar
「私たちドイツのムスリム女性はついに立ち上がる。連盟やモスク会館や家庭の多くの男性たちといくらかの女性たちの好意と慈悲をもはやあてにしたくないなら、私たちは勇気を見せるべきだ。今や、私たちの解放の遺産を求め、きっぱりと自由を支持し排除に抗い、ふみだす時だ」『emanzipation im islam』の帯の文句
Khola Maryam Hübsch
- ジャーナリスト、記者、ブロガー
- Ahmadiyya共同体で宗教間の対話に尽力
- 2014年に彼女の著書『Unter dem Schleier die Freiheit – Was der Islam zu einem wirklich emanzipierten Frauenbild beitragen kann[ベールの下の自由 -真に解放された女性像のためイスラム教になにができるか]』で彼女は、性差化された社会に鏡をさしだして問う。これがじっさいどう解放されているのか。自由意思でスカーフをかぶることはフェミニズム的ではないのか
- 彼女はなんどもブルカ禁止に反対の発言をしている
「程度はさまざまだが、宗教を利用している家父長制に彩られた文化はほとんどいたるところにある」
Edition f のインタビューでのHübsch
「コーランは多くの節ではっきりと男と女は同じ価値があると強調している。たとえば『ムスリムの男性とムスリムの女性はたがいにもう一方の友である』などだ。神の前では両者は同じだけ報われるというのは繰り返し述べられる」
Edition f のインタビューでのHübsch
上に出たAhmadiyya共同体は前に読んだ記事で名前が出ていた。かなりリベラルなイスラム教共同体なようで、FEMENのメンバーが上半身裸で抗議したのがこの共同体に属するモスクだったのでその点について「ズレてるんじゃない?」というような指摘がされていた。
記事の終わりに、
とあったけど、もうコメントはもう非公開になっていた。日本のムスリムのフェミニストというとtwitterに、
彩サフィーヤ (@Agiasaphia)さんという人がいた。ほかあまり有名な人はいなさそう。