記事と書籍紹介: ベルリンの「慰安婦」像
ベルリンのミッテ区に平和の像、いわゆる慰安婦像が一度は許可を得て設置されたが、区に許可を取り消され、撤去されかけるという出来事があった。現在は撤去保留になり像は残されているそうだ。twitterでtazの記事を内容紹介している人がいたので貼らせてもらう。
平和の少女像について共同の記事が簡潔過ぎてよく分からないので、再びtaz紙の記事を。
— mizunagi신✊🏿Я Антифа (@burevestnik) 2020年10月14日
Soll die Statue gegen sexuelle Kriegsgewalt wirklich entfernt werden? Nach Protesten will Bezirksbürgermeister Stephan von Dassel den Fall neu prüfen. https://t.co/YDS37MG57d @tazgezwitscherより
以下要約
— mizunagi신✊🏿Я Антифа (@burevestnik) 2020年10月14日
①13日に市民約300名がミッテ区役所前で平和的な集会を開催、フォン・ダッセル区長に集めた署名を手交した。
②区長は市民に対して演説、地元のコリア協会が戦時性犯罪の問題を提起した事に謝辞を述べ、像の撤去を強行する意図は今はなく、当初の決定の正当性について再検討したいと表明。
区が許可取消しを撤回する前に、tazの記事で概要を読んだので紹介しておく。tazはベルリンが本拠地で、政治と芸術の関係についての理解も年季が違うので、何かちゃんとしたこと言ってくれてるだろうと僕も一番にここを参照した。
tazのSVEN HANSENによる2020年10月13日の記事。
Trostfrauen-Mahnmal in Berlin: SPD will „Friedensstatue“ erhalten - taz.de
https://taz.de/Trostfrauen-Mahnmal-in-Berlin/!5719528/?goMobile2=1601856000000
ベルリンのモアビットの慰安婦像をめぐる論争の動きがある。SPDのミッテ地区連盟は「地区役所は、モアビットのBremer Straße/Birkenstraßeでの公式受け入れイベントを実施し、許可取り消しを撤回することが求められている」と言明した。言明したのは地区委員長のJulia PlehnertとYannick Haanだ。
第二次世界大戦時の日本軍によって強制的に売春させられた朝鮮の人のブロンズ像は戦時性暴力に反対する記念碑である。これは9月28日に地区役所によって公式に許可され、独立独韓コリアン協会によって設立された。しかし地区役所は、日本政府に強く要請されたあと許可を取り消した。像は10月14日までに取り除かれることになった。
日本政府はすでに何度もこのような像の設置を妨害してきたが、ソウルやサンフランシスコなどのように阻止に失敗もしている。このテーマを追って見ている人によれば、日本の保守的、右翼的な政府のこの議題の取り扱いは戦時性暴力の防止と後処理には役立たず、むしろ否定と軽視を促すという。
SPDの共同地区委員長のHaanによるとこの像は「女性への戦時性暴力に反対する重要な貢献」である。こういった議題では区役所は決定を透明化して提示しなければいけない。「この件ではそうはならなかった」とHaanは言う。日本との良好な関係と東京との姉妹都市関係はSPD地区連盟にとって重要だが、歴史の後処理は「広く市民社会にも参加させるべきだ」という。
戦争における性的奴隷制に対する戦いの先駆者
日本軍は第二次世界大戦時に少なくとも2万人を征服したアジア太平洋地域から軍隊の娼館に誘拐してきた。かつて強制売春させられた人たちは1991年からようやく勇気を出して自らの運命を公にできた。彼女らは今日国際法に基づく、戦時中の強姦と性奴隷の有罪判決を求め戦う勇気ある先駆者と見なされている。ボスニア、コンゴ、イラクでの集団強姦はこの議題が今も重要であることを示している。
しかし地区役所は日本政府の圧力で取消しをして、この像は日本と韓国の歴史戦で韓国にのみ肩入れすることになると評価した。区長のStephan von Dassel (Bündnis 90/Die Grünen)は、「平和像とその銘板に関して政治や歴史をはらんだ複雑な争いがあり、その処理をドイツでするのは適切ではない」とした。
(中略)
この決定に反対する抗議のため、この像の発起人たちは「ベルリンよ、勇気をもて。慰安婦像は残さないといけない」のモットーのもとに火曜日の12時モアビットの記念碑での集会のために呼びかけた。「像の撤去でドイツは犯罪者の側に身を置き、さらに積極的に制度的な性暴力と性暴力一般の可視化に反対するようはたらくことになる」と呼びかけでは言われている。
「私たちは、ドイツが性に関わる戦争犯罪に明確に反対する立場をとり、記憶の文化の国のままでいてくれることを望む。外交関係の配慮が、サバイバーの記憶を求める権利を奪う理由になってはいけない。」参加者は像の横の椅子に座り、そのあと動物公園の役所前に行くことになっている。
(後略)
他にも日韓独のいろんな立場の人が区の決定を批判している。そして前述のように、今日14日に取消しを再検討することになり、像は残されている。
このいわゆる従軍慰安婦の問題は、ミッテ区が初めそう考えていたように、日本と韓国の間のいざこざではない。第二次世界大戦時の日本軍による組織的な性暴力は、日本の史学に関わる学者らも犯罪として認めている。戦時性暴力はもっと広い普遍的・国際的なテーマで、たんなる二国間の外交上の火種や、かけ引きの道具ではない。
普遍的な問題として考えるといっても「戦争中は多かれ少なかれ、どこでもやっていた」と雑に一般化してしまうことではない。個々の事例は具体的に解明する必要がある。そうして初めて他の問題との類似や相似が明らかになり、metoo運動のように、他の地域や時代の被害者も声を上げやすくなるだろう。
上の記事にはボスニア、コンゴ、イラクでの集団強姦の例が挙げられ、このテーマが現在も重要だと述べられていたが、ドイツでもナチスの時代に日本軍の慰安所と似たものが作られていたそうだ。ドイツではこれと合わせて考えるのが順当な流れだと思う。
花伝社, 2015 によると、
ドイツの実態
一方ドイツでは、軍ならびにSS(ナチス親衛隊)の管理による慰安所が作られていました。もともとこの問題で、日本語で出版されたものは、九〇年代に一冊あるだけで(クリスタパウル「ナチズムと強制売春」 明石書店、一九九六年)、日本ではほとんど知られていません。二〇〇九年にドイツで、「強制収容所売春棟」 (ロベルト・ゾマー著)という大著が出され、邦訳はないのですが、「季刊戦争責任研究」第六九で内容を紹介しています。 これは強制収容所における「慰安所」について記したものです。ナチはユダヤ人だけでなく、売春婦を犯罪者として摘発し、強制収容所に収容していたようです。(後略)
収容所以外の、ドイツ国防軍の「慰安所」については、いま少しずつ研究がすすんでいるようですが、まだ全容の解明にはいたっていません(第Ⅳ部補論でさらにくわしく論じている)。
これまで明らかにされているところでは、第二次世界大戦の時に、これほど軍が組織的かつ大規模に軍慰安所を開設し利用したのは、日本軍とドイツ軍(ナチス親衛隊SSを含む)だけだとみられる。
この本ではさらに戦時性暴力の国際比較も試みられている。一読をすすめる。