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記事紹介: ドイツの学者のイスラム批判

社会学者のKoopmansさんがイスラム教を批判する本を出したというインタビュー記事。

 

 

Radikaler Islam und Verfall der Demokratie „Die muslimischen Länder rutschen immer tiefer in die Krise“ Hans Monath

 

急進的イスラムと民主主義の没落

イスラム教の国々はますます深刻な危機に陥りつつある」

Hans Monath

原理主義イスラム教徒の社会を破壊していると社会学者のRuud Koopmansは言う。宗教とその変革、またThilo Sarrazinについての対談。

 

Ruud Koopmansはフンボルト大学社会学と移民研究の教授で、社会調査のためのベルリン科学センター(WZB)の移民、統合、国の越境の支局の局長である。

 

インタビュアー:  Koopmans先生、なぜあなたは社会科学者としてあなたの新著『イスラムの崩壊した家』の中で、20億の信者がいる世界宗教を批判したのですか。

Koopmans:      私はイスラム教に敵対的なのではなく、批判的です。私はイスラム教を世界宗教として批判していません。私が批判しているのは過去40年間のイスラム世界での原理主義の増加です。1979年は、イランでイスラム革命があり、メッカの大きなモスクへの攻撃があり、ソビエト連邦アフガニスタン侵攻があり、イスラム原理主義の拡大にとって決定的な年でした。それが原因でイスラム教の国々はしだいに深刻な危機に陥りました。

 

イ:  どのような基準でその危機をとらえていますか。

Koopmans:  ひとつの非常に重要な問題は民主化の基準です。60、70年代から民主主義は、南欧ラテンアメリカなど、世界で大きな進歩を遂げました。今民主主義のイスラム教の国はセネガルチュニジアの2つだけです。

 

イ:  他の判断基準は何ですか。

Koopmans:  私はイスラム教の国々の人権の状況を調査しました。女性や同性愛者、宗教的マイノリティの権利です。これらすべての分野でイスラム教の国々での状況は過去数十年で悪化しており、国際統計では最下位にあります。

 

イ:  イスラム教の国々の暴力の歴史はどうですか。

Koopmans:  それは私の著書の中で重要な役割を担っています。私は戦争や内戦での暴力の状況を調査しました。その結果、今すべての戦争や内戦の約4分の3がイスラム教の国間やその国内で行われているとわかりました。イスラム教のテロはここ数十年で膨大に増えています。世界中のテロリストの犠牲者のおよそ85%はイスラム過激派グループのためです。

 

イ:  希望のきざしは見つかりませんでしたか。

Koopmans:  少なくとも経済分野にはありません。成功した産業国はほとんどイスラム世界の外にあります。たとえば70年代に似たような経済水準だったエジプトと韓国を比べると、韓国は西洋の豊かさと結びつきを得たのに対し、エジプトはたいていの他の国より悪い状況にあります。

 

イ:  イスラム教の国々の停滞には他にも理由はないのですか。たとえば植民地主義の遺産など。

Koopmans:  私は他の原因説明を検討し、それらは非イスラムの国々とイスラム教の国々の違いの原因ではないという結論に至りました。イスラム教の国々の多くは、イランやトルコのように植民地化されていなかったり、シリアやイラクのように短期間のみでした。私自身驚いた研究結果なのですが、長く植民地化されていた国の方が、特定の機関や価値観が広まっているため他よりも人権や民主主義に関して良い状態にあります。もちろんそれで植民地主義を事後に正当化するつもりはありません。

 

ここ。植民地主義は、領土を奪って植民地支配をしている最中だけの話だったっけと引っかかった。日本は植民地支配をされてないしむしろしていた側だけど、それでも欧米の人から植民地主義的な目を向けられることはあるんじゃないか。「あいつらは遅れているから導いてやろう」という態度で干渉を正当化するのも植民地主義と呼ばれるんじゃないか。主張内容はリベラルでまっとうでも。

 

 

イ イスラム教への不安は不合理だと多くの人が思っています。これは適当ですか。

Koopmans:  いいえ。イスラム原理主義への不安はイスラム教徒ももっています。それは死と荒廃の種をまくからです。西欧の国々でもある集団はこれらの現象を恐れる理由があります。イスラム教共同体の中の女性や異なる信仰をもつ人、同性愛者のことを考えてみてください。そしてイスラム原理主義者のテロはイスラム教徒だけでなくすべての人を脅かします。まちがいなく恐れる理由はあります。

たぶんこの人の著書の中ではきちんと分けて論じられてると思うんだけど、この発言だけ見るとイスラムへの不安という文脈でドイツのイスラム教共同体とテロ組織が並列に述べられていて危うい感じがする。

ドイツのイスラム教共同体やモスク共同体は、共同体によってリベラルなとこも保守的なところもあるらしいが、基本的に法律はちゃんと守っている。

前に紹介した犯罪学の論文には、訳出していなかったが、結論に「イスラム教徒の難民がモスク共同体に入れることも適応の成功に欠かせない。モスク共同体では仮借や異論はなしにドイツの法律の重要性を認めている」とあった。また、こういった共同体からあぶれた若者が過激派組織にリクルートされる、とも述べられている。

もちろん保守的な共同体には内部に差別構造があるだろうし、長期的には改善していってほしいけれど、イスラム教徒でひとくくりに不安の対象とすることは社会への統合を妨げてけっきょくは過激派組織に向かう人を増やすことになるんじゃないか。

 

 

イ:  そうするとあなたはイスラム原理主義を極右のような民主主義に対して危険を及ぼすようなものと考えているのですか。

Koopmans:  イスラム教の国々では民主主義は徐々に損なわれているか廃止されています。西欧の移民社会ではイスラム原理主義と極右は、社会構造上の条件やイデオロギーの機能を見れば非常に似ています。ここで忘れてはいけないのは、ドイツの人口の約4%というマイノリティであるイスラム教徒の中で30%が原理主義を支持しているということです。これはもちろん絶対数では極右の支持者よりすくないですが。

 

イ:  これまでのところ学問と一般大衆はあなたの調査結果にどう対応していますか。

Koopmans:  宗教の影響を認めようというきざしは残念ながら非常に少ししか見られません。イスラム世界での宗教的マイノリティや背信者、女性や同性愛者の抑圧に対する無関心はショッキングです。これが私がこの本を書いた主な理由のひとつです。政治とメディアにはこれらの問題に対する宗教の重要性を認めようとしない傾向が強いです。「イスラム教」に関する限りではそのとおりです。しかしこれらの問題には無視できない宗教的な側面があります。

 

イ:  あなたはたとえばAfDの政治家Björn Höckeのような極端な右派の代表者があなたの著書を政治的な武器として利用するかもしれないとは考えませんでしたか。

Koopmans:  極右が私の著作を政治的議論で弾薬として利用するなら私にそれを妨げることはできません。しかし私は現実の問題を詳述しています。なので外国人敵視やイスラム嫌悪の人たちがイスラム世界の弊害を指摘するのに何も私の著作にたよらなくてもできます。彼らはすでにそうしています。本を読む人はこのテーマに違った視点がもてることに気づくでしょう。

 

イ:  つまりあなたは、イスラム教の国々からの移民がドイツの裕福さと教育水準を下げていると述べるThilo Sarrazinのような説は主張していないのですか。

Koopmans:  していません。Thilo Sarrazinが主張しているのは、7世紀の伝統をそのまま21世紀の現代の行動の指針としてうけとれば原理主義者がコーランの解釈に権限をもつだろうということです。彼の主張は、原理主義的な解釈だけが唯一可能な解釈でありそれが真のイスラム教を表しているというものです。そのため彼は原理主義者と同じメッセージを発していることになります。それに対して私はイスラム教の改革の可能性を信じています。

 

イ:  誰がその改革を進めるべきですか。

Koopmans:  イスラム教の国々にもドイツにも革新的なイスラム教徒がいます。彼らにとっては簡単ではありません。ドイツでも彼らはいくつかの既存の大きなイスラム教連盟に攻撃されています。つまり、これらのリベラル勢力がもっと多くのドイツ一般市民の支援を受けるべきです。

 

イ:  あなたはイスラム批判者がどんな危険に晒されているか話していますね。あなたの持説がいったん広く議論されるようになったら、ご自身の安全については恐れていますか。

Koopmans:  

そうする理由はありません。この本は昨年すでにオランダで出版されています。そこでは好意的に受け入れられています。私はイマームとも何度か議論しています。私はドイツで議論のきっかけを与えることを望んでいます。これまでは二極化した議論があったと思います。一方では問題はイスラム教と何も関係がないと言い、他方はイスラム教は改善できない災いだと見なしています。もし私たちがそれを乗り越えたなら、私の著作のメッセージが届いたということです。

 

80年代から原理主義が増加したといのはよく聞くけど、原因は何なんだろう。歴史を知らないのでよくわからない。西欧に対する不信からフェミニズム自体が侵略の方便のように見られてしまっていると、ここの記事で語られていた。正論でも、どういう立場から誰のために主張するのかよく注意しないといけないのだろう。

イスラム教の改善を信じているというのはまことに良識的で無難だけど、善いイスラム教徒と悪いイスラム教徒を外野からジャッジして、それでイスラム嫌悪に反対してますと言えるのかも、かなり疑問。

 

トルコ本国のイスラム教徒は、ドイツのトルコ系移民よりも世俗化していて酒とかふつうに飲むらしいけど、やっぱりアイデンティティって他人との比較だからドイツにいるほうがイスラム教徒であることを強く意識するのかもしれん。