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記事紹介: 移民反対と反フェミニズムの動向(ドイツ語圏の)

2000年にオーストリア自由党FPÖが連立与党になって、そのあともヨーロッパの他のいくつかの国で極右政党が台頭している。また反フェミニズムの運動も強まっている。

以下のインタビュー記事では、右翼が反フェミニズム運動していることや、反フェミニズムレイシズムが結びついている現象が説明されている。また、ヨーロッパ内の右翼政党同士の結びつきと、政党ごとに違いもあることが語られている。

 

„DIE STARKE VERKNÜPFUNG VON RASSISMUS, ANTI-SEMITISMUS, FRAUENHASS UND SEXISMUS WIRD UNTERSCHÄTZT.“

8. März 2020, von Marie Menke

 

政治学者 Birgit Sauerのインタビュー

 

レイシズム反ユダヤ主義、女性蔑視、セクシズムの結びつきは過小評価されている」

2020年3月8日 Marie Menke

(中略)

Sauerは2006年2月以来、ジェンダーとガバナンスに重点をおいてウィーン大学政治学研究所に勤めている。

(中略)

 

彼女のエッセイはとくにヨーロッパというスケールが反フェミニズム運動にとっていかに重要かを示すのに成功した。たとえば、彼女は多くの言語で利用できる保守系の請願フォームCitizenGoについて言及している。このようなサイトは、EU議会のメンバー提出した報告の多く、とくに中絶合法化や差別に配慮した性教育に反対する宣伝活動を実施した。  

 

treffpunkteuropa.de(インタビュアー):  ヨーロッパで私たちは今、反フェミニズム運動の隆盛と右翼ポピュリスト政党の成功を目の当たりにしています。これらに結びつきはありますか。

 

Birgit Sauer:  右翼政党は、昔からあった反フェミニズム運動に飛びつきました。それはもともとはとくにカトリック教会に主導されていました。ブラジルのジャイール・ボルソナーロからロシアのウラジミール・プーチンまで、右翼政党とその先導的人物は、性差の議題でなにか「コモンセンス」つまり一般の人の良識のようなものに訴えかけられると気づきました。そのため反フェミニズムはそれを、性二元論と子どもをもうけることを通じてのみ次の世代を作っていく民族についての彼らの非常に生得論的なイメージのために利用しています。

またそれらは反フェミニズムを彼ら独自の政治的な意思伝達のために動員しています。右翼ポピュリストは対立関係を用いて活動するので、たとえば政治的なエリートに反対し、移民に反対し、また平等を求める政治家やジェンダー学者に反対します。したがって多くの右翼政党が、移民反対で結集するためにケルンの2015-16年の大晦日の女性に対する暴行を取り上げました。つまり性差の議題は右翼政党にとって自分たちの主張内容か、少なくとも自分たちが対峙する敵を明確にする上で良い記事ダネなのです。

 

インタビュアー: 一方でこの運動は、権利の平等に対抗する態度をとっています。そして他方で自分たちをとくべつに平等だと主張し、それによって他者をとくにイスラム教徒の移民を権利平等が欠けているとして見下しています。この対比はどのように説明されるでしょうか。

 

Sauer:  右翼政党は二律背反と矛盾を用いて活動することが多いです。それは混乱が起きているように見える状況下で国民の代弁者を演じることに役立つからです。これは男性の移民に反対する論拠としても働きます。移民男性は右翼ポピュリストの目から見ると、社会や、ドイツやオーストリアではすでに達成された権利の平等を危険に晒すとされます。しかしまた同時に右翼ポピュリストは西洋諸国での権利の平等を求める尽力はこれ以上必要ないと主張します。「こちらの女性たちはすでに移民女性よりも権利の平等を得ているので私たちにはこれ以上は必要ない」と言っているようなものです。

 

インタビュアー: ドイツのハナウで2月19日にシーシャバーを訪れていた9人が暗殺犯に殺されました。犯人はさらに自分の母親を殺して自殺しました。彼書いた中傷文書にはとくに女性への憎しみが目立ちます。反フェミニズムがいかに命にかかわるということを私たちは過小評価しているでしょうか。

 

Sauer:  ドイツは、右翼の暴力のかなり特殊な事例です。警察や憲法擁護庁がその中でどのような役割を果たしているのかはまだまだ解明されていません。しかしそうですね、ドイツの右翼過激派は危険です。そしてそれと戦うはずの公的機関から支援や隠蔽も受けているかもしれません。

さらに過小評価されているのはレイシズム反ユダヤ主義と女性蔑視、セクシズムの強い結びつきです。ここでは、男性がレイシスト反ユダヤ主義者であると同時にセクシストや女性蔑視でもあり、「反ジェンダリズム」と名のり過激化していることが多いことが見落とされています。「反ジェンダリズム」や反フェミニズム、セクシズム的な意見をもっていることは、レイシズム反ユダヤ主義イデオロギーが強化されテロにつながりうるような過激化の度合の指標になります。歴史的に見ても19世紀以来、このような排除と拒絶の構造は密接に結びついてきました。たとえばナチスドイツでは、反ユダヤ主義は性の蔑視をともなって機能することが多かったのです。ユダヤ教の信仰をもつ人は女性的なものとして表現され、典型的に女性のものだとされる性質を割り当てることで低い評価をされました。これは、レイシズム反ユダヤ主義のさまざまな潮流を通じて維持されてきた思想パターンです。

(中略)

ハナウの犯人が母親を殺したことをメディアが小さく扱っているが、これはフェミサイドの典型例だとインタビュアーが指摘している。フェミサイドはしばしば家庭やパートナー間で起きる女性蔑視にもとづく殺人である。北欧は男女平等的だがそれでもフェミサイドがあるとSauerが言う。

 

インタビュアー: ヨーロッパ全体に目を向けたときそれらの運動は各国でどのような違いがありますか。それらはどれくらい強く結びついていますか。

 

Sauer:  まさにインターネット上でそれらは非常によく結びついていて、たとえば該当のチャットルームでグローバルに活動しています。ヨーロッパでは右翼政党はソーシャルメディアの外でもネットワーク化されています。部分的にEU議会にも共同で議席をもっています。反フェミニズムの動員でもしばしば不和になったり協力したりしています。そこでたとえばそこでは図版資料が取り交わされ、スローガンが翻訳され、スカーフの禁止など個々の要求で同盟を作ったりしています。

しかしその他に違いもあります。たとえばポーランドの与党「PiS(法と正義)」はドイツのAfDやオーストリアのFPÖよりもカトリック教会とより強く結びついています。これはPiSの家族観や同性愛の拒否に表れています。これはたとえば右翼の政党や組織の中に同性愛者の指導的人物がいる国々では珍しいことです。たとえばFPÖはこれまで公に同性愛嫌悪的だったことはなく、PiSと明確に異なります。

北欧諸国との違いもあります。FPÖのような政党はジェンダー主流化や平等政策に反対しています。それに対してデンマークスウェーデンの右翼政党は平等を攻撃する場合には非常に慎重になります。そこではそういうことが文化的に根づいていて、右翼は平等に疑問を呈しても誰も味方にできないことを知っています。他方で北欧では反フェミニズムの運動と右翼ポピュリストはより強く移民に反対しています。

 

移民排除とジェンダー学の両方を非難する傾向はフェミニストの中にも見られる。

アリス・シュヴァルツァーのようなフェミニストイスラム教内の女性抑圧を理由に移民に反対している。シュヴァルツァーはまたトランスジェンダーに対する差別的な発言も行なっている。そして移民反対とトランス排除の両方を同じ論者が主張し、その論者がフェミニストを名乗っているというケースがとても多く、ひとつの流行になっている。

移民反対とある種の反フェミニズムが結びついている点では、上で説明されている右翼と同じだ。しかし、シュヴァルツァーなどの論者はその他の点では男女平等を求めるフェミニストである。その点はたしかに異なる。

にもかかわらず、反移民フェミニストの議論は右翼ポピュリストととてもよく似ている点がある。たとえば、ジェンダー学者のエリートを敵とする点や、一見矛盾しているようにみえる状況を好んで取り上げる点だ。

以下の記事も、フェミニズムを支持するとされる立場から書かれた。反移民、反トランスの記事である。

 

NZZ.ch logo

GASTKOMMENTAR

Bist du mit uns, Schwester? – Der postmoderne Feminismus verleugnet die echten Probleme

 

姉妹よ、君は私たちといっしょか? ― ポストモダンフェミニズムは真の問題を認めない

 

百年前からフェミニストは路上に出た。それは小さな女の子として扱われないためだ。こんにち被害者の地位は高くかかげられ、それによって宣言された女性運動の目標は裏切られている。女性がどのように生きたいか自由に決めるという目標だ。

 

Birgit Kelle 2020年9月23日

 

 

あなたはフェミニスト?ためらえば疑われる。この問いは運動界隈のリトマス紙として発せられる。姉妹よ、君は私たちといっしょか?党派集団は、誰か列を離れようとするものがいればすぐに問い詰める。グループリーダーは容赦ない。そういう場面では、フェミニストとしての自分を責めることはぜったいに拒否するようにしてほしい。なぜなら、女性運動が何年も経てその見解を急進的に変え、ときにはその反対のものにもなっており、その運動を通じてフェミニズムの概念もいかがわしくなったからだ。

 

 (中略)

 

被害者の釜の中で

ポストモダンフェミニズムは、さまざまな現象の同時性があるときに際立つ。戦いの副次的な場面に集中することで同時に起きている真の問題から目を背けるのだ。新しいマイノリティの方へ注意を向けることでマジョリティを蔑ろにする。インターセクショナリティ、反レイシズム、反ファシズム的なフェミニズムの被害者の釜には、何らか不平等を感じている限りアイデンティティ集団やセクシャルマイノリティ、差別されたと感じる人々が参加を許される。

 

当然、多くの利害のすべてがあるとややこしく面倒になる。被害者のヒエラルキーを求めて最後まで戦いぬこうとするため、叩いたり刺したりがいたるところで行われている。白人で異性愛の主婦はかなり下の方に位置するが、バイセクシャルで黒人のトランス女性は被害者ポイントが多く抜きん出ることができる。トーク番組でも、女性、有色人種、子ども、ヒジャブをしたムスリム女性が配分にしたがって割り振られる。

(中略)

つまりこのジャーナリストは近年のフェミニズムレイシズムやトランス差別に反対していることについて、(大多数の女性を優先するはずの)フェミニズムが歪められた、異なる意見のフェミニストに不寛容になった、と主張している。

ちなみにドイツのトーク番組で話しているのは、たいてい半分は女性になっているが、白人が多く、子どもはめったにおらず、スカーフをしているイスラム教徒の女性もあまり見かけない。フランクフルトの街なかを歩いていて見かける人々の多様性と比べると、配慮しすぎているとはとうてい言えない。

次にこの著者は、「今や誰もが女性になれる」と主張している。これはトランス排除を目的としたポストモダン批判でよく出てくる言葉だが、たとえばシスジェンダーの男性が一貫して女性として生きることは実際には難しい。また、女性は団結しないといけないのに、トランスフォビアやTerfになることを恐れて女性を明確に定義できないと非難している。

 

DNAや染色体、生物学や自然や科学的事実が、感じられる性別や自分で定義したカテゴリーに屈したときにそう言えるのか。そうなれば女性性は中身のないただの言葉になるのは明らかだ。

(中略)

トランス排除の言説では、DNAや染色体と、解剖学的な特徴だけが生物学として引き合いに出されるが、神経系や内分泌の働き、行動や生態にはあまり言及されず、都合のいい生物学のつまみ食いという印象は否めない。

そもそもジェンダーアイデンティティという考え方が、染色体や性器だけでは性がきっぱり2つに分けられないため必要とされた概念だということが無視されている。

 

ジェンダー理論のアイコンであるジュディス・バトラーも女性を助けるつもりはまったくないが、この幻想はこんにちまで神話として維持している。彼女は女性性を文化的に形作られたお芝居のような「パフォーマンス」だとし、それが私たちを抑圧し従属させているので脱構築しないといけないという。脱構築というのは「破壊する」という意味の体裁をよくした言葉だ。バトラーは女性性の救世主ではなく、その決定的な廃棄のための棺桶の釘である。

楽観的で矛盾しているが、「女性のパワー」、「私たちは何でもできる」、「男よりずっといい」というのはずっと保証を約束されている。しかしこの同じ運動が、女性性が存在しないという主張から利点を得ようとするのに使われると瞬時に被害者の硬直に陥る。女性という生まれもった被害者の地位は、平等委員会やダイバーシティ専門家の機構全体にとっては福音である。それは、常に新しい被害者が生み出され仕事は終わらず、流行遅れになることはない。

(中略)

 

誰が真に男性原理的な社会を見ているか

しかし納得いかない理由からネオフェミニズムの視点からは、この家父長制システムは真に男性原理主義の社会を避けて通っているようである。インドでの集団レイプやイスラム教社会での女性への投石を非難することはそのつどレイシズムとされる。というのも文化に敏感なフェミニストはこれが女性への抑圧ではなく単なる「文化の違い」だと知っているからだ。

イランの女性にとってはなんと素晴らしいことだろう!それはそうと彼女らはもはや被害者になりたくない。彼女らの敵は年かさの白人の男性だけではなく、若い有色人種の血縁者もいる。それらは絶え間なく記憶を呼び覚ますことで、西洋の豊かな国のフェミニズムの体裁よく作られた敵のイメージを壊してしまう。そのことは歓迎されないので、西洋の女性運動党派集団は罰として支援を拒否している。

この部分は右翼ポピュリストとほとんど区別がつかないほどよく似ている。どちらもポストモダンフェミニズムが日常的な直観に反することや、アジアや中東の性差別を左翼が問題にしないことを非難している。

左翼のダブルスタンダード批判は一見説得力があるが、ここでインドやイランが持ち出されているのはヨーロッパ内での政治活動のためなので、実際にそれらの国の女性のことを考えているわけではない。

それらの国の個別の問題を考えるためにはもっと細かい事情を知った上で長くコミットしないといけないだろうし、啓蒙してやろうという態度で臨んでも解決にならないどころか別の問題を増やすだけだ。