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コロナと特定することについての日記

一昨日の朝、起きると喉が少し痛かった。

痛いというか、かゆいというか、はしかかった。はしかい、というのはたぶん僕の地元の方言なのでニュアンスが通じないかもしれないが、コンバインから出てくる籾殻で皮膚がチクチク痛痒くなるような感じのこと。籾殻も一般的でないかもしれない。ニットの首の部分がはしかいということもある。

そして咳が出て、熱っぽかった。コロナのテストをすると陰性だったが、仕事は休んだ。昨日は寝たり起きたり、ハーブティーを飲んだりして過ごし、暖かくして汗をかいてはスポーツドリンクを飲んだ。そして今日の朝、症状はひどくなっていて熱は39℃近くなっていた。そこでもう一度コロナのテストをすると今度は陽性。ついに僕にもコロナが来たかとなんか感心したような気分になった。

ふつうに風邪を引いたとき、風邪を起こしているウイルスや細菌の名前までわかるということは稀だと思う。この小さいプラスチック板に試薬と鼻擦った綿棒を混ぜた液を垂らすだけでこのウイルスかどうかわかるというのがどういう仕組みなのか見当もつかない。見当もつかないけれども、とにかくcovid19の遺伝情報かその対応物のようなものがこの試薬側か板側かのどちらかにあるのはたしかだろう。そこにピンポイントで当たりをつけて特定してるのだと思う。そうでなければ特定はできない。

コロナ陽性だったことを妻が電話でかかりつけ医に伝えてくれる。大まかな症状を話し、一週間は自宅療養ということになり、仕事を休むための証明書も書いてくれるそうだ。しかし、これでもう公式にコロナと認められたことになるのだろうか。自宅で簡易キットを使って調べただけだが、よく見てる「今日の新規感染者数」に僕の+1が加わるのだろうか。別に嘘をついたわけではないし、陽性と分かったのに病院に出張って他所様に移すリスクを冒すのもバカげているが。これで公式コロナということなのだろう。

 

コロナ陽性で、何ていうか、ちょっと安心した。コロナでも症状がぜんぜん重くなかったというのも安心した理由だけど、そもそも原因が特定されたということに安心感がある。

風邪というのはどうしても主観的なところがある。医者に診断してもらえたら主観ではないけれど、いくら「しんどい」と言ってもしんどさが他人に分かってもらえる保証はない。

熱を測ればもちろんしんどさが数値で見えるわけだけど、どういうわけか僕は大人になってからは風邪を引いてもほとんど熱が上がらないのだ。今だって毛布に包まっている間は熱が上がるけど、ベッドから出るとみるみる下がる。熱っぽい感じや悪寒があるから気になって何度も熱を測るが、体温計は37.5℃を超えない。そして熱っぽい感じや悪寒は他人に伝わりにくい。

「体温計なんか家にあんの?いらんやろ」

と一人暮らししてるときに職場の人に言われたことがある。「いや、ふつうにいるやろ」と思ったが彼いわく、

「お前、しんどいな〜仕事行けへんな〜て思て熱測って36℃やったら、じゃあ仕事行こってなるんか?自分でわかるやろ」

ということらしい。

それは一理ある。というかそっちが正しい。自分が感じてることを何を説明してもらう必要があるのか。

そうは言っても何か自分の外にちゃんとした権威があって、「こいつは今、めっちゃしんどい状態にあります。私が保証します」と言ってくれるのは拠り所になる。


遺伝子調査というと、最近自分の遺伝子を調べてもらって家系や民族的出自を事細かに教えてもらえるサービスがあるらしい。それこそ知ってどうするという話ではあるけど情報集めだしたら止められんくらい面白いやろうなという予感もある。

民族的ルーツを知るだけじゃない―、遺伝子検査市場が伸びるワケ | Coral Capital

念のために付け加えると、人種や民族という概念を過度に持ち出すことに個人的には反対です。人種を科学的に定義する意味があるのかどうかは今でも人類学者や社会学者の間で議論がありますし、不必要に人種や民族の話を持ち出すことが社会の分断を招き、異民族を包摂してきたはずの文明社会を後退させる心理効果を生むものとして有害に思えるからです。どんな属性であれ、集団にラベルを貼った瞬間から利害に過敏になって敵対するのが人間の性ではないでしょうか。


アメリカで白人至上主義を掲げる人種差別グループのメンバーの大半が、実は純粋なヨーロッパ系ではなく数%〜数十%ほどアフリカ系の遺伝子を引き継いでいることが分かってショックを受け、遺伝子検査の信憑性を貶めるような議論になっていたりもします。「純血」に意味がないと考え直すキッカケになれば良いですが、なかなか難しい問題です。


↑これはほんまにそう。

この手のテクノロジーを使った旅行会社の宣伝で、参加者に遺伝的ルーツを開示して反応をドキュメンタリーにして、人類みな兄弟!兄弟に会いに行こう!(旅行会社に金を落とそう)という、おおむねそんな趣旨のCMを見たことがあるが、人種差別に関しては、そういう問題ではない、ということに尽きると思った。

幼い頃に養子になった子どもに対して昔は遺伝的な親が誰かを伏せていたけれど、出自についてアイデンティティの戸惑いを感じたり、何とかして親を知ろうとする子が多かったりして、今では公開するのが主流になっているという話を読んだ。アメリカの話だったかな。Genealogical bewilderment(血縁の戸惑い)というらしい。精子提供でも同じことがあるみたい。

これも別に遺伝的ルーツを知ることが重要というより、知ってしまえばなんてことない情報が伏せられているせいで大事な意味があるように感じてそれに囚われるんだろうなと思う。