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記事紹介: 親露に傾くドイツのポピュリズム?

先月の話題。ドイツの有名なフェミニストのアリス・シュヴァルツァーと左翼党のサーラ・ヴァーゲンクネヒトがウクライナ戦争における停戦交渉を呼びかける宣言を出した。これが親ロシア的だとして批判を受けている。

 

2023年2月10日のt-onlineの記事。

Sahra Wagenknecht und Alice Schwarzer: Offener Brief gegen Waffenlieferung

ヴァーゲンクネヒトとシュヴァルツァーはロシアとの交渉を要求

Prominente Unterstützung

Wagenknecht und Schwarzer fordern Verhandlungen mit Russland

著名人による支持ヴァーゲンクネヒトとシュヴァルツァーはロシアとの交渉を要求している

 

左派政治家のヴァーゲンクネヒトと作家のシュヴァルツァーは新しい公開書簡でドイツの武器輸送の結果に警鐘を鳴らしている。

左派政治家のサーラ・ヴァーゲンクネヒトと作家のアリス・シュヴァルツァーはウクライナへのドイツの武器輸送を終わらせることを求めた。それよりも連邦首相オラフ・ショルツ(SPD)は交渉にとりかかるべきだという。

Twitterに上げた一緒に映った動画で二人は金曜日に「和平を求める宣言」と題した嘆願を発表し、同時に2月25日のブランデンブルク門前でのデモ参加を呼びかけた。

「ロシアから情け容赦ない急襲を受けたウクライナの人々は私たちの連帯を必要としています」と嘆願にはある。しかし、さらなる武器の輸送には連帯は示されない。むしろそれは「世界戦争や核戦争へずるずると進む道」を敷くとしている。ウクライナの兵力がクリミア半島を攻撃する頃にはロシア大統領ウラジーミル・プーチンは「最大限の反撃」を用意するだろうとする。黒海の半島であるクリミアはロシアによって不当に併合されたものだ。

(中略)

 

ゼレンスキーとベアボックへの批判

シュヴァルツァーとヴァーゲンクネヒトは嘆願書の中でウクライナ大統領のウォロディミル・ゼレンスキーへの批判も行なっている。「ゼレンスキー大統領は彼の目的を隠していません」と書いている。「彼は約束された戦車の次に今度は、戦闘機、長距離ミサイル、軍艦を求めています。ロシアに全面的に勝利するためでしょうか」ウクライナは、西側の支援で、個々の戦線では勝利できるでしょう、と書き、「しかしウクライナは世界最大の核兵器を相手に戦争そのものに勝つことはできません」としている。

二人はこの文脈で、「私たちは互いに戦争するのではなくロシアを相手に戦います」とEU議会で述べたドイツの外相アナレナ・ベアボックも問題だと感じている。

ショルツ首相は就任時にドイツ国民を被害から遠ざけると誓ったことを指摘し、「私たちは連邦首相に武器提供のエスカレートを止めることを要求します。今こそ、彼はドイツ、そしてヨーロッパ規模で停戦と和平交渉を求める強い同盟の先頭に立つべきです」と書いている。

 

書簡はこれが初めてではない

シュヴァルツァーとヴァーゲンクネヒトが公開書簡で連邦政府を批判したのはこれが初めてではない。すでに前の4月に彼らは似たような文書でショルツに宛ててウクライナに重兵器を送らないよう主張していた。彼らの言ではその間に50万人以上がこの書簡に支持の署名をしている。

反対の訴えでウクライナへの継続的な武器提供に賛成した知識人もいる。「攻撃されている者の手にあれば戦車と榴弾砲も防衛兵器だ。それらは自己防衛の役割を果たすからだ」と緑の党の政治家だったRalf Fücks、作家のDaniel Kehlmann、編集者のMathias Döpfnerが署名した文には書かれている。さらにその中で、ウクライナ征服にならないような和平交渉を望むなら防衛力を強化しなければいけないはずだと書かれている。ロシアの攻撃の成功を妨げることはドイツの利益になるという。

 

ウクライナ戦争の停戦は、領土を奪われるなどの譲歩を意味するので、侵略を肯定することになり親露的だと批判されているようだ。(ぼくの早く停戦してほしいと思っているけど、どっちが正しいか分からずにいる)

この停戦を求める意見はドイツの右翼にも見られる。

最近のドイツの右翼は、親露的な傾向がある。冷戦時はロシアを敵視していたが、今はむしろLGBTの権利や反植民地主義が西欧普遍主義だとしてそちらに対して反発している。そのためむしろEU議会やNATOを批判し、保守的で西欧とは一線を画すロシアにシンパシーを感じているようである。長谷川晴生さん訳のフォルカー・ヴァイス『ドイツの新右翼』にそのあたりが詳しく書かれていた。

反対にウクライナへの武器提供にもっとも積極的なのがドイツ緑の党で、これも昔のイメージからするとかなり意外だ。

以前この投稿で紹介したAfD支持者を定量的分析した論文[PDF]によると、緑の党支持者はポピュリズム傾向が最も低く、AfD支持者はもっとも高いそうだ。

ポピュリスト的なAfD投票者は56%なのに対し、SPDでは29%、左翼党では23%、CDU/CSUでは14%、緑の党では10%である。反対にAfDの非ポピュリストの投票者の割合はかろうじて12%だけで、緑の党(57%)、CDU/CSU(56%)、FDP(43%)、SPD(38%)、左翼党(36%)などよりはるかに少ない。

ここでいうポピュリズムは、政治的な既存勢力に対する反発と、国民の意志が一体だという意識のことだ。つまり、大多数の国民の考えは決まっているのに政治家がそれに反することをしているという考え方の強さの程度を表していて、思想の左右は問わない基準である。

ドイツでロシアに対して甘くなるかどうかに、このポピュリズム傾向が関係しているのかは分からない。プーチンの反西欧普遍主義の態度にドイツの反エスタブリッシュメントの勢力が共感している可能性はあると思う。

そして、反西欧普遍主義という意味では、日本の一部の右翼もそっちが本音なんじゃないかとぼくは思っている。

自民党LGBT特命委員会事務局長・城内実議員がオフレコ問題発言 「同性婚はウクライナが正しいという人と同じで少数派」|NEWSポストセブン

↑これがその一例。なんで同性婚の文脈でウクライナ出てくるの?と一見すると唐突に感じるが、彼らの中では反「西欧普遍主義」でロシアに同情的で、この点でLGBTと同じ問題だと見なしているということだろう。

しかし日本では自民党政権がそこまで「西欧普遍主義」ぽいものと一体ではないので、ドイツのように反エスタブリッシュメントに結びつくことはないのが大きな違いだ。

「西欧普遍主義」と「」をつけたが、LGBTや反人種差別、反植民地主義が西欧のものという配置はおかしいと思う。LGBTの人はどこにでもいるし、反植民地主義はむしろ第三世界から出てきたものだ。ウクライナ戦争にNATOの利害も関わっているのは否定できないとしても。

 

 

先月のウクライナ戦争停戦デモは右翼や極右の支持も集めており、極右と手を組むことになるのではないかという疑念も向けられていた。

2023年2月16日のtazの記事。

Wagenknecht und Schwarzer: Rechtsoffen – ein Manifest für alle - taz.de

 

ヴァーゲンクネヒトとシュヴァルツァー:右翼の受け入れ 全層へ向けた宣言

ヴァーゲンクネヒトの変節: 2月25日のデモには極右の旗は受け入れられない。しかし誰にでも開かれている。

 

ベルリン taz |  サラ・ヴァーゲンクネヒトとアリス・シュヴァルツァーの「和平を求める宣言」と2月25日のデモ呼びかけは数日間対立する議論を引き起こしている。


早くも呼びかけの公開後すぐにAfD党首Tino Chrupallaと極右系雑誌のCompactの編集長のJürgen Elsässerが支持側に回っている。

ヴァーゲンクネヒトは日曜日にシュピーゲル誌で右翼からの支持を拒否していたとはいえ、今は少し表現を変えている。左翼政治家のヴァーゲンクネヒトと出版者のシュヴァルツァーは木曜日にシュピーゲル誌でもあらゆる支援を受け入れる姿勢を表明した。

もし極右がデモに現れて旗を振ったらどうするかという質問に対しヴァーゲンクネヒトはこう答えている。「私たちのデモは真摯に平和と交渉を求めてる表明をしたい人は誰でも歓迎します。」しかし、右翼過激派の旗やシンボルはそこにはない。

すでに水曜日にTwitterに、最初の署名者でもありヴァーゲンクネヒトの夫で元左翼党党首のOskar Lafontaineが、インタビューに答えた動画が上がっていた。「そこでは思想調査はありませんし、誰も『どこの党員手帳をもっていますか』とか『誰に投票しましたか』とか尋ねることはありません。」

 

右翼の助けによる平和?

Lafontaineの立場を共有していなくても排除することはできないと政治学者のHajo Funkeは木曜日にtazに語った。しかし右翼を手段として使うことは阻止すべきだ。これに対してもとEU議員で最初の署名者でもあるGünter Verheugenは宣言を支持し、結びつけられている政治活動とは別物だとした。それはデモとは関係がないと彼はtazに話した。

左翼党幹部のJanis EhlingはLafontaineの招待に対する応答としてTwitterで全体に向けて、この呼びかけを拡散すると書いた。しかし彼はこのデモをもう支持しなくなった。「この国」ではエスカレートに反対する声がまだまだ必要だという。「しかし右翼を仲間に引き入れようとする者は、平和を求める信用できる意見とは見なせない」

ヴァーゲンクネヒトとシュヴァルツァーは2月10日にchange.orgのプラットフォームを使って「平和宣言」の名で署名活動を始めた。同時に彼らはウクライナでの戦争の開始からほぼちょうど1年後の2月25日のブランデンブルク門でのデモを告知した。彼らはとくにロシアとプーチンの戦争責任やウクライナでの犯罪を軽視しすぎていることで批判を受けた。

 

ヴァーゲンクネヒトが新党を創ろうとしているという話がある。旧東ドイツの人々や左翼、AfD支持者にも賛同する人がいるだろうとシュピーゲル誌。

Sahra Wagenknecht: Neue Partei könnte auf großen Zuspruch bei AfD-Wählern hoffen - DER SPIEGEL

ヴァーゲンクネヒトがAfDから入党のオファーを受けたという話もあった。

 

 

ドイツに住んでKindle出版してみた

ドイツで、ていうのは最後に書く点以外はまったく関係ないんだけど。日本語で書いてるし。ともかくKindleで小説を出してみた。

出版は思っていたよりも簡単で、具体的な方法はこちらのサイトを参考にした。


簡単すぎる!Kindle出版の方法(Amazonで電子書籍を出版する方法)


そして売り出したのがこれ。

 

宇宙時代のマナー講座 | 虫太 | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon


値段設定は「とりあえず500円にしとけばいいよ」とどこかのサイトで読んだので、とりあえず500円にしといた。


出版したい文書のファイル形式を電子書籍用に変換しないといけないのが、少し面倒くさい。ぼくはファイル変換に「でんでんコンバーター」というのを使った。縦書きの文章を作りたくて、かつ無料で済まそうと思えば、たぶんいろいろ試してもけっきょくこれになると思うのでオススメしておく。


電書ちゃんのでんでんコンバーター - でんでんコンバーター


好きな方法で書いて、でんでんコンバーターに入れるようにパソコンのWordで体裁整えてから、メモ帳アプリにコピペしてテキスト形式にする。この手順がスムーズだと思う。


でんでんコンバーターがどういう書式を求めているのかを早めに見ておいてから書くと、あとあと楽だろう。縦書きになったときに半角英数はどうなるのか、とか、改行、改ページ、章立てはどうなるのか、とか。


Wordで体裁を整えるときは、とくに検索と置換をうまく使うとよい。でんでんコンバーターにWordのルーターみたいなものがないので、段落の始まりを一文字下げるのに全角スペースを使ったのだけれど、そのときに「↵」を検索して「↵␣」に置き換える方法が助けになった。これが役立った情報。

ワードで改行を検索する方法|Office Hack

 

表紙の絵も自分で描いた。

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う~む、なかなか格式高い表紙になりましたね。

描くのに使ったのはこのスマホアプリのアイビスペイント。スマホの画面を指でぬりぬりなぞって描いたのだけど、これはペンタブなど、もっとマシな環境があると思う。それか流行りのAIとかに描いてもらったほうがいい。


アイビスペイントX

 

売り出したのは前にカクヨムに上げていた『宇宙時代のマナー講座』というSF風ユーモア小説を加筆したものだ。

カクヨムでは4万字くらいだったのを5万5千字くらいに加筆したのだけれど、これでKindle上の本についての説明だと102ページになった。つまり1万1千字で百ページくらいになるという計算だ。これは思っていたより少なかった。

Kindleは文字の大きさを変えられるのでページ数もそれで変動するが、記載されているその本のページ数はどうも文字を一番小さく表示したときのものらしい。これはスマホで1ページ13行。スマホの画面が小さいので文字は小さくなるが、ページ全体はそんなにぎっちりという印象ではない。


自分の書いたものを読み返してみるとやはりボリュームが少ないし、ところどころ改行や英数表示がおかしい。編集の仕方、あとイラストの入れ方とか見直して、次回作はもうちょっと長くしようと思う。


本が売れたり無料で読まれたりしてロイヤリティが入ったときのために、銀行口座の他にその国の納税者番号 (TIN)を入力しておかなければいけない。これはドイツだと Steuernummer  だ。自分のSteuernummerは給与明細とかにも記載されている。ドイツ在住で旅行記とか出したい人はこれだけ覚えておけばだいじょうぶだろう。まあ、当面は税金なんか取られるほど売れない。それより荘園領主様であるKindleに売上の3割を奉納しないといけないのがデカい。


まだあんまり売れてないから、これから作品数を増やすことと、あとは地道に宣伝するのみ。

次作も執筆とイラスト描きを進めている。イラストはこんなの。
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なんじゃこれは。

 

 

記事紹介: ドイツでも労働時間記録義務

以前、ドイツで労働時間規制が守られていないという実態を紹介した。

記事紹介: ドイツの長時間労働 稀な違反チェック 食品飲食業界 - Ottimomusitaのブログ

今年2023年の1月からドイツでも、雇用者は従業員の労働時間をすべて記録しなければいけないと法律で決められた。

[目次]

ドイツでは以前から法律上、超過分の労働時間は記録しないといけないことになっていた。また、残業時間以外の日々の労働時間もすべて記録すべしという判決がEU裁判所で下されていた。

第9回 欧州司法裁判所が画期的判決。企業には全労働時間を客観的に把握・記録する義務あり! – NPO法人 働き方ASU-NET

この判決が出たのが2019年で、3年たってようやくドイツでも定められたことになる。去年10月からドイツの法定最低賃金が上がったことだし、労働時間をきちんと管理しないと最低時給も意味がない。記録義務化は当然だろう。

Berliner Zeitungの2022年12月7日の記事。

Zurück zur Stechuhr: „Fraglich, was das bringt, außer mehr Aufwand für Betriebe“

未払いの超過労働時間

じっさい、大きな問題である。例を挙げると、過去数年で連邦全体で450万の事業所で労働契約で雇用者と合意したよりも多く働いている人がいた。2020年には合計で16億7000万時間に上る超過労働が行われ、その内半分しか給料が払われなかった。ただしこれは推定でしかなく、正確には誰にもわからない。しかしそれにも変化が訪れている。

また以前紹介した記事によると、

NGG: Alle 230 Jahre eine Prüfung: Gewerkschaft NGG kritisiert „Kontroll-Desaster“ beim Arbeitszeitgesetz

いまやドイツ内にどれくらいの規模の極端な労働時間があるかは最新データが示している。2018年の上半期だけでも被雇用者は10億時間の残業をしており、その半分以上は残業代を支払われていない(引用元: IAB)。連邦統計局は、9人に1人は週に48時間以上働いているとしている。就業者の4分の1は日常的に週末に働いており、この割合は飲食業界では86%にもなる。

そうした状況で、2018年にEU裁判所が労働時間を記録すべしと判決を出し、2022年9月にドイツの連邦労働裁判所でも同様の主旨の判決が出て、判決の根拠も12月に表明された。Frankfurter Rundschauの2022年12月17日の記事によると、

Pflicht zur Arbeitszeiterfassung: Was bedeutet das für Betriebe und Mitarbeitende konkret?

ミュンヘンの連邦労働裁判所(BAG)は数日前に、緊張をもって迎えられた労働時間記録についての原則となる判決の論拠を示した。これによると、雇用者は毎日の労働時間計測に「客観的で信頼できて誰でも使えるシステム」を確実に設けなければいけなくなる。

そして今年から時間記録が義務づけられている。

信頼労働時間は可能

雇用者側からは、かつてのようなタイムレコーダー式に逆戻りするのかとか、官僚制のモンスターだとか、信頼労働時間が通用しなくなるのかとか、手間が増えるといった懸念が上がっている。

記録方法は紙でもエクセルでもアプリでも、記録が残ればよいそうだ。これは雇用者側と見なされる社長や幹部クラスには適用されない。また、労働時間を被雇用者自身に管理させておく「信頼労働時間」も引き続き可能だという。Frankfurter Rundschauによると、

インタビュアー: ドイツでは多くの産業部門や事業所で信頼労働時間の原理が適用されています。つまり、雇用者は労働者の労働時間の管理を控えることです。これは労働裁判所の判決で終わりになりますか。

法律事務所の労働法専門家Sven Lohse: 信頼労働時間は、引き続き可能です。信頼労働時間というのが労働時間の状況について被雇用者が自由に決められるということなら、いずれにせよ可能です。

また、事業所協議会(Betriebsrat)主導ではないらしい。

Lohse: 事業所協議会は、労働時間記録システムを導入するかどうかという問題では主導権をもっていません。そのようなシステムの調整に際しては個々のケースでは共同決定権があります。

事業所協議会というのはドイツ特有の制度で、会社内の労働者代表組織だ。これは労働組合のような交渉権はもたないが、経営に関わることで発言権をもつ。

罰則

イ: 労働時間の記録を管理するのは誰ですか?

Lohse: この管理は、それぞれの連邦州の管轄当局によって行われます。これらは主に労働保護局です。

イ: 違反についてはどのような罰則がありますか。

Lohse: 労働時間記録の義務違反に制裁はありません。労働保護局が労働時間記録の文書化を要求し、企業がそれに応じない場合に初めて30000ユーロ以下の罰金が課されます。

労働時間を違法に長くすることで削減できる人件費を考えれば、30000ユーロというのはそれほど高くないのではないか。これは役所の監査がどれくらいの頻度で入るかという問題とも関わる。

労働組合は義務化を歓迎

再びBerliner Zeitungの記事から。

被雇用者の代表者らは労働時間記録の義務を喜んでいる。「3年間妨げられてきたが、ようやく発効した」とHivzi Kalayciは言う。彼はベルリンのIG BAUの労働組合書記長で、行われた労働の報酬を請求したが認められなかったという事例をいくつか知っている。「これまで組合員はお金をもらうために働いたことを立証しないといけませんでした。これで立証義務は逆転しました」とKalayciは言う。

また食品飲食店労働組合(NGG)でも改竄防止になる分単位で正確な労働時間記録が求められている。「結局のところこの問題全体で大事なのは、従業員がもたらした労働成果に対しては給料が支払われることです」とベルリンNGG代表のSebastian Riesnerは言う。年間数百万時間が失われたのは、被害者が法的に有効な形で自分の請求権を主張できなかったからだ。

まずチェック体制が必要

以前紹介した記事によると、役所による労働時間の監査はまったく足りておらず、昔よりも少なくなっているそうだ。監査官の数がそもそも少ないのだ。労働時間管理について現状は官僚制モンスターとはほど遠い。
監査がまず来ないくらい稀なら、労働時間を記録していない事業所も恐れることはなく今後も記録しないだろう。以前から超過労働時間は記録義務があったが、労働時間法に違反している職場はたいていそれも記録していないはずだ。わざわざ違反の証拠や補償すべき金額の根拠を残すことはしないからだ。そういった会社はルールが増えたところで今後も記録はしないだろう。ルールを制定するだけでなく、それをチェックする体制も拡充しないといけないのは明らかだ。
裁判になったあとに権利を請求しやすくなったことは進歩であり、労働組合はそこを評価しているようだ。しかし、立場の不安定な移民労働者には裁判を起こすことはなかなか難しい。移民労働者の多くは労働組合に加入していない。組合員ならば、訴えて不当解雇された場合の保障や裁判費用の補填も組合から得られるが、非組合員にはそれがなく移民なら在留資格の心配もある。今回の労働時間法改正ですぐに長時間労働が改善するとは思えない。


論文紹介: ドイツ語圏のフェミニストSF


ドイツにフェミニストSFはあるのかという疑問から調べてみた結果を紹介しておく。

 

 

フェミニストSF

 

フェミニストSFというジャンルがある。SFというとエンターテインメントだとか理系なので男性的というイメージがついてまわりがちだが、そのイメージを払拭するような作品群だ。60-70年代にSFの新しい潮流が生まれる中で第2波フェミニズムの運動の影響も受けながらフェミニズム的なSFが多く発表され、今も高い評価を受けている。

その頃から有名だった主な作家としては、英語圏では、アーシュラ・K・ル=グィンジョアナ・ラス、マーガレット・アトウッド、マージ・ピアシー、オクティヴィア・バトラー、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.、…など。日本語だと、大原まり子菅浩江新井素子鈴木いづみ笙野頼子などなど…。現代でもたくさん書かれている。

ぼくはSFは好きだけど理系オタクのノリにあまり馴染めなかったのでよくこのジャンルのものを読んでいた。大学でサルや子どもの観察をしていた関係で、フェミニズム科学批評に興味があったせいもある。

 

ドイツのSF

ドイツに来て、あまりドイツ語が読めないなりに、書店や古本市でこのジャンルの本を探していたのだけど一向に見つからなかった。漫然と見ているだけでは出会えないのかもしれないが、そもそもドイツではSFはあまり人気じゃないのだと、ある論考を思い出した。

識名章喜さんの文章、「「かつてあった未来」から現在へ ーードイツ語圏SF前史を検証する」(『ユリイカ 25巻12号』)には、戦前には盛んだったドイツのSFが戦後は不人気になった事情が書かれている。SF作家の草分け的存在、クルト・ラスヴィッツ(1848-1910)以降、ドイツでも「未来小説」と呼ばれるSFが書かれていたが次第に軍事的な近未来架空戦記ものが増え、第一次世界大戦後は敗戦の劣等感を慰撫するような軍事技術の誇大妄想や優生学ユートピアが盛んになりナチズムと結びついていったそうだ。戦後にはその反省とともにSFも振るわなくなった、と。

そう言えば、古本の市場でわら半紙みたいな紙に刷られた薄いSF雑誌が1部1€で大量に売られていたことがあった。どれも1950-60年代のもので読む気はしなかったけど、表紙や挿絵がレトロフューチャーな感じで面白かったから10部ほど買って本屋をやってる友だちにお菓子といっしょに送ったのだった。あれは戦前の未来小説の名残りだったのかもしれない。どの雑誌も軒並み60年代に廃刊していた。

ドイツ産のSFというと日本では、スペースオペラ小説シリーズの「宇宙英雄ペリー・ローダン」や『深海のYrr』が有名だが、あまりドイツのイメージはない。

最近、ナチスドイツ期にIT技術があったら、という歴史改変ものの『NSA』という小説が書かれ、邦訳も出た。よく知らないぼくは(これはいかにもドイツらしいSFだな)と思ったんだけど、識名さんによると上のユリイカの文章が書かれた90年代の時点では、ドイツではナチズムをめぐるテーマのエンターテインメント作品は難しく、ナチス期の歴史の検証に厳しいから『高い城の男』みたいな歴史改変ものもなかなかできなかったらしい。そういう意味では『NSA』は今までのドイツにはないSFなのかもしれない。

 

また書店の話に戻る。

フランクフルトにある大きな書店(梅田のジュンク堂くらい大きな)の中を歩いていて最初に気づくのは、本がジャンル別に置かれていることだ。(日本だと国内作家はジャンル混合で一部は出版社別、海外作家は出版社別が多い気がする) そして、入口すぐのところには、一般文芸に次いでミステリの棚が大きく目立っている。歴史小説も地上階でけっこう場所をとっている。SFはというと、地下階を探さないといけない。地下には漫画やバンド・デシネやジュニア小説コーナーと並んで「ファンタジーとSF」の棚がある。そこにはファンタジー小説やゲームのノベライズがあり、デューン砂の惑星1984年などのSFもそこに紛れて背表紙を見せている。

(こんな扱いなんか…)

とSFファンとしては少しがっかりしてしまう。日本でもそんなにSFが大きく扱われているわけではないが、日本では海外異色作家を翻訳している出版社の棚に置かれることが多いので現代文学といっしょに並んでいて印象はかなり違う。格式がどうとか気にすると厭らしいけど。

そんな中でも、たとえばマーガレット・アトウッドの作品は別だ。彼女の著作は地下階ではなく地上階の一般文芸コーナーにあり、しかも高確率で平積みにされている。アトウッドがドイツで人気なのはわかる。反全体主義国家の意識が高いから『侍女の物語』は読まれて当然だ。他の作品でもよく生殖をテーマにしているので、中絶の権利から第2波女性運動が隆盛したドイツではフェミニズム的な関心からも注目されるだろう。

それにしても、どうやって地下のSFコーナーから出てこられたのかという疑問は残る。ジャンル分けのミスと見なされないのだろうか。何だと思ってアトウッドを読んでいるのだろうか。

 

ドイツのフェミニストSF

ドイツ語圏のフェミニストSFについての論文を読んでみたところ、その辺の事情が飲み込めた。ウィーン大学のMagdalena Hangelの2013年の論文だ。

 

Weibliche Geschlechterrollen in der Science-Fiction-Literatur deutschsprachiger Autorinnen Magdalena Hangel [PDF]

 

どうやら『侍女の物語』はユートピア小説という扱いらしい。つまり、ドイツ語圏ではSFが文学ジャンルとしてあまり確立しておらず、通俗小説(Trivialliteratur: 些末な文学)と見なされることが多く、アンチ・ユートピア小説(いわゆるディストピア)を含め、社会批評の視点をもった小説はユートピア小説とされるようだ。そしてSFやフェミニストSFもユートピア小説のサブジャンルに入れられることが多い。

 

いくつかのドイツ語研究や文学研究の教科書には、90年代や21世紀の00年代に書かれたものにさえ、SFを単独に分類せずにユートピア小説の下位ジャンルとしているものがある39。

 

したがって、多くの場合にSFというジャンルがより相応しいのに「通俗小説」に分類されないようにするためにSFに該当しないことになっているということも想定される。「ユートピア小説」というラベルは「教養ある」読者層によく売れそうだが、結局は不十分なカテゴリー化ではSFの自立性を獲得できずそのジャンル自体の周知を妨げる。

 

英語圏では、SFとは何か?とか文学ジャンルと認められるか?という論争は長らくされておらず、もっと先に議論を進めているという。アメリカの文学研究者マーリーン・S.・バーは、フェミニズム的なファンタジーやSFなどを包括したフェミニスト・ファビュレーション(feminist fabulation)という概念を提唱した。バーの本は日本語に訳されていて、フェミニスト・ファビュレーションについても説明されている。

 

『男たちの知らない女―フェミニストのためのサイエンス・フィクション』 マーリーン・S.・バー〈Barr, Marleen S.〉【著】 小谷 真理/鈴木 淑美/栩木 玲子【訳】  勁草書房(1999/02)

 

HangelもそれにならってフェミニストSFを広く捉えている。その上で彼女はこれまであまり学問的に研究されず、代表作品も挙げられてなかったドイツ語圏のフェミニストSFを女性運動の歴史と関連づけて採り上げ、内2作品についてさらに細かく分析している。

 

 

第1波女性運動とドイツ語圏フェミニストSF

 

すでに第1波女性運動に関して、簡単には分類できないSFとユートピア小説の中間ジャンルに位置する多くのテキストが現れた。英語圏ではこれは、フェミニズム(SF)文学作品の伝統の一里塚となり、数世紀に渡って持続し、第二波女性運動に適用され今日まで追求されている23。例として、Clare Winger Harris、Leslie F. Stone、Charlotte Perkins Gilmanは20世紀前半に作家としてFSF[フェミニストSF]の分野で活躍した24。

 

Hangelはドイツ語圏の第1波女性運動期のフェミニズム的なユートピア小説を3つ紹介している。

 

Bertha von Suttner(1843-1914)のDer Menschheit Hochgedanken (1911)(『人類の高い思想』)

Suttnerはオーストリアノーベル平和賞を受賞した平和主義者として知られる。飛行船など技術的な発展とともに、引っ込み思案だった少女からフェミニストの(平和)演説家になる主人公フランカの成長が描かれる。フランカは、違う国民同士の平和の前に性別間の平和への進展が必要だと女性の聴衆に訴える。

 

 

Helene Judeich (1863-1951)のNeugermanien(1903)(『ニューゲルマニア』)

Judeichはドレスデンの教師で、普段は子ども向けに芝居を書いていた。演劇のNeugermanienでは、ほとんどすべての分野で女性が男性と同権の「ユートピア国家」を描いた。

Neugermanienには反フェミニズムバックラッシュの犠牲になって追放された女性が住む。故郷のAbsurdumは当時の社会のような不平等な社会からNeugermanienへ移り、フェミニズム国家の建設を目指す。

 

 

Rosa Voigt (1837-1922)のAnno Domini 2000(1909)(『紀元2000年』)

この小説では2000年には、インテリ男性の中で女性がひとり討論に参加して、社会について語る。女性解放のほかに、とくにアルコール依存症と闘いが前面に出ていて、これは主に男性の根本問題であり多くの社会問題と見なされていて、物語の中の時代では禁止されていた。

 

 

Hangelはこれらの作品が当時の女性運動が求めていた女性参政権や教育を受ける権利などと密接に結びついていたことを明らかにしている。また性別役割分担や生殖など今日でも共通するテーマも扱われていた。売春のテーマに関してはセックスワーカーを傷つける主張をしていたり、主人公女性の結婚でハッピーエンドになっていたりと、フェミニズム的に物足りない点も指摘している。それらは第2波女性で発展する。

 

 

第2波女性運動とドイツ語圏フェミニストSF

 

第2波女性運動は数十年のほぼ完全な政治的停滞の後、60年代の終わりと70年代初めに発展した。ドイツやドイツ語圏では今では一般に2つの要因が引き金になったと考えられている。ひとつは、学生運動で、この中で女性は組織化し、のちに女性解放が足りないことを批判し脱退して自分たちの組織を作った184。もうひとつは、ドイツの雑誌『Stern』での1971年の中絶禁止に反対する公式キャンペーンだ。『Emma』の編集者アリス・シュヴァルツァー185の発案でフランスの手本をもとに375人の一部は実名の女性が違法な中絶をしたことを公開した186。

 

以下に、論文中で挙げられている小説を紹介する。第2波女性運動が始まったとされる1968年から現在(2010年)までの作品から選ばれている。論文ではもちろん内容に触れながら批評しているが、このブログでネタバレするのは気が退けるので割愛する。この論文に加えてAmazonの商品説明やレビューも参考に紹介文をつけた。ぼくはまだどれも読んでいないので内容は分かっていない。

 

 

Ulrike NolteのJägerwelten(2000)(『狩人の世界』)

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ビーンとチャールの異星への旅は気楽な探検になるはずだった。そこで捕まえた翼竜が只者ではなかったと知るまでは…。地球に戻る船の中、その翼竜は眈々と人間という種族について学んでいた。地球に戻ったチャールは、自分が政府のお尋ね者になっていることを知る。彼らは反政府指定を受けたコミューンに逃げ込み、テレパシーで語りかける翼竜と知り合う。そして、政府も動き出し…。広大な都市化、二極化した階級社会、企業が支配する冷酷な統治機関を舞台にした、社会批判とエンターテインメントを両立した作品。

 

 

NolteのDie fünf Seelen des Ahnen(『高祖の五つの魂』)

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同じくNolteの作品。新しい故郷となる惑星を求めて水の惑星ArcheZたどり着いたクルーたち。最初の使節団は崩壊していた。船員のひとりは行方不明になったあと、肉体も精神も変容した姿で現れた。大都市船やエイリアンの出てくるテンポのいいスペースオペラ

 

 

Barbara SlawigのFlugverbot: Die Lebenden Steine von Jargus(2003)(『飛行禁止 ヤルグスの生きた石』)

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惑星ヤルグスのドーム型都市で、若き警部ダフィット・ヴールフはスーパーコンピュータANACの故障について捜査していた。故障のため生きた石の研究は危機に瀕していた。彼は、逃亡していたコンピュータ専門家のイェアンネ・アンドレイェフに出会い、科学者や軍人、官僚が加わる追跡劇に巻き込まれていく。捜査を続ける中、イェアンネに疑念を抱きつつも次第に惹かれていくダフィット。緊迫した会話から彼女の過去やフェミニズム的な考察が開陳されていく。Amasonレビューの評価が高い。

 

 

Evelyne BrandenburgのAnna Maria oder die Zärtlichkeit der Skorpione(1982)(『アンナ・マリア あるいはサソリの優しさ』)
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家父長制に支配された社会と不幸な結婚の中で、女性としての肯定的アイデンティティセクシュアリティを発見していく主人公の物語。家父長制が支配する社会と、それに対抗したフェミニズム指向の社会が描かれ、舞台や時代も変わり二部構成になっている。

 

 

Sophie BehrのIda&Laura :Once more with feeling (1977)(『イダとラウラ ワンス・モア・ウィズ・フィーリング』)

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生殖技術が発達した未来社会で、自分のクローンを妊娠するイダの物語。クローンは女性のみで生殖できる手段として肯定的に扱われている。バイオテクノロジーや生殖医療とその全能感への風刺でもあり、対立するアイデンティティとコピーの概念もテーマになっている。難解なモチーフだが、連想や脱線をくり返し時間的に前後するジョイス風の文体で、わかりやすく、詩的に、ユーモラスに描いている。

 

 

Karin IvancsicのMuttertag(「母の日」) 

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アンソロジーのDer Riß im Himmel: Science-fiction von Frauen. (『天の裂け目 女性のサイエンス・フィクション』)に集録されている短編小説。一般の人びとの間で身体を通じた生殖が行われなくなった社会の話。それでも子どもはどこからともなく現れ、自分の母親である女性を「捜す」。母親とされた女性に逆らう権利はなく、男性は精子提供するだけで何も知らない。一体子どもはどこから来るのか…。

 

 

ドイツ語圏ではないが、ノルウェーの女性作家の小説もひとつ紹介されている。

 

Gerd BrantenbergのDie Töchter Egalias. Ein Roman über den Kampf der Geschlechter (1977)(『エガリアの娘たち 性の闘いについての小説』)

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私たちの世界の性差ステレオタイプと性差ヒエラルキーとは反転した未来を描く。社会の重要な地位は女性が占め、生まれた子どもに対する責任は男性が負う。この小説は、性差語用について革新的な言語使用を提示しており、それはドイツ語の翻訳版でも変わっていない。Amasonレビューの評価が高い。

 

 

以下の女性によるSF小説3作は、論文中でとくべつフェミニズム的とは評価されていないが比較のために挙げられていた。

 

Charlotte KernerのBlaupause (1999)(『青写真』)

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この小説では有名なピアニストが病気に直面して彼女の才能を守るために自分のクローンを作る。ベストセラー小説で、Amasonレビューの評価も高い。

 

 

Barbara MeckのDas Gitter(1980)(『グリッド』)

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ミュラー博士は私欲のため、違法な生殖技術に手を染める。SFスリラー。

 

 

Myra Çakan のWhen the Music's Over: Ein Cyberpunk-Roman (1999)

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破滅に見舞われたヨーロッパを彷徨うグリーンランド若い女性、スカディ。彼女の周囲には次第に個性豊かな無頼の徒たちが集まる。彼らは地球を汚染するエイリアンの隠微な支配に抗う動機をもつ。近未来ヨーロッパの官能的なサイバーパンク・アクション。

 

 

 

政治的なこととフィクション

 

まだ多くの人にとってフェミニズムとSFが意外な取り合わせと感じられるかもしれないが、それ以前の前提として差別や不平等のような政治的なこととフィクションに何の関係があるのかと思われる向きもあるかもしれない。

これはネットなどで論争になりがちな点なので、どういう理論で関連づけられているか説明しておきたい。

ひとつには社会的構成(構築)主義が基礎にある。これは、社会で当たり前とされていることや制度になっているようなことは、人々の実際の関わりによって作り上げられているという考え方だ。たとえば理系に女子が少ないことなどは、法律で決まっているわけでもないし生物学的にそれほど差があるわけでもない。ルールや法則のような根拠がなくても人々がそのようにふるまい続けることで習慣化する。

もうひとつはインターセクショナリティ理論だ。差別には性差だけでなく、収入、出身地、肌の色など複数の差異のカテゴリーが関わっていることに注目する見方だ。

 

インターセクショナリティ理論は2つの具体的な問題を意識して適用しなければいけない。ひとつめの問題は、差異カテゴリーを固定化したり作用させたりすることにより固定化がさらにくり返し起こることだ。それによってこれは不用意に再生産され、「人種」のような概念の背景を十分に批判的に考えず、確固たる社会的なものとして構成し、さらに確定していく危険が生じる。どちらの状況も望ましくないため、差異カテゴリーの決定には批判的で反省的なアプローチが必要である。それと対照的に集団の社会的構成の背景を考えることは、その理念にもとづく差別実践の可視化と同じく重要だ295。ふたつめの問題は、今述べたような差別の固定化によって他のカテゴリーが排除されることにある。既存の、場合によっては規定されたカテゴリーの中だけで考える人は、他の新しく生じるかもしれない差別メカニズムに盲目になる危険がある296。

 

ふるまいややりとりで現実が作り出されるという点は演劇に似ている。社会的な現実も「構築」されているという意味ではフィクション的だし、フィクションの出来事も習慣や人間関係をくり返しているという点では現実と同様にこの「構築」に貢献していると言える。

なのでこの立場の人は、単純にフィクションで見たことに影響を受けて実行する人が多いと主張して懸念しているわけではない。また、よく反論で指摘されるようにナイーブに現実と虚構を混同しているわけでもなく、むしろ社会的な事柄の虚構性を前提として批判している場合が多い。

インターセクショナリティ理論では、「男vs女」のような抽象的な属性同士の対立ではなく、もっと多くの要因が絡まった具体的な状況を重視する。そのため、現実の個別ケースに焦点を当てる他に、物語を参照することが有効になる。とくにSFは、現実から離れた状況を描きやすいので思考実験に適している。

 

 

アメリカのフェミニストSFのドイツ語訳

 

ドイツでは、ジョアナ・ラス、マージ・ピアシー、オクティヴィア・バトラーあたりの作品もかなりドイツ語に訳されている。日本ではこの3人は、ほとんど訳されていていなかったり、訳されていても絶版などで入手困難だったりするのでこの点は羨ましい。バトラーは最近復刊されているので、ピアシーの He, She and Itも訳されないかなと期待している。

上に紹介した論文ではドイツにはフェミニストSFの該当作品が少ないとされていたが、これだけ翻訳が充実しているなら読者もいるだろうし影響を受けた作家もいるはずだと思う。マーリーン・バーはフェミニスト・ファビュレーションという概念でSFもファンタジー小説も包括していたが、この論文ではSFに対象を絞っていた。なにせメルヘンの国だ。ジュニア小説をはじめ、ファンタジーはかなりたくさん出版されているのでそこを掘ればフェミニスト・ファビュレーションな作品は見つかるかもしれない。ぼくにそんな読書能力はないのが残念だが…。

とりあえず上記の小説や作家から挑戦したい。FlugverbotとIda&Lauraあたりがおもしろそう。

 

2022/12/24

 

コロナと特定することについての日記

一昨日の朝、起きると喉が少し痛かった。

痛いというか、かゆいというか、はしかかった。はしかい、というのはたぶん僕の地元の方言なのでニュアンスが通じないかもしれないが、コンバインから出てくる籾殻で皮膚がチクチク痛痒くなるような感じのこと。籾殻も一般的でないかもしれない。ニットの首の部分がはしかいということもある。

そして咳が出て、熱っぽかった。コロナのテストをすると陰性だったが、仕事は休んだ。昨日は寝たり起きたり、ハーブティーを飲んだりして過ごし、暖かくして汗をかいてはスポーツドリンクを飲んだ。そして今日の朝、症状はひどくなっていて熱は39℃近くなっていた。そこでもう一度コロナのテストをすると今度は陽性。ついに僕にもコロナが来たかとなんか感心したような気分になった。

ふつうに風邪を引いたとき、風邪を起こしているウイルスや細菌の名前までわかるということは稀だと思う。この小さいプラスチック板に試薬と鼻擦った綿棒を混ぜた液を垂らすだけでこのウイルスかどうかわかるというのがどういう仕組みなのか見当もつかない。見当もつかないけれども、とにかくcovid19の遺伝情報かその対応物のようなものがこの試薬側か板側かのどちらかにあるのはたしかだろう。そこにピンポイントで当たりをつけて特定してるのだと思う。そうでなければ特定はできない。

コロナ陽性だったことを妻が電話でかかりつけ医に伝えてくれる。大まかな症状を話し、一週間は自宅療養ということになり、仕事を休むための証明書も書いてくれるそうだ。しかし、これでもう公式にコロナと認められたことになるのだろうか。自宅で簡易キットを使って調べただけだが、よく見てる「今日の新規感染者数」に僕の+1が加わるのだろうか。別に嘘をついたわけではないし、陽性と分かったのに病院に出張って他所様に移すリスクを冒すのもバカげているが。これで公式コロナということなのだろう。

 

コロナ陽性で、何ていうか、ちょっと安心した。コロナでも症状がぜんぜん重くなかったというのも安心した理由だけど、そもそも原因が特定されたということに安心感がある。

風邪というのはどうしても主観的なところがある。医者に診断してもらえたら主観ではないけれど、いくら「しんどい」と言ってもしんどさが他人に分かってもらえる保証はない。

熱を測ればもちろんしんどさが数値で見えるわけだけど、どういうわけか僕は大人になってからは風邪を引いてもほとんど熱が上がらないのだ。今だって毛布に包まっている間は熱が上がるけど、ベッドから出るとみるみる下がる。熱っぽい感じや悪寒があるから気になって何度も熱を測るが、体温計は37.5℃を超えない。そして熱っぽい感じや悪寒は他人に伝わりにくい。

「体温計なんか家にあんの?いらんやろ」

と一人暮らししてるときに職場の人に言われたことがある。「いや、ふつうにいるやろ」と思ったが彼いわく、

「お前、しんどいな〜仕事行けへんな〜て思て熱測って36℃やったら、じゃあ仕事行こってなるんか?自分でわかるやろ」

ということらしい。

それは一理ある。というかそっちが正しい。自分が感じてることを何を説明してもらう必要があるのか。

そうは言っても何か自分の外にちゃんとした権威があって、「こいつは今、めっちゃしんどい状態にあります。私が保証します」と言ってくれるのは拠り所になる。


遺伝子調査というと、最近自分の遺伝子を調べてもらって家系や民族的出自を事細かに教えてもらえるサービスがあるらしい。それこそ知ってどうするという話ではあるけど情報集めだしたら止められんくらい面白いやろうなという予感もある。

民族的ルーツを知るだけじゃない―、遺伝子検査市場が伸びるワケ | Coral Capital

念のために付け加えると、人種や民族という概念を過度に持ち出すことに個人的には反対です。人種を科学的に定義する意味があるのかどうかは今でも人類学者や社会学者の間で議論がありますし、不必要に人種や民族の話を持ち出すことが社会の分断を招き、異民族を包摂してきたはずの文明社会を後退させる心理効果を生むものとして有害に思えるからです。どんな属性であれ、集団にラベルを貼った瞬間から利害に過敏になって敵対するのが人間の性ではないでしょうか。


アメリカで白人至上主義を掲げる人種差別グループのメンバーの大半が、実は純粋なヨーロッパ系ではなく数%〜数十%ほどアフリカ系の遺伝子を引き継いでいることが分かってショックを受け、遺伝子検査の信憑性を貶めるような議論になっていたりもします。「純血」に意味がないと考え直すキッカケになれば良いですが、なかなか難しい問題です。


↑これはほんまにそう。

この手のテクノロジーを使った旅行会社の宣伝で、参加者に遺伝的ルーツを開示して反応をドキュメンタリーにして、人類みな兄弟!兄弟に会いに行こう!(旅行会社に金を落とそう)という、おおむねそんな趣旨のCMを見たことがあるが、人種差別に関しては、そういう問題ではない、ということに尽きると思った。

幼い頃に養子になった子どもに対して昔は遺伝的な親が誰かを伏せていたけれど、出自についてアイデンティティの戸惑いを感じたり、何とかして親を知ろうとする子が多かったりして、今では公開するのが主流になっているという話を読んだ。アメリカの話だったかな。Genealogical bewilderment(血縁の戸惑い)というらしい。精子提供でも同じことがあるみたい。

これも別に遺伝的ルーツを知ることが重要というより、知ってしまえばなんてことない情報が伏せられているせいで大事な意味があるように感じてそれに囚われるんだろうなと思う。

 

 

 

記事紹介: ドイツ消防団の歴史

去年の夏にボーデン湖の湖畔で休暇をとった。ドイツとオーストリアとスイスに面した広い湖だ。まだコロナの関係でスイス・オーストリア側の湖岸には行かなかった。しかしドイツ内だけでも、綺麗な街並みとボーデン湖クルーズの他に、ニホンザルに似たバーバリーマカクを飼育しているサル山や、ツェッペリン飛行船博物館、湖畔の杭上住居野外博物館など、観光できるところはとても多い。その中でもザーレム修道院消防団博物館がよかった。あれを見て以来、漠然と消防団に興味が湧いていた。

 


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ザーレム修道院消防団博物館の写真



なんで修道院消防団博物館があるんだろう、と最初は疑問だったが、あんがい関係が深いらしい。中世の修道院というのは当時の進んだ知識をもった人たちが大勢で共同生活をする空間だ。必要な水を敷地内に行き渡らせる技術もあったし、火事の際にはそれを活用して消火活動する仕組みもあった。さらに近代になると、教会の鐘を作っている鋳造業者から消火用ポンプなどの機器を作るパイオニアが出てくる。この意外な関係性が面白かったというのが一つ。


それから、手押しの消火用ポンプやポンプを積んだ消防馬車のような、今の消防車のもとになる各時代の消防装備が面白かったのが一つ。いきなり消防車が発明されたのではなく、当然そういうものもあったわけだが、ぼくは今まで知らなかったしあまり想像もしていなかった。近代初期の消防団というと破壊消防が中心の江戸の火消しのイメージだったからかもしれない。そしてこの初期消防車が、スチームパンク風でかなりカッコいい。


カッコいいなぁと思いつつ展示品を見ていたら、20世紀の消防団に関する展示でナチスのデザインによる消防服を目にした。このカッコよさを利用して当時の若者を国家に奉仕させていたんだ、という側面も知ることになった。あとで詳述するが、現代で言うような消防団ができたのは近代国家ができ始めた頃だそうだ。

以前オーストリアナショナリズムについて調べていて近代の消防団の歴史について水野博子さんの東欧史研究(2013年)の論文を読んでいたのを思い出した。

《 神の誉れとなり, 隣人の守りとならん》―近代オーストリアの有志消防団にみる郷土愛の醸成と帝国ナショナリズム―


近代の有志消防団は、権力から独立した自由主義的な組織という側面を持っていた。また自分の住む自治体や地域に奉仕するもので、郷土愛と関連した。郷土愛は必ずしも国家を単位としたナショナリズムとイコールにならない。さらにオーストリアにはナショナリズムと言っても、帝国ナショナリズムドイツ国民主義がある。その中でどのように有志消防団が帝国ナショナリズムを支える全国組織になっていったのかを解き明かしている。もっと昔からある地域の義務消防団との確執や、ユダヤ共同体との関わり、消防団主催の舞踏会が若い男女の社交の場になったことなど、詳細も興味深く、読みごたえがある。

 


他にも消防団の歴史についてネットであれこれ読んだのでまとめてみる。以下は、Wikipediaの「Geschichte der Feuerwehr」と www.brand-feuer.de のGeschichte der Feuerwehr (wikipediaの記事も大部分はここからの転写?)からの引用である。その他に、ザーレムの消防団博物館に書いてあったことも参照している。

 

 

Geschichte der Feuerwehr – Wikipedia

古代

先史時代には住居同士の間隔が遠いので、火災はそれほど問題ではなかった。それでも協力して消火活動はしていた。組織的に消火活動をしたのは古代エジプトの時代になってからだ。

消火のための水を噴出するポンプは、紀元前250年に古代ギリシャでクテシビオスが発明した。

古代ローマでは、人口数百万人規模の都市ができ始め、火災のリスクが本格的に高まった。多階建ての住居が密集して建てられ、多くは木造で路地も狭かったそうだ。

紀元前64年の皇帝ネロが放火したという伝説のある大火災が有名で、他にもローマ全体が焼ける火災があった。紀元前21年に奴隷600人から成る消防団が編成された。また火災防止のための建築法規や火災保障もすでにあった。水運にも長けていたが、長いホースは発明されなかった。


中世

中世の共同体では防火設備が義務付けられていた。イヌンクやツンフトのようなギルドでは緊急時に手伝う義務があった。最古の手工業者の火災規則はイタリアのメラーノで1086年に制定された。

しかし、火事は多く、12世紀のリューベックだけでも数回あり、14世紀にはシュトラスブルクは8回燃え落ちた。不注意によるものの他には、戦争で火を放たれたり、賊による放火殺人などがあった。14世紀の終わりから木造から石造の家に変わってきてようやく火事は減った。

13~14世紀に初めて消火法規が定められた。これらにはたとえば、灯りの火を消す時間や、夜の見回りについて、緊急時に備え家庭にバケツで水を置くことが決められた。他にも、ワインや水を運ぶ人は火災時にはそのバケツで火事場に駆けつける規則もあった。街の中心には橇に載せた水桶があり、街の火災を報告する夜間の見張りが設けられた。教会の塔に見張り用の部屋が作られた。1444年にはすでにウィーンのシュテファン大聖堂には市に雇われた火災時に警鐘を鳴らす塔の見張り人がいた。この人は火災時にはずっと火災現場の方向に向かって昼は赤い旗、夜はランタンを振った。シュテファン大聖堂にはこの火災見張り役が1955年まであった。

水汲み場にはポンプで常時水が供給されるようになり給水所も増えた。消火貯水池も作られ、もとの意義を失った今でもその場所に残されている。

装備としては革製バケツ、鳶口、水樽、屋根ステッキしかなかった。14世紀からはバケツで給水する簡単なポンプができた。火事のときは火事走りと火災ポンプを取ってこいと命じられた人以外は入らないように、すべての出口に人員が配置されることが多かった。火事の際には、住民みんなで水源からポンプまで二列に並んでバケツリレーでポンプに給水した。現場の指揮官に従うことを拒否したり、火事現場から不正に退去したり、消火道具を故意に壊したりすれば、きつい体罰が待っていた。


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水桶付きの橇 Feuerlöschgerät, Entwurf (1615) von Salomon de Caus

 

近代になると消防のための技術が発展する。

17世紀には水を送るホースが発明された。ホースがあれば水を噴出するポンプの設置場所から離れたところまで放水できる。ホースを発明したのは、ヤン・ファン・デル・ヘイデン (Jan van der Heyden)だ。彼はオランダのダ・ヴィンチと言われるほど多才な人らしい。

ザーレム消防団博物館の情報によると、1672年にファン・デル・ヘイデンによって開発された革製の放水(デリバリー)ホースが手押しポンプに装着された。これはホースを動かせるところからSlang-Brand-Spuiten(ヘビ型火災ポンプ)と呼ばれた。さらに彼は1686年にポンプに水を補給するための麻布製の取水(サクション)ホース原型を開発した。これによってバケツリレーをしなくてもよくなった。彼は、これらの発明品を買ってくれるかもしれない人々にその有効性を説くために、用例集と挿絵入りのBrandspuiten-Boek(火災ポンプの本)を著した。

ホースは、19世紀にアメリカで銅鋲留めの革製ホースが開発され改良を遂げる。

17世紀のオランダは日本と貿易していて、ホース付き消火ポンプも日本に入ってきていたが、普及はしなかったそうだ。以下の記事が詳しい。

なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?(フレデリック・クレインス) | 現代新書 | 講談社(1/5)

ヨーロッパには14世紀からポンプがあってそれにホースを付け足したが、日本はポンプがなく木造建築で破壊消防が中心だった。これだけでも普及しなかった理由として説得力があるが、この記事の筆者は日本人の文化や精神性のためでもあるとしている。その点はちょっと本質主義的な気がする。消火活動が、忠誠心や名誉、地域の伝統と結びつくことは何も日本特有ではないだろう。

 

ザーレム消防団博物館によると、コンスタンツの鐘鋳造一族のローゼンレヒャー家は、配管やピストンや手押しポンプなどの機器開発の先駆者でもあった。Johann Leonhard Rosenlecher I. (1602-1673)はザクセン州のツヴィッカウで生まれ、熟練の真鍮・銃身鍛冶屋で17年のコンスタンツ放浪のあとザーレムで鐘鋳造工房を設立した。彼の息子Johann Leonhard II. (1652-1723)は鋳造の事業分野を拡大した。鐘と大砲の他に、大型火災ポンプを製造した。その伝統はJohann Leonhard III. (1687-1770)に引き継がれた。ローゼンレヒャーの鐘は多くの教会で音を響かせている。たとえばカールスルーエの聖ステファン教会やFischingen修道院、ザンクトガレンの改築された街の聖ローレンツ教会などだ。フライブルク大聖堂(1959年まで)の大きな祭日撞鐘もローゼンレヒャー鋳造所のものだったそうだ。

 

ザーレム消防団博物館によると、自動車会社ダイムラーのゴットリープ・ダイムラーの構想と依頼により、シュトゥットガルトで有名な鐘鋳造とポンプ製造所のHeinrich Kurtzを運営するKarl Wilhelm Kurtz (1841-1917)は火災ポンプにも使えるエンジンを開発した。Kurtzは1883年8月に高速回転する持ち運び可能なエンジンの製造に成功した。これは鐘を吊り下げるオーク材の上で組み立てられていたので、Kurtzは電報で「小鐘は響けり」と成功を伝えた。これは産業スパイを欺くための暗号メッセージだった。1888年ダイムラー内燃機関搭載の火災ポンプを作り、Wimpff社の手引ワゴンに積み、ハノーファーのドイツ消防団の日に注目を浴びた。彼はその後も改良を続けたが、Kurtz社は原動機付き消防車の製造には手を出さなかった。

 

ザーレム消防団博物館によると、エンジンポンプ製造のパイオニアでほとんど忘れられているのがJakob Gretherだ。フライブルクの金属・鉄鋳造所のGrether & Cie.は1869年から手押しポンプを製造していた。フライブルクの有志消防団の司令官だったJakob Gretherは消防装備品に非常に詳しかった。1877年に彼は、今でも「Grether連結器」の名で知られる特別な形のホース連結器で特許を取った。1896年からGretherは、Deutzエンジン工場のガソリンエンジンを装備した(馬が引く)ポンプを作った。20世紀の初めにはGretherは新しい動力技術へ転換し、自走するガソリンエンジンポンプを開発した(1902年)。Deutzのエンジンは、消防車だけでなく三管式ピストンポンプも駆動させた。

 

消防団の組織も近代的なものになってくる。近代になるとドイツにも今で言うような有志による消防団ができ始める。ナショナリズムや近代的な国民兵と同じくフランスの影響だ。ドイツには、ドイツ「最古の有志消防団」とされる消防団がいくつかある。

以下、再びwikipediaから。

近代

市の帰属国が変わったためドイツの消防団と言えるか異論はあるが、最古のものの一つはSaarlouis市の消防団だ。これは1811年に当時の市の所有者だったナポレオン支配下にあるフランス人によって創設された。1811年に隣村のFraulauternで起きた大火災のすぐ後に、Saarlouis市庁の決議でVaublanc公爵であり知事であるMetz Vincent-Marie Viénotの許可のもと、既存のPompiers-Kompagnie(消防団)が市長のMichel Reneauldによって再編成された。この新編成が行われる前に、ナポレオンの布告によってパリの消防団の中核思想は、隊員徴集は有志で、軍隊のように厳格な組織化と無給の勤務をもち、名誉職であるとされた。

この布告は明らかにパリだけに効力をもつものだったが、防火の問題はどこでも同じだったので、以後フランスの各州も同じような命令を管轄地域に公布した(たとえば1812年にVaublanc知事はメッツの街に公布した)。同様に当時はフランスに属していたドイツの地域で設立された消防団は、アルツァイのもので、1799年9月10日にできた。前述の創設とは対照的に1841年7月17日にマイセンの有志消防団は「有志消化救助会」として明確に有志によってできた。


オーストリア帝国消防団

ウィーンの職業消防団は、ハプスブルク王制で最古の組織だ。これは1686年創設で世界最古の職業消防団とされる。その後の職業消防団はずっとあとになってようやく1813年にFürstenfeld、1831年にSchwazでできた。どちらもタバコ工場の会社用消防団だ。今のオーストリアの地域で現在でも包括的な消火活動の骨子になっている有志消防団は19世紀後半にできた。その立役者のFerdinand Leitenbergerは、王制の構想を作り、初の王制有志消防団を1851年にReichsstadt(現在のチェコ)に、ほぼ同時期にリンツに創設した。

 

現在で言うような消防団

今で言う消防団は19世紀中頃に初めてできた。この「新しいタイプ」の消防団の前からすでに自治体の消火体制は存在していたので、この点でしばしば混同が起きる。なので防火活動の歴史と消防団の歴史は区別する。

 

brand-feuer.deから

現在はカールスルーエの一部になっているDurlachの有志消防団もドイツ最古だと主張している。これは1846年に都市設計士のChristian Hengstによって創設され、メンバーはおもに地元の体操協会から集められた。この消防団ハイデルベルクの技師Carl Metzの近代的な火災ポンプを装備していた。このポンプはすでに1847年にカールスルーエの宮廷劇場の火事の際に効果的に動員することができた。この事件によってドイツ全土で有志消防団に注目が集まり、多くの街があとに続いた。

しかし、近年の知見ではドイツ最古の有志消防団はDurlachではなくザクセン州のマイセンで1871年7月17日の創設だと証明されている。

Barmの有志消防団は1895年には150周年を祝っていた。引き合いに出される1745年の証拠文書がどのていどまで十分と言えるほどの消火活動の組織化レベルを示唆しているのかは、まだ歴史学の調査が必要である。

このハイデルベルクの技師であり企業MetzのCarl Metzは、有志消防団の組織化にも尽力した人だ。

再びザーレム消防団博物館によると、彼は1818年にフロイデンハイム/マンハイムで生まれた。彼はマンハイムギムナジウムに通うのをやめて、機械工場で整備士の見習いと職業訓練期間を修了した。彼は若い頃は鉄道建設に携わり、23歳でバーデン州鉄道の職長になった。その一年後にはもう安定した地位を離れ、1842年にハイデルベルクで火災ポンプと付属品を製造する自分の会社、Carl Metz機械工場を創設した。彼は1855年に彼の「街のポンプ」でパリの世界博覧会で金賞を受賞した。Carl Metzは、最適な専門装備と消防士の基礎訓練だけでなく消防プロセスと規律の改善にも尽力し、バーデン大公から表彰されている。

wikipediaに戻るとMetzについては、

1847年2月28日に起きたカールスルーエの宮廷劇場の火災のときにDurlachの„Pompiercorps(仏語で消防団)“が初の新タイプの消防団として活躍した。Durlach消防団は新興企業Metzの近代的な移動式手押し消火ポンプを使用し、新型のフック付き梯子をもった体操訓練をした人、いわゆる登り人を動員した。彼らは周囲の建物の屋根に登って火を遮断し、屋根から消火活動を行った。消火活動は、登り人の投入によって専守防衛から抜け出し攻撃力を手にした。そのため1848年7月のパンフレットにCarl Metzは「消火活動はよじ登り活動だ」と書いた。このことは新たに創設された体操教師を雇う消防団すべてに言えることだった。新タイプの消防団員は、さらなる画期的な改良として軍事的「認識番号方式」で訓練されていた。

ドイツ最古の職業消防団: 1851年1月16日にベルリンでLudwig Carl Scabellがドイツ初の消防団隊長に任命された。彼は、将来の王立消防指揮官として合計971名の消防士を指揮した。彼らは当時最も近代化された手押しポンプと機器を備え、最新方式で訓練を受けていた。


20世紀まではあちこちで、とくに田舎の地域で、出動する場所まで人力か馬に引かせて行く手動消防車が使われた。19世紀中頃にはすでに、とくに大都市においていわゆる蒸気消防車が流通していた(この消防車では蒸気機関がピストンポンプの原動力になる)。このポンプも長い間現場まで馬が引いていた。内燃機関によって原動機が付いて自走蒸気消防車になったということもあって、さらに発展した。これらは電気動力や運搬用蒸気機関によって推進力を得た。内燃機関の普及が進んでからは、消防車は動力つきで二輪牽引車を取り付けたものが増えた。これらは走行エンジンの補助動力がポンプの動力の役を果たす、いわゆる砲架消防車や、自走消防車として流通した。第二次世界大戦後も使われなくなった軍用車が消防車に改造されて長く職務を果たした。


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馬が引く手押しポンプ車
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蒸気消防車

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蒸気消防車

ナチス時代

1938年の11月23日にドイツ帝国全土に「消火隊に関する法律」が施行された。ナチス政権はこの法律で消防団を、内務大臣管轄の専門警察隊として管理下においた。それにともない職業消防団の改称は防火警察になった。有志の消防団は補助警察隊の地位だった。

そういうわけで消防団は警察の一部になっていたので、新しく調達した消防車は警察の緑色に塗装された。もとあった消防車もじょじょに塗り替えられたが、以前からの着色のままのものもあった。同様に消防車には、警察と同じく右を向いた鷲の国章の上に「防火警察」の標識が付けられた。


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ザーレム消防団博物館の防火警察の制服

 

ナチス体制下ではオーストリアの有志消防団も同じ事情だったようだ。戦時下では物資や人手の不足に悩むことになる。

 

消防団の組織化を大まかに見ると、有志消防団はナポレオン以降のもので、さらに現在と同じような意味での有志消防団は近代国家成立と並行しているようだ。その点では軍隊と似ているように思う。ただし、軍隊は国を守るが消防団は街を守る。

 

中世の都市には消火活動に関する法律があったが、リューベックシュトラスブルクのような自治を行なっていた大都市にも組織化された消防団はなかったようだ。なぜできなかったのだろう。

 

記事紹介: 緑の党内部でのスカーフへの態度の違い

少し昔の記事になるが前に上げようとして忘れていたものを紹介する。2018年の記事で、緑の党フェミニスト内部でイスラム教徒に対する態度に関して論争があった。このときはまだ緑の党が連立で政権とるとは分かっていなかった。

 

Grüne streiten über Feminismus: Sorge um Sternchen und Kopftuch - taz.de

 

主に第3波や若い世代のフェミニストは文化や宗教の違いに配慮したフェミニズムを支持するが、第2波や上の世代はそれを宗教に基づく女性の抑圧の肯定だと懸念する。こういう対立が緑の党にもあるようで、党の女性会議というイベントに抗議の手紙が来たそうだ。

イベントはイスラム教徒の有名ブロガーを招待したインターセクショナルなもので、抗議はどちらかと言えば反イスラム的だった。

この時点では前者の若い世代の方が党内で多数派に見える。2020年の緑の党綱領でも宗教的な自己決定権が謳われている。

抗議していた人たちが十分に納得したのかについては、ぼくがググって見ている限りではよく分からない。

 

PATRICIA HECHT

Grüne streiten über Feminismus

:Sorge um Sternchen und Kopftuch

 

緑の党フェミニズムについて論争している。:ジェンダーアスタリスクとスカーフの懸念

緑の党の女性会議でインターセクショナリティと宗教が問題になった。

第2波の活動家女性たちは若い世代を「幼稚」だと考えている。

 

Gesine Agenaは、女性はこの時代もっと互いに連帯しなければいけないと思っている。


緑の党とそのシンパのフェミニストのあいだで世代間論争が勃発している。週末にあった緑の党連邦女性会議に際し、第二波女性運動の代表者として、主にバーデン・ヴュルテンベルク州緑の党地区連盟から20人のメンバーが若い世代のインターセクショナルなフェミニズムに反論した。


論争の発端は地区連盟メンバーが緑の党の連邦指導部に宛てて書いた公開書簡で、雑誌のEmmaがそれを木曜日にオンラインに上げた。それがライプツィヒでの緑の党女性部のフェミニズム未来会議が始まる一日前だった。その手紙には、招待された論客を見ればこの会議では「もはやフェミニズムが重要とされていない」ことが明らかだと書かれている。フェミニズムの「文化に関する非排他的な考え方」は、「伝統的で宗教的な強制を女性の文化として称揚し、抑圧連帯している」とした。


この会議の演説者名簿はさながら若いフェミニスト界隈の有名人名鑑であり、女性ラッパーのSookeeが登壇し、ブロガーのAnne WizorekとKübra Gümüşayが招待され、Missyの編集者Steffi Lohausと作家のMithu Sanyalもいた。フェミニズムと宗教のようなインターセクショナルなフェミニズムについてのワークショップがあった。この女性会議はウェブサイトによると、「新しい緑の党の基礎綱領へ至るための一里塚」となるべきものだ。


長年女性運動をしている活動家は批判として金曜日にもう一度付け加えた。緑の党のメンバーではないがかつてベルリンの議会でリストに名前があったHalina Bendkowskiと、女性研究に重点を置くギーセンの政治学者のBarbara Holland-Cunzだ。緑の党は「フェミニズムにおいて脱政治化」されているとBendkowskiはメールに書いて、党や会派の女性政策広報や連邦指導部や、まったく異なるフェミニズム上の立場にある数十人の女性に送った。その中にはEmma編集者のアリス・シュヴァルツァーや、社会学者のザビーネ・ハーク、ドイツ経済研究所のElke Holstがいた。


Bendkowskiは「女性運動の第3波と第4波」やその「アスタリスクフェミニズム」は「幼稚」だと批判した。彼女は「他の文化や宗教」が女性運動の批判を免れることがフェミニズム的かどうかを問うた。Bendkowskiは緑の党に、自分たちがどのようなフェミニズムの理解に立つべきかを明確にすることを求めた。


緑の党の女性政策広報Gesine Agenaはそれについては非常に明確だ。「AfDが力を増し、その中で右翼が女性の権利を自分たちのためだけのものにしようとしている時代には、緑の党の政策はインターセクショナルで連帯的で反人種差別的でなければならない」とAgenaはtazに述べた。「私たちは、さまざまな差別を認識し、スカーフをする女性が攻撃されるなら連帯するようなフェミニズムを必要としている。私たちのフェミニズムと女性政策はすべての多様な生き方の中で女性の自己決定を支持する」

 


そのことは250人以上が参加したこの女性会議にも反映されているとAgenaは言う。そこではさまざまな世代の緑の党の女性が出会い、雰囲気は「エネルギッシュでエンパワーメントされるもの」だったという。しかしこの手紙の署名者は、彼女が知る限り一人しか来なかったという。Agenaはそれを残念に思っている。女性会議ではそのような基本的な問いについても会談がなされたという。女性会議では会則に従って決議は採られなかった。当然手紙の署名者にはまだ回答する。


Heinrich-Böll財団のフェミニズムと性差民主主義のためのGunda-Werner研究所の所長Ines Kappertもtazに、女性会議ではよい議論がなされたが、どんな種類の争いもなかったと話した。彼女がその批判で問題だと思うのは、手紙を書いた人たちがすでにフェミニズムについての公開討論が尽くされていると見なしていることだという。彼女らの考え方は、「『フェミニズムの何たるかは私たちが決める。他の誰でもなく』というもので、これは思想と議論に禁止令を敷くことになる」


メールが怒りに満ちた書き方なのは、この女性たちの中には「フェミニストとしての生涯キャリア」に疑問をもたれていると思う人がいるからかもしれない。「しかし重要なのは過去の世代の業績を否定することではなく、ともにフェミニズムを発展させることだ」とKappertは述べた。

 

インターセクショナリティは抽象的なお題目ではなく、色んな要因が絡んでいる問題は当事者の個々の状況から出発して考えないといけないという態度だ。宗教的な伝統が女性を抑圧しているケースも当然あるしそれについても考える術がないといけない。Kappertが言っているように、過去の女性運動の戦いを否定するわけではない。

緑の党の2020年綱領は女性に関することと宗教・人種に関することが項目を分けて書いてあるようで、ざっと見ただけではジェンダーと宗教の交差性について書いてある箇所は見つけられなかった。もう少し読み込んで見ようと思う。