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『スターシップと俳句』を読んだ感想。

スターシップと俳句 (ハヤカワ文庫 SF 580)

ソムトウ・スチャリトクルのSF小説『スターシップと俳句』を読んだ。

戦争と悪疫で滅びつつある世界の中で他国よりは滅亡の影響を免れて、伝統回帰した日本が舞台。時代設定は2022年から2025年の冬までだから今からみれば「ついこのあいだまでの話」だが、1981年の作品なのでもちろん未来の話として書かれている。この出版年は『ニューロマンサー』(1984年)よりも前だが、こういうサイバーパンクでよく見る暗いオリエンタルファンタジーな日本描写は何の作品が元祖なのだろうか。 作者は3、40年後には多くの国が伝統回帰しているだろうとインタビューで述べているようだが、右傾化しているという点では当たっている。 作者のソムトウ・スチャリトクルはタイ王家の血を引きイギリスで育った国際人で音楽家でもあるらしい。他に短編の「しばし天の祝福より遠ざかり…」が翻訳されていて、これはアンソロジーで読んだことがあった。 日本描写はやたらと悪趣味でブラックユーモアに満ちており、唐突なハラキリや富士アイランドを模した自殺テーマパークなどのくだりは噴き出していいのか怖がるところなのかよくわからないが、楽しんで書いているのだろうなということはよく伝わってくる。 その一方でその根底に理解しがたい日本文化への畏怖と嫌悪感が見え隠れしているようにも思える。過剰なファンタジーがありつつもところどころの情景や詳細は現実に忠実なことから、作者が日本に住んだ経験があるとわかるし、侘び寂びや俳句の解釈も一応事実に基づいている。 そのへんを考えると、ただのギャグとして書いたデタラメな日本像だと捨てきれない。第二次世界大戦で日本に侵略された国の人だから、というのは無関係ではないだろう。パオロ・バチガルピの『ねじまき少女』はバンコクが舞台だったが、あれに出てくる日本人も得体が知れず残酷だったような覚えがある。

『スターシップと俳句』では、クジラが重要な要素として出てくる。そもそも僕はクジラに関するSFをいくつか読んでみようと思ってこれを手にとったのだった。世界の終末を前にして、クジラが主人公にコンタクトをとるところから物語が始まる。 クジラは浜に打ち上げられていることが多いので「自殺をする」という迷信があるが、そのクジラが自殺を美化する日本人と結びつけられていて、日本人はクジラとともにスピリチュアルな面で重要な地位に置かれている。

前述の富士ハイランドをモデルにした自殺テーマパークには、昔じっさいにハイランドの入口にあったという「練り粉人形みたいなもの」が出てくるが、検索してみるとこれのことらしい。シンプルなのに不気味なデザインだ。

富士ハイランドには行ったことがないのだけれど、すぐ近くには泊まったことがある。ドイツに住んでから日本に旅行に行ったときだ。使い勝手のいい小ぎれいなユースホテルだったが、ランドの塀の向こうからジェットコースターに乗っている人々の悲鳴が四六時中聞こえてくる異様な空間だった。

熊谷高幸さん『「心の理論」テストはほんとうは何を測っているのか』を読んで  -日本人の逸脱者への視線と荒野に立つこと-

熊谷高幸さんの『「心の理論」テストはほんとうは何を測っているのか -子どもが行動シナリオに気づくとき』を読んだ。

www.shin-yo-sha.co.jp

心の理論テスト

心の理論とは、自分や他人には心の働きがあることを前提にしてその行動を予測したり説明したりできるようになる能力のことである。

ヒトを含めた動物は、環境の中での出来事によりうまく対処するために脳を進化させた。外界の事象を予測できればそれだけ生存や繁殖に有利だからだ。環境内の事象の中でも同種の他個体のふるまいは、とくに群れで生活する動物にとって重要だ。他者や自分の行動を理解し、予測したり調整したりするための機能として進化した理論モデルが心というわけだ。

この能力があるかどうかは、サリーアン課題と呼ばれる課題で測定できるとされている。

この課題のなかの物語では、サリーという子がビー玉をかごにしまって出かける。その間にアンがビー玉をかごから箱に移す。そして「戻ってきたサリーはビー玉を求めてかごを見るか、箱を見るか」と質問するテストだ。

思い違いにもとづいたサリーの行動を予測できるか、を問うことで現実とは異なる心の中を理解しているかを調べている。

このテストは自閉症のある子どもが通過しにくいことが知られており、自閉症を社会認知の困難から説明するさいによく参照される。

筆者の熊谷高幸さんは、このサリーアン課題が子どもに対して実施されているじっさいの場面に注目する。そしてそこに課題を出す検査者の大人(と多くの場合もうひとり記録者の大人)がいることを指摘する。人の行動を理解する能力はまず検査者に対してはたらいているはずだ。たとえ不正解でも検査者の指示にしたがって質問に答えているなら、二者関係での意図理解はできていると著者は評価する。さらに著者は、第三者であるサリーの行動の捉え方もこの複数人がいる文脈において考える。

子どもがふだん生活している保育園ではルールがあり、先生である大人の言うことに従って行動する。心の理論テストの場面で言えば、検査者が言うことを聞くべき大人で、サリーはそのルールから逸脱した人である。検査者を含め、サリー以外の人はビー玉の位置が移動しているのを知っているので、子どもにはそちらに合わせて回答するというバイアスが存在するということだ。

子どもはまず、保育園で日々のスケジュールにそった集団生活をするなかで、場面ごとの行動の行程(スプリクト)を学ぶ。他の子どもを見てスクリプトが共有されていることを知り、そのあとスケジュールが遅れている子、先走っている子などの多様性に注目できるようになる。著者は、そういうスクリプトへの気づきが他者理解のもとになっていると考えているようだ。

著者は新しい心の理論課題として、遠足課題というのを考案している。サリーアン課題と似た、予期せぬ移動の理解を問うテストだ。その中では、遠足のバスに乗る前に部屋でみんなで待っている。そのときに1人がトイレに行く。その子が部屋を出ている間に、他のみんなはバスに乗り込む。「トイレを終えたその子は部屋かバスどちらに行くか」という問題だ。

この課題だと、行動の行程と逸脱者への注目というかたちでとらえやすい。これはサリーアン課題より正答率が低かったらしい。遠足課題を変更して自分のリュックサックを取りにいったん部屋へ行く流れにすると、この正答率は顕著に上がったそうだ。

ぼくも大学と大学院で自閉症の子どもや心の理論の研究をやっていたので、かなり興味深く読んだ。 他者の心の表象とか誤信念の理解というと抽象的な認識論のように考えてしまいがちだが、こうして保育園の生活の場に則して子どもの発達を見ると社会性の活き活きした学びの過程が見えてくる。とくに集団行動のルールと逸脱者への視点という誤信念課題のとらえ直しはオリジナリティがあり、含蓄も深い。

リュックサックを部屋に取りに行くというバージョンの遠足課題については、すでに誤信念課題ではなくっているのでは?という疑問がわいたが(予期せぬ移動があってもなくてもすべき行動が変わらないため)、さまざまなスクリプトの丁寧な理解が他者理解を形作っているという立場からはこれも心の理論テストに含めるということなのだろう。

たしかに他者の誤信念の理解だけが心の理論ではない。心の理論は大人になるまで発達を続けるのでもっと高次のものもあるし、もっとも簡単な視点取得もある。どの次点で定型発達の大人がイメージするような心の概念(他者の内なる信念や感情、思考などの表象)を獲得するのかはわからないが、心の理論の発達のはじめのうちは、いくつもの具体的な場面での行動理解の寄せ集めのようなものなのかもしれない。

日本人と「心の理論」

この著作のなかで熊谷高幸さんは、日本の子どもではサリーアン課題の達成が欧米より遅いという問題も扱っている。欧米では4,5歳で通過するとされているが、日本では6,7歳という報告もあるらしい。 このトピックが興味深かったのでくわしく考察したい。

心の理論は、ヒトという種の知能について研究するなかで生まれた概念だ。だから能力それ自体は種に普遍的で大きな文化差はないはずだと仮定されている。なのでこれほど獲得年齢が異なるのは不思議なのだ。

日本人と心の理論についての過去の研究はシロッコさんのブログで紹介されているのを見つけた。

【心の理論】なぜ日本人は「サリーとアン課題」の成績が悪いのか - シロッコの青空ぶろぐ

熊谷さんはこれもスクリプトの考え方と保育園の実情から説明している。簡単に言うと、日本の保育園では先生の指示にしたがってみんなで同じ行動をする傾向が強く、課題の場面でも検査者となる大人の考えに準じて「正解」を出そうとするほうにより強くバイアスがかかるということらしい。そしてこうした文化には逸脱者を認めないといったマイナスの面もあるという。

(この成績の地域差は、自閉症の人で達成が遅れることとはまったく背景が異なる。自閉症の人の場合、事実や規則に対してこだわりがあることが原因のひとつになっている。)

熊谷さんは欧米の保育園について直接調べているわけではないようだし、引用している日本人論が古いのも気になるが、日本の保育現場の観察とスクリプトを用いた心の理論の説明には説得力がある。

論考では、70年代に流行った日本人論が引用されているが、これらの文化論には反論もあったようだ。

『日本人論に関する12章』杉本 良夫 | 筑摩書房

『「集団主義」という錯覚 日本人論の思い違いとその由来』 高野 陽太郎 著

ぼくはさいきん、ここドイツで子どもを保育園に送り迎えしている。まだ日本の保育園と大きな違いは感じていないが、「小さいおもちゃなら私物でも持ってきてよい」と言われている。日本だと「他のお友だちが欲しがるからおうちに置いてこようね」と言われるはずだ。そこからはたしかに欧米のほうが集団的なバイアスが少ないのかもしれないと感じる。

日本人論は何が正しいのかよくわからない。都会と田舎でも違うだろうし、世代によっても異なるだろう。人間の生まれもった性質は一万年かそこらで大きく変わることはないだろうけれど、一方で文化的な環境の影響を受けて人間の行動が変わることも否定できない。

気になるのはそれがどれくらい強固な違いなのか、という点だ。つまり、その場での行動のルールやちょっとした表現の様式が違うだけなのか、それともRとLの発音がなかなか聞き取れないように訓練しないと変えられないものなのか。

たとえば、マシュマロテストという課題にも日米の差があると言われている。これは文化的な習慣が生んだ差だとわかっている。

マシュマロテストというのは、ひとつのマシュマロを食べるのを我慢できたらあとでもうひとつもらえるというテストだ。日本の子どもはアメリカの子どもよりマシュマロを食べずに我慢できる子が多かった。これはみんなそろって「いただきます」をする日本の習慣によるもので、プレゼントを開けるのを我慢するテストに変えると成績が逆転するという。アメリカではクリスマスツリーの下にプレゼントを置いて当日まで開けないで待つ習慣があるからだそうだ。

子どもの満足遅延を習慣が支える―マシュマロとプレゼント、長く「待てる」のはどっち?― | 京都大学

品を変えるだけで逆転するこのような成績の差は、能力やその発達とは関係が薄く、表面的な行動様式の違いにすぎないように思える。

では、日本の子どもで欧米より心の理論テストの通過が遅いことは、どのくらい頑強な違いなのだろうか。その後の人生に影響はあるのだろうか。日本の保育園のような文化的な環境の特徴は、小学校、大学、労働環境にも及んでいるのだろうか。このあたりは何ともわからない。

だからこの地域差にどれだけの意味があるかもぼくにはわからないのだが、このテスト成績と熊谷さんの解釈からはどうしても日本の公共意識の問題を連想してしまう。日本人には「みんなから外れた者に冷淡」という特徴があることは日本で政治に関心がある人にはわりと共有されているように思うし、以下のようなショッキングな調査結果もある。

なぜ日本人の3人に1人は「自力で生活できない人を政府が助ける責任はない」と考えるのか | ガジェット通信 GetNews

世界人助け指数ワースト2位。なぜ日本は寄付文化が広まらない? | 日本財団ジャーナル

寄付や公的扶助を必要とする状況にある人々は、みんなが歩くべき道から外れた人だと見なされ、共感や配慮の外に除けられてしまうのだろうか。

この冷淡さと心の理論テスト成績に関係があったとしてもそれは保育園だけの問題ではないだろう。むしろ日本社会全体の傾向が保育園にも表れているという可能性のほうがありうる。

寄付や公的扶助への日本人の無関心は歴史的にはいつからあるのだろう。どれくらい根深いものなのだろうか。この意識は、RとLの発音みたいに長い訓練の末にしか獲得できない能力なのだろうか。それとも服の流行のように政治の風潮が変わればガラリと色合いを変えるものなのだろうか。政治についての先行きは暗いけれども。

信仰と荒野に立つこと

熊谷さんの著作にあった心の理論テストのスクリプト(行動の行程)にもとづく分析から連想したことをもうひとつ書きたい。

ここから示唆されるのは、集団の成員みんなが同じ行動のスケジュールに沿っている限りは個人の心の中はとりたてて問題にならないということだ。逸脱する人が出てきてその人に注意を向けたり、自分自身がスクリプトの外に出て集団を眺めたときに初めて個の内面が強く意識される。こうしたことは、すでに心の理論を身につけているはずの大人にも多かれ少なかれ当てはまるのかもしれない。

ところで、日本人は無宗教と言いながら神社に詣でたり僧侶を呼んで葬式をしたりクリスマスまで祝う、とよく言われる。一見矛盾に見えるが、ここで見落とされているのは、日本に限らず古来から、宗教に大きく二つの側面があることだ。共同体を結びつける儀式や生活のモラルとしての側面と、個人の内面の信仰としての側面だ。

『レリギオ:〈宗教〉の起源と変容』儀式と信仰、どちらからはじまった? - HONZ

↑ここで紹介されている本によると宗教という意味のReligionの語源であるラテン語のReligioという言葉は「つながり」を意味していた。そして、婚姻関係などを結ぶ儀式を指していたらしい。のちに歴史のなかで宗教は儀式中心から信仰中心のあり方に変貌を遂げ、聖アウグスティヌスがReligioを「神へのむすびつき」つまり信仰と再解釈したという。

すでに信仰としての宗教が浸透していた17世紀に哲学者のジャン・ロックが宗教を「精神がない的にそして完全に納得するという点にあり、信じることがなければ信仰は信仰ではない」という見解をいち早く示したが、この見解に対してフランスの宗教哲学者は印象深い感想を残している。

  “これはわれわれにとってはとても陳腐な考え方だが、ギリシアの思想家やケチャ族の祭司がこれを聞いても、おそらく何一つ理解できなかっただろう”

つまり、古代には宗教は血縁関係や婚姻関係や定住する場所や耕作の行為に、あるいは、人間相互の絆を創出する諸々の具体的な行為のうちにあり、精神の内面という抽象的な場所に宗教は存在していなかったのである。古代の「つながり」は精神的なものではなく、現場・現物・現実にある具体的なものであった。

近代の個人主義以前には内面の信仰は一般的ではかったようだが、古代にもユダヤ教でもキリスト教でも信仰者はいただろうし、とくに名を残している聖人は大きな信仰をもっていたに違いない。

儀式としての宗教ではない信仰を究める人は、しばしば世俗から距離を置く。荒野に出たり、洞窟に隠棲したり、山籠りをしたり、ときに仲間だけで修道院や寺で生活する。喧騒を離れて、世俗での生業を捨てて自給自足や托鉢に頼る。個人の精神や、それにとどまらない普遍的な価値に向き合うためには集団が共有するスクリプトを捨てなければならないのかもしれない。そうして修道生活に入った人々が、彼らだけで作った修道規則や戒律などの規則正しく厳格なスクリプトにそって生活しているのは興味深い。

キリスト教の最初期の修道者であるカイサリアのバシレイオスは、それまで巡礼者の宿泊施設だったホスピタリウムをらい病者や孤児や貧困者を収容保護する施設に変えて福祉事業を興した。スクリプトからの逸脱や逸脱者への注目はやはり、信仰だけでなく、社会からはみ出した弱者の視点を取り入れることに寄与するのかもしれない。

実家のOKシャカ地蔵

実家の庭に地蔵がある。

 

地蔵というのは皆さんご存知のとおり、あの用途不明の謎の石である。滋賀にあるうちの実家には母屋と別に、物置として使っている小さい離れがあって、以前はそっちの敷地にその地蔵たちがいた。だいたい十体くらいか。地蔵と言っても立体的な人の形はしていない。短い庇のついた直方体にあいまいな人型が浮き彫りされているタイプと、球体に玉ねぎや屋根みたいなものを乗せた灯籠タイプのものがあった。あまりなめらかに彫刻されておらず、ゴツゴツしていかにも古そうで田舎の地蔵然としていた。最近の地蔵はもっとこう、つるっ、ニコッ、としていると思う。

 

あのゴツゴツたちは昔、うちの祖父が山を掘っていたときに偶然見つけてもって帰ってきたものらしい。だからいつの時代の誰が作ったものかはわからない。父は、触らぬ神に祟りなしなんだからそんな面倒をしょいこまなければいいのに、と思っていたそうで、彼の性格からして祖父本人にも直接そのとおり言ったのだと思う。

祟りはなかったが、たしかに面倒は負っていた。祖母は生前歩くのが難しくなるまでは、その地蔵に毎朝お茶とご飯を供えに離れの空き地に通い、ときどき前掛けも新しいものに替えていた。

父と母は信心深くはなく、むしろリベラルで、神さま仏さまなんかぜんぜん信じていない人たちだ。父は、信じてはいないものの、共同体にコミットするために村の神社の寄り合いなんかには参加することにしているそうだ。リベラルだけど田舎に住んでいて、人付き合いを捨て置けない人としてそういうスタンスに落ち着いたのだろうし、まあ妥当な考え方だと思う。

祖父は信心深い人で、あちこちの神社によく顔を出していたし、正月には家の中の臼や竈や鋤の神様たちのためにしめ縄を編んで、節分にはぼくたち孫と豆まきをしていた。施設で寝たきりになったあとも離れに置かれたままの地蔵が気がかりだったようで、母屋の方に移せないのが心残りだとこぼしていた。

 

ぼくには優しいおじいちゃんだったが、古い考えの人だった。古い考えの人というのは、都会の人や若い人にはわからないかもしれないが、自分の息子とその嫁には「ありがとう」を言わない。本当に言わない。ぼくたち孫やよその人たちに対しては温厚なので不思議でならないが、息子夫婦というものは感謝したりお願いしたりする対象ではないと思っているようなのだ。何が違うのか、娘たち、つまりぼくの父方の伯母と叔母には親切なのでますます解らない。

家事や家政のことはだいたい父と母がやっていたのだけれど、祖父母はその全部に「やって当然」という態度だった。父や母はそういう古い価値観を共有していないので、気分がよくないのはもっともだろうし、おのずとこの世代間で仲が良くなった。しょっちゅう怒鳴って祖父母と口論していたのは父だ。でも気の毒なのは母のほうだ。

盆や正月に父方の親戚が大勢うちに集まって来たときも、よそのお客さんを招いたときも、その全員に料理を作るのが母だった。それでも祖母は「愛想のないことで〜」と自分が作ったわけでもないのに謙遜を述べる。そして父が怒って…、というのが実家でよく見る光景だった。

母がどう考えていたのか、くわしくは知らない。でも彼女もリベラルでフェミニストで、NPOやら地域での党活動やら活発にしている人なので、自分の役回りと祖父母の態度には大いに異論があったはずである。

 

そんな祖父母も、もういない。父と母は水入らずで旅行や農業を楽しみ、以前からの仕事や活動に精を出している。

祖父は数年前に施設で、祖母も一昨年家で亡くなった。最後に会ったとき、祖母は「長生きしたで友達もみんなおらんなった」と言っていて寂しそうだった。そしてぼくの母の愚痴も言っていた。ぼくは最後くらい母に「ありがとう」と言ってほしかったけど、今さら百年近い習慣を変えられないだろうと思って、黙って愚痴にうなづいていた。けっきょく母に対してはいじわるばあさんのまま亡くなったんだと思う。

 

ドイツに来る前に、ぼくは兵庫のアパートを出払って出発までの短いあいだ実家で過ごしていたときがあった。祖父もまだ生きて施設にいた頃だ。

「地蔵、見た?」と帰省していたぼくに母が聞いた。離れにあった地蔵が母屋のガレージ前の目立つところに移されていたのだ。きれいに並べられて新しい前掛けもしている。「あれ運ぶんにおっさん呼んでお性根ぬいてもらったんよ」

「おっさん」というのは真宗の言葉で和尚さんのことだ。どうやら地蔵というのは移動させるときにただ石ころと同じようによいしょと運んではいけないらしい。いったん閉眼供養というのをして魂を抜き、運んでからまた開眼供養をして魂を戻すという。「あれ?運んでから、お性根入れてもろたっけ?」と母がとぼけていたのはたぶん冗談だったと思う。

ぼくは海外移住にあたって契約解除した使えないスマホをもっていたので、(あの地蔵も今この状態なんか…?)などと考えていた。

そばにいた父が、「おじいさん、地蔵移したのぼくらやってことわかってるんやろうか」とボヤいた。

口に出して感謝されずとも、悲願を叶えたことは知ってほしいのだろう。

母が答えた。

「歩いてきよった、て言うとき」

OK、シャカ地蔵(ズィイ〜ヤ☆)。

 

 

 

パンダ、おパンダ

さいきん気づいたんだけど、「お」つく動物って猿と馬だけなんやな。

丁寧に言うための接頭語の「御」で「おさる」とか「おうま」とか、おさるさん、おうまさんっていうときのあの「お」。「お猫」とか「お牛」とか「おパンダ」とかは言わんからな。

37歳になって気づくのは遅すぎるかもしれんし、みんな知ってることなんかもしれんけど。

魚も「おさかな」って言うけど、これはたぶん食べ物としての丁寧語枠だと思う。食べ物は動物とちがって「お」をつける名詞がすごく多いから。だからそれを除いて、あと綱吉的な「お犬様」呼びも加えるとすると、実質「お」がくつのは猿、馬、犬だけということになる。たぶん。

猿、馬、犬というと武士が大事にしていた動物だ。この名前のならびから歴史の資料集で見た鎌倉武士の館を連想するのはぼくだけではないはずだ。馬は当然乗って戦するのに必要だし、犬は狩りに連れて行ったり犬追物で的にしたりする。猿は、なぜかは知らないけれど、馬小屋につながれて飼われていて馬とセットにされている。日光東照宮の有名な三猿のレリーフも厩に彫られているものだ。

侍が大事にしているから敬意をはらって「お」をつけたんじゃないか。狐や鶏、兎や牛はよく祀られている動物だけど一般的は「お」をつけない。飼われていて近くにいて、かつ大事にしないといけないポジションがほかにはあまりなかったのかも。

ここまで書いて「おカイコさん」というのを思い出した。昔、うちの祖母がカイコガの幼虫をそう呼んだような記憶がある。死ぬ数年前に祖母が帰省したぼくを近所の森に連れて行ってバイパス道が通っている谷のところを指さして「あそこに桑の木があるやろう」と話したことがあった。なんでも早くに亡くなった祖母の兄が昔養蚕を始めようとして植えたものらしい。じっさいにカイコを飼っていたのかどうかはその時は聞かなかったからはっきりしないが、もっと前に養蚕の話も聞いたことがあったような気がする。

けっきょくどの木が桑の木だったのか、他の木にまぎれてわからなかったが祖母の話がたしかならまだあの辺りに生えているはずである。

 

ドイツ人は大根をどう食べているのか?

この季節、日が落ちるのが早くなって少しずつ寒くなってきて、何か温かいものが食べたくなってくる。日本より寒いこの地ではなおさらだ。鍋もたまにするけど、たいていはちょっとした煮物だ。そうなるとがぜん大根が活躍する。

おでんもいいんだけど、妻は練り物やだし汁が好きじゃないし、そもそも練り物は手に入りにくい。妻は甘辛い根菜料理が大好きなので、大根と、あれば肉も入れて、砂糖醤油味でこっくりと煮る。これだけで喜んでもらえるのでありがたい。

ドイツでも大根は売っている。珍しいのは黒い大根、緑や赤の大根といろいろあるけど、たいていは日本と同じ白い大きな大根が並んでいる。まだちゃんと献立は決まってないけれど、ともあれまずは大根…と、スーパーの野菜コーナーで見つけて買い物かごに入れるとき、

(これ、ドイツ人はどうやって食べてるんだろ?)

という疑問がよく頭をよぎる。

自分の妻に聞けばいいじゃないか、と思われるかもしれない。しかし彼女はぼくが料理するまであまり大根が好きではなかったらしく、調理法にもくわしくない。

そこでちょっと調べてみた。

 

 

ドイツでの大根の食べ方

大根(Rettich)のレシピで検索して一番多いのはなんと言ってもまずサラダだ。生で、千切りかスライスにして、他の生野菜と合わせて食べる。すごくシンプルだ。酢でマリネにするレシピも多い。

妻が大根を好きじゃなかったのもこのためかな、となんとなく思う。彼女はネギもタマネギも生で食べるのは辛いと言って嫌がるので、生食のイメージが強いなら大根は好きじゃなかったのも不思議ではない。

生で食べる調理法だと他に、大根を刻んでクワルクというフレッシュチーズの一種と混ぜてソースにするレシピがある。またホワイトソース(ベシャメルソース)に大根おろしを混ぜて肉料理のソースにするレシピもある。このときも混ぜてからは加熱せずに辛味を活かしている。これはたぶん西洋ワサビの代替だろう。オーストリア料理では牛肉料理にワサビを親の仇のごとく入れるそうだ。

 

もちろんドイツでも、大根を加熱して食べることは多い。

よくあるのは、薄切りにして軽く蒸すか塩茹でした肉料理などの付け合わせ。スープにも入れるらしい。野菜スープやホワイトシチュー、ビーフシチューなどの具として入れる。ジャガイモなどといっしょに茹でた大根をピュレにしてポタージュにすることもある。

焼き料理もある。ジャガイモと大根を千切りにして、片栗粉やパン粉をつなぎにして、塩コショウやナツメグで調味、ときには玉子も混ぜて、ハンバーグみたいに形成してフライパンで焼く、もしくは揚げる、という料理だ。フレッシュチーズのソースを添えることが多い。これは大根が入っていなければスイスドイツ語圏のRöstiというジャガイモ料理に近いし、Rettichröstiと呼ばれていることもある。

そのレシピの一例


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こうして並べて見ると、大根は加熱して食べる場合はジャガイモと似た役回りを演じているらしいことがわかる。

 

 

バイエルン州

ドイツ全体では上記のような利用が一般的なのだが、実はドイツ内の大根の消費はバイエルン州に集中しており、独特の大根食文化がある。

バイエルン州では大根(Rettich)をRadiと呼び、飲み屋でビールといっしょにつまみとして売られている。アコーディオン状や螺旋状に切り込みを入れた大根を、なんと生で丸ごと1本食べる。Bierrettich(ビール大根)というそのものずばりの名前の品種で辛さ控えめらしく、塩もみして水分を抜いているようだ(Der Radi muss rean: 「大根は泣かせよ」と言われている)が、それでも辛いだろう。

じっさいに聞いたことはないけれど、ドイツ語の慣用句に「一文無し」という意味で「keinen Rettich heben(大根がない)」という言い回しがあるらしい。これは昔、飲み屋で安価な大根をタダで提供していたことから来ている。大根すら出せないような困窮状態の喩えだ。

大根なら辛くて酒が進むし、脂っこいものの消化を助ける。無料で出してもかえって儲かったのかもしれない。刺身盛りの横に大根けんがドカッと添えられているのと同じようなことだろうか。

 

大根を螺旋状に切るためのスライサーもある。

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アジア料理

ここまで見てきたようにドイツ料理でも大根は使われているが、やはり東アジアの野菜というイメージが強いみたいで”Rettich Rezept(大根 レシピ)”では日韓中のレシピが多くヒットする。

和食だと醤油とみりんで甘辛く煮た大根や、みりんと米酢に漬けた甘酢漬けが紹介されている。

手がかかりそうな大根のキムチのレシピも出てくる。ドイツでは最近キムチが人気で、アジア食品店ではない普通のスーパーでもドイツ製の瓶詰めのキムチを見かけるようになった。考えてみれば白菜のキムチはザワークラウトと同じ、アブラナ科の葉物野菜を乳酸発酵させた食品だ。何か通じるものがあるのかもしれない。じっさいキムチ風味のザワークラウトなんてものまで見たことがある。

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広東料理の点心の1種、蘿蔔糕のレシピもドイツ語で紹介されている。これは日本では「大根餅」の名前で知られている節約レシピ好きにおなじみの品だ。刻むか粗みじんにした大根を片栗粉か小麦粉などで成形してフライパンで焼く。ジャガイモを足せば上で紹介した大根入りRöstiとかなり近い。

 

 

まとめ

ドイツでも日本でも、つまるところ大根は生で辛味を活かすかじっくり煮込むという意味では同じだ。大根の性質と食べる人のニーズが同じだから当然と言えば当然だ。どこに行っても大根は大根。それはそうなのだがそれにも関わらず、丸ごと1本生で食うのか、とか、ポタージュにするのか、とか、ホワイトソースに大根おろし??とか、一見すると奇妙に思えるくらいの文化差はある。

ここまで大根について長々と書いてきたのにちゃぶ台を返すようだが、ぼくはそれほど大根が好きではない。ぜんぜん嫌いではないけど好きな野菜を10個挙げても大根は入らない。というか、大根のポジションって誰でもそんなもんなんじゃないの、と思う。似た野菜ならカブやレンコンのほうが好きだ。

「おでんの具で何が好き?」

と聞かれて「大根」と答える人は多いけれど、

「本当にそう思ってるのか?」

と疑っている。

世の中には欲してないのにそう答えることになっているという決まりがいくつかあって、「とりあえず生」と注文したり、「ほうれん草の茎の部分が美味しい」とか言ったりする。おでんの大根もそのひとつなんではないか。「出汁がよく染みているから」と言うが「汁を飲んだらよいのでは」と言いたくなる。

「これそんなにうまいか?」と思うものはドイツに来てからはザワークラウトが代表格なのだが、ザワークラウトは意外と切り干し大根に似ている。味が似てるのだ。キムチよりずっと近いと思う。

ザワークラウトは実はそれほど酸っぱくなくてブラウンソースと合わせたりすると切り干し大根の煮物みたいな滋味のある味わいになる。ぼくの地元に「贅沢煮」という名前の沢庵漬けを煮た料理があって、どこがぜいたくなのかまったくわからないのだが、これも肉の付け合わせになってるザワークラウトと風味が似ている。

癖が強くて複雑な風味を担っていて、単体ではそれほど満足感はない脇役。それが大根やザワークラウトの役回りだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

黒を白と言うために費やされる知性 -独の社会学者のイスラエル擁護-  【論文紹介】

2023年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃から戦争が始まって以来、ドイツでも都市や大学でパレスチナに連帯するデモが警察に弾圧されながらも続けられている。

一方で、ドイツの多くの人がイスラエルを支持し、国としても武器を輸出してまでイスラエルの戦争を支援している。ドイツでは親米右翼だけでなく、どちらかと言えば左派の知識人までもがジェノサイドに反対する声を上げずに国際法違反行為を擁護している。

こういう状況の中で、一体ドイツの人文学者はいったいどういう主張をしているのか、とくにリベラルな学者は自分の理念とどう整合性を保っているのか、疑問に思う人がいるかもしれない。今回はそういうイスラエル擁護の論文を紹介して、それに反論を加えたい。

 

 

 

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Karin Stögnerの2025年、今年の論文。

 

Exklusive Solidarität – die Ausblendung von 

Antisemitismus in intersektionalen und postkolonialen 

排他的な連帯 インターセクショナリティとポスト植民地主義者による反ユダヤ主義の無視

KARIN STÖGNER

 

ssoar-fempol-2025-1-stogner-Exklusive_Solidaritat_-_die_Ausblendung.pdf 

 

Karin Stögnerはパッサウ大学の社会学者で、批判理論やフェミニズムについて多く論じている。

 

彼女はこの論文で、現在都市や大学で行われている反イスラエルのデモが、テロを正当化しイスラエル生存権を疑問視していると主張する。これらのデモがしばしばインターセクショナリティやクィアフェミニズムの立場からなされているにも関わらず、反ユダヤ主義だけでなく、ハマス女性嫌悪と同性愛嫌悪とイスラムのジハードに触れていないことに疑問を投げかけている。また、ジュディス・バトラーが2024年3月に行なったParoles d’Honneurでの講演に対しても、ハマスの襲撃の反ユダヤ的特性を疑ったとして批判している。

 

Stögnerは、インターセクショナリティはさまざまな種類の抑圧があることに目を向けるべきなのに反ユダヤ主義を指摘しないのは問題だと主張している。またグローバルサウスと西洋の単純な二分法になっているせいで、男女平等を求めることが西洋のパターナリズムからグローバルサウスを解放することを妨げることになると見なされる、と言う。

 

インターセクショナルで脱植民地主義的でフェミニズムがときおり寛容さを示して非西洋社会での家父長制的で暴力的な社会関係を視界から外し、文化的な財産として肯定する。解放はここではまず西洋のパターナリズムからの解放として理解され、家父長制的な屈服からの解放とは理解されない(たとえば Vargès 2021; Buck-Morss 2006)。

 

 

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ここで一旦、解説と反論をはさみたい。

イスラエルデモの話にグローバルサウスの男女平等が何の関係あるのか混乱した人もいると思う。

話は変わるが、ドイツには移民や難民が多く、移民受け入れに反対する排外主義運動もある。移民に反対している人は、右派だけでなく、左派やフェミニズムの中にもいる。移民に反対するフェミニストがよく用いるレトリックは「イスラム教徒の女性差別から女性を守るため」というものだ。そしてそれに対して「西洋普遍主義からのパターナリズムだ」というものだ。

この議論を再利用しているため上のような話が出ているわけだが、デモが反対している対象はイスラエルによる虐殺なので話ズレている。

この話はあとでまた出てくる。

 

 

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Stögnerはポスト植民地主義の観点では、かつて植民地だった国の有色人種に対する人種差別が中心で、反ユダヤ主義は見過ごされやすいとする。植民地化はされていないが、じっさいには非ユダヤ社会で差別に遭っている。また、ユダヤ人が肌の色ではなく陰謀論を使った差別を受けるという特殊な事情も指摘している。

 

そして彼女は、

イスラエルに関連した反ユダヤ主義ではユダヤ人はさらに誤って白人の植民地主義としても不当に決めつけられている。パレスチナを脱植民地化しなければいけないという要求はたいていユダヤ人国家としてのイスラエルがもう存在していけないという意味を含んでいる。

と書き、イスラエル批判と反ユダヤ主義を結びつけている。

この背景には、ホロコーストの犠牲者が植民地主義の犠牲者を覆い隠してしまうのだという思い込みがあると言う。そのためユダヤ人はもうマイノリティとして認められなくなりイスラエルが植民地国家として再解釈される、とEva Illouzの『Le 8-Octobre. Généalogie d’une Haine Vertueuse.』をもとに述べている。ハマスによる強姦の犠牲者になったイスラエルの女性が白人、リベラル、西洋フェミニズムの代表者とされて同情されないのもそのためだ、としている。

 

またインターセクショナリティやポスト植民地主義の中にアイデンティティ思想の風潮があり、これがグローバルサウスを一枚岩のものと見なし、まとめて帝国主義に脅かされていると仮定されているとしている。そのせいで大学でもインターセクショナリティ・フェミニズムの中に紛れた反ユダヤ主義に反対できるか怪しくなっていると主張している。

 

これらの傾向に対してインターセクショナリティの方法で対応するべきだと言い、Matsudaの「別の質問をしなさい」という基本原理や、曖昧さ対する寛容に立ち返って、善悪二元論を排し、一面的でない別の側面(ハマスの問題など)を見るように促している。

インターセクショナリティやポスト植民地主義に偽装した反ユダヤ主義のまん延に対応するためのポイントを、以下の6点にまとめている。要約すると、

 

 

反ユダヤ主義の概念を流動的にとらえること。

ホロコーストの歴史の否定と、帝国主義など西洋の悪いものをユダヤ人国家に投影するイスラエルの否定の2つから成るのが現代の反ユダヤ主義の特徴で、人と結びつく人種差別とは異なる。左派の反ユダヤ主義は一見進歩的な反帝国主義だ。

 

反ユダヤ主義を無視せず出発点にするインターセクショナリティの分析。

反ユダヤ主義も複合的な差別である。反フェミニズム、性差別など他のイデオロギーの中にも反ユダヤ主義が入り込んでいて、逆もまた言える。

 

アイデンティティ政治ではなく複数のイデオロギーに焦点を移す。

アイデンティティ政治指向の方法は、普遍的な解放を求めることを西洋の覇権として退けてしまう。そこで批判理論の内在的批判を用いる。社会の内側から考えれば、社会と文化は均質な構築物ではなく、家父長制的な権力関係に反対する要素がある。

 

イランでは、自由と男女平等を求めてムラー支配に反対する抵抗と闘いの中にこのことがしめされている。これらの運動は普遍的原理を、抑圧的な西洋のものと非難するのではなく、批判的に援用する。彼らに連帯を示すべきだ(Stögner 2023)。

 

④既成のカテゴリーや二分法的な社会構造を打ち破る。

ユダヤ人をイスラエル政府と同一視することや、ハマスのテロを解放の闘いと誤認し、パレスチナ人全体の問題にしてしまうこと、どちらも善悪二元論で、事実誤認な上にルサンチマンの温床だ。

 

⑤ポスト植民地主義イスラエル植民地主義国家と見なさなくてよい。

代わりにイスラエルは難民によって建設されたイギリスの植民地主義権力への抵抗を主張してきた国と認識する。

 

アルベール・メンミは、自身もチュニジアで反植民地主義闘争に参加しながらユダヤ人としてそこから排除されていたが、彼はシオニズムをグローバルなユダヤ教の特殊な状況に対応した脱植民地主義運動だと考えた。それに応じてシオニズムユダヤ人の国民的解放運動だと解釈されるべきで、マグリブ地域の別の解放運動と同じ水準にある(Memmi 2003)。

 

 

⑥道徳を説きながら関わってくる場合はしばしば罠である。

ファクトではなく道徳に基づいていることが多い。道徳的な怒りで判断している。自分の動機の反省が必要である。

 

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ざっと要約すれば上の6点である。

 

この論文の批判すべき点は、いくつもあるがまず第一にイスラエル国際法違反に譲歩の形ですらひと言も触れていないことである。ここで問題にされているパレスチナ連帯のデモが主張しているのは、イスラエルによる民間人虐殺や病院の爆撃を止めろということである。これらは感情や道徳だけでなくファクトに基づいているし、立場に関わらず反対すべきだろう。さまざまな状況の違いを考慮に入れるためのインターセクショナリティを持ち出すまでもない。

もう一つ、この論文が完全に無視しているのは、すでに提案されている二国解決や多民族の一国解決などの展望である。ユダヤ系の単一民族国家以外のあり方の可能性を認めず、それを批判することはイスラエルの否定、ひいてはユダヤ人の存在の否定だというゼロか全かの世界観だ。曖昧さへの寛容はまったく見られない。これは非ユダヤ社会でのユダヤ人差別を宿命的にとらえ、建国以外に道はないとするシオニズムイデオロギーである。

イスラエル植民地主義の国ではなく難民が建国した国だと主張しているが、これも無理がある。移民や難民は移住した地の既存の社会や文化に加わることを目的としている。新たに自分たちの社会を作り既存のものと置き換えることを目的とする入植型植民地主義とはまったく異なる。

 

この学者の議論は、インターセクショナリティやポスト植民地主義を批判しながらもそれらのアプローチを取り入れて逆手に取っている。

インターセクショナリティはさまざまな状況や要因に目を向ける手法なので、使い方次第ではひとつの抑圧から目を背けさせるために別の観点を持ち出すこともできる。Karin Stögnerはそうしてイスラエルへの批判を無効化しようとしてるように思える。それが上手くいかなくても、イスラエルの侵攻とハマスの襲撃のどちらを強調するかだけの違いのように見せることができれば十分なのかもしれない。

しかし、インターセクショナリティが目指しているのは、普遍的な真理を押しつけないことに加え、まさにこのような相対主義で何も言えなくなる事態を避けることである。個人のおかれた具体的な状況を明確にして「少なくともその条件下では…」と正しさを限定することで、際限ないぶつかり合いを避けて連帯できる部分を探ることができる。

もちろん、ハマスによる虐殺と暴行の被害者になった人々の立場を考慮してその範囲で何か言うことはできる。しかし、Stögnerは個人の経験についてはとくに立ち入ったことは書いておらず一般論に終始している。

イスラエル国際法違反については主体が国なので、個人の経験をもとにするインターセクショナリティの方法でこれについて何か言うことは難しい。

Stögnerは、インターセクショナリティの他に、批判理論の内在的批判を用いている。内在的批判というのは、相手の意見を批判するときでも一旦は相手の考え方を受け入れてそれに沿って考えるという態度で、頭ごなしに否定したり、こちらの判断基準を押しつけたりしないようにすること、らしい。これも個人の立場を重視するアプローチだ。それによってイランの女性に連帯すべきだと言っている。

しかし、ここでも具体的な政治状況には言及されない。反イスラエルデモがイランの女性にどう影響があるのかも不明確だ。イランの女性にとって西洋的な女性解放が優先事項になるのは身近なミソジニーに対抗するためである。西洋諸国やイスラエルの行いを擁護する目的で引き合いに出されても、まったく文脈が違うし、連帯されたとは感じないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

※1  バトラーの講演というのはこれ。

JUDITH BUTLER - CONTRE L'ANTISÉMITISME ET POUR LA PAIX RÉVOLUTIONNAIRE EN PALESTINE 

↑これのことらしいけどフランス語なのでわからん。別の機会でのバトラーによるイスラエルについての発言が訳されていた↓

 

【翻訳】パレスチナ人の命も守れ:ユダヤ人の学者ジュディス・バトラーがイスラエルの「ジェノサイド」を非難|カフェ・フスタート 

 

【翻訳】「追悼のコンパスーー暴力と暴力を非難することについて」(ジュディス・バトラー)|カフェ・フスタート

 

炎上したらしい↓

ジュディス・バトラーがSNS炎上を受け、パリでのイベント登壇を辞退。「自身の判断に基づく選択」 | ARTnews JAPAN(アートニュースジャパン)

 

 

※2 フェミニズム的な言説でアラブ系の人を攻撃する手法はオルタナ右翼や、トランス排除や反移民に傾いている一部のフェミニストがよく用いるもので、彼らは「男尊女卑なイスラム教徒の移民から女性を守るため」と主張している。

まとめ: ドイツのムスリム移民とフェミニズム - Ottimomusitaのブログ

 

 

入植型の植民地主義としてのイスラエル・パレスチナ紛争【論文紹介】

先日ようやくフランス、イギリスに次いでカナダとオーストラリアも、パレスチナを国家として承認した。一方でドイツはいまだに承認しておらずイスラエルへの武器供給もまだ停止していない。(2025年8月15日現在)

2023年10月7日にハマスイスラエル南部を攻撃して1,100人以上を殺害して以降、イスラエルによるガザ攻撃でパレスチナ人の犠牲者は増え続けている。

これに対してドイツ政府は、イスラエルが民間人をいくら殺しても当初からずっと連帯を示している。ロシアがウクライナに侵攻したときはちゃんと国際法違反を糾弾していたが、それとは対照的だ。

ドイツのイスラエル支持について特徴的なことは、たとえば前政権外相であり緑の党のベアボックが民間施設爆撃を正当化したように、リベラル陣営もイスラエルによる戦争を積極的に支持していることだ。これは政治家だけではなく、左派知識人もイスラエル支持の立場で発言している。

 

 

 

 

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Siedlerkolonialismus in Palästina | PROKLA. Zeitschrift für kritische Sozialwissenschaft

パレスチナでの入植型植民地主義」カッセル大学のAnil Shahの論文

 

ハイデルベルクユダヤ単科大学のTom Khaled Würdemannは、大手のZeit紙や左派のtaz紙にも記事を書いている学者だが、イスラエルが入植型の植民地主義国家であるという説を退ける論文を書いている。入植型の植民地主義アメリカ、カナダ、オーストラリアのように、植民地主義時代に移住したヨーロッパ人がそこで建国したようなケースを指す。

それに対してカッセル大学のAnil Shahが反論の論文を書いている。今回はそれを紹介する。

引用されているWürdemannの主張をぼくなりに要約すると、「入植型植民地主義」はあいまいで便利な言葉であり、せいぜいイスラエルの建国時にしか適用できず、この概念を使って敵意を生みユダヤ人への暴力を正当化している、と彼は言っている。

それに対してShahは、最近は入植型植民地主義の研究が学際的にもかなり進んでいるという。ShahはPatrick Wolfe(2024)の”Siedlerkolonialismus und die Eliminierung des Indigenen.”をスタンダードな論文として挙げている。そして、彼はシオニズムイスラエルの歴史を追うとこの形容がよく当てはまることを示している。

彼はそれを以下の3点に分けて論じている。

 

ひとつは、イスラエル国家の憲法に入植型植民地主義的なシオニズムの使命が書き込まれていて今でも効力を持っていることだ。

2つ目は、エルサレム東部、ヨルダン川西岸、そしてガザ地区に入植し占領する政策が60年近くにわたって大イスラエル計画の不可欠な要素で、これはパレスチナ人の自決権を事実上不可能にするということだ。

そして3つ目は、現在のイスラエルの軍事作戦「鉄の剣」はガザでのパレスチナ人の存在を体系立てて抹消することを示唆していることだ。

 

これらがWolfeの入植型植民地主義の要件を満たすという。

 

入植型植民地主義の研究分野では、Patrick Wolfe (2016, 2024)の論文が標準規範とされている。彼は入植型植民地主義を分析的に他の植民地主義の形態と区別し、またジェノサイドの概念とも区別した。彼によれば入植型植民地主義は2つの観点から描写される。つまり、「否定的な意味では原住民の社会を取り除くことだが、肯定的な意味では国土とした地に新たな植民地社会を築くことだ」(Wolfe 2024: 97f.)。ここで彼が強調するのは、入植型植民地主義の特性はジェノサイド的な殺戮のような人目をひく一度の出来事に還元できないことだ。むしろ「(先住民の)抹消の論理」はアメリカやカナダやオーストラリアに見られるような「入植型植民地主義社会の中心的な組織原則」であり、それはまた先住民の共同体財産の分割、あるいは生物・文化的な同化戦略によっても表現できる(同書: 97f.)。

 

 

シオニズムの歴史と現在

 

イスラエルの入植型植民地主義を考える上でまずシオニズムの歴史をふり返っている。

ユダヤ人はヨーロッパで長く差別と迫害を受けてきた。それに対する反応のひとつとしてシオニズムがあるが、シオニズムユダヤ人差別を変えられない宿命的なものとしてとらえて、安全のためにはユダヤ人だけの国家を創る必要があると前提しているのが特徴だ。これが旧約聖書の記述や、国民国家形成や欧州列強の帝国主義や人種主義と結びついている。

 

したがって第一にこの運動の際立った特徴は「ユダヤ人の移住はパレスチナの体系だった植民地化に向けられ、そこに排他的にユダヤ人の国民国家を樹立する目的をもっている」(Machover/Offenberg 1975: 316)ことである。

 

これを実行するために、ナチス台頭の数十年前から、ユダヤ植民地銀行やパレスチナユダヤ人植民協会(PICA)がパレスチナに土地を買って、農業や産業の基礎を築いた。他の植民地主義とは違い、第一の目的は資本創造ではなく入植とユダヤ人だけの国を創ることだった。

そのためにたとえば、「ヘブライ人の労働」政策はパレスチナ人の労働者を戦略的に排除し、組合も足並みをそろえた。また土地購入も個人の利益のためではなく、信託機関であるユダヤ人植民地銀行を元とするユダヤ人国民基金(JNF)によって運用され、ユダヤ人入植者のみに賃貸された。JNFの所有したパレスチナ委任統治領は1947年までで6%だけだったため、土地購入だけでは建国は遠いことが明らかだった。

 

 

1947年から1948年までにハガナーやイルグンのような市民軍がかなりの数の軍事作戦を開始し、それによって75万人のパレスチナ人の住人を追放し、500の村と住宅地区が破壊されるか略奪され、地名を変えられた(Lentin 2016: 46)。現在のイスラエル国土のパレスチナ人住民の大部分を追放したことは現在まで「ナクバ」(アラビア語で大災害)と呼ばれている。

 

Würdemann (2024: 745)はこれを「国民の紛争」や「民族の内戦」と呼んでいるが、実際は入植を目的とした非対称的な紛争だ。重視されたのは、ユダヤ人によるまとまった土地に対する排他的な統治権であり、パレスチナ人住民の土地の権利と自治権に反対することだった。

 

入植型植民地主義の領土と人口統計の2つの側面は密接に関連していて、民族国民国家の不可欠な要素だ。現在まで、JNFの持ち分も含めてイスラエルの土地の93%と、ナクバ中に亡命したパレスチナ人の財産売却、そして建国でイスラエルに移譲された委任統治パレスチナの一部に対するイギリス人の権利を、国の官庁(Israel Land Administration, ILA,イスラエル国土庁)が管理している(Plocher 2011)。イスラエルが「ユダヤ人国家」であり続けるために帰還法(1950年)にしたがって、原則として世界中のすべてのユダヤ人は国民になれるが、他方でそこに住んでいて建国時に追放されたパレスチナ人やその子孫はそれと同等の権利を請求できずILAから土地を賃借することもできない(Dana/Jarbawi 2017; Erakat 2017)。このイスラエルユダヤ人とパレスチナのアラブ人との人種間の不平等な扱いは帰還法とさらに他の数十の法律を通じて国の基本構造に組み込まれている(Lentin 2016)。

 

なので入植型の植民地主義を過去のものとみなすことはできない。

 

 

 

「川から海まで」: イスラエルの入植および占領政策

 

占領政策は60年以上も続き、占領したパレスチナの地域はヨルダン川西岸、東エルサレムガザ地区にも及ぶ。その目的は一貫して、ユダヤ系住民の割合を増やすことと、土地の支配を確実にすることだ。

 

通常は土地を奪えばそこに住むパレスチナ人も国民にしなければいけないが、そうするとユダヤ人だけの国家ではなくなる。

 

したがってイスラエルアメリカの後ろ盾で入植占領政策の特殊な解釈をあみだし、「パレスチナで人間を含まず土地を占拠する」(Erakat 2017: 18)というようなことを合法化した。イスラエル建国時に不在者財産法(1950年)のもとで土地を収奪したのと同じように、イスラエル軍は安全保障上の理由から「封鎖軍事地帯」を設立する権限をもち、そこに住むパレスチナ人から補償なしで土地を収奪できた(Erakat 2017: 28)。

 

パレスチナ人の住む土地は壁や検問所や軍の封鎖地帯などで分割されている。さらに地下水や領空、労働力、商業、パスポート発行権などを、イスラエルは支配している。そのために、家宅捜査や住宅の破壊、集団逮捕や拷問や裁判なしの処刑など暴力的な手段がとられた。1967年以来、逮捕されたパレスチナ人は80万人にのぼる。

 

 

 

ガザ この世の地獄

 

Würdemannは入植型植民地主義という概念がジェノサイド的な暴力をイデオロギーで正当化していると言うが、事態はそれとは正反対だ。

イスラエルの軍事作戦「鉄の剣」やガザに対する一連の戦争での最近の軍事作戦が、パレスチナ人の強制追放と排除の一環として行われている。

 

この指摘は、決して、2023年10月7日にイスラエルや他の市民をハマスと他のパレスチナ人の武装集団が大勢殺していることを正当化するわけではない。そうではなく大事なのは、入植型植民地主義はつねにジェノサイドの可能性もはらんでいるということだ(Wolfe 2024: 95)。

 

ガザ攻撃は「防衛権」とハマスが戦争を主導したことで正当化されているが、ガザはすでに地上の地獄だ。国連によるとガザでは2024年までに爆撃などで4万5千人が殺されている。推定でその70%は女性と子どもである(Farge 2024)。これには瓦礫に亡骸が埋もれている人や、医療不足で亡くなった病人や妊婦、寒さや飢えでの死は含まれない。そのため実際の死者数はこれよりずっと多いはずである。

 

国際法にもとづいてイスラエルパレスチナ人に民族虐殺を犯したかどうかの法的な評価はまだ決定していないが、Raz Segal (2023)やOmer Bartov (2024)やAmos Goldberg (2024)といったイスラエルの先導的なホロコーストやジェノサイドの研究者や、現場で働く多くの国際人権団体はすでにある事実にもとづいて意見が一致している。

 

アムネスティ・インターナショナルによると、最近のイスラエル軍の作戦より前にガザ住民の約80%が生存のため人道支援輸送に依存していた。なので、多数のイスラエルの議員と軍高官が物資の取り上げを要求したことは、多くの人の命を奪うことを意味する。さらに住居やインフラ、農業や生態系、厚生・教育制度も破壊されている。

そして、その間にもイスラエルの極右は北ガザ地区再入植を準備している。

 

 
脱植民地化

 

この不明瞭な背景のため、パレスチナイスラエルの紛争に対する批判的な社会分析、左派の観点が、入植型植民地主義計画としてのシオニズムイデオロギー上かつ実体もある矛盾に取り組むことは避けられない。これはとくにドイツでの議論に当てはまるが、一方で正当なシオニズムに対する批判と、他方のユダヤ人嫌悪や反ユダヤ主義レイシズムがしばしば意識的に区別されなくなる。そして「イスラエル批判」と反ユダヤ主義が混同される上で、とくにパレスチナイスラム教徒の共同体や、国際的な左翼、批判的な学問や芸術、文化や市民社会がひとくくりに反ユダヤ主義の疑いをかけられる (たとえばKlein 2024を参照)。この過程で「反-反ユダヤ主義」とされたものは「権威主義的転向の触媒」となる(Ullrich 2024)。

 

Anil Shahは、入植型植民地主義の概念はイスラエルパレスチナ紛争の原因と非対称性を明確に述べているという。また今のガザでのジェノサイド的な暴力は目を引くが、他の形での歴史上の「(先住民の)抹消の論理」(Wolfe 2024: 95)と切り離せないとする。

この紛争にどんな解決があるかはまだ議論が必要で、たとえばすべての人に同じ権力がある一国解決を支持する人がいて、他には二国民モデルや国家連合モデルを支持する人もいるそうだ。

 

しかし明らかなことは、現在はユダヤイスラエル人の支配下での一国解決が存在していて、それがパレスチナ住民の自決権を否定し、そのせいで二国解決か他の民主的な代替案が入植・占領政策のために不可能になっているということだ(Erakat 2017; Khalidi 2024)。したがって、シオニズムの入植型植民地主義的な特徴を議論することは今なお、そしておそらく今まで以上に必要不可欠である。

 

 

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少なくともドイツに限って言えば、イスラエルの行ないを植民地主義としてとらえることに対する抵抗は、ドイツでナチスの反省に比べて植民地主義の反省がまだ十分に進んでいないこととも関連するだろう。以前に書いたこの記事で紹介している。↓

記事紹介: 植民地主義とナチスの比較は「ユダヤ人差別」? - Ottimomusitaのブログ

ここで説明したのは、ナチスをそれ以前のヨーロッパ列強による植民地主義と関連づけることが「反ユダヤ主義」と見なされる風潮だ。

 

ガザ危機で分断深まるドイツ・アートシーン。反ユダヤ主義への警戒と言論の自由をめぐる複雑な事情 | ARTnews JAPAN(アートニュースジャパン)

↑の記事によると、国際ホロコースト記憶同盟の反ユダヤ主義の定義には、「現在のイスラエルの政策をナチスの政策と比較すること」や「イスラエルという国家の存在が人種差別的だと主張するなどして、ユダヤ人の自決権を否定すること」が含まれている。

What is antisemitism?

 

歴史の皮肉のようなものを際立たせるためになのか、イスラエルの政策をナチスに例える批判は多いが、実情は他の入植型の植民地主義の例と比較検討するほうが明確になると思う。

 

 

上で紹介したAnil Shahの論文の全訳が欲しい人はXの @Ottimomussita に連絡してください。