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記事紹介: 緑の党内部でのスカーフへの態度の違い

少し昔の記事になるが前に上げようとして忘れていたものを紹介する。2018年の記事で、緑の党フェミニスト内部でイスラム教徒に対する態度に関して論争があった。このときはまだ緑の党が連立で政権とるとは分かっていなかった。

 

Grüne streiten über Feminismus: Sorge um Sternchen und Kopftuch - taz.de

 

主に第3波や若い世代のフェミニストは文化や宗教の違いに配慮したフェミニズムを支持するが、第2波や上の世代はそれを宗教に基づく女性の抑圧の肯定だと懸念する。こういう対立が緑の党にもあるようで、党の女性会議というイベントに抗議の手紙が来たそうだ。

イベントはイスラム教徒の有名ブロガーを招待したインターセクショナルなもので、抗議はどちらかと言えば反イスラム的だった。

この時点では前者の若い世代の方が党内で多数派に見える。2020年の緑の党綱領でも宗教的な自己決定権が謳われている。

抗議していた人たちが十分に納得したのかについては、ぼくがググって見ている限りではよく分からない。

 

PATRICIA HECHT

Grüne streiten über Feminismus

:Sorge um Sternchen und Kopftuch

 

緑の党フェミニズムについて論争している。:ジェンダーアスタリスクとスカーフの懸念

緑の党の女性会議でインターセクショナリティと宗教が問題になった。

第2波の活動家女性たちは若い世代を「幼稚」だと考えている。

 

Gesine Agenaは、女性はこの時代もっと互いに連帯しなければいけないと思っている。


緑の党とそのシンパのフェミニストのあいだで世代間論争が勃発している。週末にあった緑の党連邦女性会議に際し、第二波女性運動の代表者として、主にバーデン・ヴュルテンベルク州緑の党地区連盟から20人のメンバーが若い世代のインターセクショナルなフェミニズムに反論した。


論争の発端は地区連盟メンバーが緑の党の連邦指導部に宛てて書いた公開書簡で、雑誌のEmmaがそれを木曜日にオンラインに上げた。それがライプツィヒでの緑の党女性部のフェミニズム未来会議が始まる一日前だった。その手紙には、招待された論客を見ればこの会議では「もはやフェミニズムが重要とされていない」ことが明らかだと書かれている。フェミニズムの「文化に関する非排他的な考え方」は、「伝統的で宗教的な強制を女性の文化として称揚し、抑圧連帯している」とした。


この会議の演説者名簿はさながら若いフェミニスト界隈の有名人名鑑であり、女性ラッパーのSookeeが登壇し、ブロガーのAnne WizorekとKübra Gümüşayが招待され、Missyの編集者Steffi Lohausと作家のMithu Sanyalもいた。フェミニズムと宗教のようなインターセクショナルなフェミニズムについてのワークショップがあった。この女性会議はウェブサイトによると、「新しい緑の党の基礎綱領へ至るための一里塚」となるべきものだ。


長年女性運動をしている活動家は批判として金曜日にもう一度付け加えた。緑の党のメンバーではないがかつてベルリンの議会でリストに名前があったHalina Bendkowskiと、女性研究に重点を置くギーセンの政治学者のBarbara Holland-Cunzだ。緑の党は「フェミニズムにおいて脱政治化」されているとBendkowskiはメールに書いて、党や会派の女性政策広報や連邦指導部や、まったく異なるフェミニズム上の立場にある数十人の女性に送った。その中にはEmma編集者のアリス・シュヴァルツァーや、社会学者のザビーネ・ハーク、ドイツ経済研究所のElke Holstがいた。


Bendkowskiは「女性運動の第3波と第4波」やその「アスタリスクフェミニズム」は「幼稚」だと批判した。彼女は「他の文化や宗教」が女性運動の批判を免れることがフェミニズム的かどうかを問うた。Bendkowskiは緑の党に、自分たちがどのようなフェミニズムの理解に立つべきかを明確にすることを求めた。


緑の党の女性政策広報Gesine Agenaはそれについては非常に明確だ。「AfDが力を増し、その中で右翼が女性の権利を自分たちのためだけのものにしようとしている時代には、緑の党の政策はインターセクショナルで連帯的で反人種差別的でなければならない」とAgenaはtazに述べた。「私たちは、さまざまな差別を認識し、スカーフをする女性が攻撃されるなら連帯するようなフェミニズムを必要としている。私たちのフェミニズムと女性政策はすべての多様な生き方の中で女性の自己決定を支持する」

 


そのことは250人以上が参加したこの女性会議にも反映されているとAgenaは言う。そこではさまざまな世代の緑の党の女性が出会い、雰囲気は「エネルギッシュでエンパワーメントされるもの」だったという。しかしこの手紙の署名者は、彼女が知る限り一人しか来なかったという。Agenaはそれを残念に思っている。女性会議ではそのような基本的な問いについても会談がなされたという。女性会議では会則に従って決議は採られなかった。当然手紙の署名者にはまだ回答する。


Heinrich-Böll財団のフェミニズムと性差民主主義のためのGunda-Werner研究所の所長Ines Kappertもtazに、女性会議ではよい議論がなされたが、どんな種類の争いもなかったと話した。彼女がその批判で問題だと思うのは、手紙を書いた人たちがすでにフェミニズムについての公開討論が尽くされていると見なしていることだという。彼女らの考え方は、「『フェミニズムの何たるかは私たちが決める。他の誰でもなく』というもので、これは思想と議論に禁止令を敷くことになる」


メールが怒りに満ちた書き方なのは、この女性たちの中には「フェミニストとしての生涯キャリア」に疑問をもたれていると思う人がいるからかもしれない。「しかし重要なのは過去の世代の業績を否定することではなく、ともにフェミニズムを発展させることだ」とKappertは述べた。

 

インターセクショナリティは抽象的なお題目ではなく、色んな要因が絡んでいる問題は当事者の個々の状況から出発して考えないといけないという態度だ。宗教的な伝統が女性を抑圧しているケースも当然あるしそれについても考える術がないといけない。Kappertが言っているように、過去の女性運動の戦いを否定するわけではない。

緑の党の2020年綱領は女性に関することと宗教・人種に関することが項目を分けて書いてあるようで、ざっと見ただけではジェンダーと宗教の交差性について書いてある箇所は見つけられなかった。もう少し読み込んで見ようと思う。

 

 

記事紹介: ドイツの長時間労働 稀な違反チェック 食品飲食業界

 

「長時間労働がない」ドイツと日本の致命的な差 | ヨーロッパ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 

「ドイツに長時間労働がない」というのはタテマエであって、実際にはある。よく言われるのは役員クラスや管理職のホワイトカラーは長時間働きがちだという話だが、それだけではない。ブルーカラーの特定の業種や小規模の会社でも超過労働時間が横行している。

 

法律上は一日平均が8時間以内になるようにしければならず、長い日でも一日10時間を超えてはいけないとされている(飲食店は少し例外もある)。しかしこれに違反しているかどうかを役所はほとんどチェックしていない。とくに小さな会社ではまったくチェックされていないと言っていいほどだ。

 

もちろん法定労働時間を超えて働かされている労働者が役所に違反を通告することはできる。しかし、労働組合の加入率が低い会社で自分の雇用者の違反を届け出れば解雇される懸念がある。

じっさい、大きな労働組合を通じて雇用者と安定した交渉をすることを好むドイツでは、個々の従業員による内部告発は他の欧米諸国と比べて稀である。そして他の国と同じく労働組合の加入率は減少傾向にあり、若い人や移民労働者でとくに少なくなる。

 

労働時間法を守っていない会社はそもそも従業員の労働時間を記録していないことが多い。法律上、8時間を超えた分は残業代ではなく他の日の労働時間を減らすことでまかなうことになっている。なので労働時間法を守っていない会社では残業代も払っていないことが多い。

 

一応ドイツの法律上、超過分の労働時間は記録しないといけないことになっている。また日々の労働時間もすべて記録すべしという判決がEU裁判所で下されている。

 

第9回 欧州司法裁判所が画期的判決。企業には全労働時間を客観的に把握・記録する義務あり! – NPO法人 働き方ASU-NET

 

これについてもルールがあって遵守してるかを役所が監査しなければ意味がない。

 

ドイツの労働組合の特徴と現状、超過労働時間の実態などについてはまたこのブログで紹介したいと思う。今回は、役所が労働時間管理をしないことに対する労働組合NGGによる批判を紹介する。NGGは食品や外食産業の産業別労働組合である。

NGG: Alle 230 Jahre eine Prüfung: Gewerkschaft NGG kritisiert „Kontroll-Desaster“ beim Arbeitszeitgesetz

 

Zunahme extremer Arbeitszeiten – Behörden kontrollieren immer seltener

労働時間の極端な増加 ーー役所の監査はますます稀になる

 

Alle 230 Jahre eine Prüfung: Gewerkschaft NGG kritisiert „Kontroll-Desaster“ beim Arbeitszeitgesetz

 

230年に1回の検査: 労働組合NGGは労働時間法における「チェック体制の崩壊」を批判している

 

Berlin, 19. September 2018

食品・飲食・外食業界の労働組合(NGG)は労働時間警報を発した。ここ数年でシフト制、夜間、週末の労働が増えているが、役所による労働時間法の監査はますます少なくなっている。連邦州の労働保護局は去年はわずか15200回の労働時間監査しか行わなかった。これは去年より21%少なく、2010年より41%少ない。

 

これは、NGGだけに提出された連邦議員Susanne Ferschl(左翼党)の質問に対する連邦政府の回答をもとにしている。それによると監査官はすべての検査の3分の2で労働時間法の違反を発見していた。NGG議長のMichaela Rosenbergerは「ショッキングな検査結果」であり「チェック体制の崩壊」だと言っている。「会社が230年に1回しか監査はないと高を括れるなら、被雇用者にとってドイツで最も重要な労働時間法も張り子の虎になりかねない。」

 

州の規制当局はすぐさま大規模に職員を増員しなければいけないと労働組合NGGは要求している。連邦労働大臣によると、州の役所は2016年に2965人しか規制官を雇っていない。「大連立政権は、労働時間法の実験的な改正について考えるよりも、効果的なチェック体制に取り組むべきだ」とRosenbergerは言う。とりわけドイツホテルレストラン連盟(Dehoga)のような雇用者団体が要求するこの法律の規制緩和はどんな状況下でも許されない。

 

いまやドイツ内にどれくらいの規模の極端な労働時間があるかは最新データが示している。2018年の上半期だけでも被雇用者は10億時間の残業をしており、その半分以上は残業代を支払われていない(引用元: IAB)。連邦統計局は、9人に1人は週に48時間以上働いているとしている。就業者の4分の1は日常的に週末に働いており、この割合は飲食業界では86%にもなる。ペステル研究所(ハノーファー)の調査では、夕方や夜間や交代制勤務もここ数年で明らかに増えている。女性はとくにこの影響を受けている。

 

「生鮮食品業界で勤務時間後や夜間シフト後のメールや電話についてもそうだが、無制限な労働時間に取り組まなければいけないことがますます多くなっている」とRosenbergerは言う。国が被雇用者の保護により強行的に取り組まなければデジタル化の時代に状況はより厳しくなりかねない。

(後略)

 

「230年に1回」てなんや、18世紀に労働時間法ないやろ、と思ったがこれは事業所数で割ると一社当たりがその頻度になるということだろう。この記事に書かれていないがおそらく監査されるか否かはまったくの運ではなくて、会社によってばらつきがあると思う。役所がチェックに入りやすいのは事業所委員会があったり労働組合加入率が高い中〜大企業だろう。

上の記事にも書かれているように食品、外食産業は超過労働が多い。他に派遣会社、在宅ケアも労働時間が長くなりがちである。これらの業種移民労働者が多い。いずれにしても労働組合加入率が低く、上記の業種で働くことの多い移民は長時間労働に晒されやすい可能性がある。

 

2021年11月24日に発表されたSPD、緑の党、FDPの連立協定では労働時間について平均8時間を引き続き遵守するとしながらも、監査の増員などには触れず、柔軟な労働時間や「信頼に基づく労働時間」に理解を示し、規制緩和の実験場について謳っている。

Koalitionsvertrag 2021 – 2025

 

フレキシブルとか「新しい働き方」とかはどうでもよいので、最低限、産業革命の頃から要求されている一日8時間労働を実現してからにしてほしい。最低賃金を時給12ユーロに引き上げるとしているが、これが実現しても労働時間を管理していない会社でフルタイム勤務している労働者にとっては絵に描いた餅にしかならないだろう。

 

 

記事紹介: セルフID法とドイツ信号連立政権

ドイツのトランスセクシュアル法(TSG)、または性転換法は当事者を尊重しておらず問題があるとして、自己決定法に変更する法案が出されていた。この新法は、他の国でいうセルフID法に相当するもので、実現すればトランスの人の性自認が法的身分の性別変更によりよく反映されることになる。

しかし自己決定法は以前、緑の党自由民主党(FDP)が法案を出したものの、他党の反対多数で否決され実現に至っていない。

 

記事紹介: 自己決定法、否決。ドイツの反トランスジェンダー - Ottimomusitaのブログ

記事紹介:ドイツで自己決定法(セルフID)が否決。現行法の問題点 - Ottimomusitaのブログ


ところでドイツはこの間の選挙のあと、社会民主党(SPD)、緑の党、FDPの3党による「信号」連立政権が誕生した。

緑の党とFDPはもともと自己決定法を推進しているし、SPDはあいまいだが全面的に反対していたわけではない。なのでこの新政権下で自己決定法の成立が期待されているわけである。


気になるのはSPDの動きである。SPD党首のオラフ・ショルツはインターセクショナルなフェミニストを自認しているそうだ。つまり「普通」とされる女性の権利だけに限定せず、人種やセクシュアリティ、階級も考えながらフェミニズムを実践します、という宣言だ。言語学者でラッパーのレディ・ビッチ・レイに助言を受けたらしい。彼女はわりと信頼できるインターセクショナルなフェミニストだ。以下の記事は保守系のFOCUSで内容は冷笑的。好きに別の性別になれるなら俺は非白人になるぞ云々。


Die FOCUS-Kolumne von Jan Fleischhauer Feminismus war gestern: Porno-Rapperin bringt SPD-Spitze neues Gender-Denken bei Samstag, 27.03.2021 | 17:49


連邦議会に初めて議席を得たトランス女性連邦議会議員の一人Nyke Slawikにインタビューした記事があった。

 

Nyke Slawik: „Debatten gegen das Selbstbestimmungsgesetz sind antifeministisch”

22. Nov. 2021 Nina Süßmilch

トランスの連邦議員へのインタビュー

Nyke Slawik「自己決定法に反対する議論は反フェミニズム

 

27歳のNyke Slawikは、緑の党のノルトラインヴェストファーレン州の名簿順で連邦議会入りした。


緑の党の政治家Nyke SlawikとTessa Gansererは、トランスだと公表している女性としてはドイツで初めて連邦議会入りした。私たちはSlawikに、新任議員としてどんな待遇を経験したかや、どんな政策に力を入れたいかを尋ねた。

 

Slawikさん、「トランスセクシュアル法」(TSG)は廃止されなければいけませんね。あなたは、これは容易になると思いますか。そしてこの改革は信号の協議項目で上位に来ると思いますか。私は、チャンスが今までにないほど高まっていると思います。とくにクィア政策と自己決定権の分野でいつもブレーキをかけていた党や会派はもう加わっていませんので。TSGは今のままでは多くの点で違憲です。すでにヨーロッパの10の国が性の自己決定に向けて進歩しており、それは私たちが政治として行わなければいけない承認です。性差は私たちが伝統的に出生証明書に登記しているよりも複雑で多様だという事実をいいかげん顧みなければなりません。

 

インタビュアー: あなたは新しい連邦議会議員として同性愛やトランス敵視反対や広くより公平なあり方にどう尽力したいですか。


Slawik: まず私は可視化することが重要だと思います。今二人のトランスだと公表している人が初めて連邦議会入りしたことは、コミュニティや一般社会において大きな兆候だと思います。そしてさらにかつてないほど多くのクィアの人が、連邦議会に22人いることもです。この割合はまだ改善する意義がありますが、素晴らしい兆候です。16年のCDU首相時代のもとで多くの課題が残されてきました。たとえば家族の権利です。家族はこんにち異性愛者夫婦の他にも多様な形があります。私たちはレインボー家族やパッチワーク家族の承認に向けて転換しなければいけません。トランス男性が妊娠すれば出生証明書に父親として認められることが可能でなければなりません。同時に私たちはクィア敵視が街頭やインターネットで問題になっている社会で生きています。それに反対する啓発活動にもっと取り組まなければいけません。私たちは憎悪と暴力に反対する明確な手続きが必要です。また役所や警察内の意識も求められています。クィア敵視に反対する行動計画のようなものが重要です。


イ: 仕事仲間からのトランス敵視を経験したことはありますか。連邦議会での彼らとの付き合いはどうですか。


Slawik: 政治活動家としては、それこそネット上で何度も誹謗中傷の標的になるというのはすでに馴染みのものです。私はもちろんとても傷つきもしました。AfDが前回の任期中に自己決定権の議題を扱ってそれについて物笑いにされた様子などは。しかし私は緑の党や他の会派から肯定的な返信も受け、多くの支援を得ました。議会が多様になったことを喜ぶ人が多いです。社会の変革は、たとえ時間がかかっても民主主義の中心、つまりは議会に届くのだとわかります。


イ: あなたは先ほどすでに多くの国で自己決定権が導入されたことに触れましたが、それは性別の登記が医療診断書を提出しなくても役所で簡単にできるということですね。イギリスではKathleen Stockについて大きな議論がありました。彼女はレズビアンで哲学の教授でフェミニストであり、自己決定権に反対を表明しました。彼女はドイツのメディアでは長い間被害者として描かれていましたが、じょじょにイメージが細分化されてきています。あなたはこの議論で自身をどう位置づけますか。


Slawik: ある面で、私はトランスやトランスの人が経験する差別という議題が大きな注目を受けるようになったことはもちろん嬉しいです。その反面、トランス敵視の議論も注目を浴びています。露骨な偏見やフェイクニュースを持ち出す人々を私はいつもできる限り専門的に対応するように努めています。私たちはもっと啓発し、不安を取り除き、「男性」/「女性」というスタンプが人間本性の全体に当てはまるものではないことを理解しなければいけません。トランスの人やインターセックスやノンバイナリーの人々が存在するためです。私たちはマイノリティですが承認される権利があります。私の意見では、自己決定権に反対するトランス敵視の議論もも極めて反フェミニズム的です。というのもフェミニズムの目的は本来、社会や国家の管理を抜け出して、できる限り自分で決めた人生を可能にし、自分の体について自分で決めた扱いを可能にすることだからです。中絶の権利でも、性別の自己決定権でも同じです。 これらは、私たちが反対しているのと同じ家父長制の構造です。

 

 

 

SPD、緑の党、FDPの3党が合意した政策を記した連立協定が2021年11月24日に発表された。

Koalitionsvertrag 2021 – 2025

その中のQueeres Leben の項目でセクシャルマイノリティについて書かれている。

クィアの生活


クィア敵視に対抗するために、セクシュアリティや性差の多様性の受容と保護のための管轄の垣根を超えた国民行動計画を作成し、財源を充てて実施する。その中で私たちはとくに各州で学校や若者の労働での啓発を支援し、特に中小企業や公共部門で、LGBTIの高齢者向けの雇用口を助成し、労働現場でのダイバーシティマネジメントを推進する。私たちはマグヌス・ヒルシュフェルト連邦基金を恒久的に連邦予算で確保した。レインボー家族を家族政策の中にしっかりと位置づけた。性に特有のものや同性愛敵視の動機を、刑法§ 46 Abs. 2の刑量評価基準の目録に明示的に含める。

刑法§ 46 Abs. 2は刑量評価における犯罪動機についての記述で、今は人種差別、外国人敵視や反ユダヤ主義が挙げられている。

 

連邦と州の警察は性に基づくものや、クィアの人に対するヘイトクライムを個別に把握するべきである。私たちはトランスセクシュアル法を廃止し、自己決定法に置き換える。自己決定法には、性別登記の変更が基本的に本人による情報提示で可能になる法的身分課での手続き、範囲が拡大され罰則がついた[変更前の名前の]開示の禁止、そして啓発や相談サービスの強化が含まれる。性別適合治療の費用は完全に法定健康保険で賄われる。私たちはこの法律において性の発達多様性のある子どもを守るために法の抜け道をなくします。以前の立法のために体を傷つけられたり強制離婚されたりしたトランスやインターセックスの人のため、損害賠償基金を設立する。私たちは転換療法から保護する法律の§ 5 Abs. 2にある罰則の例外規定を廃止し、成人への転換療法の全面禁止も検討する。男性と性交した男性、およびトランスの人の献血禁止は、必要なら法律に基づいて、廃止する。

転換療法から保護する法律は、同性愛やトランスを、異性愛やシスに変えようする処置を禁じる法律。§ 5 Abs. 2の例外規定は、後見人や保護者は例外とするもの。

私たちは、レインボー家族やEUで締結された全加盟国での同性の結婚・伴侶があらゆる法的効力で承認されることを支持する。レイシズムに基づく差別反対に適用されるEUの法的文書は今後は同性愛嫌悪やその他の差別も包括しなければいけない。私たちは迫害されたクィアの人の庇護手続きを再検討し(たとえば帰還時に迫害される可能性を解説する者や判定する者)、宿泊所をより安全にし、特別な法律相談を設ける。

 

自己決定法は期待通り実現に向かっているようだ。これは行政のトップの方針であり、法律が成立して予算が組まれ、役所動き、当事者がいる学校や職場にまで良い変化が及ぶかはまだ分からない。しかし前進はしている。

 

ひとつ気にかかったのは毎度のことながら、いわゆるインターセックスの人々の位置づけだ。Nyke Slawikさんの発言についてもそうだ。

いわゆるインターセックスの人々も法的な登録性別を変更することには関わるかもしれない。しかし、体の性の発達多様性(DSDs)は、性別の移行や曖昧さとは別の問題で、男女二元論を否定する文脈でDSDsを引き合いに出すのは適切ではない。

たとえば不妊症の女性や、ペニスが他の人より小さい男性に、「男でも女でもない」とか「性自認を尊重する」とかいうのは的外れだし失礼にもなる。

 

 

 

記事紹介:ドイツ食肉産業での東欧労働者

東欧出身の労働者が建設現場で搾取されているという記事を紹介した。

 

以下の2018年ドイツ労働総同盟(DGB)大会についての赤旗の報告によると東欧出身の労働者の搾取が多い業界は、食肉、輸送、物流、介護、造船などらしい。労働組合加盟者が減っていることも書かれている。

 

▽東欧出身の労働者を使った賃金ダンピングが、食肉、輸送、物流、介護、造船など各産業に広がっている

人間らしい労働へ連帯/雇用安定・反差別など訴え/ドイツ労働総同盟 大会始まる

 

介護業界での移民労働者については以前このブログで紹介した記事がある。

論文紹介: ドイツの移民ケア労働者 前編 - Ottimomusitaのブログ /

論文紹介: ドイツの移民ケア労働者 後編 - Ottimomusitaのブログ / 

 

今回は食肉産業での労働問題の話題を紹介したい。

 

昨年2020年5月21日の南ドイツ新聞の記事。昨年、ルーマニア厚生労働大臣Violeta Alexandruが車でベルリンまで来て、ドイツの労働大臣のHubertus Heilと会って、そのあと食肉処理場や農場の労働環境を視察したそうだ。それを期にこの記事が書かれた。

 

Rumänen in BRD: "Das sind Menschen, die hart arbeiten" - Politik - SZ.de

Arbeitsmigration nach Deutschland Grausige Unterkünfte, kaum Lohn und dann auch noch Corona

ドイツへ来る労働移民

ひどい宿舎、わずかな賃金さらにはコロナ

 

食肉産業をめぐる議論や、ノルトライン・ヴェストファーレン州のアスパラ農場への抗議、ルーマニアの労働大臣の訪問が示す通り、連邦政府は東欧からの労働者に依存しているのもかかわらず彼らはひどい扱いを受けている。

 

Thomas Hummel

 

(中略)

月曜にはすでに彼[Heil]はいわゆるコロナ内閣に彼の計画を提出していた。これはCDU内でいくらか懸念があったが水曜には進める方向で受理された。計画の主眼は、来年[2021年]から食肉産業でいわゆる請負契約が禁止されることだ。この一種の転移によって企業は責任を下請け業者に押しつけている。Heil は彼らを災いの「根源」と読んだ。コロナ禍でそれはいっそう明らかになった。

東欧や中東欧からの移民労働者をめぐる歪みはコロナ前からすでに議題になっていた。社会同盟や労働組合は何年も前から劣悪な宿舎、低い賃金、労働者の権利の無視を弾劾していた。そこにきてコロナ禍がこの国の経済の一部は東からの援助者なしには回らないことを明らかにした。生鮮食品産業、介護、建設、清掃業、造船業、そして自動車下請け業者の一部は東欧出身の低賃金で意欲的な労働者に割り当てられている。コロナのために国境が封鎖されて春が来たとき農場では収穫支援者を入国させる許可を文字通り乞い求めてまわった。「ドイツは部分的に移民労働者に依存している」とドイツ労働組合連盟のプロジェクトFaire MobilitätのリーダーのDominique Johnは言う。

最近では移民労働者の最大多数はルーマニア出身だ。2019年の前半だけで10万人以上のルーマニア人がドイツに来た。二番目はポーランドからで5万人以上だ。それに3万4千人でブルガリア人が続く。2014年の初めからルーマニアブルガリアの東バルカン両国はEU内の完全な自由交通が認められている。当時はとりわけ保守の政治家がドイツの福祉制度に人が殺到することを警戒していて、福祉ツアーが話題になっていた。

その推定は誤っていた。この2ヵ国からのハルツⅣ[失業保険]の受給者の割合は他のEU諸国の割合より高いわけではない。DGB[ドイツ労働組合総連盟]の職員のJohnは、ルーマニアからの移民のイメージが変わることを望んでいる。「人々は現実には仕事が必要なので来ているし、働きたい。それは在宅では十分な収入を得ることが難しいからです」と彼は言う。ルーマニアからの移民にはすべての社会階層の人がいる。多くの医者や看護師や、他の専門技能を身に着けた人々が自分の国を去っている。しかしはるかに多くの人が貧しい田舎の地方出身で簡単な仕事を探している。

 

ルーマニアには見通しがない数百万人

ルーマニアでは経済的な見通しが悪い。ルーマニアフリードリヒ・エーベルト財団の代表Juliane Schulteは「ルーマニアでは数百万人がその日暮らしをしています」と言う。ヨーロッパ統計機関Eurostatの出した数字によるとルーマニアの平均手取り所得は昨年は月に368ユーロだった。EU全28ヵ国の平均は月1666ユーロである。そのため多くの人がEUの他の国に行く。とくにイタリア、スペイン、ドイツ、ときにはイギリスまで。「外国への移住はルーマニアでは評判がいいです。一生懸命働き、生計を立てている人々です。それがルーマニアでできないのなら別のところにも行きます」とJuliane Schulte。

どれだけのルーマニア人が長期間または定期的に外国で働いているのかははっきりしていない。少なくとも300万人と言われ、500万人とも言われる。人口は1940万人なのでこれは国民人口の四分の一に相当する。「これはルーマニア社会の周辺現象ではありません。あまりにも多すぎます」とSchulteは言う。そして多くのルーマニア人が家で汚職縁故主義に不満を言いいながら、契約が遵守され法律が守られる正しきドイツを信じている。それだけに彼らはここドイツで彼らの身に不正が起こると、DGBのDominique Johnの報告のように、驚いた反応をする。その一例をVioleta Alexandruは今週初めに視察した。

彼女は自分の車でベルリンからドイツを横断し、ボンのBornheimにあるイチゴとアスパラの農場であるRitterに行った。農場は年の初め以来破産しており、管理人が経営を担当している。にもかかわらず収穫支援員はまだルーマニアから採用されている。Der Bonner General-Anzeigerは、約240人の収穫支援員がときに4、5人がひと部屋で浄水施設の隣の宿舎に収容されていると報じている。数日前から彼らは未払い賃金や低すぎる賃金、壊滅的な衛生状況や劣悪な食事に反対してデモをしている。150人の農場労働者がストライキに入った。そのえ秩序局が初めて宿舎を清掃させた。

東欧の季節労働者が勇気をもって労働や生活の状況に反抗することは稀である。今回のケースでは報われたようだ。Violeta Alexandruは現場でドイツ農家連盟の代表と、破産管理人とも、すべての未払い賃金が支払われることで合意した。さらに希望するすべての労働者は帰郷の旅費支援を受けることになった。また働きたい者は他の農場に移れる。しかしこの農場は経営上終了している。破産管理人は水曜日に収穫停止を決定した。

他の農場も訪れたAlexandru大臣は、そこで働く同郷人たちに困ったときは当局に問い合わせるように励ましたと述べた。しかし彼女は労働者の陥るジレンマを解消できなかった。それは解雇されるとルーマニア人はすぐにホームレスになる危険があることだ。食事と宿も雇用主から受けているからだ。コロナ禍において短期間の帰郷はいつもより困難だ。

(後略)

 

上の記事では東欧出身労働者の搾取がひどい業界は、生鮮食品産業、介護、建設、清掃業、造船業、そして自動車下請け業者の一部とある。いずれにしても社会に不可欠な仕事だ。他の西欧の国よりドイツで精肉が比較的安いのもこれらの労働者の現状の上に成り立っているのかもしれない。また、悪い労働環境は動物福祉への配慮にも影響するだろう。

 

以前の動物福祉や精肉ダンピングについてのブログ

記事紹介: Haltungsform ドイツの動物福祉の認証 - Ottimomusitaのブログ

 

 

とくに多くのルーマニアブルガリア出身の労働者が苦境に立たされていることについて。

EUではEU市民は移動も就労も自由なのだが、ドイツなどでは、国内の労働市場を守るために東欧の国にたいして一部規制をかけていた。しかし2014年からルーマニアブルガリアにたいしてその規制は撤廃され、2015年からはクロアチアの人も制限なしで行き来して働けるようになった。

2013年のこの介護業界についての論文では、

ブルガリア人とルーマニア人就労者の住み込みケア労働者としての就業の需要は減少するだろう。なぜなら自由な参入の承諾を得て、よりよい給料と整備された労働条件の見通しがあり、もはや魅力のない仕事に頼らなくてもいいからだ(Schmid 2010, 190)。

という2010年時点での予測が引用されていた。介護業界以外でもルーマニア人は2014年からはビザ無しで働ける。だからほんらいはドイツ人と同じ立場で働けるようになるはずだったのだが、建設業や食肉産業についてはこの予測は外れているようである。平等が実現しなかったのは、東欧の本国とドイツでの賃金格差、下請け雇用業者の手口などが要因だろうか。

 

以下の2017年11月27日のMDR(Der Mitteldeutsche Rundfunk 中部ドイツラジオ放送)の記事はとくに食肉産業での話。やはりルーマニアからの労働者について書かれている。ここでも繰り返されていることは、雇用は直接ではなく下請け業者を介していること、人員募集のための国際的な仕組みがあること、ひと部屋に数人詰め込んで家賃を天引きされること、労働組合などに相談する移民は少ないこと、などだ。

 

 

Osteuropäische Arbeitskräfte in der Fleischwirtschaft: Viel Arbeit, wenig Lohn

Stand: 27. November 2017, 13:56 Uhr

食肉産業での東欧労働者 多い仕事、少ない賃金

朝食でのハムのスライスやフライドポテト屋台でのカレー粉ソーセージなど、肉への渇望は大きい。ドイツ食肉連盟によるとドイツ人は一人あたり60㎏の肉を消費している[1ヶ月当たり?]。これはまず製造されなければいけない。10万人以上がドイツで加工する食肉産業にたずさわっており、その3分の1が東欧出身だ。

食肉処理場での労働は過酷だ。家畜に麻酔をかけて屠殺し、肉を細かく切り、腸を洗い流す。そしてこの骨の折れる仕事はたくさんある。WeißenfelserのTönnies社の食肉処理場だけで二交替勤務制で処理する豚は2万頭に達する。働いている全従業員1700人のうち約60~70%は東欧からの派遣労働者だと、食品外食業労働組合NGGは見積もっている。

 

最低賃金を守っているのはしばしば書類上でのみ

彼らは下請け業者を通じて求人されることが多く、下請け業者は東欧労働者と社会保険加入義務のある請負契約をして、最低賃金の時給8.75ユーロを約束する。しかしこの最低賃金は言葉の上でしかないことが多い。じっさいには明らかにそれを下回ると組合員のSzabolcs Sepsiは言う。それは超過勤務は記録されておらず残業代もなく、着替えと移動の時間は差し引かれているためだ。Sepsiは、ドルトムントの相談所「Faire Mobilität」で東欧出身の労働者の相談にのっている。彼に助言を求める人の中には、あちこちにドイツ最大の食肉処理場の拠点をもつTönnies者の従業員がよくいる。

 

「あらゆる面で騙された」

東欧の被雇用者は食肉産業での厳しい労働条件への批判を表立ってはほとんどしない。WeißenfelserにあるTönniesの工場のルーマニア人のある女性労働者は、下請け業者に「宿舎から食事から何から何まで書類全部が嘘で、騙された」と言っている。さらに長時間労働もある。彼らの労働日は10~12時間になることが多く、さらに土曜日にもう9~10時間追加で働く。

 

"家に帰って何か食べて風呂に入って寝る。朝は4時に始まることが多いので4、5時間寝てまた仕事に行く"

   ――匿名希望のWeißenfelsのTönnies工場の女性労働

 

Tönnies社は12時間働く日はないと言う

Weißenfelsの工場内の映像撮影を申請したがTönnies社は拒否した。労働者たちが言うような12時間にもなる勤務シフトはないとこの財閥は言う。書面での意見表明では、

 

"いいえ、個々人の労働時間が12時間にはなりません。労働時間についてよく誤解があります。いわゆる正味労働時間は、休憩規則や通勤時間を含めた仕事の準備時間を含めた会社での時間です"

      ――Tönnies財閥の意見表明

 

家賃は直に給料から引かれる

Constantin Aurelianもドイツでの仕事をずっと夢見てきた。南ルーマニアのCalarasi出身の非熟練である彼はFacebook上でノルトライン・ヴェストファーレン州の食肉処理場の下請け業者の求人に応募した。

彼の給料から家賃のための金がすぐに引かれると彼は言う。一つのアパートが250ユーロで、そこを他の7人の労働者と共有しなければいけなかった。たいていの東欧の人は一時的に滞在したいだけなのでそのような状況に耐えている。一方でAurelianはそのような搾取された条件に耐えられず辞職した。ドルトムントの相談所の「Faire Mobilität」で、下請け業者がまだ払っていない手取り800ユーロをどうしたらもらえるか相談にのってもらった。

 

たいていの人は不安のため声を上げない

相談所の労働組合員Szabolcs Sepsiは東欧の労働者のほんの一部しか自分の権利を主張していないことを知っている。たいていの人は訴訟などの手続きが何ヶ月も続くし職を失う不安があるので訴えたがらない。WeißenfelsにあるTönnies社の食肉処理場では彼らは月に額面で1500ユーロ稼げる。ルーマニア最低賃金に従って支払われた場合、彼らはそれの約5分の1しか得られないだろう。

 

 

 

 

記事紹介: ドイツ建設現場での東欧移民の搾取

フランクフルトはヨーロッパではかなり高層ビルが多く、よくビルの工事をしている。以下の記事では建設現場の外国人労働者の状況が解説されている。

外国人労働者労働組合を頼りにくいのではないかと推測していたが、やはりそういう傾向はあるようで、相談に来ても名前を言いたがらない移民労働者が紹介されている。

前回紹介した記事に、60年代からトルコ人移民労働者の相談支援をしてきたÜlkü Schneider-Gürkanさんが話していたが、フランクフルトの労働組合にも移民のための相談所があるようだ。また同業者団体の活動もある。

ドイツでは外国人の不法労働を取り締まるのは関税だが、小規模な建設現場にはほとんどチェックが行き届いていないらしい。

記事では、工事入札での問題、違法な労働条件で雇う手口などが説明されている。解決のために労働組合や同業者団体の活動、政治の動きがある。

Deutschlandfunk Kulturの2019年2月20日のLudger Fittkauによる寄稿記事。

 

Ausbeutung osteuropäischer Bauarbeiter - Viel Arbeit, wenig Sicherheit (Archiv)

 

Ausbeutung osteuropäischer Bauarbeiter

Viel Arbeit, wenig Sicherheit

 

 

東欧建設労働者の搾取

多い仕事、少ない保障

 

ライン川マイン川地帯の工事現場には東欧出身の建設労働者が賃金減額と社会保障不足に直面している。関税が監査することになっているが手が回っていない。協会は対策を講じたいと考えている。

 

Ludger Fittkau

 

フランクフルト駅の地区にある古い建築の修繕工事。それは駅裏の現在修理中の建物だ。間借り人はのちにここに引っ越すことになっていると18歳のMaslum Bicerは言う。彼は、80年間フランクフルトを拠点にしている塗装業者のDiemerlingで職業訓練3年目になる。彼はマイン川河岸からそう遠くないこの建物で合計約3年間働くことになると見積もっている。

 

「ええ、まったく。私は、古いものを新しくできるこの仕事が好きです。こういった建物にはよくあることですが下塗りは完全にダメになっています。たとえばここにも3層重ねで水性ペンキが塗られた部屋がありました。それを私たちは完全に削って剥がさなけれなりませんし時間がかかります。こういうことがあるのは古い建物だけです」

 

Maslum Bicerのいる塗装チームは25人いて、非常に国際的なメンバーだ。彼の上司のFelix Diemerlingもそれは認めている。

 

「私たちのところでは変わったふうに混ざり合っています。ドイツ人の従業員もいますし、トルコの背景をもつ従業員、ブルガリアルーマニア出身の従業員もいます。私たちのところで社会保険加入義務ありで働いている人はみなとても優秀で働き者の手工業者です。すべて問題なしです」

 

従業員が社会保険加入義務ありで働いていることを、Felix Diemerlingがとくべつ強調するのには理由がある。彼はライン・マインの塗装上塗業団体の代表でもあるのだ。この手工業者団体は数週間前に「Initiative Faires Handwerk」を始めた。それによってこの分野での社会福祉が保障された公正な労働条件が完遂されることになっている。この塗装業者団体はとくに地域の工事現場での賃金引き下げや不法労働を防止する。

 

「私たちにはこの2つの重要事項がありますが、どちらもつまるところは、市場参入者が意図的にルールをかいくぐっているために健全な市場価格をもてないことにつながっています。根本的には下請けの下請け業者という連なりであり、その末端にみなし自営業者とされるじっさいには権利のない日雇労働者がいます。被雇用者の権利をすり抜けるためにみなし自営業者にされるわけです。傷病時にも払われる継続賃金をはじめ、労災保険最低賃金を守った給料、などなどです。そしてもちろんこれらすべてのルールがすり抜けられれば真面目な企業は競り合うことはできません。市場価格がまともでなくなるからです」

 

国際詐欺の仕組み

100mちょっと西への場所移動。ドイツ労働組合連盟の建物もマイン河岸から近いフランクフルト駅地区にある。この建物の一階には相談所「Faire Mobilität」が入っている。ここではとくにルーマニアブルガリア出身の移民労働者が相談に来る。彼らはライン・マイン地区の工事現場で賃金について騙された感じたり、集合宿舎への収容で搾取されていると感じている。

 

相談所には今日は2人のルーマニア人が来た。彼らは名前を言いたがらない。Michael Baumgartenはアドバイザーのひとりでルーマニア語を話す。彼が2人の話すことを訳した。

 

「彼らはセルビア人が管理する仕組みで働いています。彼らは1日10時間のルール内で働きます。そして50:50ルール適用された不法労働の仕組みの中で労働します。これはつまり、給料の一部は給与明細に記載されて公式に口座に支払われるが、他の一部は隠れて支払われるということです。そのため彼らは週に55時間働いても、年金受給資格がなく、継続賃金もなく、休暇も取れなくなります」

 

にもかかわらず南東ヨーロッパ出身の多くの建設労働者はこれらの不法労働の不利な地位に甘んじている。それは故郷でレンガ積みや木工、型枠工事や鉄筋工事で働くよりも常に差し引き2倍以上稼げるからだ。しかし彼らの給料の一部はすぐにフランクフルトの高すぎる家賃のために取り上げられるとルーマニア人の工事人のうちの一人が話す。

 

「彼らは宿舎に不満があります。彼らは300ユーロ払ってベッドが4つある一部屋に入っており、これは本当にきつい環境です」

 

この地域の塗装業者団体のFelix Diemerlingは移民労働者が述べるこのような状況を知っています。

 

「ええ、これは私たちが今動かなければいけないと言ったそもそもの発端でもあります。たとえば2013年にフランクフルトの解体工事現場で労働者がゴミ箱用の小屋で寝泊まりしているという状況で、その写真もありました。当時私はそれにショックを受けました。そしてドイツのような豊かな国にとって一つの恥でもあります。それは今は確かに強烈な事例ですが、起きてはならないことでもあります。もっと頻繁にあるのは、小さいアパートを借りて2つ部屋がある住居に10~15人を収容するケースです。たいてい彼らはそれでもかなり高い家賃を払わないといけないので、それだけお金ができます。もちろんこれは非人間的な状況です」

 

年金は少なく傷病・休暇手当はない

彼らはここドイツでこれほど搾取されるとは想像できなかったと2人のルーマニア人は労働組合の部屋で話す。彼らの賃金の一部が非合法にしか支払われないことで、彼らは年金受給を失う。もらえるはずの傷病や休暇の手当も受け取れない。下請け業者が活動しているドイツの工事現場では、ルーマニア人だけがこの経験をしているわけではない。Ivan Ivanow は自身がブルガリアにルーツをもつのでここでとくにブルガリアの移民労働者の相談を受けている。

 

「どんな方法であれ、人々が搾取されています。東欧出身の被雇用者を抱えてきちんと給料を払わず、きちんと申告をしないこれら多くの建設会社は、できるだけ素早くこれらの人々を犠牲に大きな利益を上げたいと思ってそうしています。またしばしばこの人々は正当な給料をもらえないこともよくあります。給料の一部をもらえないか、まったくもらえないことがあります」

 

建設労働者へのこの組織的な詐欺は国際的に計画されている。2人のルーマニア人が働いている会社はセルビア人が管理している。相談所職員のMichael Baumgartenはこの業界を支配する犯罪の活動力について話す。

 

「何人かの業界の大人物やその名前が知られています。また今や非常に大きくなった会社も知られています。しかしいくらでも新しい会社が現れます。組織犯罪にはある種の一致があり、それによって情報が交わされることで枠組みとなる条件の変化に対応しているということが分かります。もし今たとえば関税の取り締まりが増えたとしたら、人々が本当に100%違法に働くことはもっと稀になるであろうことも分かります。しかし私たちがここで聞いたような雇用契約は結ばれています」

 

 

規則は守られるべきだと大臣は考える

30kmほど西。ヴィースバーデンの城館。この19世紀前半の建物には、現在、ヘッセン州議会の場がある。Lucia Puttrichはこの古い美しい議会広間でインタビューを行なった。このCDU政治家はヘッセン州の欧州情勢担当大臣で長年不法労働や建設での他の違法な計画の問題に携わってきました。また自身の見解からもだ。というのもLucia Puttrichは塗装業者の家庭出身で彼女も長い間親の会社で働いていた。ここで低賃金労働者として搾取される東欧の手工業者の労働力が、母国での経済的・社会的な日常には不足している、とインタビューで彼女は述べている。

 

「ええ、私は社会という側面から目を逸らしてはいけないと思いますし、そこで明らかなことは、どの国家もまず最初に自分のところで経済的にうまく運ぶようにすることに責任があります。そしてそれにもかかわらずEUは連帯共同体でもあります。ある者が他の者を犠牲にして成功しているという印象が生じたなら、そのような共同体はうまく働きません。たとえば東欧諸国からそれらの本国では不足している専門的人材が私たちのところに来た場合に、私たちは特別大きな課題を抱えることになります。その限りでは私たちはすべての国で生活条件を同じようにしてある国が他の国を犠牲にして生きないようにすることに関心をもたなければいけません」

 

Lucia Puttrichは、建設現場には不法労働を阻止したり被雇用者の権利を認めさせるための国の監査が少なすぎるという労働組合や手工業者団体の苦情を知っています。建設現場の公的監査は関税の管轄です。一方でヘッセン州の欧州担当大臣の管轄ではなく、連邦財政大臣の管轄です。しかし、

 

「規則がある以上それは遵守されなければいけません。そうでなければ法治国家あるいは法治共同体は信用に足らないものになります。なのでそのためには規則があるなら取り締まりも必要です」

 

関税の取り締まり: めったにないか、まったくない

不法労働や、国庫と社会保障財政における詐欺と戦うドイツの建設現場への関税の取り締まりは通常は労働者に対抗しているわけではありません、とMichael Baumgartenは強調する。彼はフランクフルトのDGBビルの相談所「Faire Mobilität」の職員だ。

 

「この場合、関税は捜査機関です。さいわい関税がそう規定されているので、被雇用者は基本的に雇用者のようには責任を問われる立場にないと関税は言っています。というのも社会保障を実施して税金を払わなければいけないのは雇用者だからです。したがってこの人々が自分で自分を有罪にしたり、そのために恐れたりするの本当は問題ではありません。雇用者と被雇用者の取り決めが今本当に立証された場合は別ですが」

 

フランクフルトの彼の建設現場では塗装業者のFelix Diemerlingが彼の関税局との経験を説明しています。ちょうど駅裏の地区の建設現場のような小規模なところは事実上一度も取り締まりされておらず、関税は大規模な現場に限定しているとDiemerlingは話す。

 

「まずひとつには人員が少なすぎることが原因だと思います。予定した役職はあってもすべてが埋められるわけではありません。政策はいつでも大量の役職があるかのように行いますが、書類上だけです。それから同僚が私に関税について言っていたことですが、彼らもまた官僚制に強く組み込まれています。彼らは1日は外に出て、3,4日は書類仕事をします。本来はまちがいなくもっと近くに来ないといけません」

 

建設労働者は国家に義務があると考えている

ライン・マイン塗装業者団体の意見によると、政治はEU規模での大きな公共建設現場への入札にももっと取りかからないといけない。ここではたいてい建設業の一番低賃金の労働力提供業者が雇われるとFelix Diemerling:は批判します。

 

(中略)

 

塗装業者Felix Diemerlingは、ドイツやEU公共工事の入札でも労働協約が遵守するためにEU外の国々で倣うべき例を挙げています。

 

「まったく単純な解決策もあります。たとえばカナダでは、入札時に単に二番目に安いものを採用しています。これでまったく異なる計算圧力が生じます。スイスでは少し複雑な手続きがあり、中央価格が設定されそれに近い業者が受注します。簡単な解決策もあるのです。私の印象では政治の中でまったくこれを議題化するのに至っていないのでしょう」

 

(中略)

ドイツ全体のイニシアティブへの関心

Felix Diemerlingはそういったことを嬉しく聞いている。彼は、ちょうど今始まったライン・マイン塗装上塗業団体の「Initiative Faires Handwerk」が地域を越えて大きな関心を引いていることについても嬉しく思っている。

 

「今ほんとうに驚いているのは、ドイツ全体でそれに関心があることです。この活動はニュースレターを通じて私たちの連邦協会が送りました。ほんとうに国中から問い合わせがあります。ザールラント州協会、カイザースラウテルンから、バーデン・ヴュルテンベルクから。昨日私にバーデン・ヴュルテンベルクから漆喰業団体から連絡があり、今彼らと集まります。彼らも参加するかもしれません。これはとても喜ばしい発展です」

 

「私たちはこの関心に満足しており、それが継続されることを望んでいます。そして何らかの形の規制があることを願っています」

 

 

 

記事紹介: 労働組合とトルコ人移民労働者

しばらくドイツの労働組合の現状と、外国人労働者の搾取について調べていきたいと思う。まず労働組合のIGメタルでトルコ人労働者の支援をしてきたÜlkü Schneider-Gürkanさんへのインタビュー記事を紹介する。

 

 

Gewerkschafterin Ülkü Schneider-Gürkan „Die Gewerkschaft hat sich mit ausländischen Arbeitnehmern solidarisiert“

 

2020年9月24日
労働組合員のÜlkü Schneider-GürkanへのStephan Detjenによるインタビュー。

 

労働組合外国人被雇用者と連帯してきた」


Ülkü Schneider-Gürkanは1956年にトルコからドイツに来た。1961年の[トルコとの外国人労働者の]募集協定のあと、彼女は初めは労働者福祉協会[Arbeiterwohlfahrt: AWO]で、のちにはIGメタルで、いわゆるガストアルバイター[外国人労働者]を支援し始めた。それをふり返って、この人々は異なる文化をもっていても彼らのありようを受け入れらればければいけないと、彼女は強調して述べている。

「Ülkü アルバ」と彼女は敬意を込めて呼ばれる。お姉さん、と。ドイツに足場を築くのを彼女が数年にわたり助けてきた人々みんなからそう呼ばれている。Ülkü Schneider-Gürkanは1956年にドイツに来た。本当はドイツ語を習得し歯科医学を学ぶためだった。当時大学にはトルコ人の学生は全学部を合わせて8人しかいなかった。彼女の両親は教育に非常に重きをおいていて、彼女が女の子として平等な機会を得られるよう望んでいた。しかしÜlkü Schneider-Gürkanはフランクフルトの学生界隈にきっかけを得て政治学を専攻した。1961年の募集協定のあと、彼女は「ガストアルバイター」としてドイツに来た人々をはじめは労働者福祉協会で、のちにはIGメタルで、いわゆるガストアルバイター[外国人労働者]を支援し始めた。彼女もいつかはトルコに帰ると思っていたが、留まった。

 

彼女の両親は教育行政に携わる官僚だった。彼女の子ども時代、トルコは西欧を手本にして世俗化と民主化を進めるケマル主義が隆盛していた。しかし、リベラルエリートがいる都市と地方の農村の格差は大きく、ケマル主義は価値をもたらさなかったと彼女はふり返る。

 

Schneider-Gürkan: (前略)私たちは家でとてもよく読書しました。私たちは開かれた家庭で、父がいて…、1940年代のHasan Ali Yücelというとても進歩的な文化大臣がいました。そしてその政務次官はスイスで博士号をとった教育学者でした。そして私の父はそれらの一員で、トルコに村の学校を建てています。父はよく私をそれらの村に連れていきました。当時はそんな風には考えませんでしたが、今家にいるとそれは官僚だったと思いました。彼らは出向いて村で土地を探しました。その土地は大地主や貧しい農民のものだったでしょう。彼らはここに学校を建てると言い、学校が建つと村の住民は協力しなければならず子どもを学校に送らなければなりませんでした。


彼女は歯科医師になるため父の勧めでドイツに渡り、そこで初めてトルコ人一般大衆を知ったという。大学の教授や学生がとても保守的だと気づいた。

 

Schneider-Gürkan: (前略)そして当時はそのグループで自分が唯一のトルコ人女性だと自覚していませんでした。私を受け持ったある教授が、私はGürkanで小さいのでGürkchenと呼んでいました。当時はそれに気づいていなかったのです。本当に。そして彼は私を受け持つのが好きでしたが、いつも私にドイツ人は十字軍に参加したと言いました。君の目が青くて金髪なのはきっと君の家系にドイツ人がいるからだと。彼らは親しげに私たちと話してはいましたが、そんな調子でした。そして学生も同じくらい反動的でした。(後略)

 

そしてフランクフルトで左派の学生と交流し、医学ではなく政治学に進み、労働組合IGメタルで通訳の仕事を始めたという。

 

Schneider-Gürkan: はい、私は(Frank) Deppeらとも知り合いで、私も、みんなもマールブルクに通っていました。だからじっさいアドルノよりもAbendrothに影響を受けています。


Detjen: それから60年代の初め、トルコ人の労働移民が来ました。当時のガストアルバイターですね。1961年はドイツとトルコの採用協定[雇用双務協定]の年です。

 

人生をかけた主題「ガストアルバイター

Schneider-Gürkan: (前略)労働者福祉協会[AWO]はトルコ人被雇用者の担当を引き継ぎ、5つの事務所を開設しました。私はそこで働き始めました。しかしは私は大きな大きな困難を抱えました。私は事務所に座って人々が来て私に何か話をしました。私は私がゴチャゴチャ言い始めたと思います。私の同郷人はいつも抑圧されているので、彼らが正しいときでも彼らの考えでより良さそうなシナリオを頭に描くと、私はいつしか気がつきました。いつしか理解して、私もある時から非常に権威主義的になりました。

Schneider-Gürkan: 62、63年に本当にたくさんの人が大都市から来ました。イスタンブールアンカライズミールなど、ある程度産業化したところからです。そしてトルコ人と関わるドイツ人は、今もですが、間違って彼らが農民だと言っています。それは間違いで、多くは職業訓練校を出ている電気技師や大工などです。トルコ人の被雇用者を登録しているドイツの調停事務所もありました。それから初めはすべてを監査していたドイツの事務所がありました。しかしこれはたとえばチョコレート工場のSarottiにもありました。そしてオッフェンバッハの多くの革製品工場やMädler社などもありました。そこにはイスタンブールアンカラや大都市出身の多くの離婚したトルコ人女性がいて、高校卒業資格ももっていました。


Detjen: それは興味深いですね。今ではたくさんある労働移民を題材にした歴史についての本を読んでも、ドイツ人のトルコ人被雇用者についてのイメージは当初はその後に大きくなったものとは異なっていたということに気づきますから。


Schneider-Gürkan: はい。そして、彼らはトルコでじっさい何とかして1960年以後のこの民主化の過程がいくらか始まっていたときに、労働組合や労働者政党などとつながりをもっていました。進歩的な労働者も多くいました。それで1964年に民族の家を設立しました。それは人々みんなでした。


Detjen: 民族の家について簡潔に説明してもらえますか。それはあなたがここフランクフルトで共同設立した協会ですね。


Schneider-Gürkan: それは民族形成のようなもので、Halkevleriと言います。ケマル主義時代にドイツ語コースや演劇、民族伝承、文学などの成人教育がありました。そしてそれはこの人々ともできました。


Detjen: そしてトルコ人の被雇用者層での政治活動も始まったのですね。私もこのインタビューの準備として読んで学んだばかりですが、かなり初期のストライキであるいわゆるトルコ人ストライキが初めは小規模に、のちに70年代にケルンのフォード社での大規模なストライキがありました。被雇用者のこの政治活動化がどのように起きて、このストライキでどんな議題が提起されたのかを一度話していただけますか。


Schneider-Gürkan: 当然彼らはとても劣悪な状態の住居に住んでいました。女性たちはMädler社で働き、オッフェンバッハに住んでいました。Mädler社は1つの家を借り、一部屋に4つのベッドがあって、…


Detjen: 階層ベッドですね。


Schneider-Gürkan: 階層ベッド、そうです、しかも一つの大部屋に8人が住んでいました。会社は一人当たり50マルクを徴収しました。そして紅茶かコーヒーを入れるときは50ペニー投じないといけませんでした。シャワーも50ペニーです。彼らは不満を言いました。そして私は労働者協会にいて、彼女らと知り合いました。私は彼女らにオッフェンバッハの住居局に行って苦情を言おうと言いました。私たちが行くと年かさの男が座っていました。私はここで行われていることは搾取だと言いました。もしあなたが50マルク以上払ったら個室が手に入るはずなのに不公平だ、と。彼は私に、いいや、あなたの同郷人は個室は貰えないと言います。なぜ、と聞くと、彼らはニンニクを食べるし地面に唾を吐くと彼は言いました。そして私は跳びかかって男の上着の襟を掴んで、このファシスト、何でこんなことができるんだと叫びました。私が叫ぶと、建物の扉の前に人がみんな集まって、その男は震えてドイツ人のソーシャルワーカーの女性はいなくなりました。オッフェンバッハの秩序局の局長が来て、何を要求しているのかと聞いて私をなだめました。その男は謝り、当時のビルト紙にもそのことが載りました。もちろん、人々は苦情を言い、そのあと彼らと協会を設立しました。そして労働者福祉協会も、私たちが試してみると、彼ら全員が組合員になりました。そして彼らは組合活動でも活発でした。

 

「IGメタルとても進歩的な労働組合だった」

Detjen: 被雇用者層はそのようで、労働組合ではどうだったのでしょう。あらゆる集団を超えた連帯はありましたか、つまり、ここの出身のドイツ人被雇用者とトルコや他の国から来た人の間には。もしくは分断していましたか、反対や利益の対立や争いはありましたか。


Schneider-Gürkan: そうですね。IGメタルとても進歩的な労働組合でした。たとえば彼らは事業所組織法(Betriebsverfassungsgesetz)を平等に変更し、彼らも選出されることができた。組合運動では彼らは差別されず、たとえば誰かがトイレに外国人に反対することを書いたときも、メタル-雇用者連盟とIGメタルはいっしょに冊子でそれを批判したことなどを知っています。それは当時...組合、IGメタルは外国人労働者との連帯を示しました。 そして、正直なところ、私は後に進歩的な労働者グループとだけ仕事をしていました。


ドイツでのトルコ人の生活

Detjen: ドイツへの労働移民の話の非常に本質的なことは、人々はこの国に2年滞在してまた戻り新しい人が来るという前提で迎えられているのだという認識です。いつからか私たちは彼らが帰らず家族を呼び寄せてここに留まることを知りました。あなたはこの過程をどう見聞きして知りましたか。あなたには初めから明らかでしたか。意識や認識の変化にどんな印象をもちましたか。それをどう経験しましたか。


Schneider-Gürkan: 私も、私自身が帰ると思っていました。もちろん政治的な歴史などのためです。1971年に軍事クーデターがあり、1992年まで私のパスポートは処分され私は帰れませんでした。被雇用者の場合も…、しかし一部はそれでも帰りました。本当に、トルコに関わっていかないといけないという意見で帰った人もいます。それは進歩的な人々です。またある人は十分お金は稼いだと行って帰りました。しかし彼らがここに妻子を連れてき始めたとき彼らは帰らないと私たちは気づきました。それからいつしか私たちは労働移民は帰らないことを理解しました。


Detjen: DuisburgのMarxlohや、ケルンのEhrenfeldなど、主にトルコ人住人で特徴づけられたトルコ人コミュニティや周辺街、トルコ人区画が出現しました。


Schneider-Gürkan: それは違ったようになりえたかもしれません。


「私たちは平和に隣り合って生きていません」

Detjen: まさにそうです。これはこんにち私たちがふり返えるならば、実際には何が起きたのか、それは避けられなかったのでしょうか、何が違ったようにできたでしょうか、という問いです。


Schneider-Gürkan: 統合で何が理解できるでしょうか。これが問題です。それは平和に共存することでしょうか。それは違います。私たちは平和に隣り合って生きていません。少なくとも今は。ドイツ人は統合で何を理解しているでしょうか。


Detjen: あなたは統合で何を理解しますか。この用語についてはすでに議論されています。


Schneider-Gürkan: 私は統合で、私の文化と私が人間として受け入れられていること、自分に合ったように生きていることを理解しています。ドイツ人の規則に従わずにどのようにふるまうべきか、ふるまわないべきか。私はたとえば隣人ととても良い関係をもっています。それは彼らがみな洗練された人々だからです。6ヶ月間彼らはいつもドアベルを鳴らし、私に必要なものはないかなどを尋ねました。でも私はドイツ語を話し、私は手伝い、彼らも助けてくれます。しかしそのような可能性は私の同郷人には決してありません。たとえば、こんにちでも多くの高齢のドイツ人女性は、トルコ人家族が彼女らを助けているから彼らと良い関係を築いていると知っています。私は自分の人生でフェミニストだったことはありません。つまり政治運動ではいつも組合で男たちと仕事してきました。そして70年代にドイツでフェミニズムが盛んだったころ、私は大学にいてゼミに入っていました。そこに多くのソーシャルワーカーや女性教師などがいました。彼女らは、外国人女性とともに、とくにトルコ出身の女性と仕事をしたことを話しました。彼女らが言うのは私のことだけなのです。私のトルコ人女性たちです。つまり、この簒奪ですね、なので…。彼女らはいつも、そうです、トルコ人女性を解放したがっていたんです。どうして彼らが解放されうるでしょうか。50、60軒の村から来て、人生で一度も大都市を見たことがない人々が飛行機に乗って2時間半で高度に産業化した国に着いたのです。彼らは言語ができず、働いて子どもを学校にやり、買い物をしなければなりません。多くの人は…。彼らはおそらく学校に行ったでしょう。年を取って1、2年学校に行っても何も読んでいませんし、ほとんどは読み書きはできません。彼らがどうやって解放できるでしょうか。


Detjen: それに対するあなたの答えはどうですか。


Schneider-Gürkan: 待ってください、私は彼らのところに行って彼らは殴られたと言います。女性を殴るドイツ人労働者が多くいるのは知っています、ええ。それはトルコ人女性ではありませんし彼女らはとてもよく解放されていて自分の望むことを知っています。そしてそのため、男は彼女らの面倒を見る必要はありません。労働者福祉協会も、私は1971年に辞めました。いつしかそれは役には立たないと気づいたのです。ここには数百万人がいて数百万の問題を抱えています。私が助けられれるのは100人くらいでしょう。その他の人はどうなりますか。


Detjen: しかしそれは答えになるでしょうか。こんにち私たちの前にある問題は、ドイツの政治、つまりマジョリティ社会には何があったか、何か違ったふうにできなかったのか、歴史が違った道をたどることができたいわゆる分岐点はどこなのか、という問いです。


「60年代のドイツはそれほど横柄ではなかった」


Schneider-Gürkan: ドイツ社会は彼らも人間であることを受け入れなければいけません。彼らは違った文化をもっていますが人間です。彼らは矯正されなくていいし、ありようを受け入れられなければいけません。


Detjen: それをどこに設定しますか。あなたはさきほど私たちは平和に共生していないと言いました。AfD以降は、とおっしゃいました。異集団がともに成長するのが、いわば、失敗したことの本当の始まりはもっと遡る必要はありませんか。私が今見つけたのは、1972年のドイツでの雇い止めで、そこでトルコからの計画的な労働力の輸入が止まりました。今年、ある新聞記事がありました。AfDの話ではありません。ツァイト紙です。週間新聞のDie Zeitは1973年4月にある記事で「ニガー、苦力、それともドイツの同胞?私たちの一番の社会問題はガストアルバイター」という見出しをつけました。「万国のプロレタリアは」とその記事に書いてあります。「ドイツ連邦の地で団結する。私たちの受け入れ能力は無限ではない。私たちは外国人就労者を流入を制限しなければならない」。1973年のツァイト紙と同年の1973年7月のシュピーゲル紙は「トルコ人が来る。可能な者は自助せよ」です。


Schneider-Gürkan: しかし、ご存知ですか、私は多くの若いプロテスタント牧師と知り合いでしたが、彼らは私にルターの格言を送ってきました。トルコ人への敵視で始まるところです。しかし60年代にはドイツ人は、戦争に負けたあと、それほど横柄ではありませんでした。進歩的なドイツ、学生運動労働組合運動などなどもありました。そこで他の国々からの被雇用者が受容されて、これも知っておかないといけませんが、これが被雇用者で、たとえばスペイン人は大部分が反ファシストです。彼らは政治的な経験も豊富です。ギリシャ人もポルトガル人もです。私たちは労働組合や多くの政治活動の団体でいっしょに活動しましたが、もっと進められたはずです。しかしドイツ社会も違った発展をしました。これらの昔のドイツの左翼は今どこにいるのでしょう。私たちは数年前に一度フランクフルトでイベントをして、ベルリンの外国人委員の女性を迎えました。彼らは彼女をトルコ人の母と呼びました。「移民の日向と影」と銘打って。陽のあたる場所に来れた人もいますが、そこではトルコ政府もドイツの公的機関も何もしませんでした。

(後略)


このあと人種差別を背景としたさまざまなドイツの事件の話や、若い世代のトルコ人が政治やメディアに出て発言できるようになったことなどが語られる。

 

移民は雇い主に就労ビザを出してもらっているので、同国民の労働者よりさらに立場が弱い。そのため悪い労働条件に置かれやすい。労働組合は不当解雇されたときの裁判費用や失業手当を出してくれることがあるが、移民に在留資格のサポートまでしてくれるのだろうか。そもそもその国にいられなくなったら支援も意味をなさない。おそらく外国人労働者労働組合の加入率自体あまり高くないのではないか。

そのあたりに興味があるので引き続き労働組合と移民労働者の搾取について調べていきたい。

 

 

 

シュパイアーの地下墓地


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休暇でシュパイアーに行った。シュパイアーはドイツ南西部、ライン川の畔の街で、ここにもマインツのような大きな聖堂がある。

シュパイアー大聖堂は建造された当時はヨーロッパ最大級だった。神聖ローマ帝国の皇帝、コンラート2世が自分の廟堂とするために建築を命じた教会で、彼とその親族の墓がある。コンラート2世の孫で、カノッサの屈辱で有名なハインリヒ4世もここに遺骸があった。その大聖堂とお墓が見たかったのだ。

その日、帰省していた妻の実家のカイザースラウテルンから妻の運転でシュパイアーへと向かった。

ラインラント地方はどこもワインの産地だが、とくにSüdliche Weinstraße郡は名の通りのワイン街道で、見渡すかぎりブドウ畑が広がっている。Rödesheimでもブドウ畑は見ていたがここまで広くはなかった。f:id:Ottimomusita:20210825230959j:image

歩いて横断したら何時間かかるだろう。その途中で落とし物なんかしたら二度と見つからないだろうな。じっさいそんな誰かの落とし物がこのブドウ畑のどこかに眠っているのかもしれない。そんなことを考えながら眺めていた。

妻は運転が上手い。かなり飛ばすのがぼくは怖いけどドイツではふつうだ。周りの車の運転を評してしょっちゅう罵倒しながら運転する。ドイツ語の罵倒語をそれでひと通り覚えたほどだ。この日は渋滞が多くてよけい気が立っていたようで語彙もいっそう豊富だった。


Idiot!, Dumm!, Dumme Kuh!バカ Debb!, Trottel! とんま Arschloch!, Arsch! クソ野郎 Du spaßt! ふざけてんの Alter Schalter! なんてこったPalim palim ??

などなど…


これらはほんの一部で、ほかにもまだたくさんあるんだけど書ききれない。辞書に載っていない言葉もあるし、響きが面白いから敢えて調べない言葉もある。ドイツ語の罵倒語は多様だと思う。他の外国語でもそうだろう。日本語には少ない気がする。方言や昔の言葉だと色んな言い回しがあるけど減ってきたのかな。僕がシャバ僧だから知らないだけか。


しばらく車を走らせると渋滞の原因が発覚した。隊列を組んでゆっくり進んでいる白い働く車たち。バイエルン赤十字だ。赤い十字マークには今どき中心のすぼった鉄十字マークもあった。まだバイエルン州までは来ていないが、なぜ? そう思っていると妻が教えてくれる。

「たぶん洪水だよ」

この夏、ライン川が氾濫し広範囲に被害が出た。バイエルン州からも救援に出動していたのだろう。


シュパイアーに着くとさっそく大聖堂の2つの塔が見えた。技術博物館、水族館、骨董品博物館も徒歩圏内にある。車を停めて、さあ教会へと思ったが、

「先に水族館でしょ。そのために予約したって話したじゃない」

妻にたしなめられる。感染症対策で、まだ予約制で時間を決めてしか入場できないのだ。

技術博物館の飛行機の実物展示が館外に並んでいる。「行ってみたい?」と聞かれ「興味ない」と、外から写真だけ撮る。

 

ライン川の方へ歩くと野原に水が溜まっていて環境保護局がポンプでそれを汲み出している。あたり一帯にドブの匂いが漂っている。ここも被害は小さいながら氾濫していたらしい。


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水族館は子ども連れで盛況だった。展示のしかたに遊び心がある。地域の淡水魚が興味深かった。


f:id:Ottimomusita:20210825231523j:imagef:id:Ottimomusita:20210825232002j:imagef:id:Ottimomusita:20210825232041j:imagef:id:Ottimomusita:20210825232906j:image

街の裏から大聖堂に向かうと、街の壁の名残がある。聖堂の中は写真のアップロード禁止だ。地下墓地にはぼくだけが入る。妻はもうお腹が空いたらしく、外で待ってもらう。地下は暗くて涼しくて黴臭い。少し寒いくらいだ。

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(ああ、ここに埋葬されていたのか…)

さいきん歴史ドキュメンタリーや本であれこれ学んでいたので、死の匂いのする地下墓地には感慨深いものがあった。とはいえ地下は石棺以外とくに何もない。棺の中身も博物館に移されている。説明をざっと読んで2周して明るい外に出た。


大聖堂前の広場に面したレストランで昼食をとった。ぼくは鱸のグリルを食べた。広場の中央にはかつて民衆にワインを饗した大聖堂の鉢がある。外国人は少ないが、観光客もちらほら。コロナがなければもっと賑わっているだろう。

食事を終えた客が一人、バッグを椅子に忘れたまま自転車に乗る準備をしている。それを見つけたウェイターがバッグを手に追いかけて、

「ちょっとお兄さん!爆弾!爆弾忘れてるよ!」

そんな冗談が出てくるのも、人の出入りが多い行楽地として多少治安について緊張感があるからかもしれない。

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食後はゆっくり旧市街を見て回る。大通りを突き当たりまで行くと街の古い正面門と、さっきとは反対側の壁の名残りがある。壁伝いに入っていくと大聖堂の他にもいくつも教会があった。細い道は人が少なくてのどかだ。


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シナゴーグを見たあと、偶然ヘルムート・コールの墓を見つけた。かなり新しい教会があってその横にアデナウアー公園というのがあり、そこにコールの墓がある。前の前のドイツの首相で、前のCDU党首だ。評判が上下した人だが再統一時のドイツ首相として有名だ。もうすぐメルケルも辞めるし次は誰になるんだろう。


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さらに細い道を行って大聖堂まで戻り、水を買って、また駐車場に来た。技術博物館でトイレだけ借りた。

「今度来たらここ見ようね」と妻が言う。

「うーん」と生返事をしていると、

「あなたが見たいところばっかりじゃない」

どうやら技術博物館が見たかったらしい。彼女はふだんは何でもはっきり物を言うがぼくには優しいので、遠慮したのか言わなかったようだ。ぜんぜん気づかなかったのでちょっと反省した。そう言えば彼女は、学部までは技術系の学科だったし海外好きで飛行機も好きだから興味があったんだなとあとから気づいた。

次はここに入ろうと約束し、車に戻った。駐車場の前にも昔の軍の飛行機が置かれている。

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「あんな大きい鉄の塊が飛ぶんだよ。すごいと思わない?」と妻。

まあね。