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記事紹介:「第四波」フェミニズム│アバズレかプリンセスか

前回フェミニズムの第二波と第三波のあいだでの論争についての記事を紹介したが、「第四波」フェミニズムについての記事を見つけた。とは言え、非西欧での女性差別をめぐる議論に進展があるわけではない。アリス・シュヴァルツァーの写真も載っているけど第二波フェミニストの例として挙がっているだけだ。

 

https://www.tagesspiegel.de/weltspiegel/vierte-welle-des-feminismus-schlampe-oder-prinzessin-duerfen-frauen-andere-frauen-kritisieren/7864502.html

2013年3月4日のADELHEID MÜLLER-LISSNERによる記事

 

"Vierte Welle" des Feminismus
Schlampe oder Prinzessin: Dürfen Frauen andere Frauen kritisieren?
「第四波」フェミニズム
ふしだらな女かプリンセスか 女が他の女を批判してもよいか


f:id:Ottimomusita:20181109185726j:image

フェミニスト作家のHilary Mantelによるキャサリンケンブリッジ公爵夫人への批判は女性運動の中で議論を呼んだ。フェミニズムの「第四波」は、たとえ伝統的なフェミニズムの構想から逸れていても女性が人生設計を自由に選べることを要求する。

論調は激しかった。反論もまた激しかった。イギリスの有望な著述家でフェミニストのHilary Mantelがイギリスの博物館で演説をした。キャサリン・マウントバッテン-ウィンザーケンブリッジ公爵夫人が彼女の辛辣な批判の矛先にあった。Mantelはケイト[キャサリンのこと]を「ショーウィンドウのお人形」と呼び、「固有の人格」がないとした。「さながらケイトは妃の役割のために選ばれたかのようだ。それだけ彼女は非のうちどころがなく、男が望む限りひどく細くて、不満や奇妙なところがない。つまり彼女の人格が目立つ危険がない。」とMantelは言った。

筆者の出版社のスポークスマンは、講演は王制へのフェミニズムの批判と考えられていると述べた。

たちまち叫び声が起こった。しかし昔ながらの条件反射で王制の存続を心配するブールヴァールプレスの反応は興味深いものではなく、リベラルでフェミニズム的なグループでの議論は興味深かった。そこで中心となった問題は、女性が自分で人生設計を選んだときに別の女性がそれを批判していいのかという問いである。また、一人の他の女性の人格を否認できるのか、していいのかという問いも立てられた。

『ガーディアン』誌のコラムニストHadly Freemanは、「第四波」のフェミニストたちは他の女性の人生設計を値踏みしたり低く評価したりすることを克服していると書いた。

 

(中略。フェミニズムの第三波、二、一波について簡単な説明が入る。)

 

2018年にドイツは女性の選挙権100周年を回顧できることになる。こんにち女性はもう「サフラジェット」でなくてもいい。一方で政治学者で著述家でブロガーのAntje Schruppが述べるように、フェミニストの若い世代にとっても子どもとキャリアは依然として大事なテーマだ。

「8,90年代生まれの女性はたしかに古いテーマにはあまり関心がなく、たとえば彼女らはもはや家事を拒絶することにそれほど強い願望をもっていない。もうすでに彼女らの母親が職業をもっているからだ。また彼女らは女性への特別な保護ではなくすべての人のための機会を望んでいる。」女性運動の先駆者の闘いは若い女性にとって歴史上のものと見なされているとSchruppは言う。過去の闘いはせいぜいのところ感謝を引き出すだけだ、と。
彼女らにとって重要なのはキャリアと家族、つまり公共の場と豊かな私的生活の親密さの中にいることの調和である。彼女らの母親たちの多くは家事と仕事の二重の負担を過大な要求だと感じていた。Schruppは加えて今の2,30歳台の世代では「性差の決まり文句に対してあまり距離をとっていないが同時にそれらと自立したアイロニカルなつきあいをしている」。性差の決まり文句との闘いはかつては優先目標だった。この闘いの方向転換は最盛期だ。体を強調する服、ヒールの高い靴、マニキュア、そして一方で料理やお菓子のレシピのSNSでの交換、すべては若い女性にとって人生を楽しく豊かにする要素である。「しかしその際に男に気に入られることは主要な問題ではない」。かつては若い女性が自分のライフスタイルについて指図されることを拒否することが重要だった。「私たちは、フェミニストになりたい人すべてが同じライフスタイルを分かち合うという理念との決別に直面している。」

ならば保守的な連邦大臣のKristina Schröderもまた彼女なりに第四波のフェミニストなのだろうか。「私たちには役割の拘束はいらない。ある面でも別の面でも、そして政治の面でも」と彼女は近年出版された『解放されていることに感謝!強制と役割形成にさようなら』という綱領的なタイトルの本の中で書いている。その点で彼女は、フェミニズムには女性が切望した行動裁量の余地を開いた功績があるという知見に立っている。過去の世代の闘争的な女性が奨励するロールモデルはこんにちでは自由を制限するように作用するという。

政治的にはまったく異なる色合いの『ガーディアン』誌のコラムニストのFreemanの論述は彼女らとそれほど遠く隔たっておらず、この考えはさまざまな世代の多くの女性が進んで共有するだろう。「すべてのライフスタイルは受け入れられるべきだ。なぜならそれは女性が自由にどうありたいかを決定してよいことの表れだからだ。彼女がレースの下着を身につけたいと思おうが、同様に「スラット(ふしだらな女)ウォーク」運動を望もうが、プリンセスになりたいと考えようが関係はない。」とFreemanは書いている。
FreemanはHilary Mantelに対し彼女のケイト批判のために厳しい助言を与えている。「Mantelが学ぶべきなのは、賢明に口をつぐむように教えられているのはプリンセスたちだけではない、ということだ」と。

 

【リベラル・フェミニズム

ここで「第四波」として書かれているタイプのフェミニズムは、リベラル・フェミニズム個人主義フェミニズムと呼ばれるもので、新しいものではない。少なくとも第二波と同じくらい歴史がある。

リベラル・フェミニズムは、男女の性差よりも個人を重視する。他の第二波フェミニズムの一部は男女差を厳然としたものとしてあつかいがちだったが、リベラル・フェミニズムヒューマニズム的で、かつてから男女の違いをあまり強調しなかった。一貫して法のもとの平等を求めており、女性を保護する法律にも反対してきた。言論の自由や自己決定権を重んじているため、ポルノ規制や売春禁止にも反対の立場をとっていることが多い。

また、他の第二波フェミニズムの陣営とくらべると既存の社会制度を受け入れていて、根本的な変革を望んでいない。そのため単なる改良主義として批判されていて、マルクス主義フェミニストからはブルジョアフェミニズムと呼ばれていた。キャリア・フェミニズムとも呼ばれ、職業で男性並みに成功すればことたれりとする傾向もある。家庭におさまることも自己決定として肯定するリベラル・フェミニストが批判を呼んだこともある。しかしその分熱心なフェミニストでない女性もふくめて多数の支持を得ることができ、アメリカでは主流フェミニズムと呼ばれている。

なのでリベラル・フェミニズムは第四波とは言えないが、べつに新しくないといけないわけではないし、歴史があるのもいいことだ。ライトな層や若い層の支持があるのでいつも新しいイメージを保てるのかもしれない。

しかしこれも昔から言われているように、社会的背景を見ずに個人の自由を強調しても形骸化した自由にしかならない。たとえばなぜ売春しないといけないのか、しない自由はあるのか、を考えずに「売春は自由」と言うだけでは不十分だ。

「あばずれになるのもプリンセスになるのも」自由というのもずいぶん空疎にひびく。少なくともキャサリンはスラットウォークに参加できるほど自由ではなさそうだ。これを読むかぎり、Mantelさんもキャサリンに「お妃になるな」とは言ってなくて「お人形になるな」と言っているだけなのだから、キャサリンフェミニズム的ふるまいをもて囃していた人たちなら耳を傾けるべきところがあるはずだ。それと、自由と平等を掲げるならせめて王制くらいは拒絶してほしい。

 

【第四波フェミニズム

これとはべつに第四波フェミニズムと呼ばれているものはあるらしい。これらの記事が詳しい。

http://www.alter-magazine.jp/index.php?ジェンダーの平等を目指して(9)

https://www.theguardian.com/world/2013/dec/10/fourth-wave-feminism-rebel-women

https://www.feminist.com/resources/artspeech/genwom/baumgardner2011.html

第四波の特徴はさまざまあるが方法面では、SNSなどのメディアの活用でフェミニズムの裾野を広げていて、アートやメディアを効果的に使っている団体もいるようだ。理論的には第三波に続いてインターセクショナリティが重視されている。性嫌悪的でない面、精神性を重視する面もありそうだ。

もう第四波?とは思うが、911以降の国際政治の動きやソーシャルネットの進展は急激なので、フェミニズムも新しい潮流が必要なのかもしれない。細かく過去の文献を見ればそれほど新しいものはないとしても、社会運動には自分たちの世代が担っているという連帯感や時局に合っているという感覚は大事なのかも。