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記事紹介:フランクフルトの極右警官の事件について

ドイツでトルコ人の弁護士が脅迫された事件があった。容疑者はなんと警察官5人だ。5人は極右だと考えられている。まずは日本語にもなった国際ニュースから。

 

 

独警官5人、極右組織結成し殺害脅迫 ヒトラーの画像共有 写真1枚│AFPBB News

http://www.afpbb.com/articles/-/3202480

2018年12月17日 20:46 発信地:フランクフルト/ドイツ

 

 

「NSU2.0」のNSU(国家社会主義地下組織)については日本語Wikipediaにもとてもくわしい。NSUは過去に多くのトルコ・ギリシャ系の人を殺している。極右組織そのもだけでなく、事件の報道や捜査についても批判や議論があった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E7%B5%84%E7%B9%94

 

警官がやったのもそうだが、起きたのがフランクフルトというのも驚きだ。外国人であふれかえっている国際的な金融都市のフランクフルトで、だ。「外国人に慣れてないドイツ東部の田舎者が右傾化する」という話はなんだったのか。

下に紹介する記事は被害者のセダ・バゼイユルドゥズさんがどんな人かという内容だ。彼女は過去のNSUの事件の訴訟にもかかわっていた。

 

 

Frankfurt: Drohbrief gegen Seda Basay-Yildiz - Kompromisslos für den Rechtsstaat - SPIEGEL ONLINE

http://www.spiegel.de/panorama/justiz/frankfurt-drohbrief-gegen-seda-basay-yildiz-kompromisslos-fuer-den-rechtsstaat-a-1244132.html

Wiebke Ramm, Berlin Montag, 17.12.2018   16:53 Uhr

 

フランクフルト: セダ・バゼイユルドゥズへの脅迫状 - 法治国家を求め妥協しない - SPIEGEL ONLINE

 

フランクフルトの刑事弁護士セダ・バゼイユルドゥズが恐れ知らずなのは、さいきん彼女の弁護したイスラム主義者のSami A.の事件で立証された。彼女の責務は、たとえそれがオサマ・ビンラディンの護衛の男に肩入れすることを意味しても、法治国家に向けられている。

その弁護依頼は弁護士らの間で彼女に大きな尊敬をもたらした。バゼイユルドゥズは予期される敵視に耐えた。彼女は苦労をいとわない。42歳の彼女にとって大事なのはすべての人に法律が有効になる社会で生きることだ。

 

[中略 脅迫事件の経緯]  

 

彼女は刑事弁護士として決して警察を盲信しなかった。そして1つの訴訟があって以来、彼女はいずれにしてもいくらか覚悟するようになっていた。ミュンヘンのNSUの訴訟手続きである。

刑事弁護士は自覚をもって捜査資料や裁判官、検事に立ち向かわなければならない。弁護士の中では感情を見せることはタブーとされていて、とくに刑事弁護士はそうである。しかし人間は簡単には弁護士のローブの下に隠れてしまわない。バゼイユルドゥズもそう言う。

NSUの訴訟ではバゼイユルドゥズ弁護士は刑事被告人を弁護するのではなく、付帯訴訟弁護士としてNSUによる殺人の被害者Enver Simsek[2000年9月9日にニュルンベルクで殺された]の家族の代弁をした。彼女は5年間週ごとにミュンヘンに通い、徹頭徹尾好戦的に、議長の裁判官Manfred Götzlに二三小節言うべきだとしたときの彼の激怒にも憶さなかった。

しかし、捜査員らがNSUの自白の前の数年間、Simsekの家族と他の移民としての背景をもつ8人の犠牲者の家族との付き合いの中ですべての阻止に失敗してきたように見えることが、彼女には耐えられなかった。彼らはEnver Simsekの未亡人にブロンドの女性の写真を見せ、これが旦那の愛人だと述べた。それは嘘だった。警察は殺人犯へと導く明らかな情報を期待して悲しむ妻に本音を吐かせようとしたのだ。

しかしAdile Simsekは打ち明けるような情報はもっていなかった。謝罪はまったくなかった。そしていつしかバゼイユルドゥズにとっても捜査員の失敗だと解釈する段階に達した。


「私はもっと妥協しないようになった」

 

他のNSUの犠牲者の弁護士たちが最終弁論で制度上のレイシズムをナンセンスとしてかたづけたとき、バゼイユルドゥズはいかに自分がそれを言い当てているかを見てとった。彼女はそれを愚かで無知だと思った。それら同僚たちの発言がどれほど激しく彼女を怒らせたかは、すぐあとに裁判所のそばの喫茶店で偶然彼女に会った人なら身をもって知っただろう。彼女は自制を失い同時に自身にさえ激怒していた。それほどそのことが堪えたのだ。

NSUの犠牲者にどれほどの不正がなされたかを知るためにバゼイユルドゥズは変わった。「私はもっと妥協しないようになった」と彼女はかつて言った。人種差別的意見を言う人間をもはや彼女の周囲では許容しない。彼女はドイツが馴染みのない土地のように思えてきた。人生で初めてのことだ。少なくともそのように感じられた。しかしおそらく彼女がなじめないのは彼女の故郷の地ではなく、突如としてやかましく人間をけしかけることをいとわなくなった、この社会情勢だ。

NSU訴訟は彼女に痕跡を残した。「何をしていても、どのように統合されていても、自分はここの一員ではないという感覚が強まった。」と彼女は3年前の『南ドイツ新聞』への客員寄稿の中で書いた。「安心できず、警察や司法に自分の庇護を求めることができないという感覚も強まった。この意味が誰かに想像できるだろうか。ちょうど私のような法学を学び法治国家を擁護する者に?」

ドイツは彼女の国だということは彼女にとって疑問の余地はない。他にどの国が故郷だというのか。彼女の両親はトルコ出身で、バゼイユルドゥズ自身はヘッセンマールブルクで生まれた。

 

被害者家族の方を警察から弁護しないといけないというのはしんどい話だ。こんな味方の少ない闘いを何年も続けられるのはほんとに尊敬する。

問題の警官や警察内部の状況も気になるところだ。この5人だけが特別で、他にはなにも組織に根をはっていないとなればうれしいが、そう楽観はできない。今調査中ということだが、職業訓練の段階から見直さないといけないはずだ。