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ノイシュヴァンシュタイン城のある町

ある町の入り口に老人が腰かけていた。そこに一人の旅人がやって来た。旅人は老人に尋ねた。

「ここの町の人たちはどんな人々ですか」

老人は答えるかわりに尋ねた。

「あんたが前にいた町はどうだったかね?」

旅人はそれに答え、

「いやぁ、良い人ばかりでしたよ」

老人は言った。

「ここもそうさ」

 

しばらくしてもう一人、別の旅人がやって来てやはり尋ねた。

「この町の人々はどんなふうですか?」

老人はまた、前にいた町はどうだったかを聞いた。

「どいつもこいつもろくでもない奴ばかりでしたよ」

と旅人は答えた。老人は言った。

「なら、ここもそうさ」

 

老人は町に向かおうとする旅人を呼び止めた。

「そうだ、おまえさん。ぜったい旅ブログは書くなよ」

「うるせえ!」

旅人は逆らった。

 

…と言うわけで今回も旅ブログ。1週間休暇をとってNとフュッセン(Füssen)という町に行ってきた。バイエルン州の南部、オーストリアとの国境近くにある。ここは小さな村だがいつも世界中からたくさんの人が訪れる。あの有名なノイシュヴァンシュタイン城があるところだ。

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中世風のあの城が作られ始めたのは実は19世紀で、ビスマルクの時代だ。オーストリアプロイセンとの戦争に負け、バイエルンも落ち目だった。当時のバイエルンルートヴィヒ2世は中世の夢に逃避するようにあの城を建てはじめ、自然の美しいフュッセンで暮らしたらしい。精神を病んでいたのかはわからないが、周囲にはそう見なされていた。廃位され、変死を遂げている。

 

ぼくたちがフュッセンに着いたのはもう夜で、民宿に荷物を置いて、店が閉まる前にとすぐに外食に出かけた。住宅街は静かでどの家にもきれいな庭があった。霧が濃く小雨が降っていて、庭の木や塀の上によくカタツムリがいた。

「Schneckeだ。Schnecke」とNが言う。「Schneckeは日本語でなんて言うの?」

「カタツムリ」とぼくが答えると、

「”かたつむり"はあまり動物の名前ぽくない」とN。ぼくが「なら何の名前ぽいの?」と聞くと、

「病気」

Nの言語感覚はおもしろい。

 

レストランでの料理は本当に美味しかった。バイエルンの料理は何もかもおいしくて、ザワークラウトさえ美味しかった。

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翌日は霧も晴れ、いい天気になった。「片瞑り」病はなりをひそめ、雲もなく、遠くのアルプスが見えた。この日はフュッセンの一番大きな湖、フォルクゲン湖のクルージングに参加した。Nは船が大好きだ。船には足3つを点対象に並べたマークが描かれている。これはフュッセンの紋章で、同じマークを町のあちこちで見かける。フュッセン(Füssen)が足(Füße)という意味だからか。

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湖は、アルプスから流れこむ青く澄んだ水を湛えていた。茶色く濁っている部分は雪融けの濁流のなごりだ。雪で折れた山の木の枝も混じっている。細かい枝の切れ端が茶柱のように立って、水の流れの作用のせいか、数十本がきっちり一列に並んで浮かんでいた。

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この湖は実は1950年代にできたダムだ。別の日のバスツアーで見学したのだが、ダムは水力発電や洪水防止の機能があるそうだ。冬には水を抜かれてダムはなくなるらしい。一年のうちにこんな大きな湖が現れたり消えたりする。アルプスの雪融け水というのはそれだけ莫大な量なのだろう。f:id:Ottimomusita:20190617213822j:image

別の日にはロープウェイで山に上った。アルプスにはまだ雪が積もっている。高山植物がきれいだ。

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Nは高いところが苦手なのでロープウェイでも終始怯えていた。怖がってもしようがないでしょ、と思う。しかし一方で、もしザイルが切れて落ちたら自分で空を飛べるわけでもないし、かといって死ぬ覚悟ができているわけでもないし、怖がらないのもまた不合理だと思う。危険も安全も想像の中の話だ。

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ロープウェイの山頂駅にはクロウタドリが営巣していた。バイエルンの農地が遠くまで見渡せる。パラグライダーが出発点の山頂よりも高く上がり、さらに高いところをタカが周回している。パラグライダーは一人乗りとプロと体験者の二人乗りがあった。追い風のタイミングを見計らって次々と崖から出発していく。空でブランコを漕ぐように揺れている帆もある。あれは上級者がわざとふざけてやっているのだろう。ほとんど宙返りしそうだ。彼らは想像ではなくじっさいに自分の技能で危険との駆け引きを楽しんでいる。f:id:Ottimomusita:20190617215725j:image

Nがパラグライダーの写真をとってNの母に送ると彼女は、

「自分もやりたい」と言い、Nは

「信じられない」と言った。

Nは母の誕生日にパラグライダー体験のチケットを買ってやろうかな、と話した。ぼくにもやりたいか聞くので「やりたい」と答えた。小さい飛行機とかハンググライダーには昔からちょっと憧れがあったのだ。Nの母とぼくは誕生日がすごく近い。もしかすると空を飛ぶチャンスがあるかもしれない。

 

パターゴルフもした。

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バスツアーでは教会を見学した。バイエルン州カトリックが多く、どんな小さな集落にも教会がある。ペストが猛威をふるった頃、遺体はあちこちで一ヵ所に集められていた。そういう場所にのちに教会が建てられることが多かったそうで、見学した教会もその一つだ。あれほどの死の舞踏のあとで、教会でも建てるしかなかったんだろうと思う。内装が白い、綺麗な教会だ。
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ローマ時代の風呂の遺跡も見た。フュッセンにはヴィア・クラウディア・アウグスタの道があり、古代にイタリアから移り住んだ人々がいたそうだ。

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イタリア人の血が混じっていると言われていて、関係あるかは不明だが美味しいイタリア料理屋も多い。古代ローマの道は今も普通に使われている。中世風の城は近代初期のもの、湖ができたのは二次大戦後、主要道路は古代からある、と、なかなか入り組んでいる。

 

ノイシュヴァンシュタイン城は遠くから見るほうが美しかった。近くではひび割れあちこち補修され、ただの古いビルという印象だった。内装は豪華絢爛で19世紀の技術も随所に見られた。ここはさすがに賑わっている。駐車場も車でいっぱいだ。案外地元の車が多いのは働きに来ているのだろうか。

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色んな国から集まった観光客を見るのは面白い。みんなぼくと同じ余所者で、それぞれが別の土地や歴史的背景に属し、別の習慣をもっている。それでいて誰も自分の土地を代表なんてしておらず、普段の生活を忘れ、ただここに集まっている。

たいてい地元の人というのは近所の名所に関心がないし、あまり詳しくもない。エッフェル塔に上ったことがないパリの人と話したことがあるし、ぼくもさいきんまで延暦寺に行ったことがなかった。近所の名所は無視できる、生活の舞台のかきわりにすぎない。

しかし、旅行中何人もお世話になった、観光ガイドの人たちは別だ。毎日のように自分の土地の歴史や名所のいわれについて人に話している。あれはどういう気分なんだろう。郷土愛が高まっているのか、内心は飽きて厭気が差しているのか。

 

食事は外食するのと、安いものを買ってきて民宿で食べるのとを交互におこなった。スーパーでレジの会計を待っているとうしろから急に、

「眠ってるのか?」

とおっさんに声をかけられた。なんのことか分からなかったが、支払いの段になってもぼくがぼーっとしているので急かしたらしい。単にドイツ語がすぐに聞き取れなかったので、

「Wie bitte? Eingeschlafen?(なんですって?寝入ってたって?)」

と聞き返したら、こっちも何となくつっけんどんな返事をしたみたいになってしまった。すぐ気づいて会計に移ったが、感じ悪い。

 

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博物館は閉館時間がきて少ししか見れなかったが、最近ドイツ史の本を読み直しているので興味深かった。Nの故郷、カイザースラウテルンがフリードリヒ1世のゆかりの地だと知った。「バルバロッサ」じゃないか。その「カイザー」だったのか。バイエルン王マクシミリアン1世はツヴァイブリュッケンの地にいたことをNが教えてくれた。

「ツヴァイブリュッケン?」そう言われてもぼくはピンとこない。

「行ったでしょ。実家の近くの。アウトレットに行ったところ」

ああ、あそこ。たしか、そんな名前だったか。しかしアウトレットとか言われると歴史の情緒に欠ける。

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[↑マクシミリアン1世の胸像]

ドイツは地域ごと都市ごとにいろいろ歴史が違う。これを機にバイエルン史について学ぼうと歴史の本を買って帰った。目に入るもの、耳にするもの、あれこれ節操なく関心をもっている。これも余所者の特権だ。

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