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帰郷記、それから「ドイツでのハラール」後日談

9月末に日本に帰っていた。向こうでも結婚式を挙げる目的もあった。式の準備は主に姉に任せていた。

日本へはNとNの母も連れて3人で行った。

 

フランクフルト空港から韓国の仁川空港、そして関空まで。空港の中というのはどこも同じような風景だ。搭乗口、ゲート、免税店、荷物受け取り場。いろんな国の人がいる。一度空港のあの空間を介することで、過ごしていた国の情報がリセットされる感じがする。

 

関空にぼくの両親が迎えに来てくれた。実家はすごく田舎にある、葦葺きの、古い家屋だ。近所をN親子と散歩して神社や寺をまわった。あの2人がその場所にいるというのがなんかとても不思議だった。

 

介護施設に入所している祖父に会いに行った。「おじいさん最近ボケてきてるでなぁ。お前のことわからんかもしれんぞ」と言われていたが、まあこっちはわかるので問題ないわと思いつつ、会うと、ちゃんとぼくの名前を呼んでくれた。「日本の生活とちがうところはあるか」と聞いてきて、向こうは寒いよ、などと話した。ずっとドイツのことを西ドイツと呼んでいて、グッバイレーニンか、と思った。Nは感極まって泣いていた。100歳近い高齢はドイツでは珍しいかもしれん。

 

実家で親戚から電話が入り、伯母の夫が山中で行方不明になったという。捜索のため、伯母家族は来れないそうだ。式は友だちも来てくれて和やかだった。ぼくのスピーチはぐだぐだだったけど、親戚が歌を歌ってくれて、小さな子どもも多く、「いい式だった」と友だちは言ってくれた。母方の祖母がNらを避けているようなのが分かりそれがすこし寂しかった。

 

Nの母も以前日本に来たことがあり、Nは1年住んでいたので、初めてではないのだが、やはり2人にとってはせっかく来た遠い国なので、残りの日はひたすら観光地巡りとお土産探しに費やした。近所の彦根、長浜、姉のいる宇治、北陸は金沢、能登、富士山を見に静岡市や富士吉田、三保の松原まで行った。

 

彦根は通っていた高校のあるところだ。車で来たことはなかったので、一方通行が多くて走りにくいというのを初めて知った。彦根城から町を見下ろすと何か違和感があった。しばらく景色を見ていて気づいたが、彦根の競技場がまるまるなくなって更地になっているのだ。水泳部で冬によく通っていた。鳥人間コンテストの予選会場もあったところだ。しかし予選って何をしてたんだろう。明らかに飛べない鳥人間を見た目ではじくのか。意外と飛ぶかもしれんのに?帰りに城下町通りでアユの塩焼きを食う。自販機にまで鮒鮓が売っているのが近江らしい。

 

宇治は、実家の隣町のそのまた向こうにある。京都駅からしか行ったことがなかったが、滋賀の実家から車で行くと意外と近いのだ。途中に信楽がある。信楽と言えばタヌキの焼き物だ。

実家にもひとつ信楽のタヌキがあり、忘れていたのだけど、祖父がぼくに買ってくれたものらしい。誕生日に何がほしいか祖父に聞かれた子どものぼくが「信楽のタヌキ」と答えたらしい。「なんでそんなものを」と親に言われたが、ぼくもまったく覚えていない。

信楽は道すがらいくつも陶器屋さんや窯元があり、無数のタヌキが置いてある。子どもの頃から久しく来ていなかった信楽を車で走っているとだんだん、ひとつほしいなぁ、という気分になってきて、これか、と思った。こういう目がぱっちりしていてずんぐりした体型のものが昔から好きになることが多いのだ。パグとか、宇宙昆虫サタンビートルとか。信楽タヌキもかなり好きだったのだな、と何年越しかに気がついた。

 

他の土地もいくつか行った。能登がとても良かった。何もない広い砂浜を車で走れる場所があってそこは綺麗だった。とにかく旨いものいっぱい食べた。


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旅行を終え、また少し実家で過ごした。姉の娘が騒がしく可愛らしい。従姉妹たちから結婚祝いの良い酒が届いた。母はいろいろ料理を作ってくれる。Nはそれらの料理が好きで、ぼくにドイツで同じのを作るように言ってくる。料理の話をしていると、お好み焼きには長芋豆腐を入れて柔らかくするとか、肉じゃがの残りをコロッケにすると旨いとか、そういう工夫とかそれにともなう微妙なダサさが母とぼくとで共通しているのがわかった。酒を飲んだあと母と栗ご飯用の栗を並んで剥いた。

 

近所のアウトレットで買い物をしていると父から連絡があり、すぐに戻ってこいという。家に戻るとなんと保育園~小学校の頃の友人と、高校の頃の友人が来ていた。もう長らくあってないけどNのfacebookの更新を見てきたらしい。タグ付けというのがあるのだ。ぜんぜん水をやらずに枯らしていたと思っていた縁がまだ生きていて嬉しいやら情けないやら。

 

遭難していた親戚は見つかり、病院で治療中だと連絡があった。大学の頃の友達に会い、古本屋と展示の店を始めるという友達の家の近くで飲んだ。そのとき昔書いた短編をほめてもらって調子に乗り、ドイツに戻ってからまた書いてみた。

 

これ。
卒業式のリハーサルで泣くやつ - カクヨム https://t.co/cYjOxleUSI

 

 

 

 

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ドイツに戻ってから家でパーティーをし、昼ごはんをNの友達に振る舞った。
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Nの友達の一人にトルコ系の人がいて、Nはベジタリアンのメニューを用意して、と言う。ハラール肉買ってきたらいいじゃないか、と言うと、どこに売っているか知らないらしい。「既製品はケバブ屋とかで見るけど..」と。じっさいにはハラールのスーパーはフランクフルト中にたくさんあってうちの近所にもある。仕事でもそのひとつから野菜を仕入れているし、ぼくにとっては身近だったので、Nが知らないのは意外だった。そこでその友達にどのスーパーがいいか聞き、Nと買い物に行った。ハラールスーパーに日本人とドイツ人のペアが来るのは珍しいらしく、ちょっと場違いな感じがあった。牛挽き肉と自分用のトルコモカコーヒーを買う。

他に酒と味醂は使わないが醤油はだいじょうぶか、他にダメなものはないかなど聞いてハラールの日本料理ができた。といってもちがうのは肉、酒、味醂だけだが。

作ったのは、麻婆豆腐(ハラール牛肉)、エビチリ、栗ご飯、漬物、味噌汁、バター醤油枝豆、お好み焼き(ハラール用は肉なし)、大根の煮物、蒸したサツマイモ、ほうれん草のごま和え、きんぴらごぼう

ハラール対応より品数が多いのがたいへんだった。ほとんどはビーガンでも食べられるし、和食はこういう対応しやすいんじゃないかと思う。

こういう料理を作った話をモロッコ系の友達に話すとえらくほめてくれてこれまた気分が良かった。ドイツの人はぜんぜんハラールスーパーに行かないらしい。事情を知らない移民がぐいぐいくる、という展開なのか。

 

 

 

 

 

 

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あと、スマホを紛失してしまった。公衆トイレの手洗い場に置き忘れて、すぐ気づいて戻ったけどダメ。けっこう長い論文を訳してたのにバックアップとってなかった。またなんか読んだら紹介する。