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情けはハトの為ならず

駅の広場のベンチで、広場に集まるハトを眺めていた。

餌をやる爺さんを中心におおむね正規分布でハトたちが分布している。どのハトも思い思いに餌をつつき、一つの餌を2羽が狙って鉢合うと一方が他方を追い払う。

通りすがりの男が空き缶を蹴飛ばし、転がった缶がハトの群れに干渉すると、驚かされた2、3羽が飛び立つ。他のハトたちは地面に残って食事を続け、その2、3羽もすぐに引き寄せられるようにそこに戻る。

そこに、ハトを捕まえようとする子どもが走って乱入した。すると5、6羽が宙に逃れ、それに引っ張られるように群れ全体がもち上がり、一斉に大きな羽音と羽毛屑を残して飛び立った。今ここで誰かが集合写真撮ってたら全員顔が隠れたマグリットの絵みたいになろうという大群だ。ハトの群は全体がひとつの粘体生物のようにうねりながら広場の上空を一回りしたあとビルの向こうに消えた。

2、3羽ならつられて飛び立たないが、一定数の仲間が飛べばいっしょに飛び立つというルールでもあるようだ。好き勝手バラバラになって餌を食べていても、何かあって逃げるときは周囲の個体に影響されて一糸乱れず塊のようになる。集団のうねりは個にとって、ドミノ倒しみたいに避けがたいものなのかもしれない。


仕事の休憩中、そんなことを考えながら、いつものようにベンチでぼんやり休んでいた。ベンチは街路樹を囲んで円形であまり座り心地がいいとは言えないが、職場はやかましくて落ち着かない。駅の広場もうるさいが、話しかけてくる人あまりいないので他の人間と関わりになることなく安らいでいられる。とはいえ、完全に人々と関わらないことは難しい。宣教者、大麻売り、物乞い、タバコの火乞いなど、声をかけてくる人もたまにいる。


言い争う、怒鳴り声が聞こえた。毛布をまとった髭モジャの大男が、ブルカを被った女性2人と対峙して、大声を上げている。声が大きくなってから気づいて見物を始めたので何があったのかはよくわからない。

近くにいた別のモロッコ系の男が、

「ナチめ!」

と加勢し、大男を罵倒する。(この男もよく駅広場にいて、モロッコ出身というのは前に聞いたのだ)

「私はふだんは何ユーロか差し上げてますよ。今は手もちがないだけで」

女がそう言ってるのが聞こえる。おそらく、髭の大男はこの女性2人に物乞いして拒絶され、何か言っちゃいけないことを言ってしまって、それで口論になったんだろう。しばらく言い合いして大男は去り、モロッコ系の男と他の通行人が女性2人に慰めの声をかけ、「よい一日を」と彼女らも去った。

男は少し離れたところで猛然と立って、また物乞いを始めた。愛想の悪い人間は物乞いでも上手くいかんのだなと思うと気分が滅入って、ぼくはちょっと路上生活者の男に同情した。


ロッコ系の男がそのあと通行人の若い女に「よう、ねえちゃん」と声をかけ、会話しだした。その女は自分のダンスの仕事の話をしていた。ちょっとしたいざこざに居合わせたせいで何となくその場が知らない人に声をかける雰囲気になっていたのだと思う。その若い女が今度は僕に話しかけてきた。

スマホもってる?」

と聞いてくる。ライターを貸してくれとはよく言われるが携帯電話は珍しい。この辺りは盗難が多く、僕も以前ここでスマホをひったくられそうになったことがあったので警戒しつつも、彼女が自分の鞄を無防備に僕のベンチに置いたので、

(まあ、いいか)

と思って応じた。

電話をかけたい場所の住所を言うのでGoogleマップで番号を調べてやる。聞いたことのない小さな劇場のようだ。電話したいというので発信して渡す。

仕事の応募か売り込みかわからないが、ダンサーとしてそこで出演したいらしい。「世界一のダンサー」という言葉が何度か出てきた。かけ終わったあと、

「ダンサーのピナ・バウシュ知ってる?」

と聞いてくる。「知ってる。映画は観た」と答えると、

「知ってる人初めて会った」と。ピナ・バウシュにダンスを習ったのか、なんなのかよく分からなかったが、とにかくそのような現代舞踊を彼女もやっているらしく仕事を探しているそうだ。今はイベント関係の業界は苦しいだろうなと思う。そのあと少し話し、また携帯電話を貸してほしいと言うので貸した。

今度は親族にかけたようで、ずいぶん長く話している。途中から機嫌が悪くなり、電話の相手に不満を述べている。どうも彼女の叔父が亡くなったのを電話口で知らされたようだ。顔も知らない人の訃報が名も知らぬその姪に、僕のスマホを通じて伝えられたということだ。話は長引き、僕の休憩時間は残りあと少しになった。ようやく話が終わったので僕は、

Mein aufrichtiges Beileid! (ご愁傷様です)

が思い出せなかったので、

Tut mir leid! (お気の毒に/ごめんなさい)

で済ました。

若いダンサーはスマホを返し、「叔父さんが死んじゃった…」と鞄をベンチに置きっぱなしで、フラフラと広場の中央の方へ歩いていく。

僕はここでの自分の役目を終えたことを見てとり、「もう行かなきゃ」と急いで去った。広場ではドミノ倒しの連鎖はまだ続いていたのだろう。