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論文紹介: ドイツの移民ケア労働者 前編


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ポーランドの移民女性の家庭使用人、マグダが活躍するドイツの人気ホームドラマ

 

Twitterにこんな書き込みが、


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下の記事のような話についてのようだ。

ノルウェーでオペア制度廃止の議論 裕福な家族がフィリピン人女性子守りを搾取する温床に(鐙麻樹) - 個人 - Yahoo!ニュース

女性の社会進出の裏にケア労働で搾取される移民がいる、という話でフェミニストを糾弾する人はそもそもケア労働は女の仕事だという前提で話している。しかし、男も恩恵に与っているではないか。

これはまったくその通りだと思う。

そしてどんな業界にも一般的に搾取はある。

それもその通りなんだけど、とくにケアの領域で搾取が起きやすいこと、そしてそれが女性の「輝かしい社会進出」と対照をなしていることには注意が必要だ。

もし、家事やお年寄りや子どもの世話のようなケア労働が、弁護士や銀行員と同じくらい社会的に評価されていればこういう構図にはならないだろう。ケア労働はたまに思いだしたように、立派な仕事だ、献身的だ、と褒められるものの、ふだんは忘れられ大して給料を貰えていない。

ケア労働は女性の仕事と見なされることが多く、ケア労働の軽視と女性差別は関連している。じっさいキャリア志向なリベラリズム的なフェミニズムに対してフェミニズム内部でも批判はある。

 

ドイツでの移民のケア労働者をめぐる状況について論文を調べた。以下の論文は主に法律について書かれている。

http://www.ethik-und-gesellschaft.de/ojs/index.php/eug/article/view/2-2013-art-2/51 [pdf]

http://www.ethik-und-gesellschaft.de/ojs/index.php/eug/article/view/2-2013-art-2

Constanze Janda

 

Feminisierte Migration in der Krise? Pflegearbeit in Privathaushalten aus aufenthalts-, arbeits- und sozialrechtlicher Perspektive

女性化された移民は危機にあるか在留、労働、社会福祉の観点から見た私的な家事でのケア労働 

 

Constanze Janda

要点

  • ドイツでは福祉による介護給付だけでは足りず、移民がよく家庭労働に雇われる
  • ケア労働をするには東欧や非EUからの移民が多い
  • ケア労働の需要はあるが募集のための法的な枠はあまりない
  • そのため移民ケア労働者は不安定な働き方やときに違法労働をよぎなくされている

 

1. 導入

2007年の住宅投機による経済危機でEUで失業率が上がった。これは移民にも影響し、失業者が職を求めて移住したり、また移民が仕事をなくして帰国する動きもあった。低賃金で条件の悪い仕事でも自国民が行うためだ。ドイツ国内で失業した移民にとって、移民権は在留できるかどうかに関わる。さらに労働や福祉的な保護も問題だ。

ドイツでは「家事は夫婦両方の責任」と民法で決められており、就業は夫婦両方の権利だという。

そのため女性の就業は増え、家事は家庭外の労働力に割り当てられる。きっかけはさまざまで、高齢者やケアが必要な人が増えたことや、また職業のため家事に必要な時間がなくなったこと(いわゆるケア欠損, Lutz 2013, 1258; Moritz 2007, 151; Frings 2011, 82) などだ。また女性の就業で家庭の収入が増えて、雇いやすくなった。

1.2 女性化する移民

しかし、それによって性的役割分担は変わらず、家庭労働はあいかわらずおもに女性がしている。IAO(国際労働機構)の報告では世界に5200万人の家事労働者がいる。そのうち83%が女性だ(ILO 2013, 20)。なので家事は再分配されているが(Lutz 2002, 88; Hess 2008, 109)、ますます多くの移民女性がやっている。

この社会的な地位を専門用語で「女性化された移民」という。昔ながらの家事労働を他の家庭で引き継ぐ女性の移民のことだ(Granato 2004, 2)。女性は、男性(労働)移民の家族としてではなく、ひとりで自分の目的をもって入国する。彼女らは仕事で家計に多大な貢献をする(Lenhart 2007, 32; Apitzsch/Schmidbaur 2011, 46; Morokvasic 2009, 28; Liebig 2011, 19; Spindler 2011, 173)。

女性化された移民は、短期間・一定周期で行われるという特徴がある(Apitzsch; Schmidbaur 2011, 46; Lutz 2013, 1258)。たいてい、長期在留したり生活の場をそこにおちつけるつもりはない。またたいてい、複数の国に移住はせず、出身国から同じ国に何度も来る(Zerger 2008, 1; Parusel/Schneider 2011, 248)。これは、故郷に残してきた家族を手放さなくてすむので移民女性の利益になるし、特定分野で短期の労働力需要を満たせるので受け入れ国の利益にもなる。

この現象は新しいものではなく、鉄のカーテン崩壊以来、とくにEUの東方拡大のあと重要性を増してきて(Lenhart 2007, 30)、中欧や東欧の国民と関連してきた(Lutz/Palenga-Möllenbeck 2010, 421)。この「新しい」EU市民の就労自由期間が終わってからは、移民の動向は第三国に移った。
 

 

1.3 「ケア緊急事態」と女性化された移民

女性化された移民はいろいろな観点から語られるが、この論文は重要性の高さのためケア移民の法的な条件範囲に焦点を当てる。そこで果たされる仕事は典型的に女性的なものだとされ、人目につきにくく、そのために困難な条件で行われ、社会的に価値ある仕事として認知されにくい(Morokvasic 2009, 29f.)。在留法の条件の間隙や不明瞭さと、脱法的な手配を利用する特徴がある「グレーなケア市場」の存在は立法府もしぶしぶ認めている(BT-Drs. 17/8373, 1)。

このあと社会福祉法(SGB)について書かれている。日本の介護保険制度に当たるものがドイツで施行されたのは1995年だ(日本は2000年)。それまでは介護は妻や娘や息子の嫁など個人でしていたが、保険加入者の共同責任になった。在宅や通院での介護の現物支給や費用の負担補助があるが、それは十分なものではないという。なるべく家庭や地域でするものという方針があるそうだ。

ここまでは日本と似ているだが、ドイツでは福祉で足りないぶん東欧やその他の国からの移民を雇い、彼らが住み込みで働いてケア労働をするようになったという。

 

2 女性化された移民の法的な条件範囲

外国人の入国と在留、また就労は国家の法にしたがい許可保留つきの禁止を受ける。以下はケア労働をしている移民の法的な位置づけが詳述されている。

 

2.1 EU市民の女性の在留と労働市場参入の権利

外国人でもEU加盟国の国民とその他の国で条件は違う。EU市民の女性には制限はない。彼女らは、ドイツ連邦でも他のEU加入国でも在留と就労は特別の許可は要らず自由だという。国籍による労働条件の差別も禁止されている。

しかしこの差別禁止そのものはふさわしい労働条件と賃金の保障を約束するものではない。ドイツのケアの分野では労働条件はたいてい国籍に関わらず不安定だ。家事やケアでのサービス業の自営での提供はArt. 56 AEUV[EU労働基本条約]でサービス業の自由として保障されている。

 

2.2.1  就労者自由参入権の暫定規定

EUではEU市民は移動も就労も自由なのだが、ドイツなどでは、国内の労働市場を守るために東欧の国にたいして一部規制をかけていた。

自由な移住はEU全体で認められたわけではなく、各国が2+3+2ルールと呼ばれる規則にしたがい段階的に自由な移住を容認するかどうかを自分たちで決めた(Fuchs 2010, 980; Nowak 2012, 13)。重要なのは現在この猶予期間はクロアチアにたいしてだけ残っていることだ。ブルガリアルーマニアの国民は2013年12月31日に暫定期間が満了し完全に平等な立場を得た。

したがってEU市民女性のヨーロッパ内部での移民動向は法的には自由だ。彼女らのケアの仕事への参入の問題もない。そのため就労のために乗り越えるべき法的な障壁は少なく、実際的な障壁がある。これらの障壁は、搾取的なことがおおい就職や労働条件の交渉のさいの雇用者の差別的な態度にある(Spindler 2011, 171; ILO 2013, 45)。ブルガリア人とルーマニア人就労者の住み込みケア労働者としての就業の需要は減少するだろう。なぜなら自由な参入の承諾を得て、よりよい給料と整備された労働条件の見通しがあり、もはや魅力のない仕事に頼らなくてもいいからだ(Schmid 2010, 190)。

クロアチアについても現在は2015年いらい完全に門戸開放されている。

独がクロアチアに労働市場を完全開放、7月に就労制限撤廃 | FBC

この論文は2013年のものなので例外的だったクロアチアについて詳述されている。このときは国内の労働市場を守るための規制がかけられていた。

 

 

2.2 第三国の国民の在留と就労の参入権

EU以外の外国、第三国は入国も就労それぞれ法で制限されている。

入国にはパスポートとビザが必要で(§§ 3, 6 AufenthG)、在留には在留資格(§ 4 Abs. 1 AufenthG)、就業には法令か官令の許可が要る(§ 4 Abs. 2 AufenthG)。

稼ぐため繰り返し何度も移住することは在留法では想定されていないが、可能だ。

すでに在留を法的にまとめることは、何重もの官僚的障壁に結びついているため難しくなっている。在留資格の授与は、§ 5 Abs. 1 AufenthGにしたがい、生活費の保証と十分な医療保険があることを前提とする。

じっさいには旅行ビザを利用する場合もあるという。

在留が認められても就労が認められるわけではなく、別に許可がいる。

在留法には、政治的理由や人道的理由で難民やその家族を受け入れるための枠があり、それらの人も働ける仕組みがあるが、ケア労働を担っているのは典型的にはそれらの難民ではない。ケア需要を満たすという、もっと実利的な理由で就労が促進されているという。

しかしケア労働力の著しい需要にもかかわらず、ここ分野での体系だった就労者募集の努力はみられない。これらの職務はむしろ1973年に発せられた募集中止がいまだに効いている(Keller 2005, 30; TießlerMarenda 2008, 5)。

募集停止というのは、ドイツ国内の労働者の雇用を守るための外国人の就労制限である。

したがって、それらは連邦労働局(BA)の同意での就職を目的とした在留資格の授与の枠内でのみ許される(§§ 18, 39 AufenthG)。

ケア労働力としてドイツ連邦で働きたい移民女性は、滞在資格に加えて、優先度審査に合格し、国内の労働者と同じ条件で仕事をしないといけない。

優先度審査というのは、高い能力をもった外国人の就労を優先して許可するための審査で、資格や経験が必要である。これらを満たすのは不安定な住み込みケアワーカーではたいてい難しい。じっさいには安く使えるケア労働者の需要があるが、表向きには「能力の低い移民はいらない」というのが基本的な態度になっている。

§§ 18, 39 AufenthGにしたがい在留資格が授与されると周期的な移住が可能になる。この資格は§ 51 Abs. 1 Nr. 6 und Nr. 7 AufenthGにそって単に完全に出国してしまうか、外国に6ヶ月以上続けて滞在するだけで失効する。

 

 

2.2.3. 女性化された移民を可能にする特別規則

立法府は§ 42 AufenthGの中で管轄の連邦労働福祉省(BMAS)に、法令の形で移民の労働市場参入権を細かく規定する権限を与えている。

BeschV(就労令)で職種ごとに決まりを定めている。

それもふくめてケア労働をできる可能性があるものは、オペア(§ 12 BeschV)、派遣の家事使用人(§ 13 BeschV)、家事手伝い(§ 15c BeschV)、ケア労働力の派遣(国際法社会保障協定)、自営業を目的とした在留許可(§ 21 AufenthG)の5つ挙げられている。結論から言うとこの5つの枠のどれもケア労働が利用するのは難しい。

「オペア」がまだ比較的かんたんそうだが、もともとケア労働のための制度ではない。子守りや家事を手伝いながら外国語や異文化を学ぶための制度で、働く家庭に18歳以下の子どもがいないといけないとされている(DA 2.20.114 zur BeschV)。

「派遣の家事使用人」は、適応範囲が狭い。1年以上家庭労働参加をドイツで望んでいて、かつ会社などから派遣されなければいけない。ふつうに移民してこれを利用するのは不可能だ。

「家事手伝い」は、

§ 15c BeschVにより、社会保険加入義務のあるフルタイムの家事手伝いを目指すときのみBA(連邦雇用庁)の同意が得られる。家事手伝いという概念は誤解を招きやすいが、この用語は§ 14 SGB XIでいうケアが必要な人のいる家庭での仕事でないといけない(DA Haushaltshilfen 4.3.3)。したがってたとえば自分の世話がまったくできない認知症の人のような人の世話でなければ§ 15c BeschVでは可能にならない。

この仕事は家族によるケアや資格をもたない人にも働き口を取られることがあり、不安定である。

家事手伝いとしての仕事は最大3年まで許されるので一時的なものになり、雇い主は人員を入れ替える。さらにBAの同意の前提条件は家事手伝いの人の出身国の労働管理局の斡旋協定を必要とする。そのような協定はこれまで第三国と結ばれておらず、今のところ第三国の国民にこの移住ルートは開かれていない。

「ケア労働力を派遣すること」は、EU内の国の企業にはサービス業の自由として認められており、EU外の国には社会保障協定をドイツと結んでいる国に認められている。これらは企業のための決まりだ。労働法は出身国の法に準じる。

注目すべきは、派遣は短期間しか許されておらず、さらに連続派遣として延長はできないということだ。それをこえると老人介護師の認定職業資格が必要になる(Frings 2010, 67)。じっさい自分で調達するケア労働力にとって派遣は合法的に国内で働けるようになる選択肢ではない。

「自営業」は起業家ためのもので多くの投資と将来性が求められる。

 

 

以上のように、需要はあるのに、EU以外の国から来たケア労働者が合法的に働くのは難しい。

移住法は規則の適応対象として男女を区別しない。しかし規則は特定の役割分担を再現する。たしかに立法府は高い資格をもった労働力の移民流入を促進してきた。高い資格をもった就労者、指導的地位、管理職、あるいは学問やIT部門などでの女性の割合は比較的少ない(Keller 2005, 36; Shinozaki 2009, 76; Kofman 2013, 580)。圧倒的に女性が行っている教育やケアでの仕事はたいてい安定した高い資格の職とは認められていない(Shinozaki 2009, 71)。また資格となる職業経験も条件付きでしか助けにならない。高資格者移民の永住は学んだ職業で仕事をするという前提条件の影響下にあるからだ。したがって女性化された移民はたいていの場合、資格がなく価値の低い雇用で、それは制限にさらされている。つまり、移民してきた女性は高資格の職に就くチャンスもドイツに永住する展望もほとんどないため、高い資格を持っている場合でさえ「伝統的に女性のもの」とされる職を割り当てられる。彼女らの移住事情は「低い資格」で特徴づけられる(Keller 2005, 37; Liebig 2011, 29; Morokvasic 2009, 37; Shinozaki 2009, 71)。

後半は移民ケア労働者の置かれている状況を労働法との関連で書いている。またいつか紹介する。

下のリンクのPDFの初めの2ページが、移民の労働について日本語でよくまとまっている。就労令の章番号が上に紹介したものと合わないが、2013年に改正があったのでそれ以前のものかもしれない。

 

http://kantohsociologicalsociety.jp/congress/53/points_section01.html

年の瀬と、二つの魔法のこと


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世界には二種類の魔法がある。仕組みがわかっても解けないものと、仕組みがわかると解けるものだ。
酒は第一の魔法で、サンタクロースは第二の魔法だ。

酒に酔う、その生理学的な仕組みがわかっても、酩酊の魔法は解けない。

いっぽうで、「サンタクロースはお父さん」みたいな身もフタもない真実とされるものを人は幼少期からいくつも突きつけられて、たくさんの魔法を解かれて大人になっていく。
 

潮干狩りの貝は漁師が浜にわざわざ撒いてるということや、ペットショップで売れ残った犬猫の行方や、着色料や添加物についてや、UFO映像に使われたCGや、ファーストフードの店員の笑顔の源なんかを知りながら歳を重ねる。

そうして幾度も学びと幻滅をくりかえし、なんとく抽象的なことも考えられるようになると、ショックを受ける前に(これは怪しいぞ)と鼻が利くようになってくる。身もフタもない真実がウラに隠れているぞ、と気づくようになる。

 

その点、科学、とくに自然科学は、世の中の裏返ったカードをみんなひっくり返して日の下に晒してくれるような安心感がある。小学校4~6年生くらいの子に科学や自然が好きな子が多いのもなにかそういう理由があるのかもしれない。
 

「真実は身もフタもないものだった」
 

たしかにそいうことはままありうるし、真実が残酷だったり下世話だったりすることもある。そういう場面は印象が強いし、記憶にも残る。ただしそれはあくまで印象にすぎず、

「身もフタもない。“だから“真実だ」

という推論はなりたたない。

なりたたないのだけど、身もフタもないもの、より幻滅を味わえそうなものを先回りして真実だと決めてしまうバイアスはある。露骨で夢がないという感じが、客観性を担保してくれる証拠のようにすら解釈される。

 

性欲やお金、利害や欲望、偽善や陰謀、政治や策略、そういう仕組みの存在を優先して真実と見なし、魔法を暴いてしまえば、傷つけられることはないだろう。もうサンタクロースに騙されたくない。まだサンタクロースを信じている友だちをバカにしてやりたい。これは何を切り落とすカミソリなのだろうか。

 

じっさい、魔法が解けた人たちはまだ魔法のさなかにいる人たちをとても冷静に見ていて、ときに辛辣だ。進化心理学の信奉者から見ると世の人たちは遺伝子の操り人形だ。フェミニズムを学んだ人からすればミソジニストは女性学の教科書どおりにふるまっている。占星術に無知なものは星の動きに従順である、という言葉もあるそうだ。

 

世の中の仕組みにはいろんな説明の仕方がありうる。統計を用いた説明、階級闘争としての説明、遺伝子の遺しやすさによる説明、物語のような説明、経済学的な説明、道徳を重んじる説明、精神分析の説明、ゲームの理論などなど。その中のひとつが誰かを幻滅させそうなものだからといってそれに飛びつかなくてもいい。


相手の手札の中にジョーカーがあるとわかっても自分がそれを引くと決まったわけではない。よくよく、選ばないといけない。いくつかのカードはいかにも引いてくれと言わんばかりに突き出してくる。他のカードは前のカードに隠れて引きにくい。

 

魔法や呪いを解いてくれる説明、それ自体が別の魔法や呪文だということもある。科学がオカルトの魔法を解いてくれたあと、科学至上主義という憑き物を科学史や科学哲学がお祓いしてくれるかもしれない。何がジョーカーなのかは場合によって変わりうる。

 

あるいは早めにババを引いてしまったほうがいいときもあるだろう。また早めに自分のもとを離れていってくれるから。手札を入れ替えているうちに、還元しすぎず特殊化しすぎない、現象に合った大きさのカードが見つかるかもしれない。あるいはいくつものあいだで迷っている状態がちょうどいいのかもしれない。

ある理論によって真実を知り、理論に対する批判を知ってその理論から距離を置き、また一周まわってきて再評価して...。解いては説かれ、説かれては解いて、そういうカード遊びに親しむうちにおちつくところにおちつくだろう。

 

いったいどこにおちつくのか。それはしばしば第一の魔法のもとである。仕組みを理解しても解けない魔法。それは弄んでいる手札ではなく、自身の体のほうにある陶酔と苦痛だ。比較行動学や愛着理論を学んでも、相変わらず子どもは可愛いし、恋愛もする。認知心理学で視覚の仕組みを学んでも、錯視が消えることはない。
 

ウンベルト・エーコの小説『フーコーの振り子』で、知的遊戯にのめりこんで危うげになる主人公を、その妻が諫めるくだりがある。そこで彼女はこの第一の魔法にも訴えていたのだと思う。身体感覚や親密な関係、日常生活の知恵から出発して思考すれば、抽象的で極端な思想に走らない。途方もない高さまで積み上がった理論に連れ去れそうな意識をお腹のまんなかあたりにひっぱりもどしてくれる。

 

「革命思想に殉じるべきだ」

「すべての現実は社会的に構築されている」

「個体は遺伝子の乗り物にすぎない」

でも、ほんとうに?そう問いかけて立ち止まらせてくれる。

 

とはいえ、思想のカード遊びに興ずるインテリにはいい薬なのかもしれないが、ぼくたち俗人にとってナイーブさは精緻な理論や高邁な思想以上の劇薬になる。解けないぶん間違っていても修正が効きにくいため危険だ。

 

「そうはいっても、気持ち悪いじゃない」

「わかっちゃいるけど、信じたいんだよ」

 

素朴な実感の前では百の言葉も空疎に響くし、現実の痛みに理屈は通じない。知識人と呼ばれる人たちでさえさいきんはすごく素朴な実感でものを言う。

 

ナショナリズムは幻想なんだってね。知ってるよ。でもね...」

「正しさばかり主張してもね...」

そいういう声があちこちから聞こえるのが情の時代といわれるゆえんなんだろう。今は原初の魔法こそ猛威をふるっている。2020年代はどうなるやら。
 

あらためてみなさん、メリークリスマス。サンタクロースが来る人も、来ない人も。年末年始、お酒の飲み過ぎには気をつけて。

 

 

 

 

 

 

 

記事紹介: 移民と労働市場

 

移民と労働市場に関するわりと最近の記事。

 

https://m.tagesspiegel.de/politik/studie-zu-migranten-am-arbeitsmarkt-politik-macht-fluechtlingen-das-arbeiten-schwer/24466174.html?utm_referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com%2F

 

要点は、

 

  • 難民の3分の1が職を得ていて統合も以前より早い
  • しかし職業訓練不足や不安定な業種など問題もある
  • 移民が働きにくいのには法律の問題もある
  • 色んな意見に配慮した法律はときに複雑で不明瞭
  • 実践的な法律とよい行政運営が必要
  • 2015、6年の難民ラッシュは例外的な事態

 

 

 

Studie zu Migranten am Arbeitsmarkt

Politik macht Flüchtlingen das Arbeiten schwer

19.06.2019, 15:05 Uhr

 

労働市場の移民の研究

政治は移民の労働を困難にしている
 

Andrea Dernbach
 


難民は一方でより早く職を見つけている。しかし「象徴政治[パフォーマンスにすぎない政策のこと]と実用的でない[連合のための]妥協」は大きな障害だ、とベルリン研究所。

 

移民政策が相矛盾した目標を目指しているせいで、難民は働いたり長く続けられる仕事を見つけたり職業訓練を修了したりするのが困難になる。これはベルリンの人口発展研究所の研究結果だ。この研究によってさらに明るみにでたのは、難民だけでなく役人をも巻き込む官僚制の密林である。

これらすべては、新しく来た人々がドイツにもたらした言語の問題や資格や能力の不足の問題として深刻化していると「個人と制度の障害。難民の労働市場統合への長い道」という研究[論文のPDFリンク]のチームは書いている。

著者のTanja KiziakとFrederick SixtusとReiner Klingholzは、公開データから引用した数字を利用しており、その分析のためにメルカトル財団との彼女らの研究所の2回の専門家ワークショップの成果と26人の難民のインタビューから抜粋した。この議論の文書はそこで、激しい移民流入があったかつてよりも統合は素早く進んでいると評価した。

すでに1月にIAB(労働市場職業調査研究所)は、DIW(ドイツ経済調査研究所)と連邦移民難民局の社会経済の世論調査回答者について、2013年から2016年にドイツに亡命した人の3分の1以上が仕事をもっており、そのうち80%が社会保険加入義務のある職だったと立証した。

しかし、ベルリン研究所は職の質に難があるとし、「とりわけ建物の清掃や飲食業のような不安定なことが多い職種ではさまざまに支援の仕事が重要になる」と示した。2018年に社会保険加入義務のある職業を見つけた難民の3分の1以上は派遣業種で雇われているという。そしてそこから長く続けられる仕事にステップアップすることはたいてい失敗する、と連邦政府の情報を引いた研究で述べている。

 

 

各州は法律に異なる解釈をしている
 

たしかにドイツの政策や行政の責任ではない障害もある。それは言語の困難のほかに、故郷に残った親族を助けたり亡命の手引きをしてくれた人への負債の支払いをするために、すぐにお金を稼ぐ必要があることなどである。

しかし、難民の情報や、雇用者や役所の職員など集められた専門家の情報をみると、「制度的な障害はそれらよりも妨げになる」ということがわかる。さらに、働きたい難民は自治体や「福祉局、住居局、外人局、難民移民局支所、ジョブセンター、職業紹介所に」行かなければいけない。連邦制による権限の分配のために、各州が連邦法に異なる解釈をすることになる。たとえば、バイエルン職業訓練中の辞職は「難民にとってきわめて不利と解釈される」。

さらに難民の職業訓練の状況は明らかにドイツ人の職業訓練状況よりも、あるいはドイツのパスポートがないすべての職業訓練生の平均よりも、頻繁に終了する(37.5%対24.9%)。全体としては、高い中退率は若い人たちが職業選択を変えたり会社を変えたりすることに起因する。しかし難民はたいてい職業学校や言語のために失敗する、と共著者のFrederick SixtusはTagesspiegelで述べた。たしかに許可を得た人は職業訓練を開始してもよいが、職業特有の言語授業を受ける権利はない。さらに授業時間は職業訓練する会社の要件にも合わないことが多い。
 

 

子どもの割合が高く、大きな潜在性
 

さらなる妨げは連邦、州、自治体間の情報交換である。ITの規格がすでに極端に相異なるため情報交換は麻痺しているという。そして立法府がますます移民法を作っているので、それを適応するべき法的状態が雑然としており、はじめはまったく十分に実行において移行されない。住所義務が2016年に(再度)施行されたあいだは、難民の労働を直接妨げるものもあった。

ドイツでの彼らの家族の後続移民などの展望の不確かさは、彼らが新しい故郷としてのドイツとかかわり合い、ここで将来と向き合うことを妨げた、KiziakとSixtusとKlingholzは書いている。

2016年には11%が単科大学卒で、5%しか職業訓練を修了していなかったというような、しばしば嘆かれる資格取得の少なさはどうもじっさいはそうではないようだ。多くの難民は論文によると「亡命の時点で単純に専門資格をとるには若すぎた」という。全体として、若い人々、とくに子どもの割合が高いのは利点だという。「彼らは数年後にも労働市場の大きな潜在力になる」。
 

 

政治は決定できないと研究者

 

この3名は、問題の根源はドイツの政治が決定できないことだとしている。ドイツの政治は「保守から世界に開かれた進歩派まで」ドイツ社会のすべての立場を顧慮しようとし、右派の周辺やそれが強くなることを危惧し、またヨーロッパの近隣国から「そのいっそう制限的になる[移民]政策を模倣すること」を求められていると感じているという。

これらの混合は「実用的でない妥協や、ときには象徴政治に」つながると研究では判定されている。「研究成果では、実際にとられているやり方では多くのことがドイツで暮らす難民の状況を困難にしている。そして、同時に社会的立場間での真の均一化は実現できていない。」

 

法律はより少なく、実践を多く
 

Kiziak、SixtusとKlingholzは打開策として、よりよい法整備のための議会での発想の転換を提案している。苦労した連合のための妥協の成果であり、そのためはっきり定式化されておらず広く解釈でき問題に触れるだけで解決しない。そういった法律はむしろ断念したほうがよいという。

過ぎたるは及ばざるがごとし。新しい複雑化した法律はなかなか「スムーズかつ適切に」切り替えできないので、「立法は細部すべてまでは規定できず、いくらかの難しい事態の解決法は良い行政運営と実用的な法律にあるという認識」という認識が政治には必要になる。

そしてさらに政治が認識すべきことは、2015年と2016年がピークの難民流入の多さのような例外的な状況は例外的な規則をもって解決されるということだ。これは、すでに連邦労働局の労働市場・職業調査研究所が提案していた期日規則にあたる。それは2017年の終わりまでにドイツに来た人はひとまとめにして期限つき在留許可が得られ、それを統合の度合いによって延長するというものだ。そうすることで迅速に必要な権利保障が得られ、労働市場への道が容易になる。現在の難民危機から移民管理の新しいシステムを作り出す試みは不可能だと彼女らは宣言する。「例外的な状況は将来の路線を定めるのには適さない。」

 

 

さまざまな政治的立場に配慮しなければいけないのは、そもそも移民の就労が増えればドイツ人の働き口が減って困るという本音があるからだろう。しかし一方で、排除してはいけないという名分があり、そのあいだでジレンマがあるせいだろう。

そこの妥協点を探ることが必要なんだろうけど、移民のせいで仕事が減る!とはだれもあまりはっきりと言いにくいのか、調べてもなかなかジレンマとの取り組みが見えてこない。

主な案内では「移民の統合は最優先です」みたいなお役所の麗句がでてくるだけだ。自分の体験として、

「外人局では、働くのは日本食のレストランだって言ってね。ドイツ人と求人で競合しにくいほうがビザとりやすいから」

と言われていた身としては、なんだかシラジラしい。

目下興味があるのは、移民の労働環境だ。移民政策が労働環境にどう影響するのか、いろいろ読んでみる予定。

 

 

 

記事紹介: ドイツのイスラム教徒フェミニスト5名

去年3月の記事。ドイツにいるイスラム教徒でフェミニストの女性を5名紹介している。3月27日はムスリム女性の日だそうだ。

 

5 muslimische Feministinnen in Deutschland - watson

 

ドイツの代表的なムスリムフェミニスト5名

2018年3月29日 Yasmin Polatの記事
 [序文略]

ここではドイツで公にイスラム教内でフェミニズムのテーマに取り組む5人のムスリム女性を挙げる。

 

 

Lamya Kaddor

  • この宗教教育学者でイスラム学者の女性はリベラルなムスリム女性と自称している。
  • 彼女はシリア移民の娘で、数年間はムスリム内のリベラルと伝統主義者の間の意志疎通に力を尽くしている。
  • 過激派とイスラム教についていくつかの著作があり、2010年には『ムスリムで、女性で、ドイツ人 現代的イスラム教への私の道のり』という本を出版した

 

「私たちは民主主義のなかで生きており、男女の性の平等はイスラム教にも規定されています(あなた方は笑うかもしれませんがそう言います)。もちろんそれをまったく実行に移さないムスリムはまだまだいますが」

ZDFの[テレビ番組の]『金曜日フォーラム』での会話での
Lamya Kaddor

 

フェミニズムは『エンパワーメント』されるべきもので保護下に置かれるべきではない」

T-onlineのコラムでのKaddor

 

 

 

Seyran Ateş

  • 弁護士、作家、女性権論者、イマーム[礼拝時にお手本になる人]
  • トルコ人クルド人を親にもち、長年弁護士として働いている
  • 1984年の面談で彼女の依頼人の男が妻を射殺したときにAteşも撃たれた
  • Ateşは他の人たちといっしょにベルリンに、リベラルで世俗的なイブン-ルシュド-ゲーテ-モスクを設立し、そのために脅迫され警察の保護下に入った
  • 彼女のモスクでは女性のイマームや同性愛者のイマームに礼拝のお手本をさせている
  • しかし彼女は評価の別れる人物である。なかでも彼女はイブン-ルシュド-ゲーテ-モスクでベールで覆わない女性を許容しているためだ
  • 彼女はさいきん『Krier』紙のインタビューで、ドイツの女性はスカーフをかぶることで外国の政府から給料をもらっているかもしれないと主張した

 

「まだ確証はないが、その環境に入ればわかる。ドイツの清掃婦はスカーフを被っていると100ユーロ多くもらう。AKP(公正発展党)の支持者はトルコの女性を訪れてスカーフがつまった袋をわたして、『もし君が美容品サロンでスカーフをかぶり、君の女性客にスカーフをかぶるように促せば我々は給料を支払おう』と言う。

これは氷山の一角に過ぎない。女性の大学生には、裁判所前でスカーフをかぶる権利を訴える行進をしても支払われる。まだ証拠を出すことはできないが、いつかこの女性たちが話すだろう」
kurier.at(06.03.2018)のインタビューでSeyran Ateş 

 

証拠はないって書いてるけど本当なんだろうか。ブルカに報酬出てるって...。ちょっと気にして話題追っておこう。

 

 

Kübra Gümüşay

  • ジャーナリスト、ブロガー、ネット活動家
  • 社会的なテーマについて多く意見を述べており、twitterに一万八千人のフォロワーがいる


「女性は、ある宗教を信じても信じなくても、その理由の正当化をしなくてもいい」

Kübra Gümüşay 2016年のフリードリッヒ・エーベルト基金の講演にて

 

  • ケルンの大晦日の夜(2015/2016)のあと彼女は #ausnahmslos [例外なく] キャンペーンを開始した。そのなかで彼女は他の人たちと、性暴力はつねに話題にされるべきで、犯人が「よそ者」と推定されたときに限ってはいけないと主張した
  • ラッパーのLady Bitch Rayとしても知られるReyhan Şahinは2年前[2016年]にfacebookの投稿でGümüşayがエルドアンに親和的だと非難した
  •  Gümüşayは彼女のホームページでこの非難に対して声明を出して答えた

 

そこでたとえばこのように述べている。

「ここ数日間、さまざまな政党や組織について私がその支持者だという嘘を言ってくる人たちがいます。敵味方思考や無力が分断を許容するかもしれないという疑念は私を失望させます。しかしそれは私たちの現在について多くを語っています。私たちの社会や私たちについて。(...) 私は、個人の中でも仕事でも、いくつかのアイデンティティと理念を調和させています。それらは根本的に矛盾するわけではなくてもトルコのあらゆる政治的陣営で(他のところでもですが)、なにかしらひんしゅくを買います」

 

Şahinは再び反論した。

 

Reyhan ŞahinのGümüşayへの再反論を書いたfacebookの投稿のリンクが貼られている。Şahinのイスラム教とフェミニズムに関する意見は以前このブログの以前の投稿で紹介していた。Gümüşayのエルドアン支持にも触れていた。

元の記事

イスラムの立場からGümüşayを批判するドイツ緑の党なども問題にしていて、かなり公平な、というか率直な記事だと感じた覚えがある。ラッパーだったのは知らなかった。てっきり学者か記者だと思っていた。

Lady Bitch Rayの曲

 

Sineb El Masrar

  • ジャーナリスト、作家
  • 女性誌『Gazelle』の創刊者。この雑誌では2006年からすでにスカーフやベールをつけた女性が討論していた
  • 2010年に『Muslim Girls - Wer sie sind, wie sie leben[ムスリム・ガール 彼女らの素顔と生き方]』を出版。その中で彼女はたとえばメディアでのムスリム女性の受容について論じている。この本は2015年にタイトルを変えて再度出版された
  • 彼女の著書『Emanzipation im Islam [イスラム教内での解放]』はMilli Görüsという組織の訴えで新聞の大見出しになった
  • ムスリム女性やクィアムスリムの自己決定権のために尽力

 

「女性はユダヤ教徒ムスリムキリスト教徒、仏教徒、あるいはその他のなんでもなれるし、それと同時にフェミニストにもなれます」

frankfurter rundschauのインタビューでのEl Masrar


「私たちドイツのムスリム女性はついに立ち上がる。連盟やモスク会館や家庭の多くの男性たちといくらかの女性たちの好意と慈悲をもはやあてにしたくないなら、私たちは勇気を見せるべきだ。今や、私たちの解放の遺産を求め、きっぱりと自由を支持し排除に抗い、ふみだす時だ」

『emanzipation im islam』の帯の文句
 

 

 

Khola Maryam Hübsch

  • ジャーナリスト、記者、ブロガー
  • Ahmadiyya共同体で宗教間の対話に尽力
  • 2014年に彼女の著書『Unter dem Schleier die Freiheit – Was der Islam zu einem wirklich emanzipierten Frauenbild beitragen kann[ベールの下の自由 -真に解放された女性像のためイスラム教になにができるか]』で彼女は、性差化された社会に鏡をさしだして問う。これがじっさいどう解放されているのか。自由意思でスカーフをかぶることはフェミニズム的ではないのか
  • 彼女はなんどもブルカ禁止に反対の発言をしている

 

「程度はさまざまだが、宗教を利用している家父長制に彩られた文化はほとんどいたるところにある」

Edition f のインタビューでのHübsch

 

コーランは多くの節ではっきりと男と女は同じ価値があると強調している。たとえば『ムスリムの男性とムスリムの女性はたがいにもう一方の友である』などだ。神の前では両者は同じだけ報われるというのは繰り返し述べられる」

Edition f のインタビューでのHübsch

 

 

上に出たAhmadiyya共同体は前に読んだ記事で名前が出ていた。かなりリベラルなイスラム教共同体なようで、FEMENのメンバーが上半身裸で抗議したのがこの共同体に属するモスクだったのでその点について「ズレてるんじゃない?」というような指摘がされていた。

記事の終わりに、

どんな世界でムスリムフェミニストを知っている?コメントに書いてね

とあったけど、もうコメントはもう非公開になっていた。日本のムスリムフェミニストというとtwitterに、

彩サフィーヤ (@Agiasaphia)さんという人がいた。ほかあまり有名な人はいなさそう。

 

 

記事紹介:「これでおしまい!」と叫ぶシュヴァルツァー

Twitterで3日くらい前に"Alice Schwarzer"がトレンド入りしてたので、何かと思い検索すると、2019年11月26日の記事が見つかった。

オーストリアの大学でアリス・シュヴァルツァーが講演するのに対し、反レイシズムの立場から学生が抗議をしたが、けっきょく開催された。

それについて意見を書き込む人が多いのでトレンドに入ったというだけのようだ。この記事のページにもTwitterにもたくさんコメントがあるが、ちょっと見たかぎりあまり読むほどのものはない。この記事がすこし両論併記的なので意見したい人たちを刺激したのだろう。記事はいちおう訳しておく。

 

Österreich: „Jetzt ist Schluss!“, rief Alice Schwarzer Feministinnen zu - WELT

https://www.welt.de/politik/deutschland/article203825908/Oesterreich-Jetzt-ist-Schluss-rief-Alice-Schwarzer-Feministinnen-zu.html

「これでおしまい!」とアリス・シュヴァルツァーは叫んだ。

 

 

(アリス・シュヴァルツァーはもっとも有名なドイツの女性運動の代表者である。この76歳の女性は1977年に自身が創立した女性雑誌Emmaの発行者で編集長だ。作家やコラムニストとしても分極している。)
 

アリス・シュヴァルツァーはオーストリア単科大学で講演をしたという。何人かの女学生は、シュヴァルツァーが政治的イスラムを批判しているという理由でこれを阻止しようとした。にもかかわらず彼女は登壇した。そして騒動になった。

オーストリアで、応用技術の単科大学女学生会(Hufak)は『Emma』の発行者のアリス・シュヴァルツァーの登壇に反対した。この76歳の女性はドイツのもっとも有名なフェミニストで政治的イスラムの批判者として知られる。したがって応用学の学生代表にとっては、このジャーナリストが「フェミニズムを口実にした反ムスリムレイシズム」を広めていることは確実だった。

Facebookでの態度表明は、「差別のない討議を指示する学生代表として、Hufakは差別のない大学文化とすべての人が安心でき連帯し尊敬しあえる環境のために力を尽くします」と続く。シュヴァルツァーのやり方は時代遅れ受け入れがたいとし、「彼女の反ムスリム的な論評の事件はますます増えている」と書いた。

シュヴァルツァー自身はちょうど技術単科大学にいて、抗議に驚いた。しかしこの現象は拡大していると、ウィーンの週刊誌『Falter』のドイツ人ジャーナリストは言う。「ベルリンでも、パリ、ロンドン、ニューヨークでも、いわゆる『政治的正しさ』の枠内で活動していない私のような思想家たちは近ごろは『女学生』にではなく狂信的なマイノリティーに大声で妨害されます」

彼らにとって月曜の夜の登壇に対する抗議は「言論や思想の自由への攻撃」であり、その背後には政治的な戦略があるという。「このイデオロギーの信奉者たちは計画的に政治的イスラムへの批判をイスラム教への批判といっしょにする」しかしイスラム教は信仰の問題で個人の事柄だという。「たとえば私は今まで一度もイスラム教に意見したことはなく、政治化されたイスラムにだけ述べている。それは右派イデオロギーだ」

この態度表明のコメントのなかでシュヴァルツァーは支持を得ていて、あるユーザーは「君たちが、別の立場を代表するような、シュヴァルツァーに負けずにやり返せるような他の講演の場を要求するか、お膳立てすることに時間と労力を使えば、私としてはそっちの方がかっこいいと思う」とわめいている。
 

 

「論拠のある論争」を望むこと

 

また抗議を理解しない人もいる。「それなら、イベントに行って論拠のある論争をしてそれを彼女に言えばいい。大学にそういう安全な場所になることを求めるんじゃなくてね。大学は対立する意見の議論のための場だよ」と投稿にある。

日刊紙『Standard』の対談のなかで2人のオーストリア単科大学学生会(ÖH)の役員が反論している。シュヴァルツァーは何度も「セックスワーカー敵視、トランスジェンダー嫌悪、反ムスリムレイシズムの意見を述べている」という。差別については「見過ごしてはいけない。これらの闘いは互いに切り離すことができない」としている。

大学はまさに対立する立場の意見を交わすところではないのかという問いについてはこうある。「大学は他の立場も招かれるならばそういう場所であり得る」アリス・シュヴァルツァーはもっとも有名なフェミニストで」「フェミニズムの討議のなかでとても重要な人物だが、彼女の活動以来私たちの社会で、またフェミニズムでも多くの影響が生じている。ありがたいことだ。私たちはより包括的でインターセクショナルなフェミニズムの議論を望んでいる。まさに大学の討議のなかでまでこれを見過ごしたくはない」

他にも多くのフェミニストがいるが、いつもシュヴァルツァーに代表される立場しか招かれないという。「またもやひとり白人女性がこれについて何か述べるというのはあってはならない」フェミニズムの歴史は白人のものだけではないという。「私たちはより多くの声がいられる舞台を望んでいる」とÖHの代表は言った。ただし彼らはまた、「何らかの意見を禁止すること」が重要なわけではないとしている。

 

 

「シュヴァルツァーは考えを表明するだろう」と校長は言った

 

単科大学校長のGerald Bastは抗議に驚きを表した。もともと応用学の単科大学学生会はそのドイツのフェミニストとのイベントを取り止めることを要求していたが、これは彼にとっては問題にならないという。彼の返答は『Standard』によると、「大学は取り止めをしない。それは私たちには合わない。アリス・シュヴァルツァーはこの非難を積極的に取り上げ、考えを表明し、議論に向き合うだろう」

そして事態はそのように進んだ。キャンペーンの勢力に関するじっさいの会談の初めにシュヴァルツァーはÖH代表の表明した非難への声明で反応した。『Standard』が報じるように、彼女はとくに彼女の創刊した雑誌『Emma』と「政治的イスラムの十字軍」との長い戦いを説明した。

 

「これでおしまい」と舞台で叫ぶシュヴァルツァー

 

しかし「イスラム嫌悪は私にはかなり奇妙だ」という発言のさいには、即座に嘲るような高笑いが最後列から前まで押し寄せた。そこから数分間にわたり叫ぶような大声での反対論が起こった。『Standard』はさらに、その場の大多数が絶え間ない「これは反ムスリムレイシズムだ」というやじに苛立たされたと伝えている。
シュヴァルツァーはあるとき、「これでおしまいです!」と叫び、10人ほどがホールを去ると、最後のメッセージを残ろうとする人々に向け、「ここにこういうふうに連帯できない集団がいますね」と言った。

 

 

 

 

 

これだけ短い文だとしかたないけど、抗議してる人たちの主張を単純化しすぎていると思う。理想主義的なポリコレっていうステレオタイプをなぞるだけにとどまっている。右派の言説がヨーロッパのムスリムへの敵意を煽っていることや、それにシュヴァルツァーが加担していることに触れないと。

 

 

 

帰郷記、それから「ドイツでのハラール」後日談

9月末に日本に帰っていた。向こうでも結婚式を挙げる目的もあった。式の準備は主に姉に任せていた。

日本へはNとNの母も連れて3人で行った。

 

フランクフルト空港から韓国の仁川空港、そして関空まで。空港の中というのはどこも同じような風景だ。搭乗口、ゲート、免税店、荷物受け取り場。いろんな国の人がいる。一度空港のあの空間を介することで、過ごしていた国の情報がリセットされる感じがする。

 

関空にぼくの両親が迎えに来てくれた。実家はすごく田舎にある、葦葺きの、古い家屋だ。近所をN親子と散歩して神社や寺をまわった。あの2人がその場所にいるというのがなんかとても不思議だった。

 

介護施設に入所している祖父に会いに行った。「おじいさん最近ボケてきてるでなぁ。お前のことわからんかもしれんぞ」と言われていたが、まあこっちはわかるので問題ないわと思いつつ、会うと、ちゃんとぼくの名前を呼んでくれた。「日本の生活とちがうところはあるか」と聞いてきて、向こうは寒いよ、などと話した。ずっとドイツのことを西ドイツと呼んでいて、グッバイレーニンか、と思った。Nは感極まって泣いていた。100歳近い高齢はドイツでは珍しいかもしれん。

 

実家で親戚から電話が入り、伯母の夫が山中で行方不明になったという。捜索のため、伯母家族は来れないそうだ。式は友だちも来てくれて和やかだった。ぼくのスピーチはぐだぐだだったけど、親戚が歌を歌ってくれて、小さな子どもも多く、「いい式だった」と友だちは言ってくれた。母方の祖母がNらを避けているようなのが分かりそれがすこし寂しかった。

 

Nの母も以前日本に来たことがあり、Nは1年住んでいたので、初めてではないのだが、やはり2人にとってはせっかく来た遠い国なので、残りの日はひたすら観光地巡りとお土産探しに費やした。近所の彦根、長浜、姉のいる宇治、北陸は金沢、能登、富士山を見に静岡市や富士吉田、三保の松原まで行った。

 

彦根は通っていた高校のあるところだ。車で来たことはなかったので、一方通行が多くて走りにくいというのを初めて知った。彦根城から町を見下ろすと何か違和感があった。しばらく景色を見ていて気づいたが、彦根の競技場がまるまるなくなって更地になっているのだ。水泳部で冬によく通っていた。鳥人間コンテストの予選会場もあったところだ。しかし予選って何をしてたんだろう。明らかに飛べない鳥人間を見た目ではじくのか。意外と飛ぶかもしれんのに?帰りに城下町通りでアユの塩焼きを食う。自販機にまで鮒鮓が売っているのが近江らしい。

 

宇治は、実家の隣町のそのまた向こうにある。京都駅からしか行ったことがなかったが、滋賀の実家から車で行くと意外と近いのだ。途中に信楽がある。信楽と言えばタヌキの焼き物だ。

実家にもひとつ信楽のタヌキがあり、忘れていたのだけど、祖父がぼくに買ってくれたものらしい。誕生日に何がほしいか祖父に聞かれた子どものぼくが「信楽のタヌキ」と答えたらしい。「なんでそんなものを」と親に言われたが、ぼくもまったく覚えていない。

信楽は道すがらいくつも陶器屋さんや窯元があり、無数のタヌキが置いてある。子どもの頃から久しく来ていなかった信楽を車で走っているとだんだん、ひとつほしいなぁ、という気分になってきて、これか、と思った。こういう目がぱっちりしていてずんぐりした体型のものが昔から好きになることが多いのだ。パグとか、宇宙昆虫サタンビートルとか。信楽タヌキもかなり好きだったのだな、と何年越しかに気がついた。

 

他の土地もいくつか行った。能登がとても良かった。何もない広い砂浜を車で走れる場所があってそこは綺麗だった。とにかく旨いものいっぱい食べた。


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旅行を終え、また少し実家で過ごした。姉の娘が騒がしく可愛らしい。従姉妹たちから結婚祝いの良い酒が届いた。母はいろいろ料理を作ってくれる。Nはそれらの料理が好きで、ぼくにドイツで同じのを作るように言ってくる。料理の話をしていると、お好み焼きには長芋豆腐を入れて柔らかくするとか、肉じゃがの残りをコロッケにすると旨いとか、そういう工夫とかそれにともなう微妙なダサさが母とぼくとで共通しているのがわかった。酒を飲んだあと母と栗ご飯用の栗を並んで剥いた。

 

近所のアウトレットで買い物をしていると父から連絡があり、すぐに戻ってこいという。家に戻るとなんと保育園~小学校の頃の友人と、高校の頃の友人が来ていた。もう長らくあってないけどNのfacebookの更新を見てきたらしい。タグ付けというのがあるのだ。ぜんぜん水をやらずに枯らしていたと思っていた縁がまだ生きていて嬉しいやら情けないやら。

 

遭難していた親戚は見つかり、病院で治療中だと連絡があった。大学の頃の友達に会い、古本屋と展示の店を始めるという友達の家の近くで飲んだ。そのとき昔書いた短編をほめてもらって調子に乗り、ドイツに戻ってからまた書いてみた。

 

これ。
卒業式のリハーサルで泣くやつ - カクヨム https://t.co/cYjOxleUSI

 

 

 

 

*****

 

ドイツに戻ってから家でパーティーをし、昼ごはんをNの友達に振る舞った。
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Nの友達の一人にトルコ系の人がいて、Nはベジタリアンのメニューを用意して、と言う。ハラール肉買ってきたらいいじゃないか、と言うと、どこに売っているか知らないらしい。「既製品はケバブ屋とかで見るけど..」と。じっさいにはハラールのスーパーはフランクフルト中にたくさんあってうちの近所にもある。仕事でもそのひとつから野菜を仕入れているし、ぼくにとっては身近だったので、Nが知らないのは意外だった。そこでその友達にどのスーパーがいいか聞き、Nと買い物に行った。ハラールスーパーに日本人とドイツ人のペアが来るのは珍しいらしく、ちょっと場違いな感じがあった。牛挽き肉と自分用のトルコモカコーヒーを買う。

他に酒と味醂は使わないが醤油はだいじょうぶか、他にダメなものはないかなど聞いてハラールの日本料理ができた。といってもちがうのは肉、酒、味醂だけだが。

作ったのは、麻婆豆腐(ハラール牛肉)、エビチリ、栗ご飯、漬物、味噌汁、バター醤油枝豆、お好み焼き(ハラール用は肉なし)、大根の煮物、蒸したサツマイモ、ほうれん草のごま和え、きんぴらごぼう

ハラール対応より品数が多いのがたいへんだった。ほとんどはビーガンでも食べられるし、和食はこういう対応しやすいんじゃないかと思う。

こういう料理を作った話をモロッコ系の友達に話すとえらくほめてくれてこれまた気分が良かった。ドイツの人はぜんぜんハラールスーパーに行かないらしい。事情を知らない移民がぐいぐいくる、という展開なのか。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

あと、スマホを紛失してしまった。公衆トイレの手洗い場に置き忘れて、すぐ気づいて戻ったけどダメ。けっこう長い論文を訳してたのにバックアップとってなかった。またなんか読んだら紹介する。

 

 

 

 

 

 

 

 

記事紹介:ドイツでのハラール

移民の記事を読んでいてイスラムに興味をもったことと、モロッコ系の友人に旨いモロッコトルコ料理屋に連れられたこと、あと外食店で調理の仕事をしていることもあって、ハラールに興味をもった。なのでそれについていくつか読んでみた。

そのハラル大丈夫?―週刊東洋経済eビジネス新書No.92 https://www.amazon.co.jp/dp/B06XQXQCJS/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_.SeQDbM1S4NX6

 

イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北 (集英社新書) https://www.amazon.co.jp/dp/B00UH9MTBM/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_MUeQDbV27ZTRK


日本語では上の2つを読んだ。ハラールイスラム教の教えに即しているという意味で、豚肉を食べないとかアルコールを飲まないとかが代表的だ。ハラールを守っている証明になる認証印がたくさんあるが、酒を出す飲食店に認証を与えるような怪しい会社もあると『そのハラル大丈夫?』に書いてあった。

ハラールで何が禁じられ何が許容されるかはコーランの解釈に依り、大筋は同じでも細かいところは国や地域、個人によってさまざまに異なる。イスラム教には神やコーラン以外の権威があるわけではなく、神と個人の関係に他人が口出しするのは良くないと考えられている。そのため認証印のような外から決める制度には否定的な意見もあるようだ。上記の2つの本もそうだった。

ドイツでのハラールの状況はどうだろう。ネット上の記事を3つ読んだ。

 


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Halal-Siegel: Einkaufshilfe für Muslime? | Lebensmittelklarheit
https://www.lebensmittelklarheit.de/informationen/halal-siegel-einkaufshilfe-fuer-muslime

ハラール認証。ムスリムの買い物の助けになるか?」という題のこの記事によると、

フランスにはオーガニックとハラールの肉が売られていて、ロンドンのマクドナルドにはハラールバーガーがあり、イギリスのスーパーにはハラールの棚があるなど、ハラール市場は拡大しつつある。ドイツでも需要は高まっている。

ハラール認証は多様にあるが消費者に訴求力があるとは評価しにくい。

フランスやイギリスの状況が書かれていて、それに比べてドイツは進んでいないとまでは書かれていなかったのだが、少なくともぼくはドイツのスーパーでハラールコーナーを見たことがない。ハラール専門店は多くあるが住み分けされているという印象だ。

ハラールか否かはイスラム法学者の原典解釈によってさまざまに異なる。

ハラール認証印

ヨーロッパの現在の食品品質表示ではハラールを正しく選択するのに十分な情報ではない。そのためハラール認証印が助けになるが、ヨーロッパの食品法ではハラール食品表示は法的に保護されていない。しかもハラール認定や遵守しているかのチェックをする機関もヨーロッパにはない。

そのためさまざまなハラール基準があり、要件目録を作成しているところもあるが、ハラール認定印だけでは判断しにくいのが現状だという。イスラム学法者が製造業者、小売業者、立法者と協力して、ハラール表示に関する拘束力のある最低要件を確立することが不可欠だと締め括っている。

家畜の屠殺のし方もハラールが決まっているそうで、麻酔をかけて屠殺するのはハラールではない。しかしドイツの法律では逆に麻酔なしの屠殺が原則禁止されていて(ハラール屠殺肉の輸入は可)、動物保護の観点から麻酔を認めるイスラム法学者もいるという。

 

 

 

屠殺に関しては別の記事もあった。

 

Halal-Schlachtung - BZfE

https://www.bzfe.de/inhalt/halal-schlachtung-1153.html

 

麻酔をかけて屠殺するのがハラールではないのは、死骸禁止に抵触するかららしい。どれだけ厳しく実施しているかは宗派や法学者によって異なり、麻酔なし屠殺にまったく根拠がないとする解釈もあるという。

儀式的な屠殺は、動物の食道と気管と頸静脈と頸動脈をよく切れる刃物で一切りにしないといけないことになっている。それらはアラーの名を呼んで行われ、信徒が動物の命を奪う許可を請う。

ムスリムだけがこの屠殺を行えるという解釈やムスリムが居合わせるだけでよいという解釈もある。

ドイツでの麻酔は動物保護の観点から行われているが、ハラールの屠殺にも被創造物の尊厳を守るための動物保護の観点がある。断末魔を他の家畜に聞かせないこと、屠殺される家畜は落ち着いた環境で不要な不安やストレスを与えないようにするという規定があるという。それでもやはり麻酔は必要という議論が強く、連邦獣医団体も短時間の麻酔などを求めているそうだ。

 

 

 

もうひとつ、実り多き未来の市場というタイトルで、ドイツでもハラールの需要が高まっているが小売業にこの主題がまだほとんどいきわたっていないという記事。

 

Halal-Produkte: Warum ist das Angebot in Deutschland so gering? - SPIEGEL ONLINE

https://www.google.com/amp/s/www.spiegel.de/wirtschaft/unternehmen/halal-produkte-warum-ist-das-angebot-in-deutschland-so-gering-a-1248775-amp.html

 

ハラール対応商品は化粧品にも及ぶそうだ。原材料だけでなく、コーランには礼拝の際に手や顔を清めるように書いてあるため、マニキュアなどは水ですぐ落とせるものでないと不便だ。しかしそういう商品がまだ少ないという。生活全体にわたる考え方としてのハラールはビジネスではほとんど注目されていないという。ハラールの規格としてマレーシアのJakimやインドネシアのMUIやSMIICなど多くあって分かりにくいそうだ。

あるモロッコ人女性はハラール対応の化粧品があると知り、「カナダなどはこの点で進んだ国々だ」と言い、ネットでフランクフルトのプロバイダーから購入している。

ドイツでは多くの企業がハラール認証の化粧品をネットで売っているが、要件がさまざまで見かけの透明性があるだけだ。スーパーやドラッグストアでハラール認証の製品を探しても無駄に終わる。

フランスなど他の国はもっと進んでいるらしいが、ドイツの有名なドラッグストアや化粧品会社に問い合わせてもやはり重視していないという。ハラール認証製品を扱うコンツェルンもあるが国内用ではなく輸出向けだそうだ。一方でハラール市場は成長率が高く、まだ眠っている市場も大きいというデータが示されている。ドイツのまとまったデータはないが、取材されたケルンの企業もネットなどで売上を伸ばしているそうだ。

社会学者のSahinözは「ドイツのムスリムの若い世代でハラールに生きることへの意識や関心が明らかに高まっている」と確言する。

ではなぜドイツの大型小売店の陳列棚にはそれがほとんど反映されていないのか?とこの記事は問う。イスラムの主題は感情的になりがちでハラール商品の社会的な受容が少ないのだという。

ハラールを促進しようという政治上の意思はまったくない」と"Halal-Welt"という機関の設立者で編集長のKemal Çalikは言う。Çalikは、今日までドイツにはハラール認証の関心事を担当していると自認する中心的な地位がないと批判する。また啓発も少ない。

(チョコメーカーの)Tobleroneが山型チョコにハラール認証をとらせたりイスラム会議にブラッドソーセージ[血はハラールでない]が給仕されると、ソーシャルメディアは大騒ぎする。

ドイツでそういう関心が当たり前になってほしいとÇalikさんは言っている。

ドイツにいるムスリムの数だけでも感情的に論争される。

正確な総数がよくわかっていないらしいが公的機関の2015年のデータだと440~470万人で、AfDは「もっと多い」と言っていて、もっと少ないとする研究もあるという。

ただ増えているのは確かで、シリアやアフガニスタンから多く移民が来ている。かつてはドイツにはトルコ系移民が多かったがトルコのハラール産業だけではすでに今のムスリムの移民の多様性には追いつかなくなっている、とSahinözさん。

Peter Bungenbergさんは栄養、商業、アラビア製品のロビイストで同僚のOguz Evlerさんといっしょにドイツのハラール推薦印を統一しようと計画しているそうだ。

「ドイツの商業ではそれらはハラールつきだと理解した上での拒絶に遭う。私はムスリムが今のところ意図的に見ないようにされていると主張している」とBungenbergさんは言う。

130万人のドイツのビーガンと比べて対応が少ないと彼は言う。Bungenbergさんらはいろいろ探したあと、広く受け入れられているマレーシア政府公認のJakimに決めたそうだ。これのこと↓。

マレーシアハラル(JAKIM)とは | 株式会社ハラルデベロップメントインターナルジャパン (HDJ)

すでに推薦印の認定を進めているが問題もあるらしい。

「ポピュリストに煽られたイスラムの否定的なイメージが商品にふりかかるという大きな不安が覆っている。」

 

Norbert Kahmannという人はこのスリリングな分野にまた違った評価をしている。彼は、2011年3月のハノーファー産業及び商業会議で設立されたHalal & Koscherの創設メンバーだ。彼はドイツの香料調味料のメーカーで主に品質保証の仕事をしている。

彼が言うには、スーパーの化粧品の多くはすでに、統一の認証なしでも、調合を変えなくても、ハラールに役立つ。彼の団体の活動はインドネシアでの抜本的な政治改革に理由があるそうだ。

インドネシアは2億6000万人という最大のムスリム人口をもつ国で、今年の(2019年)10月からすべての商品にハラールの表示をつけなければいけなくなる。これはドイツの輸出業に挑戦を突きつける。

 

Kahmannは今は、統一の認証には批判的だという。ハラールの要件は国や生活圏によって多様すぎて最大公約数的にまとめることはできないそうだ。世界的に知られる認証発行者のHalal Controlが受け入れられているドイツでもそうだ。

これのこと↓らしい。

HALAL CONTROL - Our Standards. Your Assurance.

しかし、Peter BungenbergとOguz Evlerは全ドイツの統一的なハラール推薦印を作る計画を思いとどまることはない。彼らはすでに次のステップを計画しており、認証問題を支援するハラール専門センター、さまざまな言語でハラール製品を詳述したアプリを進めている。「私たちには理想がある。しかしそのためにムスリムからと商業からの支援が必要だ。」その両方を取りつけるのは難しいが彼は自覚している。

 

 

 

 

 

ドイツのムスリムの総数がよくわかっていないという記述があったが、フランクフルトのムスリムについては2006年のデータがあった。

 

Muslime in Frankfurt am Main - Ergebnisse einer Schätzung, FSB 2007/4 - frankfurt.de

https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://www.frankfurt.de/sixcms/media.php/678/muslime_ergebnisse_einer_schaetzung_fsb2007_4.pdf&ved=2ahUKEwiit-H4nbLlAhXS-6QKHUXcDIYQFjAAegQIAhAC&usg=AOvVaw1McfKcE_u6i2R8P9uk8Esc

f:id:Ottimomusita:20191023200253j:image

2015年に移民が急増したので今はもう少し多いだろうけど、それでも11.8%いる。ドイツ全体だと、さっきの数字では今は440~470万人なので、5.4~5.9%くらいか。さすが国際都市フランクフルトだ。市内の人口比の分布を見るとだいたいモスクの位置に対応した感じ。

新しいデータが見つからないのは右翼がうるさいからだろうか。モスク襲撃とかもあったしな。

 

住んでいる実感ではトルコやアラビア料理のレストランはこの地図のInnenstadtと書かれた区画に多い。レストラン自体が多いところだけど。シーシャが吸える店やブルカのブティックもある。モロッコ系の友人も「この辺は自分に似た顔が多い」と言っていた。フランクフルトのハラールのレストランはトルコや中東料理以外では東南アジア料理屋しか見つけられていない。

 

中東の料理本も読んだのだった。料理好き音楽評論家のコラムとレシピが書かれた良本。またモロッコ料理を作ってみる予定。肉とイチジクなどの果物を合わせるらしく、ぼくが好きなやつだ。

 

おいしい中東 オリエントグルメ旅 (双葉文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/457571402X/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_vNdSDbW2AKJP4