論文紹介: AfDの投票者、描かれ方
前の投稿が長すぎたので2つに分けた後半をこちらに。前半はこちら。
以下の論文は、Robert Vehrkampの定量的な有権者の世論調査についての研究で、2017年の連邦議会選挙を前に、AfDに投票する人たちがどのていど右翼ポピュリズム的と言えるのかを検討している。結論としてはAfD投票者の多くは右翼ポピュリズム的だった。
Rechtspopulismus in Deutschland
Zur empirischen Verortung der AfD und ihrer Wähler vor der Bundestagswahl 2017
Robert Vehrkamp
ドイツの右翼ポピュリズム 2017年の連邦選挙前のAfDとその投票者の実証的な位置づけ
アメリカ大統領のドナルド・トランプの当選依頼、多くの衆目が新しい「ポピュリズムの時代」について話している。彼らは西欧のリベラルな代議制民主主義にポピュリズム的な未来を予言している。ポピュリズムは21世紀の民主主義を象徴するようだ。
ポピュリズムの定義と測定
ポピュリズムの定義として、ここでも反エスタブリッシュメントと反多元主義の2つの側面が用いられる。
ポピュリズム的な政党や政治家や投票者には、綱領やレトリックや意見の中で支配的な政治の無力化を求めることで国民の意志の影響力を強めようとする特徴がある。彼らは、とくに腐敗政治との戦いのためや市民の政治への影響力を高めるために政治体制の改革を求め、自分たちだけが真の市民の意志の代表者だと主張する。
これに、イデオロギーに右翼か左翼かの基準を加えている。
右翼ポピュリズムを測定するためにしばしば、移民やマイノリティーや男女平等への反対や、強力な法治国家の支持などの具体的な考え方が利用される。それに対して典型的な左翼ポピュリズムの立場は再分配の強化や大きな財産の接収を主張し、福祉上冷遇された層の人々の参加を求め、武器輸出の禁止など平和主義を求める。
政策的に右翼にも左翼にも位置しないポピュリズム運動全般の顕著な例は、ポーランドのNowoczesnaやスペインのシウダダノスである。それに対して多くのラテンアメリカの運動の左翼ポピュリズムのパターンと似ているのはスペインのポデモスやギリシャのシリザ[急進左派連合]だ。右翼ポピュリズムの例としてはフランスの国民戦線やイギリスのUK独立党(UKIP)が知られる。しかしドイツでも(右翼)ポピュリズムは見られる。とくに2013年に新しく設立されたドイツのための選択肢(AfD)は設立以来、世論やメディアの議論の中で右翼ポピュリズム政党と呼ばれている。
綱領や政策では右翼ポピュリズムに分類されると確定したが、AfDの投票者(有権者の10%)はどうなのか。筆者はそれを定量的に調べている。
この問いに答えるために、Bertelsmann財団の委託の[ドイツの世論調査の]Infratest dimapの代表アンケート調査を分析評価した。期間は2017年の3月13から30日で、2013年の連邦議会選で投票した人しなかった人が合計2371人が、政治的な立場と2017年の連保議会選挙の予定を質問された。そのうち合計364人がAfDに投票すると答えた。AfDの投票者がどのていどポピュリズム的なのかはアンケート対象者の以下のポピュリズム全般の発言への同意(「完全に賛成」、「どちらかと言えば賛成」、「どちらかと言えば反対」、「まったく同意しない」)にもとづいて測られた。
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重要な問題は議会ではなく、国民投票で決めるべきだ。
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国民は一致しているが政治家はまったく異なる目的を追っている。
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政治家よりも素朴な市民が政治的に代表になるほうがいい。
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政党は投票者の票が欲しいだけでその意見に関心がない。
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連邦議会の政治家はいつも市民の意志に従うべきだ。
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ドイツ市民の信条は政治上まかり通ることについて意見が一致している。
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市民と政治家の間の違いは市民同士の違いよりも大きい。
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政治での「妥協」と呼ばれるものはじっさいは自己の信条の裏切りに他ならない。
この回答によってポピュリスト、準ポピュリスト、非ポピュリストに分けている。
右翼指向性の測定のために
アンケート対象のAfD投票者の自己評価に左翼‐右翼尺度が援用される。これによって0点(左翼)から10点(右翼)の間に個人の立ち位置が定位される。それに加えて個別の政治的テーマに対して典型的な右翼的な命題が質問される。
AfD投票者のほぼ10人に9人は、ポピュリストまたは準ポピュリストだった。
したがってAfD投票者は明らかに全有権者の平均よりもポピュリズム的だ。ポピュリストの割合だけでAfD投票者においてはすべての有権者(29%)の約2倍である。
政党間の比較でも、
ポピュリスト的なAfD投票者は56%なのに対し、SPDでは29%、左翼党では23%、CDU/CSUでは14%、緑の党では10%である。
AfD投票者の左翼/右翼尺度(0=左翼、10=右翼)の自己評価でも似たような結果だ。3分の2以上(67%)が自身を中央よりも右に置いていて、その内4分の1ははるかに右(評点8から10)である。他の42%は中道右派に位置づけられた。
AfD投票者の左翼/右翼の指向性の中央値は6.6点で、FDP(5.5)、CDU/CSU(5.3)、SPD(4.2)、緑の党(3.4)、左翼党(2.2)などよりも明らかにずっと右だった。
具体的な政治的テーマについて典型的に右翼的な考えの分析はこの見解を裏付けた。AfD投票者の85%と明確に全有権者の平均(55%)より多くが「移民はドイツの文化に合わせるよう義務付けられるべきだ」という命題に同意した。ほぼ同じくらい多くのAfD投票者(85%)が、「法律に違反した者はもっと厳しく罰せられるべきだ」という命題に完全に同意した。一方全有権者の平均は64%だった。さらに明確な違いがあったのは「ドイツはこれ以上危機地帯からの難民を受け入れるべきではない」という命題で、AfD投票者のほぼ4分の3が完全に同意した。全有権者平均は30%だ。
要約すると、AfD投票者の10人に9人がポピュリストで、3分の2以上が中央より右翼であることがわかる。有権者がAfDに投票する可能性は右翼指向性とポピュリズム傾向の程度が高まるほど高くなり、左翼の非ポピュリストのほぼ0%から強い右翼のポピュリストの60%以上まで上がった(図で比較)。したがって典型的な右翼ポピュリストは平均よりずっと多く6倍もAfDに投票する蓋然性が高い。逆に表現すると、典型的なAfDの有権者は右翼ポピュリストであり、AfDは、投票者の観点からも明白に右翼ポピュリスト党である。
しかしここで用いられた定義での「右翼ポピュリズム」は必ずしも「極右」や信条的な「民主主義敵視」を意味しない。AfDの極右の投票者の割合がどのくらい大きいかはここでの測定計画では明確に測れない。また依然としてAfDの投票者の10人中8人は「民主主義は、総合的に見てもっともよい政治体制である」という命題に「完全に同意」(37%)か少なくとも「どちらかと言えば同意」(47%)としている。「どちらかと言えば反対」は14%、「まったく同意しない」は2%のみである。
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2015年の移民危機や基本綱領の採決以前には、右翼ポピュリズムであるかも意見が分かれていた。しかし、メディアでは当初からナチスにたとえて極右台頭を警戒していた。
Lorenz Klumppの「NPDとAfDは国民社会主義とナショナリズムの亡霊か 雑誌の表紙の画像分析」という2020年の記事では、雑誌『シュピーゲル』の表紙の絵を図像学や図像解釈学という政治学研究としては新鮮な感じがする方法で分析し、NPDとAfDがナチスと関連づけられていたことを明らかにしている。
NPD(国民民主党)は旧西ドイツの右翼政党である。この党とAfDの他にドイツ全体で成功をおさめたCDUより右の党はないので比較されている。
↑当時のAfDの連邦広報のペトリー、後ろの男性はガウラント。背景は、ニュルンベルクのナチ党党大会会場のツェッペリン広場の中央演壇。背景のドイツ国旗、ザクセン旗、ワイマール国旗からは観衆の人だかりがPEGIDAの支持者であることがわかる。
ペトリーが新聞のインタビューで述べた、政治は緊急時には難民を国境で留めるために「銃も使用」 (シュピーゲル紙 2016, p.13から引用)しなければいけないという文に対する反応としても見なせる。「憎悪の伝道者」(Hassprediger)という題名もこれに関連して理解すべきである。
それ[ナチスにたとえること]は聴衆の憤激を呼び起こし、さらなる注目を集める。かつて歴史家のUlrich Herbertが、とくに過去数十年のシュピーゲル紙の多くの表題記事との関連で、「ヒトラーセールス」(Herbert 2015)という言葉で描写した商法戦略としてヒトラーの主題化がヒトラーやナチ党の比喩でも広まっている。
「国民社会主義党の独裁者についてさまざまなに参照するときの背後にある動機を共有していても、過去についての発言として真面目にとるならそれは多くの場合疑わしいことが明らかになる」(Steuwer 2017, S. 191)。右翼ポピュリストや右翼過激派政党と国民社会主義との間の視覚的に演出した比喩は、ナチスの独裁政権を軽視するリスクと常に密接に関連している。
↑左はNPDの時代の表紙。黒白赤のドイツ帝国の国旗を背景に19世紀から国民社会主義の時代までのドイツナショナリズムへの連想を呼び起こすような組み合わせで作った架空の制服が描かれている。
↑右がAfDについての表紙。ヘッケ、フォン・シュトルヒ、ガウラント、ヴァイデル(左から)がAfDのロゴの矢印に乗ってドイツの諸都市の上を漂う魔女と魔法使いのように描かれる。
魔女の絵はさらに、合理性のゲームのルールを逸脱する神秘的な力を思わせる。その点でこの描き方は、理性的な議論を犠牲にして意義を増す、AfDの扇情性やそれにともなう非合理性を指し示している(Gadinger und Simon 2019; Korte 2015)。
タイトルの「そして明日は州全体?」は、ハンス・バウマンの歌『Es zittern die morschen Knochen』の物議を醸した一行「今日はドイツは私たちのもの、そして明日は全世界」から借用している。Abb. 3bの「州全体」は2017年9月にAfDがバイエルン州とヘッセン州の州議会入りが予期されること意味している。
↑右がAfDについての表紙。メルケルはうつむいている。左後ろがヴァイデル、右後ろがガウラント。ガウラントは頭を少し傾けて攻撃的な顔つきで聴衆を眺めている。
頭の姿勢と表情は、選挙の夜に彼が発した「メルケル首相を狩る」という言葉に対応している(zit. nach Diehl 2018a, S. 89)。
„überrollen“「(転がるように)押し寄せる、轢く」という言葉がその下に書かれていて、これは車輪、つまり「車輪の下に行く(零落れる)」を連想させる。このように画像は既存政党に対するAfDの優位の視覚フレームを与えているが、AfDの得票数12.6%に対してCDUは26.8%、SPDは20.5%だった。
„Sie sind da“「彼らが来た」というタイトルは2015年に映画化されたTimur Vermes の小説『Er ist wieder da(帰ってきたヒトラー)』(2012)を暗示している。
つまるところこの見出しは、上下の配置と結びついて「私たち」と「他者」の想像上の二分法を作り出す。「彼ら(Sie)」という言葉でヴァイデルとガウラントは「他者」すなわち外部集団の成員になる(Tajfel und Turner 1986)。はっきり言及されていない「私たち」すなわち内部集団はいわゆる既存政党とその支持者で、暗に読者もそこに含まれている。この集団は画像の中では代表してメルケル首相に体現されている。これを「私たち民主主義者」と「彼ら右翼ポピュリスト」のグループ分けとして理解すると、肯定的な民主主義者の概念ともっぱら否定的に暗示されたポピュリズム概念を区別しようという長い間政治学の議論になっていた問いが透けて見える(Canovan 1999; von Kielmansegg 2017, S. 272 ff.)。民主主義の観点からはこのような問いは問題が残る。「彼らの存在」は代議制民主主義という意味で一部の有権者の意志の表れだからだ。
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さいきんポピュリズムについていい本を読んだ。
『ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か』 中公新書 水島治郎 著
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/12/102410.html
ポピュリズムの起源になったアメリカの人民党や、西欧や南米のさまざまなポピュリズム政党の例を紹介しながら、一筋縄ではいかないポピュリズムの多様な側面を明らかにしていく良い入門書だ。
ただポピュリズム政党の支持者像について、この本が出たあと新しい見解が出されていたのを見たことがあったので指摘しておきたい。
トランプ支持者が衰退地域の白人労働者層としていたが、実際は収入が高いほどトランプ支持者が多かったとわかったんじゃなかったか。これにも書いてる。
あと維新の会の支持者が既成政党に失望していたと書いてあったが、維新支持と政治的・社会的疎外は関連がないと実証されていた。収入も高いほど維新支持傾向。