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論文紹介: AfDについて。極右?右翼ポピュリズム?

AfDについて調べたことをまとめておく。


AfD(ドイツのための選択肢)は2013年に設立されたドイツの政党である。ドイツの右翼ポピュリズムの党として知られる。




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簡単な党史

2013年、AfD(ドイツのための選択肢)が創設される。創設時はこの党は、経済学者の多い「教授の党」として登場し、経済学の観点からEUを批判するのが主な目的だった。2009年に財政危機が発覚したギリシャEUが救済していたことや統一通貨などに不満を訴えていて、国民保守や反移民はまだ表に出ていなかった。

 

2013年の連邦議会選挙では4.7%の票を獲得した。ドイツでは5%を超える党だけが議席を獲得できるため(阻止条項)、辛くも議会入りには至らなかった。一方、2014年のEU議会選挙では議席を獲得し、同年にザクセンブランデンブルク、チューリンゲン州の州議会で5%を超えて議会入りした。

 

2015年にペギーダ(PEGIDA、西洋のイスラム化に反対する欧州愛国主義者)に対する態度で党内に不一致が生じる。ペギーダは2014年にドレスデンで始まった反イスラム運動である。ドレスデンのAfD党員がこれに参加し、AfDザクセンのティルシュナイダーが管理する愛国者プラットフォームもこれを支持し連邦党指導部にも支持を求める。さらにA. ガウラントとF. ペトリーもペギーダを支持する。一方で、主に西側の州や連邦党本部はあいまいな態度をとりつつもペギーダとは一定の距離を保とうとしていた。

 

旧東ドイツのチューリンゲンのヘッケや、ザクセンアンハルトのポッゲンブルクらがエアフルト決議を採決する。これによって党に、ジェンダー主流化や多文化主義に反対するような一層保守的な立場を求め、党本部を批判した。この決議にはガウラントも署名した。

 

2015年7月のエッセンでの臨時党大会で、党首選挙が行われた。ペギーダを支持していたペトリーとそれまでの党首のルッケが争い、ペトリーが勝利した。これは党内のより保守的な潮流が、経済リベラルの勢力に勝った結果とみなされた。しかしこの後もペギーダとは微妙な距離をとり続ける。

 

2016年、FPÖ(オーストリア自由党)の党首とシンポジウムで会談するなど協力を強める。2016年、シュトゥットガルトでの党大会で初めての基本綱領が採決され、広い範囲の議題に党の立場が示された。

 

極右?右翼ポピュリズム

AfDは登場以来ずっとメディアや識者から右翼ポピュリズムの政党と見なされて、ときには極右とも解釈され、そのように語られてきた。現在では学術的にもAfD=右翼ポピュリズムとほとんど確定しているが、2015年以前では右翼ポピュリズムと言えるかもかなり微妙なところだったようだ。

 

 

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以下のMarcel Lewandowskyの論文は、2015年のペトリーが党首に変わる前に書かれた論文で、AfDが右翼ポピュリズムと呼びうるかについての世論や政治学上の議論を検討している。

実証的な研究では、ポピュリズム的ではあるが、右翼的であるかについてはまだ保留していたそうだ。ドイツではCDUより右の政党は極右と見なされ、ナチス的という烙印を押される。AfDは経済リベラルやEU政策を全面に出してこの烙印を避けていた。AfD内の方針上の争いは党の独自色と烙印のジレンマだったと著者は考えているようだ。

 

Eine rechtspopulistische Protestpartei? Die AfD in der öffentlichen und politikwissenschaftlichen Debatte M Lewandowsky - ZPol Zeitschrift für Politikwissenschaft, 2015 [PDF]

 

AfDは創立後初めの一年はEU懐疑主義の立場の党とみなされていたが、右翼ポピュリズム政党に当たるかは不明確だったという。変化の兆しは2014年にあった。

2014年初めにAfD内の路線変更の兆しが表れ、それによってこれまでは重要な位置を占めていなかった社会政治的な立場が視野に入ってきた。2014年1月のAschaffenburger での党会議で、文化や家族政策の議題をめぐるユーロ・アジェンダの拡張が顕著になった。そのさい、この党は「右翼保守で社会批判の勢力に」なるべきで、「あらゆるものに反対し、ヨーロッパの中のいろいろなものにも反対する」(Amann 2014; Ankenbrand 2014も見よ)党とされた。

ドイツでは、右翼ポピュリズムについての研究は盛んだが他のヨーロッパの国のような安定した右翼ポピュリズム政党の台頭がこれまでなかった。そのためAfDの議会入りは「とうとうきた」という印象で迎えられたそうだ。

 

そもそも「右翼ポピュリズム」という概念は何かについて概説している。すでに先行研究は多い。

この新しい諸政党には共通点があるが、イデオロギーや綱領の外観は国の文脈によって大きく異なる(Mudde 1996)。

Muddeという人は国際的なポピュリズム研究で最小限の定義を定めたことで知られているらしい。ポピュリズムとは、一元化された国民と、その声を聞かない政治的エリートという対立関係を主張していることである。この定義は右か左かは関わらない。

それでもDecker (2004: 29)は、現実にポピュリズム的と見なしうるほとんどの政党は同時に右翼ポピュリズム的であると述べている。

なので著者はポピュリズムの定義に、自分たちと同じ国民や民族と見なされない人たちへの排除傾向を付け加えて右翼ポピュリズムとしている。この、「一元化された国民」「反エスタブリッシュメント」に加えて右翼傾向を測るという右翼ポピュリズムの基準は他のいくつかのAfDの研究でも用いられている。


しかし右翼ポピュリズムに当てはまる政党でも非常に多様で概念で捉える難しさがあると著者は言う。

たとえばオランダのピム・フォルタイン党 (Lijst Pim Fortuyn: LPF)はイスラム教敵視をこの同種の他の政党と共有しているが、フォルタインはLPFのカリスマ指導者的な人物で快楽主義的なライフスタイルと同性愛者であることをメディア出演の場で大いに活用する。これはフランスの国民戦線オーストリアのFPÖ(自由党)では考えられない。

カリスマ的リーダーの存在の他に、内部の組織化がゆるく政党というより運動としてふるまうこと(Decker 2006 a: 17 f.)、敵を設定して単純な言葉を好むこと、果敢なタブーを演出することなどの特徴を挙げている。

 


では、AfDは右翼ポピュリズムと言えるのか。この時点ではまだ一致する見解はなかったそうだ。政治学には、データに基づく実証的な研究と、「あるべき」形を問う規範的な研究があるという。テキストデータの内容分析も実証的な研究である。AfD=右翼ポピュリズムについて、主に実証的な研究では否定的か慎重な立場で、規範的研究では肯定的な答えを出していたようだ。実証的な研究では、ポピュリズム的ではあるが右翼的であるかについては保留していた。

たとえば Simon Franzmann (2014)は、この党の創設と達成の過程が依然として完了しないことに言及し綱領に関して、とくに彼らの反エスタブリッシュメントのレトリックにもとづいて「議題も様式もAfDが似ているのはヨーロッパの右翼ポピュリスト政党と確定され(うる)が、本当に合致している点はない」(ebd.: 122)と結論づけた。

Kai Arzheimer (2015)も過激さが欠けているとした。Marcel Lewandowsky (2014 b)はAfDをpro運動との比較でポピュリズムだとしたが、SNSでもイスラム流入を扱っておらず、右翼的かは保留としたそうだ(Berbuir/Lewandowsky/Siri 2015)。イスラム嫌悪と外国人敵視の意見表明は、この頃はまだ(当時の)「二軍」のメンバーによるものだったという。

たとえば広報担当者でブランデンブルク州と会派の議長であるAlexander Gaulandは、早い段階からユーロ反対だけでなく、「ジェンダーのたわごと」や多文化社会にも反対する立場を取る発言をしていた(Gauland 2013)。

Arzheimer (2015)の規範と実証の混合的な手法の研究では、連邦議会入りしている政党の中では最右派だが内容的に「過激」とは言えないとされた。

 

一方で、規範的な研究では当初から新右翼の文脈で捉えられていた。Alexander Häusler (2013, 2014; Häusler/Roeser 2015)は、

AfDについての最初期の仕事のひとつでもある彼の最初の研究で、この良識ある党が「党周辺の多くの発言から確かな右翼ポピュリズム方針がある」(ebd.: 92)と考えられると結論づけた。

David Bebnowski (2015)は、AfDは罵倒表現は使わずポピュリズムは目立たない形で機能しているという。

彼は、特殊なAfDのポピュリズムは「経済競争の論理と新自由主義のモデル」の中に表れていて、「競争論理の努力を通じて不安を煽り、他者の価値を下げることができる」。

Gerhard Freyのドイツ民族同盟(Deutsche Volksunion: DVU)やSchill党のようなこの種の典型的なリーダーがAfDにはいないという。また「教授の党」であり、

(…)「ブルターニュの若者」として「素朴な民衆」に親しまれるJean-Marie Le Penの国民戦線のような自己イメージの党とは根本的に異なることがわかる。

しかし、運動全体を見て党を支える人脈まで考えると、

少なくとも一時的に個別にはAfDがペギーダ運動と協力したことも、この党の保守団体や場合によっては極右との接点を示唆している(Geiges/Marg/Walter 2015: 152 ff.)。

 

 

こうのように捉えられていたAfDは、ドイツの政党制の中で新しい役割をもった党になりうるとしている。ドイツではCDUとCSUよりも右に位置する政党は、ナチス的なのではないかという疑いをかけられるという(Decker 2005)。

過去には、州レベル(NPDやその前のDVU)や二三の自治体レベル(pro運動)で成功した党がこのイメージに当てはまる(Lewandowsky 2012: 398 ff.)。

ヘルト•ウィルダースやルペンがゴールデンタイムに政治のトーク番組に参加しているオランダやフランスといった他のヨーロッパの国は違い、右翼政党の登場はナチスの嫌疑というダモクレスの剣の下にありめったにないことである。

AfDも登場直後からネオナチの烙印を押されそうになったが、EU批判を全面に出して公に外国人敵視をしないことでこの烙印をかわしてきた(Lewandowsky 2014 b)という。この論文が出たのはまだルッケがペトリーに負けて離党する以前で、党内の方針上の争いに決着がついていなかった。この争いについて、著者はこう述べる。

これはAfDの基礎を成すジレンマを表している。一つの面では穏健でユーロ懐疑的な路線では党にユニークな売りがなくなりCDUやCSUと競合する立場に近くなりすぎる。別の面では、生き方やパートナーシップのモデルの多様性に反対し強固な統合政策を支持する政党では政治的な烙印付の犠牲に陥る危険がある。

2013年の連邦議会選挙以来すべての選挙での投票者の推移を見ると、無投票者の他にはとくにCDUやCSU、FDP、左翼党に入れていた人から票を得ている(Zeit Online 2013)。

広い範囲の陣営から票が推移することから投票者の共通の反抗の方向性であることを支持しているため、AfDはその意味で選挙でも「ポピュリズム的」である(Korte/Leggewie/Lewandowsky 2015)。

多様な層から反エスタブリッシュメントの受け皿になっていて、この時はまだどちらの方針に向かうかわからなかったということだ。

しかし、党の支持者は別としてAfDの投票者層は比較的一様で、EUへの懐疑と移民増加の拒否に関連している(Köcher 2014)。

熱心な支持者同性愛ペアの養子受け入れやイスラム教を拒否する態度がユーロ懐疑主義よりも目立つという研究(Berbuir/Lewandowsky/Siri 2015: 172)もあるそうだ。

この頃の投票者像は日本語のWikipediaでも詳しく書かれている。

 

 

 

 

 

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以下で紹介するJ. Rosenfelderの研究では、2016年に採決されたAfDの基本綱領やアジール(難民の庇護)に関する文書を、それ以前の選挙綱領と比較して内容分析を行ない、公式にもAfDが右翼ポピュリズムに変遷したことを実証的に示している。

 

Die Programmatik der AfD: Inwiefern hat sie sich von einer primär euroskeptischen zu einer rechtspopulistischen Partei entwickelt? J Rosenfelder - Zeitschrift für Parlamentsfragen, 2017 - JSTOR [PDF]

 

この寄稿論文では2015年1月から2016年3月の間のAfDの発展を扱う。

この期間には4つの重要な出来事があった。つまり、党の分裂、ヨーロッパの難民危機、2016年春のAfDの州議会選挙での成功、2016年の2016年3月の第一版党綱領の採決だ1。

2015年の党の分裂と難民危機で、AfDはそれまでよりも移民反対の党と見なされることが増えた。それによってユーロ救済のテーマは後景に退く。

それに関連して2015年9月に批判的な「アジール議題文書」3を公表した。

そしてバーデン•ヴュルテンベルク、ラインラント•プファルツ、ザクセン•アンハルトなどの州議会選挙で成功を収めたという。

 

政治学では初期のAfDはユーロ懐疑主義の政党と見なされていたという。

Kai Arzheimerはこの党をイギリス独立党(UKIP)やフランスの国民戦線オーストリア自由党などよりも、イギリスのトーリー[王党派]と比べられるとしていた4。Robert Grimmも、AfDの考え方はとくに経済や通貨での連盟に対する経済政策批判で知られるため、この分類に従った。つまり、党の立場はオルド自由主義的経済の原則にもとづいているので、「親ヨーロッパだが反ユーロ」5である。

AfDは設立以来ずっと一枚岩の党ではなかった。Alban Wernerはふり返って初めに特徴的だった、経済リベラル、国民保守、右翼ポピュリズムという3つの異なる潮流について話している8。

経済リベラルの一翼は、(…)Bernd Luckeや Joachim Starbattyのような中心人物の脱退で今では大幅に影響力を失った。

※オルド自由主義や社会的市場経済は、(ぼくはよくわかっていないけど)、ドイツやオーストリアの経済リベラルを形容してそう呼ばれることが多い。

社会的市場経済 - Wikipedia

 

州ごとの違いもあり、おおむね旧東ドイツの州連盟は右翼傾向が強いそうだ。

州連盟内部の多様性もあり、

たとえばバーデン・ヴュルテンベルク州の議員Wolfgang Gedeonの反ユダヤ主義の発言をめぐる事例でよくわかる。この事件は、AfD会派の分裂につながり、会派が再び合併した後でも州連盟に大きな課題をもたらした。

 

AfDが右翼ポピュリズムであるかについては、やはり意見が分かれているとしている。たとえば、

Oskar Niedermayerは2013年の連邦議会選挙をふり返って右翼ポピュリズムだと言わない。AfDは「他者」を低く評価することで文化的な所属を示すという特徴が欠けていると言う14。

著者Marcel Lewandowsky、Heiko GieblerとAiko Wagnerらは定量分析から、AfDは他のドイツの政党と比べて明確に右翼ポピュリズム的といえると結論付けた18。

Andreas KemperはAfDの政治家Björn Höckeのジェンダー政策の立場をNPDの家族政策と比較している19。

しかし連邦の党公式綱領は、2013年の連邦議会選挙と2014年のEU選挙の選挙綱領に表れているようにこれまで右翼ポピュリズムとは格付けされていなかった21。

 

 

新綱領でどうなったのかをこの論文で検討している。右翼ポピュリズムの定義について、

ポピュリズムの定義として、

Jan-Werner Müllerの反エスタブリッシュメントの態度と「真の国民」への呼びかけという2つの基準にもとづき定義する27。

エスタブリッシュメントの態度は、政治的エリートは腐敗し利己的で権力を得ることにしか向かっていないという考えである28。

それに加えてもう一つ、自らをエリートに対峙する国民に結びつける立場を区別しなければいけない。「真の国民」への呼びかけは「道義的に唯一の代表者であるという主張」を導く29。

さらにとくに右翼ポピュリズムであるかをみるため、右翼の基準として、排他性を挙げている。

Karin Priesterは右翼ポピュリズムと左翼ポピュリズムを排除と包含の概念に基づいて区別した。それにしたがうと、前者はアジール希望者や少数民族などの人々を排除するため、排他的である30。右翼ポピュリストの考える世界ではエリートは、既成勢力と同じく「真の国民」には加えられない「社会に寄生する下層」とけしからぬ結託を結んでいるとされる31。

 

 

筆者は党の公式文書の内容分析を行なっている。メイリングの手法を用いたそうだ。対象は、新しい基本綱領と、アジールについての文書2つ、アジール決議とアジール議題文書だ。さらに2013年の連邦議会選挙綱領と2014年のEU選挙綱領を以前のAfDの文書として分析している。右翼ポピュリズムとユーロ懐疑主義の程度の変遷を見ている。

 

 

ユーロ懐疑主義の強化

新しい基本綱領では、国民国家の主権と補完性原理を理由にEUを批判している。

彼らはその代わりに、「EUを、もともとの意味で主権があってゆるく結びついた個々の国家の経済と利益の共同体に戻すこと」37 を要請する。抜本的なEU改革の開始が実現しない場合、党は「ドイツの脱退か、ヨーロッパ連合の民主的解散とヨーロッパ経済共同体の再設立」を目指すという38。

 

補完性の原理とはなにか。↓ここで丁寧に説明されている。

ポスト主権の政治思想 ---ヨーロッパ連合における補完性原理の可能性!---  遠藤乾

 

一方で伝統や文化面ではヨーロッパというまとまりを評価しているらしい。また外国の銀行へのドイツの態度や、債務リスクをヨーロッパで共同にもつことを批判しているという。

また基本綱領では、EUによって国民国家の主権が奪われたとしているそうだ。

基本綱領の多くの個所でヨーロッパの権限の再国民化がはっきり求められ、権限が国民国家に返されるべきだとされる。党は「政治的エリート」を「ひとつの国家に引き返せないようEUを発展させたこと」で非難し、その努力の中に「ヨーロッパ大国の幻想」54を見抜いている。

EU内の政治機構は民主的でないとしつつ、外交面ではヨーロッパの利益は団結しないといけないとしている。しかしそこでも国民国家の主権は守られるべきだとしているという。

したがって党は、GAPSによる形式化された共通の外交・安全保障政策や、欧州対外行動局を拒否し、そのかわりに複数の相互的な合意を擁護する。この文脈において、党は「すべてのヨーロッパ諸国がその力に応じて参加できるヨーロッパ諸国の柔軟なネットワーク」について考えている58。

 

以前の綱領では、

AfDが主権と補完性を求めるのは2013年にもすでに認められる。

党は、当時のイギリスのキャメロン首相の政治的要請と並行して、ブリュッセルの官僚機構の解体を望んでいた59。

AfDは2016年の基本綱領の中で、非ヨーロッパの国のEU加盟を文化的・地理的な理由から拒否している。たとえばトルコの加入はそれ自体が問題外である61。

さらに移民の制限も訴えている。

以前の綱領では、

2013年のEU選挙綱領では党は、「開かれた外国人に友好的なドイツを支持し」、「定住の自由も就労者の自由交通も」65肯定していた。具体的には、党は「高資格の移民」を求め、カナダのポイント制度の手本を賞賛した。

以前から統一通貨ユーロの廃止やEUの改革を求めていたが、新しい基本綱領ではドイツのEU脱退や経済共同体に戻すことを求めたり、より厳格なユーロ懐疑主義になったとまとめている。

 

 

 

右翼ポピュリズムの傾向について

エスタブリッシュメント

基本綱領で党は、とくに自身の権力維持や物質的な富に関心がある政治運営の少数集団は「隠れた専制」や「政治上のカルテル」だとしている。以前の綱領でも反エスタブリッシュメントの傾向はブリュッセル(EU官僚機構)批判で一部見られたが、反エスタブリッシュメントの傾向はずっと強まっている。

基本綱領の前文でAfDは自分たちが「政治階級が私たちに『対案はない』と信じさせられると思っていることへの対案」67と考えている。それに関連してこの党は、「国家とその機関を再び市民に仕えさせる」ことを約束する。なぜならそれらが今では好き勝手をしているためだという68。

「党員手帳経済[党閥]」や「官職の後援[縁故主義]」を批判しているそうだ。

EUも視野に入れて党は、その計画を「明白な国民の大多数の意志に逆らって、EUの中で何が何でも実行」71したがる政治的エリートを批判する。さらにAfDはEUをよそからの過干渉な保護だと見なす。

アジール議題文書でAfDは、連邦政府アジール政策の過程で移送事業から利益を得る「統合産業」73について話している。似たようなやり方でこの批判は基本綱領でなされている。「大量移民の結果、多くの場所で価格の決定権を握るカルテルのような移民産業が現れた」74。

エネルギー政策も利権だとして批判し、政治的正しさも批判しているという。

以前の綱領でもEU批判の文脈で「古い政党」や政治的エリートを批判をしていたようだ。

EU選挙綱領ではこの党はすでに2014年に、EUは「上から強制」されてはならないと述べ78、「EU内のあふれんばかりのロビーイング」をせき止める措置を求めていた79。

また党はすでにこのとき「過度に官僚主義的な市民の干渉的保護」84と称するものを批判していた。

 

 

「真の国民」への呼びかけ

基本綱領では政治的エリートが明白な国民の大多数の意志に反していると主張されている。また文化やアイデンティティを強調して国民を均質なものをして提示しているという。

ひとつ重要な関心事として書かれていることは、文化的、宗教的な伝統を守ることである。アジール決議でもAfDは、国家の任務は「国民のアイデンティティを守るため働くこと」にあると指摘している85。

また基本綱領でも伝統家族や高い出生率を指示し、「イスラム教の国々」からの移民に反対しているという。

この拒絶的態度の根拠として党は、ムスリムの移民はドイツでは教育や就業で平均以下の水準にしか達していないだろうという過去数年の体感値を示す。

AfDによるとドイツは大きなヨーロッパ文化の国民に属するので、党はドイツの「主導文化」への支持を表明して、この文化はキリスト教の伝承と、科学や人文学の伝統と、ローマ法の理解に根拠づけられており、文化多元主義イデオロギーにおびやかされているという。さらにドイツ語はドイツ人のアイデンティティの中心的な要素と解釈され、一般的な意識の中で維持され守られるべきものだとしている88。

 

 

多元主義

AfDの新しい基本綱領には、連邦議会選挙綱領とEU選挙綱領とは違い、明らかな反多元主義的な態度が含まれる。以前のEU選挙綱領ではイスラム教の議題については完全に沈黙していた。

イスラム教に対しては、

党は「ムスリムが暴力を辞さないサラフィー主義やテロにまで過激化すること」を阻止しようとする90。

またイマームの許可制や公共の場でのスカーフ禁止を求め、ミナレットとムアッジン呼びかけなどはイスラム支配の象徴として反対しているという。

それは「キリスト教の教会が現代に実践している寛容な宗教の共存に逆らう」91からだとしている。

教育政策ではAfDは、学校の授業で同性愛やトランスジェンダーを一面的に強調することを批判している。

すでにアジール決議でAfDは、アジールの権利は個別の権利であるべきで「集合的で一括に団体や民族全体に与えられてはいけない」と、制限的な立場だった。この党は、家族の後追い移民の制限するか、停止か完全廃止することを求めていた。この措置は、ドイツのアジール希望者数が大すぎるという党の前提が根拠にされている94。

アジール議題文書でもアジール申請はドイツではなく本国のドイツ大使館で済ませることを求めているそうだ。基本綱領でも「大量移民」は福祉制度と低賃金労働への移民流入につながると批判しているという。

さらに党綱領では移民流入と犯罪が結びつけられる。「組織犯罪の分野でのかなりの数の犯人が外国人である」98

2013年の連邦議会選挙綱領ではまだこの党は統合政策に関してドイツには高資格の移民流入が必要だという意見だった。しかしそれは「福祉制度への秩序のない移民流入」であってはならず、したがって当時からカナダを手本とした移民法を支持していた。さらに「切実に政治上迫害された者」はドイツのアジールを得て仕事も見つけられなければいけないとした102。政治方針ではAfDは同様にアジール権を支持し、戦争難民を受け入れることは義務だと考えていた。

2014年のEU選挙綱領でも、戦争難民への人道支援は無条件に保証されるべきで、可能ならば「故郷の近くで」なされるべきだとした104。

 

 

まとめ

右翼ポピュリズムを問う観点から、どの程度党の右翼ポピュリズム的な要素が増したかを調査する必要がある。その結果、3つの基準(反エスタブリッシュメント、「真の国民」への呼びかけ、反多元主義の見方)すべてを満たし、この党を綱領にもとづいて右翼ポピュリズムと分類することができる。

この新綱領で全面的に右翼ポピュリズムの政党と見なせるようになったという。それ以前は一部にその傾向が見られるだけだった。しかし右翼過激主義や極右とまでは言えないそうだ。

明確に権威主義的な態度は欠けていて、たとえばCas Muddeによるポピュリズム的で過激な右翼の概念化にしたがって格付けされたり、それによって国民戦線オーストリア自由党と同類の政党に属したりするほどではない106。

ただしそちらに向かう可能性もある。

バーデン・ヴュルテンベルクの州会派内の反ユダヤ主義的立場の人の処遇をめぐる争いや、Alexander Gaulandの「Boateng発言」、Björn Höckeのドイツの記憶文化に異論を唱える演説のような現在の動向は、党がさらに極右への向かうことを分析するきっかけになる。

 

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