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読書メモ:『カウント•ゼロ』

ウィリアム•ギブスンの『カウント•ゼロ』を読んだ。カッコいいガジェットやアクションと、人間や芸術のあり方への遠大な考察に引き込まれる。昔読んだ前作『ニューロマンサー』より読みやすい。

ニューロマンサーは、よく解らない記述をちょっと読み進めるとタネ明かしされるという書き方が多かった。ナボコフやピンチョンみたいな。カウントゼロにはそれがなく、人名さえ覚えていれば筋は追える。その点電子書籍は(これ誰だっけ?)となったときに(ぼくはよくなる)、検索で戻れるのでいい。

主人公の1人マルリイが大富豪ウィレイクの仕事を受けるのがブリュッセルの事務所。ウィレイクの支配下を「帝国」と表現。コンラッドの『闇の奥』でマーロウが仕事を受けるのもブリュッセルの事務所だ。マルリイがアフリカの神々の一端に関わる暗示か。MarleyとMarlowe、名前も似ている。

『闇の奥』でブリュッセルという地名は出てこないが当時コンゴはベルギー領だったので史実上ブリュッセルだとされている。19世紀のヨーロッパによるアフリカ支配を、 『カウント•ゼロ』では企業が電脳空間を介して繰り返す。

コーネルはどうか知らないけど、20世紀初めのダダはアフリカからインスピレーションを受けている。カウントゼロで、ウィグのいる場所に、レーモン•ルーセルの『ロクス•ソルス』のような、人間の歯を敷き詰めた道が出てくる。アフリカ侵略と、西洋文化へのカウンターと現代美術。

 

カウント・ゼロ (ハヤカワ文庫SF) https://www.amazon.co.jp/dp/B07169GVKK/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_TWUADbDHEGD8Z

 

 

論文紹介:移民増加で犯罪は増えているのか?2

「警察の主な役割は何でしょうか?」先生が教室に問いかける。

「殴る」

「またそれ~?」

ここ1ヶ月ほど統合コースの学校に通っている。教室はいつも和やかだ。ドイツの文化や法律、戦後の歴史などを学ぶ授業で、長期ビザのためにはこれを受けてテストに合格しないといけない。テストは簡単そうだが毎日のように学校に通うのがめんどうだ。けっこうサボってる。

クラスは14人くらい生徒がいて、20から50歳台、男女が半々で女性は子連れが多い。出身はインド3人、北アフリカ2人、東アジア1人 (ぼく)。残りはトルコやシリアなど西アジア、東欧や中東の人たち。西ヨーロッパの人はいない。文化が近いと受けなくていいのかも知れない。東アジア人は言語コースだと必ずぼく以外にも教室に1人はいたんだけど、ここでは見かけていない。

結婚した人が税金を控除されることに授業中ひとしきり文句を言っていた若い男が、授業後他の生徒の子どもと遊んでやっていた。先生は若くて快活、多言語が話せて、反AfDだ。自国の政治の問題や、ドイツで受けた人種差別について話す生徒も。


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↑教科書はこんな感じ。ドイツでは体罰はダメ、宗教は自由、家族はさまざま、などの内容。

 

 

 

前回の記事の訳の続き。

http://www.arthurkreuzer.de/KRIMINALISTIK_5_2016_Druckfassung_Flucht.pdf

 

Flüchtlinge und Kriminalität
Ängste - Vorurteile – Fakten
Von Arthur Kreuzer

A Kreuzer - Kriminalistik, 2016 - arthurkreuzer.de

 

III. 移民の公的な認識と国民の中の不安
 

1. 不安と不安の理由

外国人それ自体でも昔から土地の人に好奇心や判断の保留や疑念や慢性的な不安を引き起こしてきた。肌の色や出自や生まれから外人と見なされる人たちが集中的に私たちのもとで滞在するためにやって来たなら、初めは不安になるのももっともなことだ。ここでは5つの具体的な不安を明らかにしたい。それは財政的な負担の危惧、住宅危機の増大、労働市場への負荷、犯罪の増加、過度な外国の影響である。
Infratest dimap[世論調査をする研究所]のアンケートの回答者の半数は難民の増加が不安があると述べていて、もう半数はないと答えている。4分の3は公的な財政の負債がふえることや、経済への損害、住宅市場の苦境の増加を心配していて、ほぼ半数は労働市場での競争を心配している。
アレンスバッハ研究所は犯罪の不安の増加を詳しく調査した。これらは数年前から増加している。これは実際の犯罪が、住居押し入りの例外はあるが、停滞するかむしろ減少していることと矛盾する。誤ったイメージはマスメディアの感情を煽る犯罪描写の結果でもある。
5年前[2011年]には3分の2が安心していて、26%が自分が犯罪の犠牲者になることを心配していたが、心配する人の割合は2014年に45%に増え、2016年には51%になった。平均を上回って心配を表したのは女性と高齢者と東ドイツの人だった。そうこうするうちに犯罪や暴力が増えるという懸念は回答者の不安のピークに達し、1年のうちに52%から82%に増加した。
そのような心配の重要な理由はおそらく劇的に増加する難民の数とパリやケルンの大晦日の事件だっただろう。当のデータでは、文化的とくに宗教的な過度の外国化や、ドイツやヨーロッパのアイデンティティの喪失への心配についてのデータはないが、Doug Saundersは彼の著書『過度の外国化という神話』の中で、このような不安が広く西洋諸国の政治の中心に入ってきたというところから始めている。
以下のような3つの兆候がある。ムスリムは人口の6%未満しかいないのに、何千もの人がことあるごとにペギーダの「西洋のイスラム化に反対する愛国心あるヨーロッパ人」という呼びかけに賛同する。

国会議員のErika Steinbachは、移民の子どもの集団の中に一人金髪の少女がいて「君はいったいどこから来たの」と問う写真ツイートをネットに拡散した。
AfDはイスラムの宗教と政治的イスラムイデオロギーを同一視したがり、イスラム支配の象徴のミナレット [イスラム寺院の塔]やムアッジンの呼びかけを禁止すべきだという。このようなキャンペーンは偏見や誤ったイメージや反応を作り出す。

 

2. 偏見を生む度を越した不安の帰結

このような過度な偏見を生む不安は不安ヒステリーの風土を助長する。その風土の中ではいまなお感じられる歓迎の文化が妨げられ、社会が分断されかねない。以下のような個々のネガティブな影響が問題になる。犯罪の規模や原因の誤ったイメージは日々の犯罪行為の間違った認識や原因帰属につながる。多くの女性が田舎で車のハンドルをにぎっているときに近くの難民施設から来た肌の色の違う人に攻撃されうると感じている。たとえば調査で明らかになったことによると、言語に精通していない身ぶりをして遠くのアジール宿舎にもどる助けを求める若い男性が問題にされている。
キールの警察は、2人の若いアフガニスタン人男性がショッピングセンターSophienhofで3人の少女に粗暴につきまといケータイで撮影して写真を第三者に送り、暴徒の仲間を呼んだと伝えたが、この話全体が一連の誤認と伝達ミスだったと明らかになった。このような風潮では噂の温床が増える。ロシアの外相によってでっち上げられた話では、3人のアジール申請者によって誘拐され拉致され絶え間なく暴行されたとされるロシア系ドイツ人の13才の少女「リサ」は警察の保護を拒まれたという。この作り話が我が国のロシア語話者の不安を煽ることを狙った偽情報の政治に悪用された。700人のロシア系ドイツ人のデモ隊がそれに基づいて「私たちのリサ」と連帯し、彼らのマイノリティ性や国全体の危機的状況を申し立てた。実際にはその少女は学校の問題で両親から逃れて親友のところにいた。

 

↓この件のことなんだけど、このニュースだとドイツかロシアのどっちの言い分が正しいかわからない書き方になっている。

独と露、ベルリンの少女暴行疑惑めぐり非難の応酬 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

続き↓

不安を煽ることのさらなる帰結は、国家の保護ではもう十分ではないという感覚に繋がりうる。実際、アンケートによると6人に1人が日常の行動を変えているという。とくに若い女性が順応している。自己防衛訓練に参加することや、いっそうの気配りをねらって隣人と連絡を密にすること(隣人監視)であれば意味があるだろう。また市民の勇気も歓迎されるべきだ。市民が緊急時や攻撃の状況で救急や警察にすぐに報せるべきで傍観するべきでない。しかし、自警団の組織や自己防衛武装となると危険だからやめなさいと警告されるべきだ。

自警団は国家による暴力の専有を内部から弱らせ、自力と自発的な行為での救助保安官の考え方を促進し、しばしば頑なな極右組織になる。最近、市民の武装化は急増している。CS刺激ガスや唐辛子スプレー、目眩まし用特殊ライト、スタンガン、威嚇用拳銃の購入がブームになっていて、「小武器免許」の申請も急増している。
しかし犯罪学は武器が見せかけの安全しかもたらさないことを証明している。銃は言わば逆にこちらに発射されるのだ。武器が民間の手にわたるほど、適切でない武器の動員が多くなり、身体的な極限状況でカッとなって家庭内の争いで武器が使われ、自分やパートナーを殺すことになる。武器は子どもの手にも届き、遊んで事故を引き起こす。害のない事態が正当防衛の状況だと誤解される。実際には想定されている被害者の武器使用よりも攻撃者が先に使う。犯罪の準備をする武器所有者は武器を襲撃のさいに使う。

さらにこのような不安の風潮は周知のように政治的な変動にも導き、とりわけ党の風土が変わる。政治の公開討論に悪影響が及ぶ。極端な党、とくにAfDのような外国人敵視の政党がはっきりした政治的立場を代表できるようになる前から急に隆盛する。
それらの信奉者はテロ容疑者の予備拘束や死刑、自警団、私的武器取得の規制緩和ムスリムの宗教活動の画一的な禁止を要請している。

結局こういった風潮では、上述の外人やその宿泊所に対する犯罪が増える。さらに自警団界隈を刺激する。

 

IV. すでに起きた移民流入での経験と知見


ドイツは1945年のあと多様な移民流入を経験した。ときには、とくに親の関心がなく土地に馴染む機会が少なかった後続の世代の若者において、犯罪の問題が生じることもあった。おおむね移民は社会生活を豊かにした。たとえば、戦後の復興、労働市場の活気づけ、文化の多様性、飲食店営業、そしてまた高齢者に偏った人口の対抗要因[若い男はおおく戦死していた]として。ここに生きる5人に1人は外国の、少なくともルーツをもっている。

とりわけ旧東ドイツからの1400万人の難民と追放者はすぐに統合された。彼らは負担調整[旧東ドイツへの補償]で財政支援されすぐに集められて住居に誘導された。彼らは宗教文化の指向が同じで復興に参加する準備は万端で、戦争による人口の損失を補った。
さらにとくにスペインやイタリア、ギリシャから、社会的な歪みもなく今日まで継続している移民流入が進み、数十万人が 「客人労働者」としてやって来て、たいていは家族をつれてここに定住した。
ソビエト諸国からの約400万人の後期帰還民[東欧から西ドイツに引き揚げた人たち]の統合はそう円滑に進まなかった。第一世代はドイツ語を習得したが、第二世代はほとんど習得しなかった。多くの若い「ロシア系ドイツ人」はここで疎外感を感じ、あまり受け入れられていないと感じた。犯罪グループ出身の経歴をもつ者もいた。そしてこれがたとえば、「ロシアンマフィア」のことが話題になった少年院での反動的なカウンターカルチャーの固定化につながった。

さらにまた移民と難民はポーランドや南東ヨーロッパやボスニアコソボの内戦地域から来た。部分的に彼らは宗教や文化的に異なった指向をもっていて、かなり前からすでに風紀が乱れていて、それによって統合の困難や、また当地での犯罪傾向のあるふるまいもこれら若い定住移民で生じた。

私は青年犯罪の研究で1970年に「ロッカー集団」[バイクを乗り回す集団]の中の暴力活動を明らかにした。そこではたいていは若いポーランドやロシアからの反社会的な定住移民が参加していて、同様に当時アパートに住む高齢の独り暮らし女性をねらった孫詐欺や、ルーマニアから引っ越してきた特定のロマ族の家族を通じた連続路上ひったくりを計画的に行った。

とくに統合の問題はここ数十年で数百万人のトルコの「客人労働者」の第二世代によってもたらされた。彼らは主にアナトリアの貧しい地域出身で私たちの国に着いた父親たちの家族呼び寄せで同行してきた。私たちは「客人労働者」を一時的な滞在だと予期したがそれは外れていた。そのため統合はタイミングよく広範囲には援助されなかった。とくに第二世代は困難に晒され、ずっと土地の人間としての学校や職業訓練や仕事でのチャンスに恵まれなかった。そこからも今、難民はできるだけ早く支援し統合を求めるという結論を導かなければいけない。

これに関連して、イスラム教の国出身の若い定住移民の異なる文化的な考え方や宗教から生じる困難があるという。とくによく言われるのは、オリエントの家父長制的な思想に影響された女性に対する考え方である。多くの犯罪学研究が国籍、宗教、犯罪の関係に取り組んでいる。

 

研究成果を4つのテーマにまとめる。

 

1. 国籍は犯罪に影響する要因ではない。

 

2. 宗教は直接的な影響を通して、または価値観を仲介して社会化の中で社会行動を形成する。ただし両価的である。とりわけ聖典を字義通りに信じる、原理主義的で批判に欠け、啓蒙に反対する、絶対的真理を伝導するサラフィー主義やいくらかの福音主義の集団のような宗教的な導きは暴力を誘発する。寛容、全生命への敬意、慈悲、赦し、鎮静に重きをおく穏健な宗教的方向性は暴力を抑制する。

 

3. 生徒や大学生の研究では、相応するしつけや模範を介して、イスラム教の出自の移民家族の若者はドイツ人の比較集団よりも強く体罰の経験を報告した。いくらか弱いがこの関連は若いロシア系ドイツ人の若者でも表れた。個人のふるまいにおいて暴力に走りやすいことや刑罰に対する厳しい見方は一部これに起因する。

 

4. 予防政策や統合には効果がある。なので政策を経て、しつけの仕事の中での暴力傾向はドイツでは明らかに減少している。

 

数十年にわたる旧DDRからドイツ連邦への亡命については語られないままだった。それは十分問題なく進行したが、公式には計画的に偽って「政治難民」だとして釈放された若年層の一部でかなり深刻な犯罪問題もあった。実際問題になったのはすでに身についた犯罪傾向をもつ平凡な反社会的な人々だった。その傾向を、彼らはここで多くの自由と誘惑の条件下で発揮できた。それについて話すことは政治的によい時宜を得ていないと見なされていたが、例外的に私はFAZ紙で1981年に見解を述べることができた。

 

これ以降は犯罪防止策の提案が箇条書きされている。大きなイベントには監視カメラや警備員や警察が必要なこと、移民の情報をEU諸国間で共有すること、統合政策を進めることなどが書かれている。

報道に関するところだけ訳すと、
 

V. 犯罪予防の試み

犯罪防止のために必要な試みを箇条書きでのみ概略を述べる。警察や他の警備サービスの予防策に対する考えから社会政策の統合措置まで含む。


 警察とマスメディアに対して、誤って理解された「政治的正しさ」のせいでしばしば容疑者の民族的な出自や難民であることを秘匿してきた、と批判がなされている。しかしもっともなことだが、出版協議会は3月に出版倫理綱領の規則12.1に、「犯罪についての報道では、容疑者や犯人の民族的、宗教的また他のマイノリティへの所属については、報じている事件の理解に根拠のある関連が存在するときのみ言及する」と明記している。事件との関連はケルンでの不法行為の際には確かにあった。このような根拠のある関連付けを放棄すれば、特徴を名指しすることで誤った因果関係を匂わせ、全体をひとくくりにしたり差別を助長したりする可能性がある。

 

先月のフランクフルト中央駅で、40歳の男が8歳児押し死亡させた事件で、犯人の男はエリトリア出身で2006年からスイスに住んでいたという。これも移民の情報をEU諸国間で共有していれば防げたのだろうか。事件の数日前にドイツに来たばかりだからあまり関係はないかもしれない。

日本の外務省から在独日本人に送られてきたこの事件に関するメールでは、エリトリア国籍で13年間スイスに住んでいる犯人を単に「アフリカ出身」とだけ書いていて非常に雑な印象を受けた。

 

外国人敵視の風潮が高まったときに自警団を作ったり武器が売れたりするのは、日本とは違うところだと思う。日本だと銃に対する忌避感がある。

それに日本では右派は、警察に対する信頼が強い。外国人排除の街頭デモを警官が囲んで守る光景は日本の大都市でよく見かける。ドイツの警察内にも極右分子はいるだろうけど、組織としてああいうことはできないと思う。

そういう違いはあるけど、グローバル化した外の世界から外敵がやって来るから武装して平穏な都市や都市郊外の生活を守ろう、という世界観で作られるディストピアは現代のひとつの典型だと思う。右派ポピュリズムオーウェルの『1984年』に例える話はよく聞くけど、これはどちらかと言えばポール•セローの『O=ゾーン』の世界に似てきていると感じることが多い。

 

O=ゾーン〈上〉 https://www.amazon.co.jp/dp/4163123407/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_yF7xDbNCDAHV1

 

O=ゾーン〈下〉 https://www.amazon.co.jp/dp/4163123504/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_jF7xDbG7WHX0X

 

すごい面白いから読んでほしい。

 

 

論文紹介:移民増加で犯罪は増えているのか?

先月の30日、なんともやりきれない事件があった。フランクフルト中央駅で、40歳の男が8歳児押し死亡させたという。犯人がエリトリア国籍だということで難民受け入れの是非の議論もしばらく再燃していた。

 

ドイツの駅で8歳児押し死亡させた男、精神鑑定へ 外国籍で3児の父親 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News

 

「移民で犯罪が増えているのか」という問いについてドイツの統計を概観した記事が日本語で見つかった。

 

【検証】「ドイツで犯罪が大幅増」 トランプ氏のツイートは事実なのか 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

ぼくも統計を探したら別の情報源のものが見つかった。PFD

https://www.bka.de/SharedDocs/Downloads/DE/Publikationen/JahresberichteUndLagebilder/KriminalitaetImKontextVonZuwanderung/kernaussagenZuKriminalitaetImKontextVonZuwanderungIQuartal2019.html;jsessionid=0F6B2CEF9947E40B4FB207F139947E4D.live2302?nn=62336

上記の検証記事と数字は少し違ったが、論旨が変わるほどの違いではなさそうだ。移民がピークに達した2015年には犯罪率が増えたが、そのあと元に戻ったということだ。

 

もっと具体的な事情について法学者で犯罪学者のArthur Kreuzerが2016年に書いていたので紹介する。

http://www.arthurkreuzer.de/KRIMINALISTIK_5_2016_Druckfassung_Flucht.pdf

 

Flüchtlinge und Kriminalität
Ängste - Vorurteile – Fakten
Von Arthur Kreuzer

A Kreuzer - Kriminalistik, 2016 - arthurkreuzer.de

 

難民と犯罪         不安 - 偏見 - 事実

Arthur Kreuzer  著

 

「難民と犯罪」という主題について話すのは学問的なリスクをはらんでいる。それは極端に複雑だからだ。うまく例を選んで特色を浮かび上がらせてしか個々の問題提起はできない。それを通じて誤解を解くことができる。このテーマは偏見が多い。社会的組織や政党や政治家、メディアや議論によって誤って扱われうる。そしてそれは二極化している。

 

I. テーマ一般

議論で使われるどのキーワードにもすでに、言語的、法的な、政治的な、また世界観にかかわる了解や価値観の非常にさまざまな組み合わせに影響されている。 ここで問題にしている呼び名がすでに、もちうる意味やその解釈の複雑さや多様性、さらに重なりあいを示している。私たちは難民、外人、移民、移民背景をもつ人、庇護を求める人、外国人、ここでの合法ないし非合法の滞在者、滞在者、永住移民、第一、第二、第三世代の永住者などについて述べる。

 

II. 亡命と関係する犯罪事件の体系的な分類

 

例を挙げて5つに分類する。

1. 私たちの国での国家や社会、国民への犯行

これは一般の人々が 「難民と犯罪」についての議論で食い違いなくそのものずばりで理解しているものだ。
難民と自国民の犯罪傾向の比較が行われるときに、とくに区別されなければいけないのは、補まった違反者の大部分がいわゆる「法的身分の違反行為」だということで、これは非ドイツ人にしか違反できない。つまり、滞在の違反や、そのときどきの該当する出身地、亡命経路、登録を他の場所にしたという公的文書の違反や不正申告のことだ。他の違反では主に、店などからの窃盗やいかにもありそうな乗車賃不払い、ほかにたとえば緊急通報の誤用などだ。ときにはここで何が許され何が禁止なのかという知識不足がそれらの根底にある。ケルンの大晦日で認知された強奪や性的な侵害も同様だと思われる。「来襲」のような特定の行動パターンも際立つ。「来襲」は、脅すようにふるまう集団に隠れ、見通しのきかない人だかりで、羽目を外していること、騒音、視界の悪さ、狭い場所、不安、酒の酔いに乗じて、ビデオ監視や警官が少ないところを狙って、とくに若い女性が性的なつきまといや強姦や貴重品の強奪に遭う。これはケルンや他の大きな街の駅構内で長く知られていた。似た行動は、「アラブの春」の大きな決起集会においてや、カイロのタハリール広場で「タハラッシュ •ガメオ」 として認知されたらしい。難民の犯した犯罪全般を考察する際には、警察内の専門家らが、ブラウンシュヴァイクの刑事警察長のUlf Küchの行ったような地域の調査に基づき、地域をまたいだBKA(連邦犯罪局)の「状況報告 No.3」の中で次のことを立証している。難民の犯罪性は意外なほど毎回、自国民の比較集団の犯罪性より大きくはならない。ここでさらに考慮すべきことは、外国人らしい印象の人は他の人よりむしろ通報されやすく、したがってその違犯行為の暗数はより少ないということだ。さらにこの比較で注意しないといけないのは、難民は社会福祉の弱い地域から来た若い男性が不釣り合いに多く、そういう人たちは犯罪傾向がより強い人口集団のひとつだということだ。もっともそれでも、調査結果全体でそのような犯罪の件数が全体として明らかに増加したことに変わりはない。それは2015年に大幅にはね上がった難民の数に比例している。

難民の犯罪と区別されるのは「外国人の犯罪」だ。警察の犯罪統計が年間の犯罪容疑者のほぼ30%が「非ドイツ人」だと述べるとき、そこには短期滞在者、旅行者、ビジネスマン、生徒、学生、永住外国人、難民、永住移民、不法滞在者が含まれる。

この関連で2つの特別な現象について述べるべきだろう。一つには、ときおり難民と認められるが、少なくとも戦地から来た保護を求める人ではない外国人の多くがよく制度的に有罪になる。彼らはおもに北アフリカや東欧出身で、以前はユーゴスラビア諸国出身が多かった。彼らは滞在の見通しをほとんど持っていない。その反対にシリア、アフガニスタンイラクの戦争地域などから来る難民は新しい滞在場所を求める動機が強い。彼らは犯罪行為に関して目を引くようなことはめったにない。

もう一つは、広範囲におよぶ犯罪組織だ。最近では、詐欺窃盗や住居押し入り、薬物や武器の売買、上納金の取り立てや違法ギャンブル、強制売春、密輸団体の組織が注目される。彼らは大都市の隔絶した家族構造の中にある氏族に属し、レバノンやモロッコ、南東ヨーロッパ出身の事件関係者をともなう。2000人を超える容疑者が出たデュッセルドルフの「分析計画カサブランカ」や、ごく最近初めて大規模な警察の手入れで容疑者が捕まったベルリンの数多くのアラビア系氏族のことが想起されよう。彼らは今まで擬似司法をもったある種のカウンター社会や「無法地帯」を形成していた。しかし警察データは、黒幕はおもに外国人やかつての永住移民であるものの難民ではないと示している。

 

2. 難民宿泊所での難民の犯行

また難民の犯罪は、見通しがきかないことが多くまとめるのが難しく変動の激しい難民宿泊施設で起きる。違反行為は他の難民に対してがもっとも多く、ときどき職員に対して行われる。お互いに親しくない人間を大勢宿舎させることによるこのような犯罪の起きやすさは、ナチス強制収容所の例でもよく知られている。物質的な緊急性や言い表せないような衛生状況や不信感、プライベート空間の不足、そして生活や滞在の見通しがまったく立たないという条件下で、必要なものを「調達」し、互いに盗んだり暴力的になったりする。若い男性が無防備な女性に対して性的な侵害をすることもある。彼らには特別保護所や施設をいくつかの場所に作らなければいけない。

さらに、報告されている同居人への嫌がらせの事例の理由になっているのが、彼らがマイノリティの地位にいることや異なる民族的、性的、宗教的な指向のために敵意に遭うことで、その際に故郷から持ち越された争いが続けて行われる。たとえばトルコ人クルド人に対してやその逆、異性愛の男性が同性愛の男性に対して、また体系立った被害者アンケートを通して知られたムスリム難民が攻撃した数百の事件では、警備員の犯人もおり、まさに信仰のために迫害され亡命したキリスト教徒やヤズィーディー教徒が被害者になった。さらに広がって施設の職員への言語的、身体的な攻撃にも及んだ。

 

3. 難民に対する犯行

難民やその施設に対する犯罪、つまり犯罪被害者としての難民は亡命に関わる犯罪のもう一つの側面だ。この犯罪はかなりの部分ドイツ人によるものだ。

量的に一番多いのは侮辱やおおっぴらな中傷、挑発、中でもソーシャルネットワークでのものが挙げられる。質的に喫緊なのは、あとでも述べるがすでに挙げた、毎日のように繰り返される難民宿泊所や施設内外での個々の難民への襲撃である。加えて、モスクへの攻撃がある。2016年には4月の終わりまでにもう400件近い攻撃があり、中には宿泊所の放火40件が登録されている。2015年の300件近い攻撃では人が負傷したり危険にさらされたりした。石、爆竹、発燃剤、鉄球、発砲武器、爆発物使われたり、施設が浸水させられた。他には落書きや違法プロパガンダや乱暴行為があった。バウツェンでは見物人が火事を称賛し消火活動を妨害した。フライタールでは好戦的で外国人敵視の「自警団」が猛威をふるった。ミュンヘンではインターネットで集まりモスクやアジール施設の襲撃を計画したとして「オールドスクールソサエティ」が告発されている。解決率は低く10-15%だ。突き止められた犯行容疑者はこれまで政治的には目立たなかった者が多い。しかし、ZEIT紙の調査によると彼らはソーシャルネットワークのメッセージや意見からは極右集団に分類され、「社会の真ん中」や「市民からなる品行方正な人々」と思われているだけだ。またときには施設職員による難民への権利侵害にも至る。ミュンヘンではErstaufnahme[難民到着施設]で何ヵ月も警備会社の警備員から金銭を脅し取られていた。ザクセンでは局内での難民への傷害のために警察官が捜査されている。

 

4. 難民に関わる従業員への犯行

難民だけでなくそのために働く人もしばしば闘争的な反対派の犠牲になる。難民事業を担当する政治家もそうなりうる。重大な事件では、難民に関わる仕事に従事する福祉局長と市長立候補者のHenriette Rekerがケルンで選挙の前日にナイフで命にかかわる攻撃を受けた。その殺人未遂で訴えられた男は「ドイツ全体に向けて」「誤った難民政策」や「ドイツの組織的な自滅」や「世間離れした左派過激派の上流階級イデオロギー」に反対するメッセージを送りたかったと意見を述べた。自治体政治の責任者も暴力や脅迫未遂の被害者になっている。グレーフェンハインなどの難民支援者も激しい脅迫に遭っており、そのため十分に高く評価されていない難民支援業の中で自治体の無償の支援者ネットワークを通して不安感を負うている。

 

5.亡命制度の悪用での犯罪

最後に亡命制度の悪用での犯罪の種類について述べる。これらは概略を述べるに留める。

難民がここに到着するまでに彼らは、しばしば組織的に行われる不法入国、詐欺やゆすりから過失や意図による殺害まで、さまざまな犯罪を見聞きする。亡命制度はおそらくときおりイスラムのテロリストを難民と偽って入国させるために利用される。さらに難民の中には戦争関連の犠牲者だけでなく、積極的に戦争関連事件に参加した者もいる。さらに国から国へと引っ越してアジール申請をせず滞在の資格をとる機会もなく雑多な犯罪で生計を立てる外国人もいる。

ここに行き着いた難民の中には5~10万人の同行者のない未成年やすぐには統合の試みに参加しない者たちがおり、彼らの中から若い世代がイスラム主義の活動家や狂信者、強制売春や組織的薬物売買の人員が募集される。

 

続く。

 

 

ノイシュヴァンシュタイン城のある町

ある町の入り口に老人が腰かけていた。そこに一人の旅人がやって来た。旅人は老人に尋ねた。

「ここの町の人たちはどんな人々ですか」

老人は答えるかわりに尋ねた。

「あんたが前にいた町はどうだったかね?」

旅人はそれに答え、

「いやぁ、良い人ばかりでしたよ」

老人は言った。

「ここもそうさ」

 

しばらくしてもう一人、別の旅人がやって来てやはり尋ねた。

「この町の人々はどんなふうですか?」

老人はまた、前にいた町はどうだったかを聞いた。

「どいつもこいつもろくでもない奴ばかりでしたよ」

と旅人は答えた。老人は言った。

「なら、ここもそうさ」

 

老人は町に向かおうとする旅人を呼び止めた。

「そうだ、おまえさん。ぜったい旅ブログは書くなよ」

「うるせえ!」

旅人は逆らった。

 

…と言うわけで今回も旅ブログ。1週間休暇をとってNとフュッセン(Füssen)という町に行ってきた。バイエルン州の南部、オーストリアとの国境近くにある。ここは小さな村だがいつも世界中からたくさんの人が訪れる。あの有名なノイシュヴァンシュタイン城があるところだ。

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中世風のあの城が作られ始めたのは実は19世紀で、ビスマルクの時代だ。オーストリアプロイセンとの戦争に負け、バイエルンも落ち目だった。当時のバイエルンルートヴィヒ2世は中世の夢に逃避するようにあの城を建てはじめ、自然の美しいフュッセンで暮らしたらしい。精神を病んでいたのかはわからないが、周囲にはそう見なされていた。廃位され、変死を遂げている。

 

ぼくたちがフュッセンに着いたのはもう夜で、民宿に荷物を置いて、店が閉まる前にとすぐに外食に出かけた。住宅街は静かでどの家にもきれいな庭があった。霧が濃く小雨が降っていて、庭の木や塀の上によくカタツムリがいた。

「Schneckeだ。Schnecke」とNが言う。「Schneckeは日本語でなんて言うの?」

「カタツムリ」とぼくが答えると、

「”かたつむり"はあまり動物の名前ぽくない」とN。ぼくが「なら何の名前ぽいの?」と聞くと、

「病気」

Nの言語感覚はおもしろい。

 

レストランでの料理は本当に美味しかった。バイエルンの料理は何もかもおいしくて、ザワークラウトさえ美味しかった。

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翌日は霧も晴れ、いい天気になった。「片瞑り」病はなりをひそめ、雲もなく、遠くのアルプスが見えた。この日はフュッセンの一番大きな湖、フォルクゲン湖のクルージングに参加した。Nは船が大好きだ。船には足3つを点対象に並べたマークが描かれている。これはフュッセンの紋章で、同じマークを町のあちこちで見かける。フュッセン(Füssen)が足(Füße)という意味だからか。

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湖は、アルプスから流れこむ青く澄んだ水を湛えていた。茶色く濁っている部分は雪融けの濁流のなごりだ。雪で折れた山の木の枝も混じっている。細かい枝の切れ端が茶柱のように立って、水の流れの作用のせいか、数十本がきっちり一列に並んで浮かんでいた。

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この湖は実は1950年代にできたダムだ。別の日のバスツアーで見学したのだが、ダムは水力発電や洪水防止の機能があるそうだ。冬には水を抜かれてダムはなくなるらしい。一年のうちにこんな大きな湖が現れたり消えたりする。アルプスの雪融け水というのはそれだけ莫大な量なのだろう。f:id:Ottimomusita:20190617213822j:image

別の日にはロープウェイで山に上った。アルプスにはまだ雪が積もっている。高山植物がきれいだ。

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Nは高いところが苦手なのでロープウェイでも終始怯えていた。怖がってもしようがないでしょ、と思う。しかし一方で、もしザイルが切れて落ちたら自分で空を飛べるわけでもないし、かといって死ぬ覚悟ができているわけでもないし、怖がらないのもまた不合理だと思う。危険も安全も想像の中の話だ。

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ロープウェイの山頂駅にはクロウタドリが営巣していた。バイエルンの農地が遠くまで見渡せる。パラグライダーが出発点の山頂よりも高く上がり、さらに高いところをタカが周回している。パラグライダーは一人乗りとプロと体験者の二人乗りがあった。追い風のタイミングを見計らって次々と崖から出発していく。空でブランコを漕ぐように揺れている帆もある。あれは上級者がわざとふざけてやっているのだろう。ほとんど宙返りしそうだ。彼らは想像ではなくじっさいに自分の技能で危険との駆け引きを楽しんでいる。f:id:Ottimomusita:20190617215725j:image

Nがパラグライダーの写真をとってNの母に送ると彼女は、

「自分もやりたい」と言い、Nは

「信じられない」と言った。

Nは母の誕生日にパラグライダー体験のチケットを買ってやろうかな、と話した。ぼくにもやりたいか聞くので「やりたい」と答えた。小さい飛行機とかハンググライダーには昔からちょっと憧れがあったのだ。Nの母とぼくは誕生日がすごく近い。もしかすると空を飛ぶチャンスがあるかもしれない。

 

パターゴルフもした。

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バスツアーでは教会を見学した。バイエルン州カトリックが多く、どんな小さな集落にも教会がある。ペストが猛威をふるった頃、遺体はあちこちで一ヵ所に集められていた。そういう場所にのちに教会が建てられることが多かったそうで、見学した教会もその一つだ。あれほどの死の舞踏のあとで、教会でも建てるしかなかったんだろうと思う。内装が白い、綺麗な教会だ。
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ローマ時代の風呂の遺跡も見た。フュッセンにはヴィア・クラウディア・アウグスタの道があり、古代にイタリアから移り住んだ人々がいたそうだ。

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イタリア人の血が混じっていると言われていて、関係あるかは不明だが美味しいイタリア料理屋も多い。古代ローマの道は今も普通に使われている。中世風の城は近代初期のもの、湖ができたのは二次大戦後、主要道路は古代からある、と、なかなか入り組んでいる。

 

ノイシュヴァンシュタイン城は遠くから見るほうが美しかった。近くではひび割れあちこち補修され、ただの古いビルという印象だった。内装は豪華絢爛で19世紀の技術も随所に見られた。ここはさすがに賑わっている。駐車場も車でいっぱいだ。案外地元の車が多いのは働きに来ているのだろうか。

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色んな国から集まった観光客を見るのは面白い。みんなぼくと同じ余所者で、それぞれが別の土地や歴史的背景に属し、別の習慣をもっている。それでいて誰も自分の土地を代表なんてしておらず、普段の生活を忘れ、ただここに集まっている。

たいてい地元の人というのは近所の名所に関心がないし、あまり詳しくもない。エッフェル塔に上ったことがないパリの人と話したことがあるし、ぼくもさいきんまで延暦寺に行ったことがなかった。近所の名所は無視できる、生活の舞台のかきわりにすぎない。

しかし、旅行中何人もお世話になった、観光ガイドの人たちは別だ。毎日のように自分の土地の歴史や名所のいわれについて人に話している。あれはどういう気分なんだろう。郷土愛が高まっているのか、内心は飽きて厭気が差しているのか。

 

食事は外食するのと、安いものを買ってきて民宿で食べるのとを交互におこなった。スーパーでレジの会計を待っているとうしろから急に、

「眠ってるのか?」

とおっさんに声をかけられた。なんのことか分からなかったが、支払いの段になってもぼくがぼーっとしているので急かしたらしい。単にドイツ語がすぐに聞き取れなかったので、

「Wie bitte? Eingeschlafen?(なんですって?寝入ってたって?)」

と聞き返したら、こっちも何となくつっけんどんな返事をしたみたいになってしまった。すぐ気づいて会計に移ったが、感じ悪い。

 

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博物館は閉館時間がきて少ししか見れなかったが、最近ドイツ史の本を読み直しているので興味深かった。Nの故郷、カイザースラウテルンがフリードリヒ1世のゆかりの地だと知った。「バルバロッサ」じゃないか。その「カイザー」だったのか。バイエルン王マクシミリアン1世はツヴァイブリュッケンの地にいたことをNが教えてくれた。

「ツヴァイブリュッケン?」そう言われてもぼくはピンとこない。

「行ったでしょ。実家の近くの。アウトレットに行ったところ」

ああ、あそこ。たしか、そんな名前だったか。しかしアウトレットとか言われると歴史の情緒に欠ける。

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[↑マクシミリアン1世の胸像]

ドイツは地域ごと都市ごとにいろいろ歴史が違う。これを機にバイエルン史について学ぼうと歴史の本を買って帰った。目に入るもの、耳にするもの、あれこれ節操なく関心をもっている。これも余所者の特権だ。

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ボーフムの蒸気機関祭

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ボーフムという街に行った。ここはルール工業地帯の都市のひとつで、19世紀に炭坑が拓かれ鉄と石炭の街として発展しドイツ産業を支えた。第二次世界大戦で被害の大きかった街だが、今も当時の炭坑が歴史の遺産として残っており、博物館もある。

 

昔炭坑のひとつがあった場所の写真↓アウトバーン教会なるものも。
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そのうちのひとつ、LWL産業博物館ハノーファー炭坑を見てきた。 

Facebookページ↓

https://www.facebook.com/events/638921356509743/?ti=cl

この日そこで、スチームパンクの祭りがあったのでそれ目当てだ。スチームパンクというのは、ジュール・ヴェルヌの小説ような、歯車や蒸気機関があふれる昔のSFをあえて継承したSFのジャンルのひとつで、サイバーパンクに対抗して名づけられたものだ。ファッションやフィクションの世界観として人気がある。

 

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敷地内を機関車が走り、スチームパンクのコスプレの人々で賑わっていた。

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煉瓦造りの大きな建物の中にあるのは、炭坑から石炭や人夫を引き揚げるリフトだ。この建物の下に深いシャフトと炭坑がある。
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そのリフトを巻き上げる巨大な車がこの施設の目玉だ。動いているところも見られる。

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油を差す丸い壜がリンパ節のようにあちこちに埋め込まれた滑車はまるで生きた恐竜みたい。ある時代には確実にこいつが世界を回していたんだなと感慨深かった。 

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歴代の操縦士たち。ぴったりにリフトを停めるのは難しかったらしい。

 

機関車も素敵だった。
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スチームパンク趣味の物販やコスプレ。
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蒸気機関車の原動機で大鋸を引き、丸太を板にしていた。
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同じく蒸気駆動の煉瓦粉砕機とオルゴール。煉瓦があまりにあっさり砕かれるので来客が(どうなってるんだ?)とよく中を覗きこんでいた。オルゴールは中に色んな楽器を積んでおりこの一台が祭囃子を一身に引き受けていた。

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走っている機関車。
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スチームパンクより歴史の遺物のインパクトが強くてそっちに釘付けだったけど、何かスチームぽいお土産を買っておけばよかったな、とあとから名残惜しく思った。

いろいろあったけど、この方が作っている海賊蛸とか。

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このへんとか。

https://www.facebook.com/AristesArtifex/

https://www.facebook.com/wupperdampflaboratorium/

https://www.facebook.com/Machina-Nostalgica-243225252533306/

 

 

記事紹介:アリス・シュヴァルツァーへの批判│イスラムのスカーフカンファレンス

先週、5月8日にフランクフルトで「イスラムのスカーフ」カンファレンスというのがあったらしい。近所でやってたのに内容まで確認していなかったのだが、どうも当事者からは批判が相次いだそうだ。登壇者にアリス・シュヴァルツァーがいたようなので、さもありなんだ。

日本ではアリス・シュヴァルツァーというとボーヴォワールのインタビュー本の著者として知られているようだ。名前を検索してもその本や他の講演の情報が出てくるだけで、イスラム批判についてはあまり情報がない。これでは彼女の主張が日本に輸入されたときに、フェミニストの大御所が移民差別にお墨付きを与えていると思われてしまう。いやじっさいそうだから問題なんだけど。彼女への批判も日本語で共有しておかないといけないと感じた。

以下は10日の記事とその訳だ。

Alice Schwarzer: Übergriff auf junge Muslima zeigt ihren Rassismus › ze.tt

https://ze.tt/ihr-uebergriff-auf-eine-junge-muslima-zeigt-wie-rassistisch-alice-schwarzer-ist/?utm_content=zeitde_redpost_zon_link_sf&utm_medium=sm&utm_source=facebook_zonaudev_int&wt_zmc=sm.int.zonaudev.facebook.ref.zeitde.redpost_zon.link.sf&utm_term=facebook_zonaudev_int&utm_campaign=ref

 

若いムスリマへの侵害はアリス・シュヴァルツァーがいかにレイシズム的かを示している。

フランクフルトでのイスラムのスカーフカンファレンスでシュヴァルツァーは若いムスリマをやり玉にあげて彼女を嘲笑った。彼女の態度はレイシズムを露呈している。

 

Katharina Alexander

2019年5月10日

「彼女はインターセクショナルでない白人のフェミニズムを推進している」、「もしあなたがフェミニストなら私たちが自由にスカーフをすることに賛成するはずだ!」と大学生が叫ぶ。彼らはフランクフルト大学の前で、そこで行われたムスリムがベールを被ることについて議論するカンファレンスに反対している。

カンファレンスの中心にはアリス・シュヴァルツァーがいる。かつてのフェミニズムの第一人者であり、今日ではとりわけトランスの人を排除する考えの持ち主として知られており、難民にひとまとめに容疑をかけ何度もイスラムに反対する議論をしている。フランクフルトの大学前でアリス・シュヴァルツァーは猛烈で、強情なまでの印象を与えた。彼女は若い女性たちの方に荒っぽい身ぶりをして「あなたたちは私への百ほどの賛意を何も読んでいない」と叫んだ。

Zuher Jazmatiが撮影して彼のInstagramアカウント@xanax-attaxで共有されたこの動画 はインターネットですぐに拡散された。カンファレンスでアリス・シュヴァルツァーはスカーフをすると決定した理由はさまざまありうると認めていると述べた。彼女のふるまいはその正反対のことを示している。なぜなら彼女はデモの女性たちを見下し、レイシズム的な侮辱をし、若い女性の身体についての自己決定権を否定したからだ。これはもはやフェミニズムと何の関係もない。

 

(ムスリム)批判者たちのカンファレンス

 

イスラムのスカーフ ー尊厳の象徴か抑圧の象徴か」と題したカンファレンスは予告後にすでに反論を呼んでいた。主催者の教授のSusann Schröter博士は過去にスカーフに批判的な考え方で耳目を集めていたグローバルイスラム研究所の所長だ。しかしカンファレンスにはスカーフが少ないのと同様にイスラムフェミニズムも少ない。講演者の選択も批判された。主としてイスラムに批判的な考え方で知られる人が招待されていたのだ。その中には女性団体のTerre des Femmesの幹部のNecla Kelek博士、元校長のIngrid König、そしてアリス・シュヴァルツァーがいた。

このカンファレンスと講演者のリストを支持できない大学生がいた。それももっともなことで、ベールを被ることについての議論は、女性がスカーフ強制に反対している厳格なムスリムの国々での状況とドイツでの状況をあまりにしょっちゅう混同している。民主主義的で自由な社会では女性はヒジャブをつけるかどうかを自己決定で決めることができる。なのでスカーフは抑圧の象徴ではなく個人的で宗教的な表現のあり方だ。スカーフが本当に自由意思でかぶられているかをいつまでも疑い続けることはたとえば右派ポピュリストのような立場を焚きつけるだけだ。そのためアリス・シュヴァルツァーはいつも彼女の意見に対してAfDから拍手喝采を受けている。ドイツでムスリムへの侵害が常態化している一方でスカーフのような衣類のリスクを優先的に論じることはすこぶる奇妙である。
 

 

大学教授Schröterへの反対キャンペーン

 

とりわけヒジャブ反対論者の学問的議論が組織され実行されたことへの怒りから、大学生は #schröter_raus キャンペーンを始めることを決めた。彼らはカンファレンスを取り止め、Schröter博士を免職することを要求した。その理由はカンファレンスが右派や右派ポピュリストの立場を強めるかもしれないことだ。それに加えて、生活の実態を議題にする大学の制度的なレイシズムにも注意を喚起した。

カンファレンスへの批判を意見の自由への攻撃や誹謗と表現するメディアもあり、多くの政治家がSchröterとの連帯を示した。キャンペーンを組織した人たちは「イスラム主義者」と呼ばれた。要求を載せたInstagramのプロフィールには批判と敵対意見と侮辱がつみかさなり、最後にプロフィールは削除された。

それにもかかわらず批判者らは水曜に、催しと講演者への批判を公にするためフランクフルトの建物の前に集まった。そこではスカーフをかぶった若いデモ参加者へのシュバルツァーの侵害も取り上げられた。
 

 

シュヴァルツァーの白人フェミニズム

 

シュヴァルツァーは数年前からレイシズム的な意見で注目され、スカーフに賛成するムスリム女性の自己決定権を否定している。彼女は「スカーフは女性を他方へ、二級階層の人間にするサインだ」と2006年にFAZ誌に対して述べて、そのすぐあとにスカーフをユダヤ人につけられた星マークにたとえた。

彼女はカンファレンス前でデモ隊にそのホロコーストの相対化について意見を求められたとき、どのような意見が問題になっているかわからないかのようだった。彼女は批判者たちが意見の文脈を知らないと述べた。今日でもシュバルツァーは、EMMA誌のある記事で述べたようにスカーフを「抑圧の象徴」と見ていて、それがカンファレンスの主旨であることを受け入れている。

シュヴァルツァーは「誤配置された外国愛」のような概念を使ってスカーフをかぶる女性への寛容を誤った寛容と呼んでいる。そこから明らかになるのはヒジャブを自己決定する女性を軽視する彼女の態度だけではない。彼女は、イスラムを外国のものと考え、ドイツの多元的な社会の一部として見ていないことが明確である。したがってデモの女性への否定的な態度はシュヴァルツァーのレイシズムで濁った世界を見る目を象徴している。

 

 

記事中のシュヴァルツァーの紹介で彼女がトランスジェンダーの人を排除したことが書かれている。

今、日本のネットのフェミニズムでもトランス女性を公衆トイレや浴場から排除しようという動きが目立っている。このいわゆるTERF(トランス排除のラディカルフェミニズムの略語)の人たちの主張は、ヨーロッパでのイスラム系移民排除の主張と似たところがいくつかあるように思う。たとえば、ある属性でひとまとめにしてその属性に入る人たちを犯罪予備軍のようにあつかうことや、特定の属性の女性を女性の連帯の輪から締め出すことなど、である。じっさいフェミニズム内でのトランス差別と人種差別は共通点が多いのかもしれない。

 

シュヴァルツァーは自分の著作に賛同する人が多いことを批判者に言っていた。それが励ましになっているのだろう。しかし、差別にはつねに賛同者がいるものなのだ。

ぼくのブログのアクセス数は雀の涙ほどだけど、ときどき不意にアクセスが増えることがある。それはどうやら、最初のころ移民反対の立場の記事紹介を更新してたときや、それがリンクされたときのようだ。記事ごとのアクセス数はわからないけど、体感で反レイシズムの記事の100倍くらいだと思う。これはかなり恐ろしいことだ。PVを稼ぐ目的で書いている人がヘイトを煽るデマ記事に傾倒していく、というよく聞く話もよくわかる。そりゃそうなる。google検索ってなんか、白雪姫に出てくる正直な鏡と正反対の、嘘まで用意して見たいものだけ見せてくれる窓みたいに機能してるんだなと思う。

 

 

 

 

ゼンケンベルクへの道

ドイツ語の練習をサボりがちになっては、Nに尻を叩かれ、また地道に単語を覚え、人と会話をする機会を作るように意識して、という日々が続いている。

Nと外を歩いていると花や鳥の名前が気になってNに尋ねることがよくある。そういうときにNはよく「知らない。鳥は鳥、花は花」というので、ぼくは自分で調べることにする。日本語名とドイツ語名をどちらも調べてわかるとすっきりするのだけど、Nはそんなことよりもっと人間への一般的な言葉かけを覚えてほしいと思っているようだ。

それはまったくもっともな懸念で、身の回りの生物の分類の体系はべつに人間世界の秩序の大事な部分ではないからだ。たしかに、ゴキブリが甲虫ではなくカマキリの仲間だという事実など、知っていていても知らなくても実生活や他人との付き合いになにも影響はない。しかし、そうは言っても自然には人間の文化や日常のごたごたよりも調和した秩序と意外性があり、無視するのはもったいない魅力がある。

カルヴィーノの自伝的小説『サン・ジョバンニへの道』では、いろいろな言語の動植物名に没頭し山へ向かう父と、人間の街へ向かう主人公が対比されているが、ぼくはどちらの道にも誘われ惹かれつつも、ものぐさに日々を過ごしている。

 

5月初めに、日本の友人2人がドイツに遊びに来てくれた。この2人はぼくよりずっと生物に詳しい。彼らとフランクフルトのゼンケンベルク自然史博物館に行った。
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ぼくは2回目だったけど、前に見られなかった箇所もゆっくり見ることができた。ここはなんといっても動物の剥製標本数が凄まじい。多様性の底知れなさや、それを収集分類する人間たちの執念にひたすら圧倒されて目が回る。

見終わって、夜にはNも連れて夕食をとりに近所のギリシャ料理レストランまで歩いていった。ぼくはNと並んで歩き、後ろをついて歩く2人が話しているのを聞くともなしに聞いていた。1人が樹上を指して「あれがElster」と言っていて、ぼくもこちらに来てすぐあのきれいな賢い鳥と、"Elster"と「カササギ」という言葉を結びつけ、心地よく収まった気分になったのを思い出した。

 

 

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生物の多様性の背後にある秩序は現代では進化論として知られるが、ダーウィン以前の時代にはもちろんまだ知られていなかった。それでも物理学で統一的な理論はとっくにうちたてられており、科学的な研究方法も、各生物についての情報も十分にあり、多くの科学者や哲学者が(生物学にもなにかあるぞ)と感じていた。(いまに一見バラバラの生物たちを結ぶとんでもなく壮大な思想が産まれるぞ)と予感が渦巻いていたんだろうなと思う。さぞワクワクしただろう。それが19世紀の中頃、進化論前夜だ。それでいろんな人がいろんなことを考えていた。あの辺り、ダーウィンの時代の科学史は八杉龍一さんの本に詳しく、べらぼうに面白い。

ドイツ的には19世紀中頃はダーウィンの時代ではなく、おしもおされもしないゲーテの時代だが、ゲーテも『形態学論集 動物篇』『植物篇』という博物史を書いている。これは一見異なる形の生物間や生物の部位間に似た形が見られることを記述し、背後の普遍性のようなものについて書いている本らしい。読んでいないけど。

それをもとにエルンスト・ヘッケルがゲーテを進化論の父の一人に加えようとしたそうだ。ヘッケルは進化論をドイツに広めた、賛否半ばするが面白い人だ。彼の生物画がとにかく精密で美しい。
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