記事紹介: アイデンティティ政治と東ドイツ
前回ここで紹介したSPDの政治家Wolfgang Thierseによるアイデンティティ政治批判にいくつもの反応&反論があったので紹介する。
記事紹介: ドイツのアイデンティティ政治をめぐって
https://ottimomusita.hatenablog.com/entry/2021/04/21/000102
Thierseはここで「アイデンティティ政治」の行き過ぎに警鐘を鳴らしている。右派のアイデンティティ政治は、不寛容や憎悪や暴力にまでいくことは批判しつつも国民の歴史や文化は重要だとしている。一方で、左派のアイデンティティ政治とされるマイノリティの権利擁護は行き過ぎると不要な反発や混乱、分断を生むとしている。
一応は左右両方を批判する形をとっているが、右派に対しては憎悪や暴力を諌めながらも国民文化は重視しているだけだ。なので、実質は左派のアイデンティティ政治への批判になっている。
こういう意見が左翼の政治家から出てきたので反応も大きかったようだ。
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まずジャーナリストのKlaus WalterのTAZの記事。2021年4月1日。
Identitätspolitik in linken Szenen: Das Normale ist politisch - taz.de
Thierseはジェンダー関連の政治についていけない普通の労働者層の支持回復を狙う。今は「普通さ」のルネッサンスだ。政治運動が盛んだった68年以降しばらくは普通であることは権威主義的でカッコ悪いと思われていたが、そのあと毛沢東主義の左翼の一派が普通の労働者にアピールしていたという。
VON KLAUS WALTER
Identitätspolitik in linken Szenen
:Das Normale ist politisch
左翼界隈のアイデンティティ政治: 普通は政治的であるアイデンティティ政治は多くの人にとって不快である。なぜなら彼らには関わりがなく「普通」と見なされているからだ。左翼の文化環境と普通さの関係について。
色のある服はKグループではタブーだった。ベトナム戦争反対のデモ。[写真の説明]
「普通の人々が私の勇気に感謝していることをご存知ですか」とWolfgang ThierseはZeit誌で尋ね、大規模なマジョリティ叩きに反対した進撃を自分で讃えた。
かつてDDRの独裁に反対して戦ったThierseは、こんにち私たちの自由を脅かすものが何かを知っている。それはジェンダー・ニュースピークを用いた言論警察と風紀テロリストだ。
普通であることはいつも静的だと考えられていて、変化を妨げ、他方を非普通あるいは「他者」と名指すために持ち出される。
「AfDは見られなかった人たちを可視化した」と12月に社会学者のKlaus DörreはTagesspiegelで述べた。この党は労働者に「普通さの尺度である」意見をもっている感覚を与えた。
Cora Stephanは新チューリッヒ新聞[NZZ]で彼らの側にある真実の普通勢力について書いていた。
「普通の人は静かに暮らし、しょっちゅう煩わされたくないだけだ。彼は自分の仕事をし、税を払い、趣味と少し地域の一体感に耽る。彼は日々自分を新しく発明する必要はないし、いつもすべてに頭を悩ましていたくはない。日々の革命?いいえ、けっこうだ。個人的なことは政治的である?やめてくれ」
普通さをアピールするのは保守だけではなく、伝統的な左翼からも受けているという。普通の人というとき、たいてい暗に外国人ではない男性が想定されていると指摘する。
tazも「ゲイで都会の移民としての経歴の方がEisenhüttenstadtの普通の人としての存在よりも注目市場で多くの資本を生み出せる」とNワード[Normal]を使っている。
しかしまた、ゲイの都会の移民はEisenhüttenstadtの普通の人々の中に入れば彼は自分の身の安全を心配しないといけない。
歴史的に見れば普通の人々のルネッサンスは驚くべき現象だ。1968年の左翼には普通の人々はかっこよくないと思われていた。権威主義的性格であり、適応的でお堅くて息苦しいと。それは革命の分裂過程から生じたいくつもの毛沢東主義政党の大流行とともに変わった。
Kグループの男たち(女はほとんどいなかった)は、彼らの革命の主体(客体の方が正確だろう)つまり労働者階級を怖がらせないためにはっきり普通であるように見せた。長い髪やカラフルな服装、ロック音楽やドラッグとは、ドイツのワーキングクラスは関わりたくなかった。普通さをこれみよがしに見せてKPD, KPD-ML & KBWの政治将校らは革命のためにプロレタリアートの支持を勝ち取れると信じていた。
西ドイツの共産主義同盟では、Winfried Kretschmannも数年の普通主義訓練を修了し、彼は今もその恩恵を受けている。この元毛沢東主義者はとくに極めて普通に見える性質のおかげで人気がある。緑の党は選挙戦をKretschmannのことだけを指す「あなたは私を知っている」という3語のポスターで勝利した。農民は知らない物は食べないという知識の賢い応用である。
「キャンセルカルチャー」とくくられたもの用いたいわゆる「アイデンティティ政治」に対する防衛戦で、Kretschmann、Thierseと仲間たちは普通さに訴え、昔ながらのパターナリスティックな左翼のように「小市民」や「労働者」を引き合いに出す。普通の人は戦略の中で役割を果たす。当然それも極度にアイデンティティ政治的なものだ。ただし上から1つだけ取り上げたアイデンティティだ。伝統的なわかりやすさや、ジェンダーや移民の面倒のない秩序としての役割だ。
「普通」の他に「流行の」というレッテルも再びよく使われているという。これはかつて左翼が資本主義や消費社会を批判するときネガティブな意味で好んで用いた形容詞らしい。今は「流行りのアイデンティティ主義」のように使われているそうだ。
このように、昔ながらの左翼までもが架空の普通さを引き合いに出し、非政治的な普通の人々という新しい標的集団を設定することで、反差別運動を妨げようとしていることを著者は批判している。
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マジョリティの(右派の)アイデンティティ政治に関しては東ドイツがよく取り上げられる。東ドイツ人はマジョリティである白人ドイツ人の中では、学歴、所得、地位などが低い傾向にあり、相対的にマイノリティであるという微妙な立場にいる。
アメリカだと南部の白人、イギリスだとチャヴと呼ばれる労働者階級にあたる、マジョリティの中の置き去りにされたと感じているという人々だ。
こういう人々がポピュリズムの支持層になるとよく言われる。実際そうなのかは実証研究を見ないとわからないが。
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以下は2021年3月のZEIT紙の記事で、これもThierseに応答する形で主に東ドイツについて5人の論者が書いている。
Identitätspolitik: Wer wir sind. Sind wir wer? | ZEIT ONLINE
Identitätspolitik
:
Wer wir sind. Sind wir wer?
AUS DER ZEIT NR. 11/2021
Von Jana Hensel, Martin Machowecz, Steffen Mau, Katharina Warda und Anne Hähnig
14. März 2021, 11:07 UhrZEIT im Osten Nr. 11/2021, 11. März 2021
アイデンティティ政治
私たちは何者か。私たちは何者かなのか
Wolfgang Thierseは個別集団の利益への固定化社会の話し合いを壊すことを批判した。では東ドイツについての議論はいくつのアイデンティティ政治に耐えうるのか。5つの回答。
Endlich raus aus der Isolation
Wer sich mit anderen vergleicht, lernt etwas über sich selbst
Von Jana Hensel
ついに孤立から出た
自分を他者と比べる者は自分について知る
Jana Henselはアイデンティティ政治の議論で東ドイツの人々は周辺的にしか扱われていないとする。
アイデンティティ政治は確固たる政治運動というよりも(左派の)思想方針である。それはとくにさまざまな民族、性、文化、社会的な部分集団を考慮することで、差別を指摘し、それぞれの集団の成員がいる状況を改善し、それらにもっと承認と影響力をもたらそうとする。たしかにアイデンティティは決まった大きさではなく常に開かれたもので生成過程で理解され、絶え間ない変化ととりわけ話し合いに晒されている。
東ドイツ人という集団のまとまりはアイデンティティ政治という言葉が流行る以前から意識されていたという。しかし東ドイツ人は白人という点では移民に対してマジョリティでもあり、アイデンティティ政治との関係を定義するのが難しいという。
東ドイツ人を本質化して固定して捉えずに、データや価値観から他の集団と比較して明らかにしないといけないとしている。しかし、ドイツの再統一のような出来事は歴史的に珍しく比較も難しいという。
東ドイツ人の中の世代間の違いは移民と似ているという。詳しく書いていないが、若い世代の方が適応しているということだろうか。
再統一の過程は周辺化と副次化の過程として描かれる。つまり、東ドイツ人は古典的なアイデンティティ政治の基準とは少しずれているが、この集団を矛盾から逃れられない役割交代として説明することはきわめて意義がある。
Wir mischen doch längst mit
Unsere Haltung sollte lustvoll sein, kräftig und frech
Von Martin Machowecz
私たちはとっくに関わっている
私たちの態度は貪欲で力強く不遜であるべきだろう
東ドイツは奇妙な化学結合である。一方で東ドイツ人は歴史に誇りをもっているが、他方で歴史との付き合いに恥ずかしさを感じている。一方で東ドイツ人は地域愛が強いが、他方でミュンヘンやニューヨークにいると急に激情に燃え上がる。
東ドイツ人は自信のなさゆえに方言を隠したり、かえって自分たちの価値を誇張したり、被害者意識から傲慢になりがちだという。
私たち東ドイツ人はまた不利な歴史をもつことも明白だ。ドレスデンで育った人はエッセンやバイロイトの市民よりも四十年長く独裁政権下にいた。ライプツィヒで育った人は過去30年間、困難を脱することで過ごし、ときには嘲笑されるままになり、ときにはペテンにかけられた。エアフルトやデッサウの今の若い人さえ遺産や富の見込みが少ない。そしてそのことを私たち東ドイツ人はあまりに長い間議題にしてこなかった。
そう、それについて話すことは東ドイツ人の新しい自意識の一部だ。
東ドイツ人である彼は、東ドイツ人ができることや歴史に自信をもたないといけないという。そして西ドイツ人は東と争うことを恐れて引っ込んではいけないという。東ドイツ人が他者に自分のことについて話されるのを嫌がるのは統一の反対のモデルであり、ドイツの二元制で、何も産み出さないと書いている。
Ossismus gibt es nicht
Über Ungleichheit müssen wir trotzdem reden
Von Steffen Mau
オッシー差別は存在しない
それでも私たちは不平等について話し合わなければならない
Steffen Mauによると、東ドイツ人はアイデンティティ政治をよく知らないし、むしろ反対しているという。それは、この言葉が都会のインテリのもので馴染みが少ないためと、DDR時代の思想統制を連想させるためだそうだ。
一方で、東ドイツ人はなぜマイノリティとして自己主張しないのかと自問する。東西の不平等は相変わらず大きいし、アンケートでも東ドイツ人の半数が自分たちを二級市民だと感じているという。
東ドイツ人は民俗学的なやり方で探り出される集団にはなりたくないし、まして西部の常識からの逸脱の中にしか捉えられない集団にはなおさらなりたくない。
このように東ドイツ人を捉えるのは難しい。どのアイデンティティ政治動員にも差異が必要だ。差異は他の人と共有しない経験に依存するからだ。そこからは当事者性だけでなく、ときにはよりよく知っているという情熱ももたらされる。東部の経験をもたない人はそれについてとやかく意見してはいけない。右翼ポピュリズム的な政治家は東部のマイノリティ感情を資本にしようとする。「[再統一後の]転換の完全な終わり」や「DDR 2.0」はアイデンティティ主義者が東部人を打ち立てたり政治的に動員したりする目的のための歴史を歪曲した僭称だ。
東ドイツのアイデンティティ政治は、むしろアイデンティティにほどよく資源を扱わせる障害物に置き換わるだろう。本質主義的な集団主張はたいてい誤りに陥る。「東ドイツ人」を指すどの言葉も該当集団の多様性を隠してしまう。
集団に対する差別としての「オッシー差別」は存在しない。だからといってアイデンティティは重要ではないとか、関心とアイデンティティがときに乖離しているということではない。そうではなく、先験的にアイデンティティが関わっているわけではないということだ。利害を調整するために文化的あるいはアイデンティティ政治的な上部構造は必要ない。
一方で西ドイツ人には耳を傾ける義務があるとする。アイデンティティ政治で、マジョリティは負い目を感じさせられ苛立ちやすい。説得には、属性を固定化するより論拠の提示が重要だとしている。
Ich bleib lieber Jammerossi
Wieso für Schwarze Ostdeutsche Identitätspolitik wichtig ist
Von Katharina Warda
私はオッシーの嘆き節のままでいい
私は独りではないと理解するために私は36年間を要した。私はおそらくずっと独りではなかった。誰が知るだろう。私の同胞たちはこの社会では不可視の存在だ。
私の言わんとする所は私の経歴をもとにするともっと明らかになるだろう。1985年に私はヴェルニゲローデに生まれた。母はドイツ人の工場労働者で父は南アフリカの学生だった。彼とは私は一度も知り合えなかった。それは私の両親の関係はDDRではよく思われておらず、連絡も疎遠になった。1989年に私は5歳で、幼稚園で眠る子で初めてブニーのノートを読もうとし、パイオニアになることを夢見た。それから壁が開き、他の東ドイツ人のように私の人生は完全にひっくり返った。
初めの数年の幸福感と夢の消費社会の後、「転換」として私の記憶に残る数年が来た。失業率はとくに女性において膨大に増えた。私の母と継父も失業した。
その後、継父はアルコール依存症になり自殺、母親は鬱で長期失業に。
子どもだった私にとって転換の数年は地獄だった。私は実存的不安と感情的な怠慢の中で育った。さらにテレビの中では私の家族のような人生は普通ではないことが映し出されていた。そこにはとくに没落の経験がある東ドイツ人はせいぜいジョークキャラとして登場するだけだ。現在も多くの東ドイツ人の状況は同じか似たようなものだ。多くの人にとって転換の数年は成功の歴史ではない。当時議論に上らなかったか「オッシーの嘆き」のような名前で軽んじられた経験である。
私の子ども時代の地獄はさらに別の面もある。黒人の子どもとして私は直接にレイシズムと90年代に爆発的に拡大した極右の被害にあった。私がRostock-LichtenhagenやHoyerswerdaなどのテレビ番組で迫害を追って見ているとき、その憎悪や殺害に及ぶ暴力が間接的に自分にも向いていることを知っていた。Gubenやマクデブルクでのようなレイシズム的な狩猟は死の不安をともなって認識された。鉤十字の落書きとナチスの行進と右翼の若者グループのあるWernigeröder通りでは、危険は日々手が届くほど近くにある。二級階級で私は帰り道に職業学校の女学生たちからNワードで非難され石を投げられた。放課後に私にとっては真の授業が始まった。逃げて隠れて次第に無感覚になった。私はすぐにこの地獄の故郷に出口がないことを学んだ。
当時、私は自分の経験で、東ドイツ人としてもレイシズムの被害者としても無限に孤独を感じた。しかしとくに両者の組み合わせ、黒人の東ドイツ人として孤独だった。私の歴史は世論の中でほとんど代弁されなかった。この生活世界の不可視性はそれ自体が地獄だった。家でも東ドイツの軽視や人種差別の経験については語られなかった。私の両親は自分の問題にかかりきりだった。私はすべてを恥と不安と内なる孤独の中に埋めた。
彼女は今でも黒人であるために本当の東ドイツ人として認められないという。
あたかもすべての東ドイツ人は白人で彼らのイメージの中で同じだと言うように。しかしDDRが灰色でも白黒でもなかったように、東部は一つの物語で十分に語れるほど均質な場所ではない。東部は私が知るように人と歴史に多様性のある複雑なところだ。そしてその中には東ドイツ有色の人々や黒人の東ドイツ人の多くの歴史もある。
彼女は「Dunkeldeutschland」というプロジェクトでさまざまな出自の東ドイツ人に焦点を当てたそうだ。
それには、多様性との議論と、自身の経験と、そしていかにそれらが構造的に社会的な権力構成に分類されるかが必要だ。それはこの多様性の可視性を必要とする。そしてそれゆえ、今は強い逆風にあっていてとくに「嘆き」のような言葉で軽視されているアイデンティティ政治が必要である。好きなように名づければいい。私や他の人がこのまま不可視でいるよりは私は嘆き節のオッシーでいたい。
Reden wir den Osten nicht nur schön!
Wir bräuchten mehr Selbstkritik – und Streit mit den Älteren
Von Anne Hähnig
東部をいいようにばかりは言わない
私たちにはもっと自己批判と上の世代との論争が必要だろう。
近年、東ドイツ人のアイデンティティが注目され、東部出身の有名人がよく経験を語っているそうだ。アイデンティティ政治の隆盛もその一因だという。しかし西ドイツを批判するばかりで、十分に自分たちの歴史と向き合っていないと著者は指摘する。
映画監督のDörte GrimmとSabine Michelは、去年著作のために東部の家族に過去についてインタビューしたときに、これを明確に述べている。MichelはZEIT紙に「私は長い間この対話が欠けているという感覚を抱いている」と話した。
もちろん今もかつても(財政的なものも含め)対処があった。シュタージ書類機関、処理財団、多くの記念地、連合がそれをした。しかし、真の自己確認や世代を超えた討論は東部には未だ欠けている。
家庭で子どもが親にDDRや転換の時代について尋ねることはあったが公に議論はされなかったという。
さらにこんにちまで東ドイツ人の自己英雄化もある。東ドイツ人たとえばいくどとなく、転換後の時代が彼らにある種のアヴァンギャルドをなす「変革の力」をもたらしたと主張する。
現実にはこれは立証されない。東ドイツ人が時代の変わり目に対応する特別な能力をもっているとは知られていない。反対にむしろ、またもや新しい社会の変動を迎える意欲をもっていない印象を与えている。ではなぜ変革の力について語られるのだろうか。それはアイデンティティ政治もまた、マイノリティはいくらか進歩的で親しみやすく完結していると表現されることで促進されているからだ。
後者についてはまた、東ドイツの社会は(12年間のナチス独裁のあとの)40年間のSED[ドイツ社会主義統一党]の独裁から何らかの形で強くなったという含みがある。それはありえるだろうか。あるいは私たちはそう言うことで、独裁が必然的に長期に渡って東ドイツ住民を害しているという事実を無視しているのだろうか。
「強い男」への憧れ、レイシズム的な世界観への傾倒、国家制度やエリートに対する拭いがたい不信感、これらは東ドイツでとくによく目にする。もしかしたらそれも独裁の結果なのではないか。
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東ドイツのイメージというと、『グッバイレーニン』『善き人のためのソナタ』『 僕たちは希望という名の列車に乗った』『ある画家の数奇な運命』などの映画で聞き知っているつもりでいるけど、これらの映画も一面的なのかもしれない。
Katharina Wardaさんの"Dunkeldeutschland"(ダークドイツ)は媒体が何なのかもわからないけれど、興味を引いた。5人の中で彼女だけがアイデンティティ政治に肯定的だが、すでにステレオタイプ化した東ドイツ像ではなくさまざまな背景を含む東ドイツ人に光が当たることを目指している。
Henselはアイデンティティを本質化せずに他集団との比較で自らを知るべきだとしている。Machoweczは、劣等感からアイデンティティに固執するよりも、堂々と対等に関わるべきとしている。Mauは東ドイツのアイデンティティが右翼に政治利用される危険性を指摘する。Hähnigは東ドイツ人アイデンティティとされるものがポジティブなものだけで歴史と向き合っていないという。
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アイデンティティ政治の議論を見ていてぼくが思い出すのは、「診断名の卒業」という言葉だ。昔、不登校関係のボランティアに行っていたときに支援者の人がその話をしていた。
自閉症スペクトラムや発達障害の人は、初めて病院で診断を受けたときにしばしば、何か救われたような、認められたような気がするという。それは自分の行動特性を自閉症やADHDの障害理論で説明できると、自身を理解する上でも他人にわかってもらう上でも都合がいいからだ。
しかし、それで生きづらさや人付き合いの難しさがすべて解消されるわけではないし、同じ障害をもっていても色々な人がいることがわかってくる。そして、障害特性こみで自分自身の個性を理解するのにもなれると、「私は自閉症だ」というのをそれほど強く意識する必要がなくなる。
それを「診断名の卒業」と形容していたのだと思う。昔に聞いたので少し違うかもしれない。
診断名を「卒業」した人であっても、たとえば発達障害者の権利を主張する場面では「私は自閉症だ」と改めて公言した上で意見を言うかもしれない。同じ属性をもつ人と連帯したり、自分の立場を明確にしたりするために必要になるからだ。
この場合も「アイデンティティ政治」と呼ばれるのだろう。しかし、自分自身が何者かを考える上でその属性がもはや大して重要でなくなっている人でもアイデンティティの活動のように言われるのは少し違和感がある。
特性の属性がイコール自分自身ではないし、アイデンティティの中でその属性がどれくらいのウェイトを占めているかも人それぞれ。社会でその属性が不平等に扱われているから、反対する都合上その属性を掲げないといけない。それを他人がアイデンティティという言葉で形容するのは、何か私秘的なところに土足で踏み込むような厭な感じが、ぼくはする。