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その名はショコクス

今年はクリスマスマーケットは中止だ。

ほんとだったらあちこちの教会広場に市場が並び、ソーセージやホットワイン、ギュロスやランゴシュ、スープやお菓子、手袋、帽子などなどを売っているのだけど、今年はない。街は静かだ。

ドイツのクリスマスマーケットに日本人の友だちが来たら、妻(ナディ)が必ず勧めるものがある。それがショコクス。Schokoküsseというのはチョコレート·キスという意味で、泡のようなクリームが入ったチョコレート菓子である。


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彼女が言うには勧める理由はいくつかある。まず、日本になく輸出もできないのでドイツでしか食べられない。日持ちしないし、気圧が低いと割れるから空輸できないのだ。そして、ショコクスに似たお菓子はどこにもないこと。ほんとに無いかは知らないけれど食感がたしかに独特で、チョコの中に詰まっているのは、クリームというより、ものすごくきめ細かい泡としか言いようのないものだ。

そういうわけで彼女に言わせると、今食べなきゃ損!、なのである。

ショコクスは昔、ネーガクスと呼ばれていたが、Negerはniggerと同じ黒人の蔑称なので今の名前に変わった。Twitterでこんな画像が出回っていて、

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お店のショコクスのポップに、

「親愛なるお客様へ

かつてどんなふうに呼ばれていたかは私たちには関係ありません。こんにちこれはショコクスと言います」

と書かれている。「Negerはniggerとは違って、別に差別的なニュアンスはないよ」そんなふうに言うドイツ人もいるが、もちろんそんなことはない。アメリカほど黒人差別が表面化して、社会問題になってないからといって余所事にはできない。日本もドイツもそうだろう。


それはそうと、この画像、妻もネットで見たようである。そして彼女は思い出したようだ。(今シーズン、ショコクス食べてないじゃない) と。

クリスマスマーケットがあれば回ってるあいだに必ず一度は食べるのだけど、今年はなくて忘れていていたのだ。そういうわけで、その翌日の土曜日に製造元まで買いに行った。フランクフルトから車で40分。ハインブルクのKöhler Küsseである。


ハインブルクは小さな町で、マイン川の向こうのGroßkrotzenburgには大きな原子力発電所があり、そればかり目立っている。かつて米軍の駐屯地があった地帯はフェンスに囲まれて同じ形の大きな兵舎がずっと並んでいる。マンションに改築するようだ。Köhlerのチョコレート工場の近くに瓦工場があり、ビルのように積み上げられた瓦が塀の向こうに見えて、それがちょっと面白かったけど写真は取りそこねた。とにかくそれくらいしか見どころはなさそうな町なので間違って観光で訪れないでほしい。


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閉店まぎわに着いたのに、工場に併設された店の前には長蛇の列があった。たぶんみんな考えることは同じで、列も例年より長いのだろう。チョコレートもいろいろ売っている。夏はアイスクリームを売ってるらしい。


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これがショコクス。チョコレートも買った。


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いろんな味の種類を買った。ココナッツ、モカホットワイン味、ラム酒、などなど。ショコクスは、似たようなものがスーパーにも出回っているのだが(そしてぼくも妻にそう言ったのだが)、あれらはやっぱり別物らしい。工場で直接買うか、そしてできればクリスマスマーケットで買って食べるのがいい。観光で来た人はぜひ。

 

 

情けはハトの為ならず

駅の広場のベンチで、広場に集まるハトを眺めていた。

餌をやる爺さんを中心におおむね正規分布でハトたちが分布している。どのハトも思い思いに餌をつつき、一つの餌を2羽が狙って鉢合うと一方が他方を追い払う。

通りすがりの男が空き缶を蹴飛ばし、転がった缶がハトの群れに干渉すると、驚かされた2、3羽が飛び立つ。他のハトたちは地面に残って食事を続け、その2、3羽もすぐに引き寄せられるようにそこに戻る。

そこに、ハトを捕まえようとする子どもが走って乱入した。すると5、6羽が宙に逃れ、それに引っ張られるように群れ全体がもち上がり、一斉に大きな羽音と羽毛屑を残して飛び立った。今ここで誰かが集合写真撮ってたら全員顔が隠れたマグリットの絵みたいになろうという大群だ。ハトの群は全体がひとつの粘体生物のようにうねりながら広場の上空を一回りしたあとビルの向こうに消えた。

2、3羽ならつられて飛び立たないが、一定数の仲間が飛べばいっしょに飛び立つというルールでもあるようだ。好き勝手バラバラになって餌を食べていても、何かあって逃げるときは周囲の個体に影響されて一糸乱れず塊のようになる。集団のうねりは個にとって、ドミノ倒しみたいに避けがたいものなのかもしれない。


仕事の休憩中、そんなことを考えながら、いつものようにベンチでぼんやり休んでいた。ベンチは街路樹を囲んで円形であまり座り心地がいいとは言えないが、職場はやかましくて落ち着かない。駅の広場もうるさいが、話しかけてくる人あまりいないので他の人間と関わりになることなく安らいでいられる。とはいえ、完全に人々と関わらないことは難しい。宣教者、大麻売り、物乞い、タバコの火乞いなど、声をかけてくる人もたまにいる。


言い争う、怒鳴り声が聞こえた。毛布をまとった髭モジャの大男が、ブルカを被った女性2人と対峙して、大声を上げている。声が大きくなってから気づいて見物を始めたので何があったのかはよくわからない。

近くにいた別のモロッコ系の男が、

「ナチめ!」

と加勢し、大男を罵倒する。(この男もよく駅広場にいて、モロッコ出身というのは前に聞いたのだ)

「私はふだんは何ユーロか差し上げてますよ。今は手もちがないだけで」

女がそう言ってるのが聞こえる。おそらく、髭の大男はこの女性2人に物乞いして拒絶され、何か言っちゃいけないことを言ってしまって、それで口論になったんだろう。しばらく言い合いして大男は去り、モロッコ系の男と他の通行人が女性2人に慰めの声をかけ、「よい一日を」と彼女らも去った。

男は少し離れたところで猛然と立って、また物乞いを始めた。愛想の悪い人間は物乞いでも上手くいかんのだなと思うと気分が滅入って、ぼくはちょっと路上生活者の男に同情した。


ロッコ系の男がそのあと通行人の若い女に「よう、ねえちゃん」と声をかけ、会話しだした。その女は自分のダンスの仕事の話をしていた。ちょっとしたいざこざに居合わせたせいで何となくその場が知らない人に声をかける雰囲気になっていたのだと思う。その若い女が今度は僕に話しかけてきた。

スマホもってる?」

と聞いてくる。ライターを貸してくれとはよく言われるが携帯電話は珍しい。この辺りは盗難が多く、僕も以前ここでスマホをひったくられそうになったことがあったので警戒しつつも、彼女が自分の鞄を無防備に僕のベンチに置いたので、

(まあ、いいか)

と思って応じた。

電話をかけたい場所の住所を言うのでGoogleマップで番号を調べてやる。聞いたことのない小さな劇場のようだ。電話したいというので発信して渡す。

仕事の応募か売り込みかわからないが、ダンサーとしてそこで出演したいらしい。「世界一のダンサー」という言葉が何度か出てきた。かけ終わったあと、

「ダンサーのピナ・バウシュ知ってる?」

と聞いてくる。「知ってる。映画は観た」と答えると、

「知ってる人初めて会った」と。ピナ・バウシュにダンスを習ったのか、なんなのかよく分からなかったが、とにかくそのような現代舞踊を彼女もやっているらしく仕事を探しているそうだ。今はイベント関係の業界は苦しいだろうなと思う。そのあと少し話し、また携帯電話を貸してほしいと言うので貸した。

今度は親族にかけたようで、ずいぶん長く話している。途中から機嫌が悪くなり、電話の相手に不満を述べている。どうも彼女の叔父が亡くなったのを電話口で知らされたようだ。顔も知らない人の訃報が名も知らぬその姪に、僕のスマホを通じて伝えられたということだ。話は長引き、僕の休憩時間は残りあと少しになった。ようやく話が終わったので僕は、

Mein aufrichtiges Beileid! (ご愁傷様です)

が思い出せなかったので、

Tut mir leid! (お気の毒に/ごめんなさい)

で済ました。

若いダンサーはスマホを返し、「叔父さんが死んじゃった…」と鞄をベンチに置きっぱなしで、フラフラと広場の中央の方へ歩いていく。

僕はここでの自分の役目を終えたことを見てとり、「もう行かなきゃ」と急いで去った。広場ではドミノ倒しの連鎖はまだ続いていたのだろう。

 

茄子ピリピリ言わない派宣言

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茄子を食べたときに舌がピリピリするのは、アレルギー反応らしい。

ぼくは茄子を食べたとき、炒めた茄子よりも煮た茄子でとくに、辛いような味と舌がピリピリ傷むような感覚をもつ。誰でもそう感じるのだと思っていたのだが、そうではないらしい。アレルギーなので、ピリピリしない人とピリピリする人とがいるということだ。茄子がそういう山椒みたいな味にならないような調理法がないか検索していたときに偶然それを知った。

知らなかったとはいえ、それ自体は、

(あぁ、そうなのか)

と、とくだん意外な知識と思わなかった。けど、それにまつわる親子の体験談を読んで、長年のわだかまりを目の当たりにしたような気がした。エピソード投稿していたのは母親で、幼い娘が「茄子を食べると舌がピリピリする」と言ったというところから文は始まっていた。

そこでハッとした。

茄子で舌ピリピリを、ぼくは今まで誰にも言っていなかったことに気づいたのだ。家で食事に文句をつけるのはためらわれたし、茄子はそういうものだと思っていたこともあり、わざわざ言葉にすることはなかった。

この娘はピリピリすると言ったあとに、でも大丈夫、茄子は食べられるとつけ加えている。なのでこの子が無神経だから言葉にできたわけではない。自分の感じたことを素通りせずに拾いあげ、必要以上に拒絶的にはならないように人に配慮している。

同じことがあったとき、どれくらいの人がこういう言語化をできるのだろう。ぼくはたぶんかなり口に出さない方だ。自分の感性は事実の前ではとるにたらないもので社会的に共有するほどの価値はない、というのが基本姿勢で、よほど親しい人にしか話してこなかったように思う。

感じたことを素直に言葉にしない人たちも、少数派だろうが、ぼく以外にも確実にいるはずだ。自分の好みや感覚を、感じて自覚するところから言語化して他人に伝えるまでに、いくつかのドアがありいちいちポケットからそれに合う鍵を探さなければいけない人たちが。

「昼飯なに食べた?」

と聞かれて、本当はうどんを食べたのに何となくそれをそのまま言うのがためらわれて、

「蕎麦です」

と何の得にもならない嘘までついてしまう人がぼく以外にもいると思う。それが率直に言うより楽なのだ。

感じ方の違いというのは思わぬところに、思った以上にある。前に職場の友人が居酒屋で話していた。

「酒って苦くない?いや、ビールとか焼酎とかがちょっと苦いってみんな言うやろ。そうじゃなくて、チューハイとかカクテルも全部苦いねん。

これ、医者に言われたんやけど、何万人かに1人アルコールそのものの味を感じる人がいて、俺がそれらしいねん。」

医学的に何かの説明がされる特徴にせよ、好みにせよ、こういう違いは無数にあるのだと思う。しかし、たいていはみんなおおむね同じという前提で回っており、細かい齟齬はコミュニケーションで調節する。しかし、そこでぼくを含めた「茄子ピリピリ言わない派」の存在が躓き石になる。(そもそも「茄子ピリピリしない派」が多数派なのは置いといて)

 

言語化されない感性の違いはどこに行くのだろう。その一部は、頭の中だけで言葉にされたり、社会的な文脈を気にしなくていいところで文字にされたりするだろう。(このブログのように) もしくは言葉にされず十分に意識も向けられず、見えないすれ違いのリスクとして軋轢やディスコミュニケーションを招いていることも考えられる。

「これ、嫌いだったなら言ってくれればよかったのに」

「言うほどでもないと思ったんだよ」

自分を表現するのが苦手な人が、いたるところでそういうすれ違いを起こしているにちがいない。

他方で、さらりと言語化された感性はどこに行くのだろう。おそらくそういうものがコミュニケーションを円滑にし社会を豊かにしているのだろうと思う。

「でも、それが何だというのか」ピリピリ言わない派はそう反論する。「すんなりと、溜め込むことなく感性を共有して認められる。お前だけの世界は、そこで終わりじゃないか」

おそらく素直に感じたことを言えない僻みだろう。あるいは、とるにたらないものとして素通りされてきた自分の感覚たちの怨念か。長い逡巡で後回しにされて、ようやく言語化を許され日の目を見た感性こそ洗練されたものであるはず。そうあってほしい、というのが茄子ピリピリ言わない派の切望である。

 

 

論文紹介: FEMEN トップレスの抗議とムスリム女性(続き)

前回の続き。

http://ottimomusita.hatenablog.com/entry/2020/11/09/235556 (←前回)

 

ここでチュニジアの女性活動家のAmina Sboui (Amina Tylerとも)に言及されている。

Aminaはトップレスの抗議をしてチュニジアで騒動を起こした。彼女はfacebookにトップレス写真を公開し、すぐにグローバルに注目を受けた。彼女は胸にアラビア文字の文で自分の体の独立と自己決定権を支持し反抗した。Aminaは逮捕され、上述のFEMEN活動家Josephine Wittはチュニジアまで行き彼女の解放を求めて抗議した。FEMENはすでにこの抗議がムスリム女性のために必要と見なしており、Amina釈放のための公の抗議を招集していないことからも、イスラム女性が自身のために戦うことができないという印象をもっていたようだ。
 

FEMENはすべての女性の必要性と権利のために責任をもつことを望んでいて、フランスでのブルカ禁止に反対したと発言しているが、筆者はそれを疑わしいとしている。

 

女性の政治的解放を求める戦いはすべての女性におしなべて適応可能なわけではなく、文化的な周辺の条件はさまざまな側面での解放の望みがあることを示している。ここでは再度、インターセクショナリティの概念を援用しないといけない。この概念はたとえば肌の色など他の差異に注意を向けて、フェミニズムの言説にさまざまな手続き、とりわけ目的をもつことができる。

 

 

FEMENのトップレス・ジハードデイとイスラム教との戦い

 

ドイツ内でのFEMENのイスラム教に対する抗議はいくつかあるが、そのどれもケルン大聖堂での抗議のようにすべての新聞が報じるようなことはなく、あまり注目されなかったそうだ。

「Amina解放」抗議は比較的注目された。この抗議でWittは逮捕され、1ヶ月近く勾留されたそうだ。チュニジアでの行動の他に「トップレス・ジハード」という反イスラム教の運動があった。

 

FEMENはAminaの逮捕のあと2013年4月4日を「トップレス・ジハードデイ」として宣言し、世界中の女性に呼びかけて、裸の上半身の写真と「My Body Against Islamism!」「Fuck your morals!」の文言を公式ホームページに投稿し、これは世界で大きな反響を呼んだ。

 

保守的なムスリムはAminaをトップレスの抗議の罰として投石で殺すと脅した。YouTubeの動画にはShevchenkoと他の活動家がベルリンのモスク前での「トップレス・ジハード・デイ」を公開した。

 

「Fuck your morals!」、 「Free Amina」、「Fuck Islamism」のようなスローガンが最初はフェンスの前で若い女性から叫ばれ、Ahmadiyyaのモスクにさらに近づいてフェンスを乗り越えることになった。

 

ここでも暴力的な反応を引き出そうとする挑発が見られるという。この抗議に対する批判は以前のこのブログでも紹介した。

記事紹介:「イスラムのフェミニズム」 - Ottimomusitaのブログ

 

 

またFEMENは、2014年ベルリンのイスラム週間のさいに、「ベルリンーともに作る街」というテーマのパネルディスカッションでも抗議のために突入している。これはメディアの関心が低く、雑誌のVICE以外、ほとんどの新聞で報じられなかった。VICEによると、

活動家たちが裸の抗議によってパネルディスカッションを中断させたあと、VICEのジャーナリストのMatern Boeselagerは活動家たち部屋から出そうと穏便に試みたことを報告している。登壇者のひとりは「あなたがたの出動には感謝します(…)が、どうか部屋を出てください。たいへん有り難いですが、だからこそこのイベントを開いているのです。この出動は称賛に値しますが、あなたは抑圧されたと感じる人たちと話すことができるでしょう。」

 

Boeselagerは、FEMENの目的はよくわからないがムスリム女性との対話には失敗しておりムスリム女性が意見を述べる機会が奪われたと結論づけた。

 

パネルディスカッションでのFEMENの抗議はイスラム教への攻撃とみなされた。PEGIDAのようなイスラムへの排外主義は、すでにムスリムに支えられているドイツ社会では許容されない。

一方で特に2001年9月11日の攻撃後、イスラム教はテロリストという否定的なイメージと結びつけられた。また女性を抑圧する宗教として左派からも攻撃された。

Beverly Weberによるとこのイスラム教を軽視した見方はひとつの人種差別の形態となっている。

 

さらにWeberの主張では、ムスリムの女性は従属的で抑圧された女性だと認識され、そのことでとくに政治的な領域から締め出されることが多い。

 

FEMENは宗教に反対し、さらに女性は宗教に反対していると主張する。これによってムスリム女性はFEMENに賛同しなくなる。上述のチュニジアのFEMEN活動家Amina Tylerも、FEMENはイスラム嫌悪的だとして、最終的にFEMENから距離を置いている。

 

フェミニズム的なムスリム女性は裸の抗議の方法で「解放」されたくはなかったので、facebookに「ムスリマプライド運動」と「FEMENに反対するムスリム女性」が生まれた。

 

 

 

 

ムスリマ・プライド運動(FEMENに反対するムスリム女性)

 

多くのムスリム女性はFEMENが自分たちの自立性を認めていないと感じている。それは西洋が頼まれてもいないのに東洋をイスラムの独裁者から解放しようとするように響く。多くのムスリム女性は自分たちの宗教とフェミニズムの組み合わせの中で根本的な矛盾を感じていない。

 

たとえばムスリム女性のtwitterユーザーMehaはイスラム教はフェミニズム的な宗教だとすら述べていて、これはもちろん、女性はイスラム教から解放されるべきで抑圧的なものだとするFEMENの発言に反している。Mehaはさらにツイートで、自分の信仰はフェミニストとしてのアイデンティティの一部だと思うと述べている。

 

samirkuxは、FEMENが彼らに耳を傾けるべきであり彼らの代弁をすべきでないと投稿していて、BeBe_786は、このような抗議は彼らの生き方や宗教やものの見方に反していると宣言した。ここでは多くのムスリム女性が、FEMENが自分たちの願いや想定に適うように戦っているとは考えておらず、また助けを求めてもいないということが明らかでである。

 

 

Nadia Buttは、「女性に反対するムスリム女性」のFacebookページに彼女の写真を掲載し、FEMENの解放闘争に対するグループの態度について非常に明確な声明を発表している。「#muslimahpride#femenで、自分の服装をする女性の権利をサポートできます。 私の体、私の選択、私の宗教。」

 

 

FEMEN活動家たちはムスリム女性からのこの否定的な反応を認識しているが、彼女らが真実を抑圧していると主張している。Inna Shevchenkoは批判的にこう述べる。「人類の歴史の中ではいつも奴隷は自分たちが奴隷であることを否認している。(…)彼女らはポスターに彼女らは解放されなくていいと書いているが彼女らの目には『助けて』と書かれている」FEMEN活動家たちはムスリム女性が真実を否定しているか、自分を守れないほどに抑圧されているかだと非難した。

 

「トップレス・ジハード・デイ」への反対運動としてこのムスリム女性のグループは「ムスリム・プライド・デイ」を演出し、その前にはFacebookに「裸は私を自由にしない。私は救いを求めていない」や「私は自由だ」といったスローガンのついた数百の写真をアップロードした。

 

「特権のある女性が、西側からの支援を必要とする無力なムスリム女性という同じステレオタイプを広め続けているという事実にうんざりしている。」166

 

ジャーナリストでムスリムフェミニストであるKübra Gümüsayはtazの記事でこう書いている。「イスラム教の価値体系に反抗する『トップレス・ジハード・デイ』はAmina Tylerや他の女性のための連帯をしようとしていたかもしれない。しかしFEMENの女性たちはけっきょく反イスラム教のルサンチマンに陥ることしかできず、人種差別的でイスラム嫌悪的なステレオタイプを利用した。とりわけ彼女らは、何十年もイスラム教の国々で女性の権利のために尽力してきたムスリム女性すべてに大きな中指を見せている。」

 

Gümüsayは最後にこう考察を書いている。「主体性を認めず理解力を否定する。フェミニストはそういうもの反対して戦うのではなかったか。

 

長かったがまとめると、ムスリム女性の自立性を認めていないこと、裸を自由と結びつけて他の多様な女性の経験を無視していること、非暴力的な抗議と言いながら挑発がエスカレートしていること、資本主義を批判しながら消費を促していること、などが批判されているようである。

こういった団体は活動の資金繰りが難しいので商品を売るのはある面でしかたないのかもしれない。

セクシズムに反対しながら性消費的な広告の手法を利用していること、宗教批判をしながら宗教的な言い回しや偶像化を好むこと、などは危うさはあるがアイロニーとしてやっていることはじゅうぶん理解できる。この筆者は疑わしいと書いていたが、FEMENはフランスでのブルカ禁止に反対したと言っているので、ムスリム女性に対する不寛容も改善していける希望はあるんじゃないかと思う。

 

この論述は2015年のものだが、ホームページで誕生日を祝われていた創始者メンバーのひとり、Oksana Shachkoは2018年にパリの自室で亡くなっている。おそらく自殺と書かれている。

トップレス抗議の権利団体「FEMEN」創設メンバーが死亡、自殺か 仏パリ 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

さいきん胸元の大きく開いた服を着た胸の大きいアジア系の女性が、そのままでの美術館の入場を拒否された件に対してFEMENは抗議している。

【谷間で入館拒否?】フランスで約20名のトップレス女性らが美術館に集結し抗議活動! (2020年9月17日) - エキサイトニュース

 

あいかわらずおもしろニュース的なメディアの扱い方は気になるが、この行動は当事者のニーズとの乖離もなく時宜を得ており、成功していると言えるんじゃないかと思う。

 

論文紹介: FEMEN トップレスの抗議とムスリム女性

FEMENという国際的なフェミニスト団体がある。FEMENという団体名はそれほど有名でないがトップレスの抗議は世界中で報道されている。上半身裸で抗議行動をしている様子をネットニュースなどで見かけた人は多いと思う。

もとはウクライナの性産業、性ツーリズムを批判する団体だったがメンバーが増え、世界中で活動を展開する中で抗議の目的も多様化していったようだ。抗議の対象にはプーチンや仏の国民戦線のほかに、保守的なキリスト教イスラム教も含まれるようになった。

このブログでも以前何度かFEMENに言及していたが、それもFEMENがイスラム教に対して女性を抑圧する制度だとして批判しているという文脈だった。西欧のある種のフェミニストイスラム教を女性抑圧の象徴として批判するとき、その点ではイスラム嫌悪や移民排斥をする極右と一致してしまうという現象を何度か紹介してきたが、FEMENもその傾向が指摘されている。

 

イスラム教とフェミニズムの関連についても述べられている、FEMENについての5年前の論述を紹介する。

 

 

„I am God“ und „FEMEN Akbar“: Die Beziehung der aktivistischen Frauenrechtsbewegung FEMEN zu Christentum und Islam

2015

Lisa Breddermann

[https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://trace.tennessee.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=4565&context=utk_gradthes&ved=2ahUKEwiliKiA2vXsAhVQJBoKHRJZAf4QFjAAegQIAhAB&usg=AOvVaw0aAiE-npkhfe1Aecm_pXBA:title=[PDF]]

 

最初にこの論文ではポストフェミニズムに触れている。ポストフェミニズムは、フェミニズムはすでにその役目の大半を果たしたという前提で今までのフェミニズムとは違うイメージを演出したフェミニズムである。この名前自体は遅くとも1980年代前半からあるが、この論文ではその始まりを2000年代と設定している。

(このブロクでは以前ここ で紹介した潮流)

 

20世紀の終わりにフェミニズムは死んだと考えられてTime Magazinの「フェミニズムは死んだのか?」のような記事が出版されたが、21世紀の初めは新しいタイプのフェミニズムが生じた。いわゆるポストフェミニズムやポップフェミニズムである。これはとくにかつての女性運動とはっきり区別されるのが特徴だ。またフェミニズムの目的は政治から文化まで、宗教など、フェミニズムの言説内にさまざまな領域を含めるものに拡大した。

 

また、フェミニズムの対象領域が狭い意味での政治や社会進出だけでなく、文化や教育、宗教にも拡大したことを指摘する。

 

FEMENの活動は、反抗の焦点が反プーチンに向いているときのように政治的な分野だけでなく、社会、文化、そして宗教の空間にも関わっている。

 

ポストフェミニズムはしばしばフェミニズムの過去の形態から距離をとるタイプのフェミニズムである。ドイツでも、たとえばドイツ語圏の2つの著作が模範になる新しい形のフェミニズムがとくに21世紀に発展した。1つはSusanne Klingner、Meredith HaafとBarbara Streidlの『私たちアルファ女性 -なぜフェミニズムが人生を美しくするのか』と、もう一つはElisabeth RaetherとJana Henselの『新しいドイツの女性』だ。

 

こういった新しいフェミニズムには、しばしば有色人種やセクシャルマイノリティの視点が欠けていて、白人中産階級の女性中心だと指摘される。

 

Sonja Eismannは「Hot Topic 現代のフェミニズム」でポップフェミニズムを定義して、ポップフェミニズムにはまだ明らかに「女性と社会」のテーマに属するレズビアンや移民女性の視点が欠けているとしている。

 

フェミニズムのインターセクショナリティについての議論は、Hester Baerも述べるように、ポストフェミニズムで抑圧されるか無視されているようだ。「HenselとRaetherは、(…)インターセクショナリティの現代的な広がりで最高潮に達した数十年のフェミニスト理論を故意に無視している」。ポストフェミニズム的な言説における人種やマイノリティの無視の事例はドイツのフェミニズムの歴史ではこれ1つだけではなく、すでに80年代にもインターセクショナルな方法をとるフェミニストと白人中産階級フェミニストの間に緊張関係があった。

 

インターセクショナリティのフェミニストの例として1980年代にAudre Lordeに設立されたドイツの黒人女性のフェミニズム運動であるADEFRAがある。これはとくにこれまで無視されてきた女性の利益を中心に置こうとした。

 

FEMENはこの宗教敵視の観点で、今日しばしば宗教に対してされるような批判、つまり女性抑圧だという批判ををする。ドイツで拡大したPEGIDAの運動を見れば明らかなように、FEMENは単独で宗教批判、この場合はとくにイスラム教批判をしているわけではない。なのでFEMENはこの点で、つまり家父長制的な宗教への批判という点で、現代のドイツのメディアの関心を的確に捉えている。しかしそれでもここでは一般化は試みない。なぜならPEGIDAがイスラム教に抗議しているだけで彼らが女性のために戦っていることを意味しないし、同様に女性のための戦いはイスラム教に反対することと同じではない。

極右と一部のフェミニストイスラム敵視で足並みをそろえていて、どちらも批判すべきであっても、両者は同じものではないという指摘は重要だろう。

 

FEMENの組織

FEMENの初のメディアに効果のある行動について出版社のある記事はこの女性運動とその目的について、「その若い女性(Anna Hutsol)は横行する売買春との戦いを旗に記した女性学生組織『FEMEN』のリーダーだ。この女性たちの目的は政府がウクライナへの性観光の流入を禁止する法律を公布することだ」と説明した。

このあとメンバーが増え、活動地域や目的は拡大したという。

さらにメッセージが届く範囲を新しいメディアを通じてグローバルに広げることが可能になる。世界中のメッセージの受け手は画像やコメントをSNSに投稿するだけでFEMENの討議に参加できる。

FEMEN自身も公式オンラインショップ(www.femenshop.com)や他の公式サイトに載せている声明で、世界中ですべての女性の権利の平等を求めて戦う国際運動が重要で、彼女らの体はマニフェストで、胸は抗議だとされる。また目的は家父長制に対する非暴力的抗議だという。

 

裸の女性の体を通してまさにセクシズムを求めて戦うという矛盾が明らかにここにあり、それはFEMENによって意図的に先鋭化されている。裸の抗議を通じて家父長的なイメージを砕き、身体について家母長制のイメージを打ち立てようとしているからだ。

 

より正確なFEMEN像を描くために以下では運動の公式ホームページ(www.femen.org)を分析する。

 

指摘されているポイントは、

  • オンラインショップのような作りのホームページに、活動報告のほかにスローガン入りのFEMENの製品の宣伝がある。
  • 理念の文には「初めに身体があった」など聖書もじりが多用されている。
  • 活動家は強いアマゾネスと表現され、新規活動家のためのトレーニングジムもあり、警備員や警官に排除されるさいに抵抗する訓練をしている。
  • サイト上で中心的メンバー(Oksana Shachko)の誕生日が祝われ、メンバーが逮捕や起訴された経歴も書かれている。ある種の英雄崇拝、殉教者信仰のような扱いに見える。
  • 花の冠はウクライナ伝統のヴィノクだが「不服従」のシンボルと説明され、むしろ自由の女神、キリストの茨冠、英雄としてのローリエ冠を暗示。
  • 非暴力的なトップレスの抗議が女性解放の唯一の手段だとしている。

 

 

裸の抗議とインターネットメディア

 

さいきんの社会運動は、インターネットやソーシャルメディアをうまく活用して情報を瞬時に拡散し、活動に役立てているのが特徴だ。FEMENもそうである。

なのでメディア機構とFEMENの依存関係が生じる。たとえばモスク前での抗議はジャーナリストが抗議に興味をもってそれを報じたときのみ有効だ。

 

そのうえでメッセージとして画像はとくに重要だ。Henrike KnappeとSabine Langはこの可視化の過程を記事「声と囁きの間:英国とドイツでのオンライン女性運動アウトリーチ」で「組織化だけではなくコミュニケーションのための、機動性を高めて活動を広める運動レパートリーの転換が見られる。オフラインからオンラインへ、そして大規模な抗議からターゲットを絞った資金調達とキャンペーン活動へと転換する。」と説明している。

 

Gapovaによると、このようにメディアでの必要に迫られてしばしば、人気と視聴数を高められる個人的な関連をメッセージの材料にして、プライベートの公開が行われる。そこでは「人が生活している様子が演出される」。

 

この側面は明らかにFEMENの抗議行動にも認められる。たとえば上述の活動家の人となりを見せたり、Oksana Shachkoなどの活動家の誕生日を祝ったりする点だ。

FEMEN以外にトップレスの抗議をする団体として環境保護団体やスラットウォークを紹介している。環境保護団体は裸の傷つきやすさと自然さを結びつけているというが、フェミニズム的な抗議でもこの関連は考慮に入れるべきだという。

Judith Staceyは彼女の著作「The Empress of Feminist Theory Is Overdressed」で制度的でない「感覚的な肉体」を称揚しているが、著者は、

裸の体は依然としてセクシュアリティの象徴で、特定の特徴によって限定されて普遍的でないものではないのではないか

と、制度から解放された裸の肉体という概念に懐疑的である。

 

Stacy Alaimoは記事「The Naked Word 」で、裸であることは特定の真実や誠実さを表に提示し、裸の抗議の裏側にそれ以上のこと、すなわちメディアの注目を維持したいという意思を隠すことができる、と述べている。「これが知名度を得る簡単な方法であるという皮肉だがそれほどあてにならない感覚に反して、裸の体の理想的なビジョンがあり、共通の肉体性、共通の傷つきやすさを仄めかしている。」

FEMENはトップレスの抗議をタブー破りだと考えているが、ドイツではテレビにもよく裸の胸は映るのでタブーとは言えない。アメリカでは検閲されることが多く、地域によって違うそうだ。しかしFEMENの抗議の方法は文化や国に関わらずいつもトップレスだと指摘する。

しかし、それは文化的環境に応じて非常に多様な意味や解釈をはらみ、さまざまな反応を引き起こす。

 

また著者は、Gillian Roseの著作『Werk Visual Methodologies』から引用し、写真は単なる現実の反映ではなくすでに文化的解釈を経て呈示されたものだという。

身体は、FEMENの場合女性の身体は性別固有の言明内容をもっており、多くの意味伝えていて、それだけでサイズや人種、性別を介している。身体は「性別、人種、階級で分類され、正常/異常または有能/無効として特徴を表す。」

 

著者はFEMENに対する批判はさまざまだとして、Theresa O’Keefeによる批判を上げている。

O’Keefeによる批判は要約すると、

  • FEMENは資本主義を批判しながら、ホームページでは商品宣伝をして消費を求めている。
  • 抗議に裸の胸を使うことでセクシズムを強化している。
  • 若いきれいなモデルのような白人女性ばかりを動員し、他のタイプの女性を排除し、それによってジェンダー規範を強化している。
  • 裸になることを女性の自由と結びつけることで、裸の文化的な意味の多様性を見落としている。

などである。

 

Jessica Zychowiczは彼女の著作『2つの悪い言葉:独立ウクライナのFEMENとフェミニズム』の中で、彼女の焦点はFEMENの「煽動代理店」の分析に向けられていると宣言している。したがって彼女は問いを立てるさいに、FEMEN活動家が良きフェミニストかどうか考えるのではなく、彼女らが作り込んだ大騒ぎによってとくに一般世論や公衆の関連でどのような効果があるのかを問うべきだとしている。

 

Zychowiczの批判は、

  • FEMENの戦略は性観光を問題にする可能性が低い男性の視線をフェミニズム的な話題に向ける上で効果的である。
  • 白人の美しい女性ばかり集めているのは性規範のパロディとして機能している。
  • 主要メンバーの偶像化と、社会運動のブランド化、商品化を批判。

など。

 

今のFEMENはモデル体型の白人女性ばかり集めているわけではないそうだ。かつてFEMEN創設時に男性リーダーがいたときは彼が意図的に美しい女性を選び、ブランド化していたが今は組織はその男性から縁を切っているらしい。

FEMENの抗議行動の意図が誤解される一因は、裸の胸などの画像の多義性や複数の解釈の可能性だと著者は考える。さらに宗教や文化を越えるとFEMENの意図はいっそう通じなくなる。

 

 

抗議におけるFEMENの宗教への態度

 

フェミニズムと宗教 2つは対極にあるものか

FEMENは抗議の対象に宗教を上げており、基本的な家父長制機構としてイデオロギー的に打倒するべきものと名指されている。

たとえばジャーナリストのCath Elliotは宗教とフェミニズムの関係に関して、キリスト教はいつも女性の自由と平等に反対してきたのでキリスト教徒のフェミニストは形容矛盾だと主張する。

このような考えもあるがフェミニズムと宗教の関係は多様である。

 

たとえばWendy McElroyは『Religion and American Feminism』の中で、「幸いにして、宗教はフェミニズムの枠組に合わせてふたたび自己主張してきているようだ。私が『幸いにして』と言ったのは、宗教はおそらく近代のフェミニズム徐々に死にゆく状況を打破する数少ない力だからだ。その状況とは教条主義である。」と書いている。McElroyは宗教を、フェミニズムの進歩を阻む脅威ではなくフェミニズムが固定されたレールから逃れ新しい観点を発展させるチャンスだと考える。

 

RedfernとAuneは『Reclaiming the F Word』で「宗教改革主義者」、「宗教修正主義者」、「精神革命家」、「世俗フェミニスト」というフェミニズムの4つのグループを提示している。

 

重要なのは、フェミニズムと宗教はどうやら結びつくこともでき、原則として正反対というわけではないということだ。

 

RedfernとAuneのアンケートが示すところでは現代の多くの(イギリスの)フェミニスト無神論者を自認している。

一方で、一部のフェミニストは信仰とフェミニズムが調和でき、アイデンティティに不可欠だと考えているという。しかし、それらのフェミニストも教会から距離をおいているそうだ。宗教の概念が情動的で主観的なため、定義が人によって異なり、議論は複雑化するという。

 

 

イスラム教にはフェミニズムはないと古くから信じられている。Sariya Contractorは著作『Muslim Women In Britain』でムスリムフェミニスト数人に、フェミニズムの言説のどこに自分を分類するかのアンケートをしている。この若いムスリムの女性らは公共の場、とくに職業訓練、仕事、家族などの中での女性の地位を求めて戦っている。アンケートを受けたムスリム女性はContractorの質問に多様な概念でそれぞれのフェミニズムの形態を答えた。たとえば、「 『イスラムの目覚め』、 『復活するイスラム』、 『イスラム教徒の女性の権利』、 『イスラムの実践』、さらには 『ムハジャ・ベイベ』」などだ。目につくのは、どの概念もイスラム教から離れおらず、むしろ自分の運動と宗教を統合しているがフェミニズムの概念は避けていることだ。

 

 

ケルン大聖堂での抗議

FEMENとキリスト教の関係を表す出来事として、ケルン大聖堂での2013年のクリスマスの抗議を紹介している。2013年にFEMEN活動家Josephine Markmann alias Wittが、ケルン大聖堂でのMeisner枢機卿とのクリスマスのミサに上半身裸で乱入し、祭壇の上に乗ってFEMENの主祷文: 「私は人間の創造者地上にいる自由で平等な女性だと信じる。そして彼女が生まれもった彼女の体の不可侵性、尊厳と権利の自由と平等を信じる。」を叫んだ。

 

この事件はメディアに大きく取り上げられ、好意的な論調も批判もあった。Kölner ExpressはWittに同情的で、彼女が参列者の一人に平手打ちされたことを伝えている。また批判もあり、

 

教会などの保守的な界隈には注目だけでなく怒りをもたらす。興味深いのはそういう注目依存への反応としての意見で、ケルンのDominikus Schwaderlapp補助司教はシュピーゲル紙によると「過剰な公開で、そのようなものに価値を認めるべきではない」と述べた。この言明で彼は直接FEMENの戦略に反論している。なぜならFEMENの戦略はまさに抗議での過剰な公開を必要としているからだ。

tazのインタヴューでWittは、胸の露出は戦略としてやっていて性的な対象物にはなっていないのでためらいはないと話している。Wittは、

 

「私はタブーとされて極度に性的なものとされた女性像をそこで示したかった。私の信仰は、私は人間性の地上の創造者である自由で自己決定できる女性を信じるというものだ。」という。

 

Wittは信者と制度的な宗教の区別しているが、ミサを訪れた人たちは彼女の抗議で個人的に攻撃されたと反論している。

FEMEN活動家は裸での抗議のさいにスタッフや警備員などに無理やり排除されることが多いが、FEMENはこれによって家父長制の隠れた暴力性が暴かれることになると考えていて、意識的に挑発もしているらしい。

 

この抗議への批判は多かった。ドイツカトリック中央委員会の会長Alois Glückは、Wittの抗議行動は意見表明の自由とは関係がないと述べた。公の集会妨害の禁止や住居侵入罪に該当する場合は意見表明の自由も認められないからだ。また、

Grünenの宗教政策の広報Volker Beckは「私は§166 StBG(かつての冒涜罪)が削除されること、§§167StGB(宗教行為の妨害)を§§123StGB(住居侵入罪)に適合させることに賛成です。」

としつつ、

Volker Beckはさらにインタビューで「(…)裸の抗議はミサでの信者への敬意がなく不必要な妨害」だと述べた。

 

ハンブルク大司祭のWerner Thissenは、ハンブルク出身のWittのケルンの抗議を自分に関係があるとして彼女を対談に招き、しかしそこでは服を着るようにと述べたそうだ。

コメディアンのTom Gerhardは、貧しい人々に手をさしのべる教皇にくらべて、Wittは威張った恥ずかしいスープチキンで、注目依存性で偏狭な原理主義そのものだと書いた。筆者はこの意見は辛辣だがよくなされる批判の要点をついているとしている。

 

Wittは宗教行為の妨害のため罰金1200€の判決を受けたと2014年にいくつかの新聞が報じている。

 

その他に、キリスト教への抗議とイスラム教への抗議の違いも述べられている。キリスト教への抗議はドイツ国内への抗議捉えられやすいせいか、怒りを買いやすく、メディアの注目が大きい。

またイスラム教への抗議はイスラム教の女性抑圧的な性質が議論にのぼるが、キリスト教への抗議ではそういった議論はなく、意見表明の自由と集会妨害の関係などが論じられる。

 

後半→

https://ottimomusita.hatenablog.com/entry/2020/11/09/235649

記事と書籍紹介: ベルリンの「慰安婦」像

ベルリンのミッテ区に平和の像、いわゆる慰安婦像が一度は許可を得て設置されたが、区に許可を取り消され、撤去されかけるという出来事があった。現在は撤去保留になり像は残されているそうだ。twitterでtazの記事を内容紹介している人がいたので貼らせてもらう。

 


区が許可取消しを撤回する前に、tazの記事で概要を読んだので紹介しておく。tazはベルリンが本拠地で、政治と芸術の関係についての理解も年季が違うので、何かちゃんとしたこと言ってくれてるだろうと僕も一番にここを参照した。


tazのSVEN HANSENによる2020年10月13日の記事。


Trostfrauen-Mahnmal in Berlin: SPD will „Friedensstatue“ erhalten - taz.de


https://taz.de/Trostfrauen-Mahnmal-in-Berlin/!5719528/?goMobile2=1601856000000

 

ベルリンのモアビットの慰安婦像をめぐる論争の動きがある。SPDのミッテ地区連盟は「地区役所は、モアビットのBremer Straße/Birkenstraßeでの公式受け入れイベントを実施し、許可取り消しを撤回することが求められている」と言明した。言明したのは地区委員長のJulia PlehnertとYannick Haanだ。

第二次世界大戦時の日本軍によって強制的に売春させられた朝鮮の人のブロンズ像は戦時性暴力に反対する記念碑である。これは9月28日に地区役所によって公式に許可され、独立独韓コリアン協会によって設立された。しかし地区役所は、日本政府に強く要請されたあと許可を取り消した。像は10月14日までに取り除かれることになった。

日本政府はすでに何度もこのような像の設置を妨害してきたが、ソウルやサンフランシスコなどのように阻止に失敗もしている。このテーマを追って見ている人によれば、日本の保守的、右翼的な政府のこの議題の取り扱いは戦時性暴力の防止と後処理には役立たず、むしろ否定と軽視を促すという。

SPDの共同地区委員長のHaanによるとこの像は「女性への戦時性暴力に反対する重要な貢献」である。こういった議題では区役所は決定を透明化して提示しなければいけない。「この件ではそうはならなかった」とHaanは言う。日本との良好な関係と東京との姉妹都市関係はSPD地区連盟にとって重要だが、歴史の後処理は「広く市民社会にも参加させるべきだ」という。

 

戦争における性的奴隷制に対する戦いの先駆者

日本軍は第二次世界大戦時に少なくとも2万人を征服したアジア太平洋地域から軍隊の娼館に誘拐してきた。かつて強制売春させられた人たちは1991年からようやく勇気を出して自らの運命を公にできた。彼女らは今日国際法に基づく、戦時中の強姦と性奴隷の有罪判決を求め戦う勇気ある先駆者と見なされている。ボスニアコンゴイラクでの集団強姦はこの議題が今も重要であることを示している。

しかし地区役所は日本政府の圧力で取消しをして、この像は日本と韓国の歴史戦で韓国にのみ肩入れすることになると評価した。区長のStephan von Dassel (Bündnis 90/Die Grünen)は、「平和像とその銘板に関して政治や歴史をはらんだ複雑な争いがあり、その処理をドイツでするのは適切ではない」とした。

(中略)

この決定に反対する抗議のため、この像の発起人たちは「ベルリンよ、勇気をもて。慰安婦像は残さないといけない」のモットーのもとに火曜日の12時モアビットの記念碑での集会のために呼びかけた。「像の撤去でドイツは犯罪者の側に身を置き、さらに積極的に制度的な性暴力と性暴力一般の可視化に反対するようはたらくことになる」と呼びかけでは言われている。

「私たちは、ドイツが性に関わる戦争犯罪に明確に反対する立場をとり、記憶の文化の国のままでいてくれることを望む。外交関係の配慮が、サバイバーの記憶を求める権利を奪う理由になってはいけない。」参加者は像の横の椅子に座り、そのあと動物公園の役所前に行くことになっている。

(後略)

 

他にも日韓独のいろんな立場の人が区の決定を批判している。そして前述のように、今日14日に取消しを再検討することになり、像は残されている。


このいわゆる従軍慰安婦の問題は、ミッテ区が初めそう考えていたように、日本と韓国の間のいざこざではない。第二次世界大戦時の日本軍による組織的な性暴力は、日本の史学に関わる学者らも犯罪として認めている。戦時性暴力はもっと広い普遍的・国際的なテーマで、たんなる二国間の外交上の火種や、かけ引きの道具ではない。


普遍的な問題として考えるといっても「戦争中は多かれ少なかれ、どこでもやっていた」と雑に一般化してしまうことではない。個々の事例は具体的に解明する必要がある。そうして初めて他の問題との類似や相似が明らかになり、metoo運動のように、他の地域や時代の被害者も声を上げやすくなるだろう。


上の記事にはボスニアコンゴイラクでの集団強姦の例が挙げられ、このテーマが現在も重要だと述べられていたが、ドイツでもナチスの時代に日本軍の慰安所と似たものが作られていたそうだ。ドイツではこれと合わせて考えるのが順当な流れだと思う。


『日本軍「慰安婦」問題の核心』林博史

花伝社, 2015 によると、

ドイツの実態


一方ドイツでは、軍ならびにSS(ナチス親衛隊)の管理による慰安所が作られていました。もともとこの問題で、日本語で出版されたものは、九〇年代に一冊あるだけで(クリスタパウル「ナチズムと強制売春」 明石書店、一九九六年)、日本ではほとんど知られていません。二〇〇九年にドイツで、「強制収容所売春棟」 (ロベルト・ゾマー著)という大著が出され、邦訳はないのですが、「季刊戦争責任研究」第六九で内容を紹介しています。 これは強制収容所における「慰安所」について記したものです。ナチはユダヤ人だけでなく、売春婦を犯罪者として摘発し、強制収容所に収容していたようです。(後略)

 

収容所以外の、ドイツ国防軍の「慰安所」については、いま少しずつ研究がすすんでいるようですが、まだ全容の解明にはいたっていません(第Ⅳ部補論でさらにくわしく論じている)。

 

これまで明らかにされているところでは、第二次世界大戦の時に、これほど軍が組織的かつ大規模に軍慰安所を開設し利用したのは、日本軍とドイツ軍(ナチス親衛隊SSを含む)だけだとみられる。

 

この本ではさらに戦時性暴力の国際比較も試みられている。一読をすすめる。
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論文紹介: 西欧家庭での移民女性によるケア労働 スイスの場合

西欧では女性の就業率が高まったことで、それまで家庭でケアを担っていた女性が働きに出たため介護や育児などのケア労働をする人が足りなくなった。

それに加えて、高齢化や、福祉国家の転換による支出の削減などでケア労働力の需要はますます高まった。

こういった背景から、比較的貧しい東欧や非EUの女性が西欧の家庭に雇われて、ときに非合法に、ケア労働を引き受けている。

以前このブログではドイツとオーストリアについてこの移民労働者の状況とそれをめぐる言説を見てきた。(このブログの「移民」タグ参照)今回はスイスについて論文を紹介する。EUでは多くの加盟国の国民がEU内を自由に行き来でき、自由に働ける。そしてこの自由交通権の対象範囲は拡大しつつある。

スイスはEU加盟国ではないがEU内の自由交通についてはドイツと同じように認められており、東欧諸国もふくめ、スイスへの入国や就労が自由に認められる国の範囲も拡大している。

 

Transnationale Care-Arbeit: Osteuropäische Pendelmigrantinnen in 

Privathaushalten von Pflegebedürftigen

Sarah Schilliger

(国をまたぐケア労働: 要介護者のいる私的な家庭での東欧振り子移民女性

Sarah Schilliger)

 

この論文は2013年のSarah Schilligerによるものである。

2011年、とくにEU内の自由移動権が拡大した2011年1月からスイスでもメディアなどで家庭で低賃金で働く移民女性が話題になったという。振り子移民というのは、完全な移住を前提とせず、2週間から3ヶ月からの間西欧の家庭で働いてから出身国に戻り、また西欧の同じ家庭に働きに来る、振り子のように行ったり来たりをくりかえす移民労働者である。これを主に自由交通権の範囲になった東欧の女性が行っているという。

メディアの論調は、労働が違法であることを告発するものと、高齢世帯にとっても移民労働者にとっても利益になるWin-Winの解決策だと褒めるものとに分かれたそうだ。

 

「スイスでは東欧女性が不当な低賃金で家庭ケア要員として働いている」(NZZ am Sonntag, 13. März 2011)。「窮地のなか違法な天使が増加」(Appenzeller Zeitung, 28. Februar 2011)。「見習いで時給3フラン: 今、不当低賃金のケア要員女性が到来」(Blick, 22.07.2011)。

 

たとえば2011年7月27日のNZZでは認知症の人を介護するポーランド出身の女性が紹介され、そこで「仕事をとおして第二の家族を見つけ」、「スイスの新しい家族は居心地がいい」とされた。

 

いくつかのメディア報道ではスイスの家庭で主に違法で働く東欧女性が約3万人いるという数字が周知された(たとえば Rundschau auf SF1, 29. Juni 20111)。この評価は高くみつもりすぎだろう。

東欧女性の家庭での労働がじっさいどれくらい増えたのかについて確かな数字はないが、議論が活発になったことや、巡回看護師が家庭で東欧女性をよく見かけるようなったこと、派遣会社が増えたことなどから、スイスでも増加しているのは確かだとしている。

 

 

増加する私的な家庭でのケア市場の社会的、政治的背景

まず筆者は移民ケア労働者が増加した背景について論じている。背景として、福祉国家の転換、家族構造やジェンダー関係の変化、ケアセクターの民営化、高齢化、EUの自由交通権を挙げている。

福祉国家の転換というのは、高齢化で長期入院する高齢者が増え医療費がかさんだことで、社会福祉や医療の支出削減が喫緊の課題になったことによる政策の転換である。日本でも同様の転換があり、2000年から介護保険制度が施行されている。スイスではその過程で民間の介護セクターが増えたようだ。

 

製造業とちがって介護や世話の労働は、賃金の安い国に場所を移したり、切り詰めて短期化したりはできない(Madörin, 2007)。したがってネオリベラリズム構造改革の枠組みで、合理化措置としていくつかの国でケアの仕組みはますます民間の人員に「アウトソーシング」され、しばしば公的な助成金も削減された。公的財政によるケア部門が少なくなるほど民間の供給の需要は大きくなる(van Hooren, 2012, 144)。民間の(多くは営利の)セクターによる介護や家事サービスの割合が増えると、グレーな市場にある私的な家庭内の労働関係の特殊な形式が形成される。その多くは低賃金で不安定で、たいていは移民女性が行なっている。

 

しかし、この民間のケア分配の増加はどこでも同じように広まったわけではない。高齢者介護の供給の組織化に関してかんたんに3種類の福祉国家ジームの間で区別することができる(van Hooren, 2012, 142):

エスピン=アンデルセン福祉レジーム論というのがある。

福祉国家の発展を自由主義ジーム(アメリカ合衆国など)、保守主義ジーム(大陸ヨーロッパ)、社会民主主義ジーム(北欧)の3類型に分けたものだ。この説に対してフェミニストから家庭でのケア労働が反映されていないと反論があり、またイタリアやスペインなど南欧はこの3つに分類できない「家族主義レジーム」なのではないかという反論もあった。それを受けてアンデルセン自身も理論に修正を加えている。

この論文では自由主義ジーム、家族主義レジーム、社会民主主義ジームの3分類を使っている。

つまり、ケア労働そのものは家庭にゆだねて、国はケア費用を助成するという形を家族主義レジームとして、南欧タイプと中欧タイプを区別していない。

(日本も家族主義レジームだと言われている。『家族主義福祉レジームの再編とジェンダー政治』辻由希 著がすごくクリアで分かりやすいのでオススメ。ケア労働をどう分配すべきかという観点から、日本の政局と福祉政策の動きが分析されている。)

 

これらの分類で見るとスイスはかなり特殊なようだ。GDPあたりの長期介護の支出のグラフが載っているが、北欧やオランダなみの高さで世界有数の高福祉と言ってよい。しかしその内訳を見ると民間の支出が半分以上で、この割合は自由主義ジームの代表のようなアメリカよりも大きい。医療や看護サービスは主に公費で賄われているらしく、その他の福祉や介護分野への民間企業の参入が多いという特徴がわかる。

スイスでも、介護は家族がするものという規範がまだ根強く、介護をしているのは男性より女性が多いということも触れられている。しかし民間企業を介して移民女性に介護を任せる人が増えている。筆者はその背景について論じている。

 

一つは女性の就業率の増加である。

 

女性の就業率は過去数年でかなり増加した。スイスはヨーロッパ内の比較でも女性就業率が高く、15歳から64歳の女性の76.5%は有償の仕事に就いている(BFS, 2012)。

 

育児の場合と同じように親族の世話でも介護の不足のさいに就業の仕事量を減らすのはたいてい女性で、介護をする親族の定量的なアンケート調査でも親を介護する女性の57%が介護の状況で仕事量を減らす必要があったと答え、16%が仕事を完全にやめなければいけなかったと報告した(Perrig-Chiello et al., 2010, 25)。

 

また介護の民営化や合理化である。上述のようにスイスは介護業界への民間企業の参入が多い。

スイスはとりわけ高齢者介護と健康の領域において「民間福祉国家」である(Streckeisen, 2010)。これは民間の営利目的の介護サービス提供者にとって理想的なお膳立てになる。

 

他の背景は、在宅介護の需要が高まっていることと高齢化である。これは他の先進国でも同様だろう。

スイスでパートタイムの人員投入には住み込みの介護女性が動員されるが、それは代理店のマネージャーが説明するようにもっぱら振り子移民女性である。

「24時間介護にはスイス人女性はいません。それらは介護の必要な人の家庭で生活しいつもそこにいなければいけません。そしてスイス人女性はその仕事をしません。しかもその仕事はたくさん稼げるというわけではありませんし、スイス人女性はそのために働きたくはないのです。これはたしかです。」

 

スイスの要介護者の家庭に住んで働く移民女性は主に東欧出身で、とくにポーランドハンガリーリトアニアスロバキア、そしてまたドイツ出身の人もいる。したがって通常はEU25ヶ国の市民である。多くは、子どもが青年か成人になっている45歳以上の女性が関わっている。高い失業率と低賃金のため西欧で仕事を探していて、家族を養い子どもに職業教育を受けさせるために働く、高度な資格をもつ女性も珍しくない。しかしスイスでは彼女の職業資格は問題にされず、女性として生まれもったとされる別の能力が求められる。つまり、いわゆるケア労働の能力であり、高齢の要介護者を世話したり料理や掃除、洗濯をする能力だ。

女性としての性質だとされることを求められながら、自分で子どもを生み育てることは期待されておらず、移民労働のために自分の家庭でのケア労働をする機会を失っている、という状況が読み取れる。

以下では24時間介護の仕事の現状と法的な問題が論じられている。家庭でのケア労働は看護や医療行為以外の生活全般の世話である。

明確な業務一覧はないことが多く、仕事と休憩時間の境目があいまいで、24時間必要に応じて呼び出されるそうだ。

 

たとえば車椅子の患者との散歩が代理店マネージャーの報告では介護サービスに数えられておらず自由時間と記帳されている。また食事介助が要る認知症患者との場合でも、いっしょに食事する時間が仕事とみなされていない。

給与は低く、社会保障も不安定だ。

この職は大部分の場合は期限付きか一定期間の雇用で、それに応じて解雇予告期限は短い(2日から7日前に通告)。

 

ケア移民女性は、給料の不足以上に、夜の休息時間の少なさに不満を述べている。

 

プライベート空間の少なさ、社会的孤立と心理的な過剰負担:

 

…専門的な支援を受けていない介護者はとりわけ重度の要介護事例(進行した認知症など)で精神的に限界に達しているか過剰負担になる。

 

3.2 法的なグレーゾーン

 

さいきん合法化された、家庭での高齢者介護の新しい労働市場のための法的枠組み条件は複雑で欠けているところもあり、そのぶん労働契約は広範囲にわたって調整されていない。

 

派遣したときの指示権: スイスの派遣法ではスイス以外のヨーロッパの会社からスイスに従業員を送ることができる。調査された代理店の多く(とくに安くサービス提供しているところ)は派遣法にもとづいている。

この法律にもとづいている場合、従業員に対する現場での指示は派遣した会社がしないといけないが実際には家庭の要介護者や親族がしているそうだ。会社が指示をしない場合、人材貸与にあたり、これは国外の会社には認められておらず違法になるという。

みなし自営業: いくつかの企業は自営業者を家庭に斡旋している。しかしケア労働者は1つの家庭でのみ仕事し、一人の雇用者がいるだけなので、この形態もやはり規則外である。

 

在留法: 国境往来許可をもって活動するケア労働者もいる。これは毎週故郷の国の居住地に帰ることを想定したもので、通常の振り子移民の2週間から3ヶ月の行き来のリズムで実施されるものではない。他の代理店は法的に無許可でできる年間90日営業日を越えていて、それ以上の期間雇用するための許可を申請していない。

 

長すぎる労働時間と夜間の待機時間: 私的な家庭の職場は労働法の対象にならないので、労働法に定められた最大労働時間と夜間労働に関する規定は適用されない。

 

給料の計算: 2011年1月1日に公布された家事のための国の通常労働契約(NAV)では労働時間は定められておらず、最低賃金だけ決められている。

待機時間の給料を支払っていない会社が多いという。

たいていのケア労働者は1日に5〜8時間分しか給料をもらっていない。有効な労働時間と同席時間にもとづいて給料を計算すれば多く企業はNAVの定める最低賃金を大きく下回る。

 

3.3 斡旋代理店と介護企業の論理

ポーランド出身の支援員女性は安いだけではなく、あなたと同じ屋根の下で暮らすのでをよりよくお世話できます。思いやりがあり、心暖かく、愛に満ちていることが彼女らの本質です」(www.gute-wesen.de)。スイスとドイツで24時間介護サービスを提供する斡旋代理店のGute Wesenはそう宣伝している。代理店と介護企業は伝統的な家族の価値を売り込み、高齢者介護の女性は(福祉的権利と社会的地位をもった)「労働者」としてよりも、「お手伝いさん」、「善き存在」、「家族の働き者」として描写される。単に性別が女性の介護員ではなく、特定の故郷をもつ女性が重要にある。そこで介護企業は民族的なステレオタイプを利用し、ポーランドの女性はとくべつに思いやりがあり、心暖かく、控えめで働き者で恩を忘れないものとして表現される。ポーランド女性がしばしば日常でもカトリック教徒であることも隣人愛と道徳性の証拠のように肯定的に言及される。またこれは、宗教的な背景がキリスト教にある肌の白いヨーロッパ女性は馴染みがうすくないというメッセージでもある。主に45歳以上の女性が働いていることを、インタヴューを受けた社長は「年配の女性はもう性的に活発ではない」ため利点として見ている。彼は若い女性と区別して年配の母親たちは外出する欲求が少なく、ずっと家庭に残って働けると考えている。

 

多くの介護企業はこの家族モデルと人との関わりの論理をよりどころとして、合理化と効率化の圧力が強く、個別ニーズに対応がしにくい公的施設による在宅医療と差別化をはかる。

 

4 まとめと展望

 

外国の家庭への出発で女性たちは一時家族のもとを離れ、その家族の世話を今度はどうにかしなければいけなくなり、親戚か隣人か、さらに貧しい境遇の女性や別の国からの女性が業務を引き継ぐ。このように、アメリカの社会学者のArlie Hochschild (2001)が「グローバルケアチェーン」と名づけたようなグローバルな依存が起こる。これはグローバルな生産の鎖と同じように大陸全体にまたがることもある。ケアの鎖という比喩は、原料の代わりに福祉財、つまり感情労働が北側の国々に横領されるような植民地主義を暗示している。その地域へのアウトソーシングを犠牲にして、西欧のケア危機が防がれている(Widding et al., 2009)。

筆者は、移民労働者の労働力がスイスで使用され、労働力の回復は故郷の国でなされる体制があるという。

東欧の移民女性をスイスに斡旋しているある代理店のマネージャーの話では、認知症患者のいる家庭での2、3ヶ月のフル稼働のあと女性たちは「パワーを出し切って」いて、故郷の国の家族のところで回復しなければいけないという。

また社会保障職業訓練のコストもスイスでは保障されず故郷の国任せになっているという。

 

最後に政策についての展望を書いている。筆者は、不安定で低賃金の24時間介護は規制を強化すべきだと提言している。家庭での労働も労働法の対象にして、見逃されやすいぶん、しっかり監視が必要だとする。また公的なケアセクターならば違法労働を減らせるし、それは財政的にも可能だと言う。

家庭を労働法の対象下にする要請は国際レベルでドメスティック・ワーカー・ネットワーク(International Domestic Workers Network, IDWN)も行っている。この自主組織のネットワークの枠組みで世界中の家庭労働者はここ数年、家庭労働者の権利のためのILO条約の採決に尽力した。これは2011年6月にジュネーブでの第100回ILO総会で採択されもので、グローバルに適用できる家庭での最低基準を求める闘争の大きな成果だと見なされている。このILO条約第189号で、家庭労働者が初めて国際的に権利を定められた就労者だと認められ、それによって他の被雇用者と同等になった。定められているのはたとえば、最低余暇時間(7日以内にまとまった24時間)、残業の補填や最低賃金の遵守である。さらに大事な点は被雇用者への権利と枠組み条件についての啓発と情報提供である。このILO条約はいくつかの国で批准され、ゆくゆくは施行される。

この論文は2013年のものだが、この条約はスイスでも批准され2014年に施行されている。なので上記のような家庭労働者の労働時間に法的規制がないという状況は、今は改善されている。

 

24時間介護での労働条件や介護関係の質を良くするためさらに必要なことは、双方が法的・専門的相談のために利用できるような連絡先の作成である(親族、要介護者、ケア労働者の案内役)。そのときの相談は多様な言語で電話と現場で行われるのがよい。さらに書面の情報資料の配布と情報ウェブサイトの開設を手配すべきだ。理想的にはこの連絡先からソーシャルスペースが発展するといい。そこではケア労働者同士が会い、ネットワークを作り、やりとりをし、またそれによって家庭でずっと孤立するのを避けられる。また資格取得支援制度や言語教室についても考えるべきだ。規制と同じように重要なのは労働者の権利の定着と連絡網の確立であり、また同様に欠かせないのは、性差間と国際的な労働分配を再生産する家庭での隔離された労働セクターの存在と拡大についての社会の基本的な議論である。

家庭セクターで「ふさわしい」労働条件が勝ち取られれても、それは依然として豊かな国と貧しい国、男性と女性、家庭の資金源の差の間での社会的な不平等をくりかえす場であり続ける。問題は複雑で、単独で考えることはできず、福祉政策や保健政策と移民、労働、ジェンダー政策にも影響する。したがってこんにちでは、一般には「私的なこと」と見なされている家庭でのケア労働の領域を政治的な検討と展開の対象にすることが切に必要である。最終的に問題になるのは、どうすれば私たちが不平等に基づかない社会で老後を良好に尊厳をもって送れるかの理想とユートピアを発展させることである。