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記事と書籍紹介: ベルリンの「慰安婦」像

ベルリンのミッテ区に平和の像、いわゆる慰安婦像が一度は許可を得て設置されたが、区に許可を取り消され、撤去されかけるという出来事があった。現在は撤去保留になり像は残されているそうだ。twitterでtazの記事を内容紹介している人がいたので貼らせてもらう。

 


区が許可取消しを撤回する前に、tazの記事で概要を読んだので紹介しておく。tazはベルリンが本拠地で、政治と芸術の関係についての理解も年季が違うので、何かちゃんとしたこと言ってくれてるだろうと僕も一番にここを参照した。


tazのSVEN HANSENによる2020年10月13日の記事。


Trostfrauen-Mahnmal in Berlin: SPD will „Friedensstatue“ erhalten - taz.de


https://taz.de/Trostfrauen-Mahnmal-in-Berlin/!5719528/?goMobile2=1601856000000

 

ベルリンのモアビットの慰安婦像をめぐる論争の動きがある。SPDのミッテ地区連盟は「地区役所は、モアビットのBremer Straße/Birkenstraßeでの公式受け入れイベントを実施し、許可取り消しを撤回することが求められている」と言明した。言明したのは地区委員長のJulia PlehnertとYannick Haanだ。

第二次世界大戦時の日本軍によって強制的に売春させられた朝鮮の人のブロンズ像は戦時性暴力に反対する記念碑である。これは9月28日に地区役所によって公式に許可され、独立独韓コリアン協会によって設立された。しかし地区役所は、日本政府に強く要請されたあと許可を取り消した。像は10月14日までに取り除かれることになった。

日本政府はすでに何度もこのような像の設置を妨害してきたが、ソウルやサンフランシスコなどのように阻止に失敗もしている。このテーマを追って見ている人によれば、日本の保守的、右翼的な政府のこの議題の取り扱いは戦時性暴力の防止と後処理には役立たず、むしろ否定と軽視を促すという。

SPDの共同地区委員長のHaanによるとこの像は「女性への戦時性暴力に反対する重要な貢献」である。こういった議題では区役所は決定を透明化して提示しなければいけない。「この件ではそうはならなかった」とHaanは言う。日本との良好な関係と東京との姉妹都市関係はSPD地区連盟にとって重要だが、歴史の後処理は「広く市民社会にも参加させるべきだ」という。

 

戦争における性的奴隷制に対する戦いの先駆者

日本軍は第二次世界大戦時に少なくとも2万人を征服したアジア太平洋地域から軍隊の娼館に誘拐してきた。かつて強制売春させられた人たちは1991年からようやく勇気を出して自らの運命を公にできた。彼女らは今日国際法に基づく、戦時中の強姦と性奴隷の有罪判決を求め戦う勇気ある先駆者と見なされている。ボスニアコンゴイラクでの集団強姦はこの議題が今も重要であることを示している。

しかし地区役所は日本政府の圧力で取消しをして、この像は日本と韓国の歴史戦で韓国にのみ肩入れすることになると評価した。区長のStephan von Dassel (Bündnis 90/Die Grünen)は、「平和像とその銘板に関して政治や歴史をはらんだ複雑な争いがあり、その処理をドイツでするのは適切ではない」とした。

(中略)

この決定に反対する抗議のため、この像の発起人たちは「ベルリンよ、勇気をもて。慰安婦像は残さないといけない」のモットーのもとに火曜日の12時モアビットの記念碑での集会のために呼びかけた。「像の撤去でドイツは犯罪者の側に身を置き、さらに積極的に制度的な性暴力と性暴力一般の可視化に反対するようはたらくことになる」と呼びかけでは言われている。

「私たちは、ドイツが性に関わる戦争犯罪に明確に反対する立場をとり、記憶の文化の国のままでいてくれることを望む。外交関係の配慮が、サバイバーの記憶を求める権利を奪う理由になってはいけない。」参加者は像の横の椅子に座り、そのあと動物公園の役所前に行くことになっている。

(後略)

 

他にも日韓独のいろんな立場の人が区の決定を批判している。そして前述のように、今日14日に取消しを再検討することになり、像は残されている。


このいわゆる従軍慰安婦の問題は、ミッテ区が初めそう考えていたように、日本と韓国の間のいざこざではない。第二次世界大戦時の日本軍による組織的な性暴力は、日本の史学に関わる学者らも犯罪として認めている。戦時性暴力はもっと広い普遍的・国際的なテーマで、たんなる二国間の外交上の火種や、かけ引きの道具ではない。


普遍的な問題として考えるといっても「戦争中は多かれ少なかれ、どこでもやっていた」と雑に一般化してしまうことではない。個々の事例は具体的に解明する必要がある。そうして初めて他の問題との類似や相似が明らかになり、metoo運動のように、他の地域や時代の被害者も声を上げやすくなるだろう。


上の記事にはボスニアコンゴイラクでの集団強姦の例が挙げられ、このテーマが現在も重要だと述べられていたが、ドイツでもナチスの時代に日本軍の慰安所と似たものが作られていたそうだ。ドイツではこれと合わせて考えるのが順当な流れだと思う。


『日本軍「慰安婦」問題の核心』林博史

花伝社, 2015 によると、

ドイツの実態


一方ドイツでは、軍ならびにSS(ナチス親衛隊)の管理による慰安所が作られていました。もともとこの問題で、日本語で出版されたものは、九〇年代に一冊あるだけで(クリスタパウル「ナチズムと強制売春」 明石書店、一九九六年)、日本ではほとんど知られていません。二〇〇九年にドイツで、「強制収容所売春棟」 (ロベルト・ゾマー著)という大著が出され、邦訳はないのですが、「季刊戦争責任研究」第六九で内容を紹介しています。 これは強制収容所における「慰安所」について記したものです。ナチはユダヤ人だけでなく、売春婦を犯罪者として摘発し、強制収容所に収容していたようです。(後略)

 

収容所以外の、ドイツ国防軍の「慰安所」については、いま少しずつ研究がすすんでいるようですが、まだ全容の解明にはいたっていません(第Ⅳ部補論でさらにくわしく論じている)。

 

これまで明らかにされているところでは、第二次世界大戦の時に、これほど軍が組織的かつ大規模に軍慰安所を開設し利用したのは、日本軍とドイツ軍(ナチス親衛隊SSを含む)だけだとみられる。

 

この本ではさらに戦時性暴力の国際比較も試みられている。一読をすすめる。
f:id:Ottimomusita:20201014225209j:image

論文紹介: 西欧家庭での移民女性によるケア労働 スイスの場合

西欧では女性の就業率が高まったことで、それまで家庭でケアを担っていた女性が働きに出たため介護や育児などのケア労働をする人が足りなくなった。

それに加えて、高齢化や、福祉国家の転換による支出の削減などでケア労働力の需要はますます高まった。

こういった背景から、比較的貧しい東欧や非EUの女性が西欧の家庭に雇われて、ときに非合法に、ケア労働を引き受けている。

以前このブログではドイツとオーストリアについてこの移民労働者の状況とそれをめぐる言説を見てきた。(このブログの「移民」タグ参照)今回はスイスについて論文を紹介する。EUでは多くの加盟国の国民がEU内を自由に行き来でき、自由に働ける。そしてこの自由交通権の対象範囲は拡大しつつある。

スイスはEU加盟国ではないがEU内の自由交通についてはドイツと同じように認められており、東欧諸国もふくめ、スイスへの入国や就労が自由に認められる国の範囲も拡大している。

 

Transnationale Care-Arbeit: Osteuropäische Pendelmigrantinnen in 

Privathaushalten von Pflegebedürftigen

Sarah Schilliger

(国をまたぐケア労働: 要介護者のいる私的な家庭での東欧振り子移民女性

Sarah Schilliger)

 

この論文は2013年のSarah Schilligerによるものである。

2011年、とくにEU内の自由移動権が拡大した2011年1月からスイスでもメディアなどで家庭で低賃金で働く移民女性が話題になったという。振り子移民というのは、完全な移住を前提とせず、2週間から3ヶ月からの間西欧の家庭で働いてから出身国に戻り、また西欧の同じ家庭に働きに来る、振り子のように行ったり来たりをくりかえす移民労働者である。これを主に自由交通権の範囲になった東欧の女性が行っているという。

メディアの論調は、労働が違法であることを告発するものと、高齢世帯にとっても移民労働者にとっても利益になるWin-Winの解決策だと褒めるものとに分かれたそうだ。

 

「スイスでは東欧女性が不当な低賃金で家庭ケア要員として働いている」(NZZ am Sonntag, 13. März 2011)。「窮地のなか違法な天使が増加」(Appenzeller Zeitung, 28. Februar 2011)。「見習いで時給3フラン: 今、不当低賃金のケア要員女性が到来」(Blick, 22.07.2011)。

 

たとえば2011年7月27日のNZZでは認知症の人を介護するポーランド出身の女性が紹介され、そこで「仕事をとおして第二の家族を見つけ」、「スイスの新しい家族は居心地がいい」とされた。

 

いくつかのメディア報道ではスイスの家庭で主に違法で働く東欧女性が約3万人いるという数字が周知された(たとえば Rundschau auf SF1, 29. Juni 20111)。この評価は高くみつもりすぎだろう。

東欧女性の家庭での労働がじっさいどれくらい増えたのかについて確かな数字はないが、議論が活発になったことや、巡回看護師が家庭で東欧女性をよく見かけるようなったこと、派遣会社が増えたことなどから、スイスでも増加しているのは確かだとしている。

 

 

増加する私的な家庭でのケア市場の社会的、政治的背景

まず筆者は移民ケア労働者が増加した背景について論じている。背景として、福祉国家の転換、家族構造やジェンダー関係の変化、ケアセクターの民営化、高齢化、EUの自由交通権を挙げている。

福祉国家の転換というのは、高齢化で長期入院する高齢者が増え医療費がかさんだことで、社会福祉や医療の支出削減が喫緊の課題になったことによる政策の転換である。日本でも同様の転換があり、2000年から介護保険制度が施行されている。スイスではその過程で民間の介護セクターが増えたようだ。

 

製造業とちがって介護や世話の労働は、賃金の安い国に場所を移したり、切り詰めて短期化したりはできない(Madörin, 2007)。したがってネオリベラリズム構造改革の枠組みで、合理化措置としていくつかの国でケアの仕組みはますます民間の人員に「アウトソーシング」され、しばしば公的な助成金も削減された。公的財政によるケア部門が少なくなるほど民間の供給の需要は大きくなる(van Hooren, 2012, 144)。民間の(多くは営利の)セクターによる介護や家事サービスの割合が増えると、グレーな市場にある私的な家庭内の労働関係の特殊な形式が形成される。その多くは低賃金で不安定で、たいていは移民女性が行なっている。

 

しかし、この民間のケア分配の増加はどこでも同じように広まったわけではない。高齢者介護の供給の組織化に関してかんたんに3種類の福祉国家ジームの間で区別することができる(van Hooren, 2012, 142):

エスピン=アンデルセン福祉レジーム論というのがある。

福祉国家の発展を自由主義ジーム(アメリカ合衆国など)、保守主義ジーム(大陸ヨーロッパ)、社会民主主義ジーム(北欧)の3類型に分けたものだ。この説に対してフェミニストから家庭でのケア労働が反映されていないと反論があり、またイタリアやスペインなど南欧はこの3つに分類できない「家族主義レジーム」なのではないかという反論もあった。それを受けてアンデルセン自身も理論に修正を加えている。

この論文では自由主義ジーム、家族主義レジーム、社会民主主義ジームの3分類を使っている。

つまり、ケア労働そのものは家庭にゆだねて、国はケア費用を助成するという形を家族主義レジームとして、南欧タイプと中欧タイプを区別していない。

(日本も家族主義レジームだと言われている。『家族主義福祉レジームの再編とジェンダー政治』辻由希 著がすごくクリアで分かりやすいのでオススメ。ケア労働をどう分配すべきかという観点から、日本の政局と福祉政策の動きが分析されている。)

 

これらの分類で見るとスイスはかなり特殊なようだ。GDPあたりの長期介護の支出のグラフが載っているが、北欧やオランダなみの高さで世界有数の高福祉と言ってよい。しかしその内訳を見ると民間の支出が半分以上で、この割合は自由主義ジームの代表のようなアメリカよりも大きい。医療や看護サービスは主に公費で賄われているらしく、その他の福祉や介護分野への民間企業の参入が多いという特徴がわかる。

スイスでも、介護は家族がするものという規範がまだ根強く、介護をしているのは男性より女性が多いということも触れられている。しかし民間企業を介して移民女性に介護を任せる人が増えている。筆者はその背景について論じている。

 

一つは女性の就業率の増加である。

 

女性の就業率は過去数年でかなり増加した。スイスはヨーロッパ内の比較でも女性就業率が高く、15歳から64歳の女性の76.5%は有償の仕事に就いている(BFS, 2012)。

 

育児の場合と同じように親族の世話でも介護の不足のさいに就業の仕事量を減らすのはたいてい女性で、介護をする親族の定量的なアンケート調査でも親を介護する女性の57%が介護の状況で仕事量を減らす必要があったと答え、16%が仕事を完全にやめなければいけなかったと報告した(Perrig-Chiello et al., 2010, 25)。

 

また介護の民営化や合理化である。上述のようにスイスは介護業界への民間企業の参入が多い。

スイスはとりわけ高齢者介護と健康の領域において「民間福祉国家」である(Streckeisen, 2010)。これは民間の営利目的の介護サービス提供者にとって理想的なお膳立てになる。

 

他の背景は、在宅介護の需要が高まっていることと高齢化である。これは他の先進国でも同様だろう。

スイスでパートタイムの人員投入には住み込みの介護女性が動員されるが、それは代理店のマネージャーが説明するようにもっぱら振り子移民女性である。

「24時間介護にはスイス人女性はいません。それらは介護の必要な人の家庭で生活しいつもそこにいなければいけません。そしてスイス人女性はその仕事をしません。しかもその仕事はたくさん稼げるというわけではありませんし、スイス人女性はそのために働きたくはないのです。これはたしかです。」

 

スイスの要介護者の家庭に住んで働く移民女性は主に東欧出身で、とくにポーランドハンガリーリトアニアスロバキア、そしてまたドイツ出身の人もいる。したがって通常はEU25ヶ国の市民である。多くは、子どもが青年か成人になっている45歳以上の女性が関わっている。高い失業率と低賃金のため西欧で仕事を探していて、家族を養い子どもに職業教育を受けさせるために働く、高度な資格をもつ女性も珍しくない。しかしスイスでは彼女の職業資格は問題にされず、女性として生まれもったとされる別の能力が求められる。つまり、いわゆるケア労働の能力であり、高齢の要介護者を世話したり料理や掃除、洗濯をする能力だ。

女性としての性質だとされることを求められながら、自分で子どもを生み育てることは期待されておらず、移民労働のために自分の家庭でのケア労働をする機会を失っている、という状況が読み取れる。

以下では24時間介護の仕事の現状と法的な問題が論じられている。家庭でのケア労働は看護や医療行為以外の生活全般の世話である。

明確な業務一覧はないことが多く、仕事と休憩時間の境目があいまいで、24時間必要に応じて呼び出されるそうだ。

 

たとえば車椅子の患者との散歩が代理店マネージャーの報告では介護サービスに数えられておらず自由時間と記帳されている。また食事介助が要る認知症患者との場合でも、いっしょに食事する時間が仕事とみなされていない。

給与は低く、社会保障も不安定だ。

この職は大部分の場合は期限付きか一定期間の雇用で、それに応じて解雇予告期限は短い(2日から7日前に通告)。

 

ケア移民女性は、給料の不足以上に、夜の休息時間の少なさに不満を述べている。

 

プライベート空間の少なさ、社会的孤立と心理的な過剰負担:

 

…専門的な支援を受けていない介護者はとりわけ重度の要介護事例(進行した認知症など)で精神的に限界に達しているか過剰負担になる。

 

3.2 法的なグレーゾーン

 

さいきん合法化された、家庭での高齢者介護の新しい労働市場のための法的枠組み条件は複雑で欠けているところもあり、そのぶん労働契約は広範囲にわたって調整されていない。

 

派遣したときの指示権: スイスの派遣法ではスイス以外のヨーロッパの会社からスイスに従業員を送ることができる。調査された代理店の多く(とくに安くサービス提供しているところ)は派遣法にもとづいている。

この法律にもとづいている場合、従業員に対する現場での指示は派遣した会社がしないといけないが実際には家庭の要介護者や親族がしているそうだ。会社が指示をしない場合、人材貸与にあたり、これは国外の会社には認められておらず違法になるという。

みなし自営業: いくつかの企業は自営業者を家庭に斡旋している。しかしケア労働者は1つの家庭でのみ仕事し、一人の雇用者がいるだけなので、この形態もやはり規則外である。

 

在留法: 国境往来許可をもって活動するケア労働者もいる。これは毎週故郷の国の居住地に帰ることを想定したもので、通常の振り子移民の2週間から3ヶ月の行き来のリズムで実施されるものではない。他の代理店は法的に無許可でできる年間90日営業日を越えていて、それ以上の期間雇用するための許可を申請していない。

 

長すぎる労働時間と夜間の待機時間: 私的な家庭の職場は労働法の対象にならないので、労働法に定められた最大労働時間と夜間労働に関する規定は適用されない。

 

給料の計算: 2011年1月1日に公布された家事のための国の通常労働契約(NAV)では労働時間は定められておらず、最低賃金だけ決められている。

待機時間の給料を支払っていない会社が多いという。

たいていのケア労働者は1日に5〜8時間分しか給料をもらっていない。有効な労働時間と同席時間にもとづいて給料を計算すれば多く企業はNAVの定める最低賃金を大きく下回る。

 

3.3 斡旋代理店と介護企業の論理

ポーランド出身の支援員女性は安いだけではなく、あなたと同じ屋根の下で暮らすのでをよりよくお世話できます。思いやりがあり、心暖かく、愛に満ちていることが彼女らの本質です」(www.gute-wesen.de)。スイスとドイツで24時間介護サービスを提供する斡旋代理店のGute Wesenはそう宣伝している。代理店と介護企業は伝統的な家族の価値を売り込み、高齢者介護の女性は(福祉的権利と社会的地位をもった)「労働者」としてよりも、「お手伝いさん」、「善き存在」、「家族の働き者」として描写される。単に性別が女性の介護員ではなく、特定の故郷をもつ女性が重要にある。そこで介護企業は民族的なステレオタイプを利用し、ポーランドの女性はとくべつに思いやりがあり、心暖かく、控えめで働き者で恩を忘れないものとして表現される。ポーランド女性がしばしば日常でもカトリック教徒であることも隣人愛と道徳性の証拠のように肯定的に言及される。またこれは、宗教的な背景がキリスト教にある肌の白いヨーロッパ女性は馴染みがうすくないというメッセージでもある。主に45歳以上の女性が働いていることを、インタヴューを受けた社長は「年配の女性はもう性的に活発ではない」ため利点として見ている。彼は若い女性と区別して年配の母親たちは外出する欲求が少なく、ずっと家庭に残って働けると考えている。

 

多くの介護企業はこの家族モデルと人との関わりの論理をよりどころとして、合理化と効率化の圧力が強く、個別ニーズに対応がしにくい公的施設による在宅医療と差別化をはかる。

 

4 まとめと展望

 

外国の家庭への出発で女性たちは一時家族のもとを離れ、その家族の世話を今度はどうにかしなければいけなくなり、親戚か隣人か、さらに貧しい境遇の女性や別の国からの女性が業務を引き継ぐ。このように、アメリカの社会学者のArlie Hochschild (2001)が「グローバルケアチェーン」と名づけたようなグローバルな依存が起こる。これはグローバルな生産の鎖と同じように大陸全体にまたがることもある。ケアの鎖という比喩は、原料の代わりに福祉財、つまり感情労働が北側の国々に横領されるような植民地主義を暗示している。その地域へのアウトソーシングを犠牲にして、西欧のケア危機が防がれている(Widding et al., 2009)。

筆者は、移民労働者の労働力がスイスで使用され、労働力の回復は故郷の国でなされる体制があるという。

東欧の移民女性をスイスに斡旋しているある代理店のマネージャーの話では、認知症患者のいる家庭での2、3ヶ月のフル稼働のあと女性たちは「パワーを出し切って」いて、故郷の国の家族のところで回復しなければいけないという。

また社会保障職業訓練のコストもスイスでは保障されず故郷の国任せになっているという。

 

最後に政策についての展望を書いている。筆者は、不安定で低賃金の24時間介護は規制を強化すべきだと提言している。家庭での労働も労働法の対象にして、見逃されやすいぶん、しっかり監視が必要だとする。また公的なケアセクターならば違法労働を減らせるし、それは財政的にも可能だと言う。

家庭を労働法の対象下にする要請は国際レベルでドメスティック・ワーカー・ネットワーク(International Domestic Workers Network, IDWN)も行っている。この自主組織のネットワークの枠組みで世界中の家庭労働者はここ数年、家庭労働者の権利のためのILO条約の採決に尽力した。これは2011年6月にジュネーブでの第100回ILO総会で採択されもので、グローバルに適用できる家庭での最低基準を求める闘争の大きな成果だと見なされている。このILO条約第189号で、家庭労働者が初めて国際的に権利を定められた就労者だと認められ、それによって他の被雇用者と同等になった。定められているのはたとえば、最低余暇時間(7日以内にまとまった24時間)、残業の補填や最低賃金の遵守である。さらに大事な点は被雇用者への権利と枠組み条件についての啓発と情報提供である。このILO条約はいくつかの国で批准され、ゆくゆくは施行される。

この論文は2013年のものだが、この条約はスイスでも批准され2014年に施行されている。なので上記のような家庭労働者の労働時間に法的規制がないという状況は、今は改善されている。

 

24時間介護での労働条件や介護関係の質を良くするためさらに必要なことは、双方が法的・専門的相談のために利用できるような連絡先の作成である(親族、要介護者、ケア労働者の案内役)。そのときの相談は多様な言語で電話と現場で行われるのがよい。さらに書面の情報資料の配布と情報ウェブサイトの開設を手配すべきだ。理想的にはこの連絡先からソーシャルスペースが発展するといい。そこではケア労働者同士が会い、ネットワークを作り、やりとりをし、またそれによって家庭でずっと孤立するのを避けられる。また資格取得支援制度や言語教室についても考えるべきだ。規制と同じように重要なのは労働者の権利の定着と連絡網の確立であり、また同様に欠かせないのは、性差間と国際的な労働分配を再生産する家庭での隔離された労働セクターの存在と拡大についての社会の基本的な議論である。

家庭セクターで「ふさわしい」労働条件が勝ち取られれても、それは依然として豊かな国と貧しい国、男性と女性、家庭の資金源の差の間での社会的な不平等をくりかえす場であり続ける。問題は複雑で、単独で考えることはできず、福祉政策や保健政策と移民、労働、ジェンダー政策にも影響する。したがってこんにちでは、一般には「私的なこと」と見なされている家庭でのケア労働の領域を政治的な検討と展開の対象にすることが切に必要である。最終的に問題になるのは、どうすれば私たちが不平等に基づかない社会で老後を良好に尊厳をもって送れるかの理想とユートピアを発展させることである。

 

 

 

 

 

 

記事紹介: オーストリアの移民政策あれこれ

今年の初めにオーストリアで政権が交代し、保守政党の国民党(VPÖ)と緑の党が連立政権を作ったというのが話題になった。

 

オーストリアの新政権は未来のモデルになるか――今、ヨーロッパで注目されている理由 / 穂鷹知美  | SYNODOS -シノドス-

 

この記事でも書かれているように、オーストリアではヨーロッパでも早い時期から極右政党の自由党(FPÖ)が台頭しており、それを抑える意味でも中道保守が左派と組んだことが評価されたようだ。自由党はそれまで国民党と連立して政権をとっていた。

オーストリアでは昔ながらの自由主義的保守が国民党(Volkspartei)で、民族主義的な極右政党が自由党(Freiheitliche Partei)と、名前のイメージと中身が逆でなんとなく分かりにくいと思っていたが、自由党は台頭する過程でずいぶんと様変わりしたらしい。その経緯について、この論文が詳しく分析していて勉強になった。

現代ヨーロッパにおける, いわゆる 「極右」 政党の台頭の分析: オーストリア自由党 (FPO) の事例を中心として 古賀光生 本郷法政紀要= Hongo journal of law and politics 14, 161-193, 2005 (PDF)

ハイダーという人気のあった政治家の時代に変わったらしい。

 

国民党が緑の党と連立して政権を担ったことで環境政策では進歩があったようだが、移民政策でも左派の要請が反映されたのだろうか。しかし、これはあまり期待できないようだ。緑の党は移民政策でかなり譲歩しているらしい。

現政権の移民・難民政策に対する批判は国民党の中からも上がっている。2020年8月16日のツァイト紙の記事に国民党の政治家クリスチャン・コンラッドへのインタビューが載っていた。

難民を受け入れるべき理由として、政治的正しさではなく、キリスト教的な隣人愛やオーストリアの経済力を挙げているところがいかにも保守政治家らしい。

EUの一員であることを強調しているのも興味深い。

↑の論文にそのようなことが書いてあったが、ヨーロッパの極右はしばしばヨーロッパという単位に両価的な態度をもっているようだ。ヨーロッパの伝統や文化は重視するが、EUに政治的に干渉されることは拒む。中世ヨーロッパ的反動と、ギリシャ・ローマ的普遍主義のあいだの対立と混成、というとまるでいまどきトーマス・マンの『魔の山』みたいな話だ。

 

"Das ist verrückt. Verrückt!" AUS DER ZEIT NR. 34/2020 DIE ZEIT 34/2020

Christian Konradは、2015年に難民調整官になったときにはオーストリアの保守派の権力の要と見なされていた。5年たって彼はターコイズ緑連合[国民党と緑の党の連立、ターコイズグリーンが国民党の色]を批判し、どんなときに連邦首相に連絡せざるをえなくなるかを話した。

Interview: Corinna Milborn

16. August 2020, 20:39 UhrZEIT Österreich Nr. 34/2020, 13. August 2020

 

ZEIT紙: コンラッドさん、ご調子はいかがでしょうか。


クリスチャン・コンラッド: 個人的には上々です。しかし悩ましいのは、人間性という議題が政権の側でいまだ重要な価値をもっていないことですね。


Z: と言いますと?


コンラッド: 私たちがヨーロッパの連帯活動の枠組みで貢献を果たし、ギリシャからいくらかの家族や同伴者のいない未成年を私たちのところへ受け入れることでオーストリアの基礎がゆらぐということを誰も私に明確に説明できません。受け入れの準備は市長らにも民間にもあります。それらの人々のための資金源も私に提供されました。しかしオーストリアは何もしません。知るとひどいことですが、私たちは何もせずただ見ているのです。世間はますますギリシャの難民キャンプの状況に注目しています。ノードライン・ヴェストファーレン州の首相であるCDUのArmin Laschetはさいきんそこに行き、それをヨーロッパの不名誉と呼びました。オーストリアはそれに関与せず、身をかがめて隠れています。これは私には耐えがたいことです。私たちはオーストリア人として情熱的なヨーロッパの一員です。互いに話し合わなければいけません。


Z: いくらかの青少年を受け入れることが象徴的儀式以上のものになるのでしょうか。


コンラッド: 私たちが実質的に貢献するには400人ほど受け入れるべきでした。明らかに全員を受け入れることはできませんし、いくらかの人はキャンプに残ることを望み、私たちが仕事を見つけるのを支援します。そして多くは何より戻りたがっています。しかし帰還は容易ではありません。シリアにもアフガニスタンにも。


Z: いやおうなくアフガニスタンへ追放されます。


コンラッド: そしてそれは本当にひどいことで、そのためにアフガニスタンは安全だと言う専門家とされる人たちがいます。アフガニスタン大使でさえそれには反論します。大使もしかたなく思いきって反論しなければいけないのです。人々は死の不安を抱いており、残念ながらそれは根拠のある不安だったという事例を私たちは十分に聞き知っています。


Z: ギリシャからの難民の受け入れに反対する政府の主張は、オーストリアは他の国に比べてすでに多くをなしているというものです。


コンラッド: ドイツ人は少なくともそれくらい多くしました。イタリアとスペインは言うに及ばずです。誰が私たちの模範になるでしょうか。チェコでしょうか。それともハンガリー?スロヴァキア?まったく違います。私たちはヨーロッパで3番目に豊かな国で、移民流入でのみ社会を維持できます。私たちには支援するための余裕があります。政治家がそれだけ善良だからではなく、人々がまじめに働き税を払い経済を回しているからです。


Z: あなたは成果のあった研修生の在留権を求める市民運動に参加しましたね。しかしあれは犠牲の大きい勝利でした。というのは多くの人はもうすぐ訓練を終えてこの国を去らなければいけません。


コンラッド: 私たちの提案はドイツモデルで、訓練をしてから職業的な足がかりを固めるための2年間があります。この提案は国民党によって歪められたので、彼らは訓練後すぐ追い出されます。多くの人は出ていかず、隠れます。他にどうしようがありますか。多くのアフガニスタン人はさまざまな理由から改宗もしています。これはそこでは背信であり、迫害してもいいと見なされます。そこで裁判官は証拠としてすべての聖母マリアの祝日か七つの秘跡を列挙することを求めます。私も聖母の祝日を列挙できませんが、それでもじっさいに長らくミサの侍者でした。さらに加えてこれはすべてフェイクであり、追放は機能せず、私たちは主に東欧の人たちを追放しています。そしてそれにもかかわらず私たちは今若者から未来を奪い、企業から訓練した専門技能者を奪っているのです。どうかしています。まったくどうかしています。


Z: 現実には政治的に機能していますね。


コンラッド: 現実は、この国は過去数年に5万人の難民受け入れで何の損害も被らなかったことです。暴動もスキャンダルもありませんでした。これは文明社会の成果で、私たちはそれを悪く言うのではなく感謝すべきです。

 

Z: あなたは2015年に政府の難民調整官に任命されました。その前はRaiffeisenの修道会長で共和国の権力の影の中枢としてして知られていました。そしてまた猟師であり巡礼者として。人権活動家としてではありません。どういう経緯であなたは難民調整官になったのですか。

 

コンラッド: 地中海からの報道はすでに長らく話題になっていました。何千ものシリア人がギリシャに上陸しました。Traiskirchenの難民キャンプは溢れかえり、ますます窮屈になりました。そこで、私が調整官の代理をできるかという電話がありました。私はすぐにかけつけ首相と副首相と内務大臣の3名に約束しまし、着任しました。国境にはときに1日に1万人の人々がいました。主な問題は輸送と収容でした。人々はどこに寝るのか、どうやって行くのか、です。そこで私は連絡先を確保し、必要なものを調達するための電話をかけました。

 

Z: 一番強く記憶に残っていることは何ですか。


コンラッド: 信じられないことを経験しました。とくに民間人についてです。収容者についてもですが、私たちは毛布が2000枚必要で、家具屋に電話して回り、翌朝には毛布手に入りました。しかし、トップの政治家はこの問題を素早く効率よく受けとめる意欲の度合いがさまざまで、公務員のレベルでもどこをあえて管轄にしないでおくか決断するのは困難でした。しかしこれらすべても民間人が補ってあまりあることでした。

 

Z: 世論は数週間ほどで反難民、反支援者へと傾きました。それがあまりにひどく、多くの難民支援者は敵意を恐れて匿名でしか発言しなくなったほどでした。これは何が原因だったと思いますか。


コンラッド: 熱のこもった議論のテーブルやニュースを見守る人たちは、信じられないほど大きく取り沙汰された2、3の事件に促がされ、声高になりました。私はそのために罵倒され、いくらかの仲のいい友人と論争になりました。



[中略]
Z: なぜ人々はじっさいには国境の封鎖に賛成するのでしょうか。


コンラッド: それがこの件の不条理です。人々は外国人を拒絶すると言いますが、私たちはケア労働者[複数女性形]は必要としています。ウィーンの国民党党首のDominik Neppはさいきん、私たちは移民はいらないと言いました。Neppはマヌケ[Depp]ですか。私は彼に、まともでいてくれることを望んでます。守衛から外科医まで、病院にいる15人のうち12人は外国人か移民背景をもつ人です。彼らがいなくなったら私たちは大混乱になるでしょう。そして家族手当のインデックス化で彼らを罰するのです。

 

[中略]

コンラッド: 私は自分を曲げたり自分の中に新しいものを見出したりはしていません。私はよい家庭教育に恵まれました。お前が人からされるのを望まないことは他人に対してするなと。誰かが助けを必要としていたら助けてもらえるし、原則として私たちはまず誰かに歩み寄る。それでコンラッドは左翼だと言う者がいたら、私は「はあ、そうですか」と言いますね。

 

オーストリアはドイツに比べて移民のケア労働が法制化されており、黙認されているグレーゾーンの移民ケア労働者も少ない。しかしこれは移民が安定して働ける法的枠組みが整っているということではなく、違法滞在や違法労働への世論の風当たりが強いため厳しく取り締まった結果である。(くわしくは以前紹介したこの論文)

最後の方に出てきた家族手当のインデックス化というのは、これのこと。

Indexierung der Familienbeihilfe: Leere Ankündigungen - Marie-Theres Egyed - derStandard.de › Meinung

去年2019年のまだ自由党と連立していたころの政府の政策で、これによって家族手当の支給額を出身国の生活コストに合わせようとした。つまり、物価の安い国からきた人の手当を減らすためのものだ。

これは、「外国人が社会保障を不当に多く受け取っているにちがいない」という人種差別をはらんだ妬みの感情におもねった政策であり、とうぜん批判を受けた。EU裁判所や国内の憲法裁判所からも問題視され、大部分は廃止され、給付金をあとから払いなおすことになった。

さらに社会保障のための個人カードを悪用されないようにとカードに顔写真を導入したが、それに1億ユーロ以上もかかったわりに約束していたほどは社会保障給付を削減できなかった。このこともあって自由党は得票数を減らした。

 

いっぽうで国民党は早くから厳格なコロナ対策を講じて功を奏したため支持率を上げているらしい。オーストリアはイタリアに近いわりに被害を抑えることができた。しかし、結果的には正しかったとはいえ、これも外国人の締め出し政策で国民の支持を得た成功体験と言えよう。

 

 

 

記事紹介: ドイツ警察内の極右

このところ毎週のようにフランクフルトでアンティファのデモがある。

2018年の12月にセダ・バセイユルドゥスという弁護士が極右の警察官から脅迫FAXを受け取るというショッキングな事件があった。その後、警察内の極右関連事件や、極右団体のネットワークの有無を内務省や警察が十分に行っているのかが問題となっていた。

アンティファのデモでもスピーチでそのことに触れられている。そしてフランクフルト警察の事件や極右ネットワーク解明への姿勢も批判の対象になっている。


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Twitterで拾ったコラ画像

上: 3人の髪の黒い男がバス停に立っていたときのフランクフルト警察

下: 警察のコンピュータから殺害脅迫が送られたときのフランクフルト警察

 

近所の事件ということもあり、続報を調べたので紹介する。

以前の記事はこちら↓

 

記事紹介:フランクフルトの極右警官の事件について

 

記事紹介:フランクフルトの極右警官の事件について

 

今回見るニュースは、各州の状況をドイツラジオ放送が取材し概観したもの。割愛したがこの記事でもヘッセン州の話題から始まっている。

 

2019年12月のドイツラジオ放送のTom Schimmeckによる記事。

 

https://www.deutschlandfunk.de/rechtsextremismus-bei-der-polizei-zu-viele-einzelfaelle.724.de.html?dram:article_id=466389

 


警察での極右   あまりに多い個別の事件


警察において極右の考え方や行動が増えているとDlf[ドイツラジオ放送]の調査は述べている。調査された約200件という数字は26万人の公務執行官に比して多くはない。しかし警察の体質は悪化していると専門家は警戒している。

 

北ドイツ放送(NDR)のニュースによると、

「シュヴァーリンの州裁判所で告訴されたSEK(州警察特殊部隊)の隊員は今日さらなる罪状を認めました」

シュヴァーリンの[メクレンブルク・フォアポンメルン州の]州裁判所の大刑事部で11月に長年州刑事警察官で精密狙撃手のMarco G.が告訴された。検察が彼を非難した内容によると、「Marco G.被告が電信チャットグループの『NORD KREUZ』と『NORD Com』を設立したことで、これらのメンバーは、ドイツ連邦が戦争や天災、経済衰退のため深刻な社会的危機に陥りかねないという思想で結束しています。そのような破局の犠牲にならないために彼らは危機的な事態、いわゆるXデーに備えています」

捜査のさいに銃、拳銃、ナイフ、スタングレネード、警棒、5万発以上の弾薬が見つかった。Marco G.の供述によるとチャットグループは60~70の参加者がおり、その中には警察や連邦軍のメンバーもいたという。迫る緊急事態にそなえ敵リストと呼ぶものを作成していた。そこには政治家、ジャーナリスト、芸術家や活動家など、数千人が載っていた。また死体袋や消石灰の調達も計画されていた。Nordkreuz複合体についてはさらなる訴訟手続きが係属中である。Marco G.に対する訴訟はシュヴァーリンで木曜日に判決があり、一年9ヶ月の勾留となった。執行猶予つきの刑である。

 
警察に極右のネットワークはあるのか。


すべては個別の事件なのか。それとも右翼過激派がこの公共機関内の進軍を開始したのか。

2011年から公になった犯罪と、ナチス地下組織や増大する憎悪犯罪の波についての捜査ミスがあり、また今年[2019年]の6月にカッセルの行政区官庁のWalter Lübckeが殺された事件や10月に会館で反ユダヤ主義者が大量殺戮を企図したあとでは、明らかになったことがある。それはドイツ連邦は極右の暴力の問題をかかえているということだ。さらに警戒すべきように思えるのは、極右が広まっているかもしれないところが、よりによって国家の暴力専有が根を下ろす場所取りつまり警察機構の中だということだ。

 

警察労働組合(GdP)の連邦議長のOliver Malchow。

Malchowの警察労働組合はジレンマに陥っている。一方で組合は人員を守り、ドイツの執行官は26万人もいることをかんがえると事件の件数は重要性が低いとし構造的な問題はないと明言する。他方では、機構内での組合は右翼の共謀にさらに対抗することを求めている。連邦や州の警察も右傾化を免れているわけではないからだという。Malchowが言うには、警察には過大な要求や疲労など抑圧があり、怒っている警官が多い。それで正しい共感を育めるだろうか。

「共感するとは言いたくないが、警察官も人間です。そして彼らは政治的な責任者に期待を抱いています。彼らはある面では問題のある状況に置き去りにされているようにも感じています。社会のゴミ箱のように。誰が想像できるでしょう」

 

多くの事件の全体は把握しきれていない

「単なる悪趣味から犯罪行為までここではすべてがある」とハンブルクの警察アカデミーの警察学教授Rafael Behrは認める。実証的な証拠はないが、事件の総体はほとんど把握されていない。

「私の評価では、役人上官や役所の幹部は過去数年間、民主主義に耐えうる職員が警察に来ていると強く過信していたと思います。そしてこの職業それ自体が過激主義の指標にもなりうるということをあまりに考えていなかったのです」

必ずしも極右でなくても警察指導官の言う「厳格化」については、永続的な経験を通じて失敗のもとになる。「任務での粗暴化」だとBehrは言う。彼の上官でハンブルク警察アカデミー学長のThomas Modelも同様に、

「ここで職業訓練を受けて、警察公務へと出ていき、その中でもっとも深刻な状況に身を置き、夜勤をして、犯罪者と対面し、特定の倫理観や立場に向き合い、そこで自分で観念を形成していく若い人たち。彼らは置き去りにされていると感じています。そして導くことが必要です」と述べている。

 

AfDは不満をもった警察官の支持を得ようとしている


AfDはその間に不満をもった警察官に全力でアピールしている。

Wagner(NRW ノートライン・ヴェストファーレン州): 「われわれは保護ベストや唾吐き保護頭巾がほしい。最近警察官として必要なものすべてを望みます。テーザー銃の導入も」

Hermann (MdB ドイツ連邦議員): 「私たちはAfDの会派として私たちの警察、私たちの勇敢な男女を後ろ盾となります」

Loose (NRW): 「警察官は人間でしょうか、それともならず者でしょうか」

Von Storch (MdB): 「左翼党や緑の党の汚い連中は警察と戦い、犯罪を保護して助長し、無防備にして私たちをアフリカの麻薬の売人やアラビアの氏族にあけわたすのです。」

すでに多くの警察官がAfDの国会議員として州の議会や連邦議会議席についている。たとえば警部のMartin Hessは、「AfDは、はっきりと言わせてください、しっかりと私たちの警察の側にいます。緑の党と左翼党は私たちの警察の敵だ」と言っている。

Behr: 「警察官のもつ懸念とAfDの提案にはいくつかテーマの重なりがあります。なので、君たちが政治で支持を得れば君たちはもっと成功するというこの議論は警察官に影響を与えやすい主張です。もし誰かが警察官たちのためにそれをすると約束すれば、そこにいくらか支持が集まることもあるでしょう」

「一方でこれは安全保障機関の職員に向けられたキャンペーンでもあります」とベルリンの法・経済単科大学の警察が専門分野の教授のChristoph Kopkeは言う。「彼らのモットーでは、国はお前たちを見棄てた、上からの反乱だ、メルケル政権は不法だ、抵抗しなければならない、となります。すでに過激派右翼からの正式な声明が安全保障機関、警察、連邦軍に対して出ています」

 

 

Dlf[ドイツラジオ放送]の極右事件についての調査

数ヶ月にわたり、ドイツラジオ放送は、全ての州の16の内務省および連邦警察とBKA[連邦刑事庁]を管轄する連邦内務省でより詳細なことを知るように努めた。回答は詳細さと質がさまざまだった。


詳細なものだけいくつか紹介すると。

 

ノートライン・ヴェストファーレン州: ノートライン・ヴェストファーレン州は現在いわゆる帝国市民[Reichsbürgern 現体制を否定する極右イデオロギーの支持者]の関連で4人の警察官の懲戒手続きを伝えている。「どの警官も懲戒期間中は停職しているか、すでに退職しています」去年、NRWの視察官が、極右の疑いがある警官について7件知られていると明らかにしました。

 

バイエルン州: バイエルン州内務省は2018年について警察で、憲法に敵対するシンボルを使用した1件、民衆扇動を2件を報告した。2019年には、メディアが取材で得た情報では、バイエルン州の捜査官は、さまざまな警察の部隊所属の約三十数名の警官のチャットグループ内で、反ユダヤ主義で極右の映像拡散に関わった。ミュンヘンの区裁判所は7月にひとりの公務員に民衆扇動で科刑命令を発した。

 

ハンブルク州: ハンブルク州は2013年から少なくとも6件を記録していて、ニーダーザクセン州は、過去5年[2014~2019年]に「極右との関係や帝国市民運動への関与の疑いのため7件の懲戒手続き」を記録している。今さらに1件追加で報告が来た。

 

ニーダーザクセン州: ハノーファーから送られた表では以下がリスト化されている。「外国人敵視の意見表明」が2回、「ナチスのシンボル使用」が1回、「ヒットラーの敬礼をした」のが1回、「法治国家の否定」が1回、「帝国市民運動への関与」が3回。

 

ザクセン州: ザクセン州では内務省は2014年以来16件あったことを報告した。2018年の秋に、2人のザクセン州のSEK[地方警察特殊部隊]の隊員が、エルドガンのベルリン訪問の際の配備のためのコードネーム決定のときに、NSUのテロリストのUwe Böhnhardtの名前を選んだことが知られている。

 

ヘッセン州: ヴィースバーデン内務省は、「とくにヘッセン州の警察署に設置された特別組織を通じ、警察官の潜在的な右翼傾向の小さな疑いもすべて懲戒や刑法によって追跡しています」と公表した。ヘッセン州は極右と戦っていることを示すために特別に熟慮しているようである。「NSU2.0」の弁護士Seda Başay-Yıldızへの殺害脅迫、これについては2019年にさらに脅迫FAXが来たが他にも、警官のチャットグループ内で喜ぶヒトラーの肖像、鉤十字、障碍者や難民のヘイト画像が共有され、さらに事件はある。2019年の春に38件の刑事および懲戒手続きが話題になった。

 

ブランデンブルク州: ブランデンブルク州からドイツラジオ放送にはすでに8月に2013年以来で10件の警官に対する手続きを報告しており、これらは主に民衆扇動によるものや「反憲法組織の標章の使用」のためだった。先週ポツダムからさらに11件が届いた。その中にはコットブスに駐屯する警官9人の懲戒手続きが含まれる。

ブランデンブルク警察機動隊の百人部隊は11月の気候保全対策同盟のエンデ・ゲレンデの抗議行動に対する大規模動員に参加した。彼らは、「ストップ エンデ・ゲレンデ」と書かれ、大きな壁画の前で警官の集団が映っている自撮りを投稿した。その壁画にはCottbusの市の紋章のザリガニが添えられていたが、これは極右とアイデンタリアン運動のシンボルとしても使用される。

これのことらしい。


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Cottbus市の紋章はこれ。

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ザリガニは殻とハサミがあるので自衛と抵抗の象徴と見なされるらしい。

 

写真が知れ渡ったあと警察は、「この集団は、中立性の決まりに違反していることが問題になったため動員から離しました」と伝えた。そのあとで言われていたのは、壁を上から塗るように命じられた警官がザリガニのそばに「DC」と残していて、これは極右組織「Defend Cottbus」の略だという。

 

連邦: [中略] もう一年も前に左翼党の質問に対して内務省は2012年から2018年の間に17件を列挙し、内容は「REX」(極右)と「Rass」(レイシズム)でラベル付けしてあった。その中で一番奇妙な事件は「目撃者として法廷に立ったときThor Steinar[ドイツの極右に好まれるファッションブランド]のズボンを履いていた」というもの。

 

ベルリン州: [中略]

2015年にベルリンで、Whatsappで同僚に極右のクリスマスの挨拶を送った警官が大見出しになった。とくに「ホー、ホー、ホロコースト」という表現が問題になった。


一番そっけない回答と思ったのはブレーメン州で、

ブレーメン州: ブレーメン州は、引用すると「レイシズムだとされるいくつかの個別の事件」を州の行政のための単科大学に登録しただけだ。

 

この非常に不完全なリストから合計で200件のドイツの警官の極右的な行為が明らかになった。

「これは、秘密の軍のようなものが組織されることを思わせます」と緑の警官のDobrowolskiは言う。「これはゾッとすることですし、もちろん今おおやけになっている事件だけでこれだけあるわけです」

Behrは「この極右主義についての私の問題は個々の極右主義者ではなく、警察内での風土が変わりつつあるということです。つまり、私の見たところ、後ろ暗いところのない者たちが影に隠れ、不正な者たちが堂々とするようになっています。彼らは臆することなくものを言い、以前なら完全に隠れてしか言えなかったことも言います。これは大学研究の中でも耳にすることです。そういう論評はいっそう大胆に、支配的に、硬直したものになっています」と言う。

今週の火曜日に連邦内務大臣のHorst Seehofer (CSU)は連邦警察と連邦憲法擁護庁に極右主義者の増加を案じる職員600人を追加で採用したことを発表した。さらに彼は、公務員内の極右の共謀解明のため新しい対策本部を設置した。ここでは役所の従業員の過激派運動との潜在的な結びつきを対象に究明をすることになっている。

Seehoferはこの件で批判もされている。また紹介する。

 

調査は許可されるべきである

憲法擁護庁長官のThomas Haldenwangは「これは個別の事件かもしれないし、これまでそう報じられてきました。しかし私の意見では個別の事件にしては多すぎるので、一度全体を調査してネットワークがないかを見なければいけません」

しかしいまだにほとんどの大臣と警察署長は警官の立場の調査を許可することに抵抗している。「責任者が私に異論を唱えて言うことは、当然のことで、いやはやそれが明るみに出ることなのです。そしてそれこそ問題点なのです」とハンブルクの警察アカデミー学長のModelは言う。すべての警察署は雑誌に「警察は過激派だ」と載ることを恐れているからだ。職員協議会と労働組合もまさにそれを心配している。

 

 

ヘッセン州は多くのスキャンダルのあと2019年の2月に、第一に学問的な研究を対過激派の情報および専門知識センターに委任した。一方でニーダーザクセン州は啓発に力を入れる。内務大臣のBoris Pistorius(SPD)は、「私たちは、極右や右派ポピュリストがこの社会を分断し人々互いに争わせ、人間を一級、二級、三級と区別させることを許さない。私たちは二度とそれを許さない」と述べた。

先月、ニーダーザクセン州内務省は「民主主義のための警察保全」キャンペーンを開始した。多くの場で、ドイツラジオ放送の調査結果でもわかったが、警察アカデミーで歴史が重要なテーマになってきている。たとえば警察の反民主主義傾向はワイマール共和国の時代にあった。

記事紹介: ドイツのコロナでのアジア人差別 おさらい

コロナウィルスが広まりはじめた当初、アジア人に対する差別が増えたらしい。

少し気にしてたんだけど、ぼく自身はドイツでそういう差別には遭わなかった。あるいは何か言われてたけど言語が聞き取れていなかったか、鈍感なだけだったか、わからないが。

仕事が休みになって、ひとりで外を散歩しているとき、おじいさんに路上で「あなた韓国人か」と聞かれた。

「いえ、日本人です」

そう答えると、

「ならコロナだな」と言った。

その人は穏やかな調子だったので敵意も感じず、

「そう。ここもそうだし、日本もさいきん広まってきて…」

ちょうど日本の感染拡大が気になっていたぼくはそう話し、じいさんもそれ以上何も言わずに離れた。今にして思うとあれがコロナ差別だったのか。真相はわからない。

そうこうするうちに世界中に感染が拡大して、むしろ西欧の方がアジアより大変なことになった。レイシズム関連ではドイツ、ハーナウのシーシャバーでの連続殺人や、アメリカのジョージ・フロイドの件の方がニュースの中心を占めるようになった。いつだって、レイシストたちは暇をもてあましているし、カウンターはあれもこれもと忙しい。

コロナレイシズムについて少しふり返ってここにまとめておくことにする。

 

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2020年4月、Nhi LeのZEITの記事

https://www.google.com/amp/s/www.zeit.de/amp/campus/2020-03/rassismus-coronavirus-asiaten-husten-oeffentlichkeit-diskriminierung

ICH.BIN.KEIN.VIRUS.

Seit Corona hat der Rassismus gegen asiatische Menschen zugenommen. Unsere Autorin traut sich nicht mehr, in der Öffentlichkeit zu husten, und ist wütend.

Von Nhi Le

筆者は、2月初めに電車内で男がこちらを見て「コロナがいるぞ。早く降りよう」と言った、という経験をしたという。ウィルス保持者呼ばわりされる不安は筆者の頭の大部分を占めて麻痺させ、いつも危険と隣り合わせになった。喘息持ちだが公共の場で咳ができなくなったそうだ。病院でも治療拒否などの差別があったらしい。

 

以下抄訳。

感染拡大の当初からアジア人やアジア系の外見の人へレイシズムが向けられていた。そのため #IchBinKeinVirus (私はウィルスではない)というハッシュタグもできた。

音楽学校が感染防止として中国人の入学試験募集を拒否した。ミュンヘンでひとりの男が中国人の隣人のドアマットに消毒液を散布し、頭を切り落とすぞと脅した。こういう敵意を毎日のように聞いている。

彼らの理屈ではアジア人=中国人=コロナ罹患者となる。白人は休みにIschglに行った人でさえ、あるアジアの人間ほどには感染していないだろうと考えるのだ。

※ イシュグル (Ischgl)というのはオーストリア、チロル州の町で、大きなスキー場がある。北イタリアは今コロナで大変だから、とドイツ人はここにスキーしに行ったのだ。同じアルプスなんだけど。スキー場を閉鎖するのが遅すぎたとチロル州役場は訴えられていた。

レイシズムについて話すと「感染が怖いからだよ」とよく言われるが、こういう反応は被害者にとっては自分の経験を否定されるようでつらい。

 

ほかにも、ジャーナリストのPhil Ninhはtwitterで、買い物中に女が咳をして「これがどこから来たかわかってるよね」と彼に言ってきたと報告している。ポッドキャスト配信者のThea Suhは、家族の家のドアマットに知らない人が消毒液を含ませたという。

そしてオフラインではあきたらずネットでもアジア人を悩ます人が多くいる。自粛で家にいる間、レイシズムをぶちまけるよりましな活動がなかったようだ。よくあるのは議論サイトのコメント欄、SNS、とりわけtwitterで、内容は排除や敵意、殺害予告にまで及ぶ。

 

ここ数週間で新しい規制のためのチェックを警察や市の公安局員がしている。非白人にとってこれはレイシャルプロファイル、つまり民族性にもとづく職質をされる懸念が高まることを意味する。

 

Nhi LeのTwitterアカウントはこちら。「コロナレイシズム」という言葉を作った人。Nhi Le (@nhile_de)

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2020年3月、Corinne PlagaとKatrin BüchenbacherによるNeue Züricher Zeitungの記事。スイスとドイツについて書かれている。

 

https://www.google.com/amp/s/www.nzz.ch/amp/panorama/coronavirus-rassismus-gegen-asiaten-nzz-ld.1543322

 

«Es bricht mir das Herz, dass ich als Schweizerin aufgrund meines asiatischen Aussehens beleidigt werde» – wie Menschen in Zeiten des Coronavirus Diskriminierung erfahren

抄訳。

Verena M.(仮名)は妹とスイスのLenzerheideで、レストランに行きたかったが、入口のところでどうやら歓迎されていないとわかった。「10人の若い男がこちらを見ており、ひとりが顔をそむけてことさらに咳をした。他の者もそれを真似た」「とても嫌な思いをし、外の席を探さなければいけなかった」とVerenaは話した。

 

Verenaの家族はSt. Gallenに住んでいて、Verenaは23歳で中国とベトナムをルーツにもつ。彼女の母と親類と電車の中で、向かいにいる二人の若い男に何度も「チンチャンチョン、コロナウィルス」のようなことを言われた。駅員に通報しようかと思ったほどだったという。「二人の男が降りるとき、バカにしたことを言う前にちゃんとした中国語を勉強したら?と言ってやればよかったと私は思った。」

 

Sang-Min Doは親が韓国出身でハンブルクで生まれた。彼が同じくアジア系の友人たちと地下鉄に乗っていると二人の若い男が「コロナ!コロナ!」と声をかけてきて携帯のカメラで撮影してきたという。そのあと友人らとその男たちと話をして、「彼らは攻撃的で分別がないことがわかった。理性をもって話していなかった」という。なぜあんな態度をとったのかという問いに男は「面白いと思ったんだ。それにまじめな話、あの人たちはみんなコウモリ食べてるから死んじゃうよ」と答えた。Doと友人らはその発言のため落ち着きを失い「まったく不愉快」になった。その加害者たち自身も移民の背景をもっていたそうだ。彼らの行動は他の人の憎悪を引き継いだもので「憎悪の連鎖」があるのだとDoは言う。

 

Frank Karindaは、シュトゥットガルトの近くで妻を待ち、息子と遊んでいた。老紳士の集団が彼の方を見てきて話した。その一人が「おや、コロナ風のやつがいるぞ」と言った。彼は苛ついて、それから言い返した。「で、他に何か問題あるか?」と男たちの方に尋ねた。彼らは無視した。あとになってから彼は「ナチス風のやつ」と言ってやればよかったなと思いついた。彼はそれほど不機嫌にはならなかったそうだが妻はもっとショックを受けていたという。

 

スイスやドイツにはレイシズムを取り締まる法律もあるが犯罪にまでなるのは限られたケースだけのようだ。

 

レイシズムの罰則は強度の侵害からしか守ってくれない

 

社会的なネットワークの中で差別に気づくことは被害者を助けるひとつの方法だ。法的な手段もある。ドイツでは一般的な平等処遇法が12年前から不利な取り扱いをレイシズムの形態ごとに禁止している。スイスでは20年前からレイシズム罰則がある。

 

しかし何が罰せられるかは個々の事例に応じてさまざまに判断される。「レイシズム犯罪に該当するには、かなり強度の攻撃でなければいけません」と刑法教授のDaniel Jositschは説明する。

 

この罰則は特定の条件が必要で、レイシズム的な処遇や意見が公共の場で行われていなければいけない。さらに被害にあった人が低い価値の存在として扱われ、尊厳を傷つけられた場合に限る。そこで初めて法律が有効になる。

 

被害者を守るための手段は他にもある。スイスの警察署はそういった事案はできるだけすみやかに通報することを奨励している。「これは私たちの仕事です」とツーク州警察の広報は話す。

しかし実際にどれだけの通報があったのかは書かれていない。各州や組織にレイシズム相談機関もあるようだが、チューリッヒにはレイシズム相談所(Züras)には今のところ「コロナ差別」に関する問い合わせは寄せられていないという。

 

VerenaはSt. Gallen出身で「生まれ育った国で外見のために差別を受けるのはつらい」と語る。シュトゥットガルト出身のKarindaはアジア的な外見で差別されるのは慣れていると言う。彼はすでに何度も門番にディスコの入場を拒否されたり、警察に身分証の提示を求められたりしている。

ハンブルク出身のDoはこれらの議論全体を肯定的に捉えている。これまでアジア人に対する差別は優先順位の低い議題でしかなかった。「だから公にこれについて話し合われているのはいいことだよ」と言う。

 

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2020年5月のMatthias MeisnerによるTagesspiegel の記事。

 

タイトルは「アジア人への攻撃 連邦政府はコロナ・レイシズムを無視している」

 

04.05.2020 | 12:17 Uhr

Attacken gegen Asiaten

Bundesregierung ignoriert Corona-Rassismus

https://www.google.com/amp/s/amp.tagesspiegel.de/politik/attacken-gegen-asiaten-bundesregierung-ignoriert-corona-rassismus/25798536.html

抄訳。

 

コロナレイシズムの被害者は、ドイツの政治風刺番組Heute Showで「Kung Flu」と罵られ、コロナウィルスの世界的な拡散の責任を着せられた。

カンフーとインフルエンザの英語の略語のフルを合わせたもの。

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これ、ぼくもテレビで見てた。

 

コロナレイシズムは、パンデミックの期間には、ハーナウでのレイシズム的な連続殺人のあとの3月中旬に「極右とレイシズムとの戦いのため」任命された内閣の委員会にとっては非常に喫緊の議題だったはずだ。メルケル自身が議長を引き継ぎたかったが、副首相のOlaf Scholz (SPD)が代理した。

 

ハーナウで連続殺人?そんなのあったっけと思って検索してから思い出した。シーシャバーが襲撃された事件だ。こんな事件ばっかり起きては忘れ起きては忘れてをくり返している気がして恐ろしい。

ドイツの水たばこバーで連続銃撃、9人死亡 犯人は自殺 - BBC News ニュース

 

この事件のあとレイシズムと極右対策の委員会が作られ、そこでコロナ差別も扱われることが期待されていたが曖昧なまま終わったということである。

 

この象徴的な委員会が進められれば、コロナレイシズムは議長みずからが当たるべき議題だったはずだ。しかし、連邦議員のFiliz Polat (Grüne) とMartina Renner (Linke)の会議での質問に対して連邦政府の答えたところによると、重要な議題はならなかったようだ。

 

「この新しく設置された委員会は今このテーマにとりかかるべきだ」と緑の党のPolatは要求する。コロナウィルスもそれに伴うレイシズムも短期間で解決はできない。レイシズムとの戦いを議論のテーブルの下に隠す口実としてコロナを利用してはいけない。


Rennerは嘆く。「任命から2ヶ月近くたって委員会が何をすべきかはっきりしない」危機のさなかではレイシズムと右派のテロと戦うことが重要だという。「たとえばアジア人への人種差別的な攻撃や、Xデーに備える警察や連邦軍内の右派ネットワークは十分にその理由になる」

 

警察統計ではたったの6件

連邦政府があまり策を講じていないことは、これまでコロナレイシズムについて多くを知らないこと、あるいは知ろうとしていなかったこととも関係しているかもしれない。Tagesspiegelには内務大臣の回答がさらに発表されている。それによると、4月23日時点で統計には、アジア出身やアジア人の外見の人へのコロナ危機と関連した政治的な動機の犯罪は6件が把握されていて、うち5件は右翼過激派界隈の犯人によるものだった。1つは違憲的な組織の標章の使用、3つは民衆扇動、2つは侮辱に関するものだった。

この情報によると「コロナというドイツ全体で有効な分類項目」が統計にはないため、データは不完全だ。内務省は「これまで知られている犯行の数をもとにしつつ、この件数が暫定的なものであることを考慮して、現時点ではCovid-19パンデミックを背景としたアジア出身の人への憎悪犯罪が増えている可能性について声明は出せない」と書いている。

Polatはこの回答を踏まえ「公示の宣誓」について話し、どうやら連邦政府はコロナ危機と関連した憎悪犯罪に関する根拠のあるデータを持っていないようだ、と述べている。「この調査結果では政府はこの形式の憎悪犯罪の増加をまったく把握できず対策もとれない。しかし私たちは信頼性の高いデータがこのような形式のレイシズムと戦うためには必要だ」


子どもが「ウィルス」や「コロナ」と呼ばれた

 この問題がさらに大きな側面をもっていることが別の調査からわかった。ドイツの反差別機関には、コロナ危機に関する差別とレイシズムの事件の問い合わせが4月の初めには55件、1月には1件、2月に32件、3月に23件あった。

被害者相談所協会のVBRGはTagesspiegelがもつ国内の統計の130以上もの件で、以下のものよりショッキングなものも提示している。子どもが「ウィルス」や「コロナ」と呼ばれたことや、バーデン・ヴュルテンベルクライプツィヒのアジアンレストランで鉤十字が落書きされたことなどだ。中国人は暴力を振るわれたり、「不潔な小包」と呼ばれたりした。

 

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2つ目の記事でハンブルク出身のDoさんが、これまではアジア人への差別があまり注目されてこなかったと話していたが、たしかにその通りだろう。ふだんドイツ語でアジア人差別について検索してもほとんど記事は出て来ないが、コロナの時期にはどれを読んでいいか迷うほどヒットした。

今は特別アジアだけに拡大しているわけでもないのでコロナ差別も落ち着いたかもしれない。

一方で日本ではCovid-19をことさら武漢肺炎と呼びたがる人がおり、ウィルスと国籍を結びつけて憎悪する風潮にはまだ警戒しないといけない。

ヨーロッパでのコロナ差別について日本人が考える上でも、「中国人でもないのに」差別されるとか、「日本人も」差別されるとかいう発想はズレていると思う。対立や差別などの政治的要因より以前に人間に明確なサブカテゴリがあるわけではない。われわれアジア人がひとまとめに差別されているのだから、それを自認してその単位で連帯すべきだろう。

 

5月になってからドイツでもまたレストランが営業を始め、ぼくも仕事を再開した。

仕事に向かう道中、前を歩くブルカをした女性の集団がいた。彼女らはブルカの布をマスクに使っている。そのうちの一人に声をかけられた。

「あなた、韓国人?」

そう質問されたので、ぼくはちょっと緊張しながら答えた。

「いえ、日本人です」

「そう。注文のこと聞きたかったんだけど。ま、とにかくありがとう」

そう言って彼女はグループに戻っていった。連れだって、韓国料理店に行くのだろう。久々に外食できるようになりふだんと違う食事を楽しむ人が多いようだ。

感染の第二波がいつ来るかはわからないが、この街も今しばらくは休戦のひとときを過ごしている。

 

 

 

ヴィースバーデンでモロッコ料理

久しぶりに友達と会った。会って、河原を散歩して、ぼくはモロッコ料理が食べたい、という話をした。その友人はモロッコ系の人で、ヴィースバーデンにモロッコ料理のレストランがあると言っていた。それなら、と翌週その友人と初めてヴィースバーデンに行った。

ヴィーンスバーデンという名前はフランクフルトほど有名じゃないけどヘッセン州の行政の中心で、州議会があるのはここ。よく名前は聞くけど一度も来たことがなかった。車で30分くらい。


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駅の裏に車を停めて合流し、駅前から伸びる幅の広い大通りを下って歩いた。

瀟洒なベランダのある家がいかにもヴィースバーデンらしい住宅、だそうだ。駅のすぐ近くなのにやけに閑静だ。いったい家賃はどれほど高くなってるのか、考えると恐ろしい。


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「フランクフルトより好きだな」

彼がそう言う。

「静かだから?」

「うん」

フランクフルトはもっとごちゃごちゃしていて騒がしい。道もこんなに広く整然としていない。

「ケルンはもう行った?ケルンにちょっと似てないか?」

ケルンは行ったことあるけど、こんなんだったかな。2つの塔があるゴシック様式の大聖堂はケルンにもあったけど。ぼくは広い公園を挟んだ大通りが札幌ぽいなと思っていた。


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州議会に着いた。思ったより小さいし、ひとつは工事中だ。幕にもとの建物の写真を貼って済まされている。


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同じ場所に大きなレンガの教会があった。マルクト教会というらしい。きれいだけどなんか張りぼてみたいだなと話す。


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しばらく歩くと大きな殿堂が見えた。フリードリッヒ像と公園もある。大きい。こちらの方が州議会議事堂という趣きがある。


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でもこれの中はカジノと温泉らしい。ヴィースバーデンの「バーデン」は温泉地という意味だ。噴水もミネラル豊富だ。f:id:Ottimomusita:20200619230923j:imagef:id:Ottimomusita:20200619231034j:image

カジノ宮殿の裏の公園には尾が長い緑色の鳥が飛んでいる。こいつらは動物園から逃げて繁殖した南米かどこかの種で、ドイツの鳥ではない。公園の中はその鳥たちのトロピカルな鳴き声で、鳥も飼っている温室の植物園みたいな雰囲気だった。

貸しボートもあった。

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ずいぶん歩いて、もう郊外に出そうだ。あるいは向こうには山があるのか。開発中なのか、取り壊しているのか。

こういう、この街はここで終わりです、というような景色が好きだ。描きかけの絵の白紙部分みたいに、舞台の袖のように、都市が人の手で作られていることを再確認できるのが

、軽くて心地よい。映画の『13F』や『ダークシティ』みたいな昔のSFの、この街は作り物だったのか!ていうのの日常簡易版である。


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ようやく目当てのモロッコ料理屋を見つけて、外の席に座った。SAYTOUNEという店名に、

「これはアラビア語でオリーブという意味だ」

と教えてくれた。

「あぁ、だからか」

テーブルを囲むようにオリーブの植木鉢が置かれている。

「オリーブは日本語で何ていうの?」

「オリーブ」

つきだしにも出てきた。店名になってるだけあって美味い。

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グリルの3種盛りとサイドメニューを友人が選んで頼んだ。

ジャガイモは、喩えが貧しいけどコンソメパンチを10倍濃縮したような味でかなり美味い。とくに料理名はないらしいが。

葉っぱで巻いてあるのは米と野菜をブドウの葉で包んで蒸したもの。これ、よくスーパーに缶詰めで売ってて何だろうと気になっていたのだ。桜餅のような香りがする。

肉のグリルもどれもおいしい。中東料理はやっぱり肉だ。

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食後にお茶を頼んだ。ミント入りの緑茶。ミントは大きな葉のものが枝ごと入っている。モロッコではこれが一般的らしい。

家では、火薬に似ていることからガンパウダーと呼ばれる中国茶の粉末を使って淹れる。焙煎した茶葉を使うレシピもあり、これはすぐに味が出るので早く淹れる。急須を持ち上げて高くから、泡立つくらい勢いよくコップに注ぐことで香り立ちをよくし、砂糖も溶かすのがコツ。砂糖を入れない人も多いが入れる人は大量に入れる。と、解説してくれた。酒を飲まない地域って甘党の人多い気がする。

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前回会ったときもらったクッキーの容器に日本のお菓子を入れて返した。友人のお母さんがラマダンのときに作ったクッキーで、スパイスが効いていて甘すぎずおいしかった。


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フェンネルの種っぽいけど、もう少しお菓子らしいスパイス。あのスパイスは何かと聞くと、知らないらしい。

「あれだよね。エキゾチックな、…いやオリエンタルな香りの」

彼がエキゾチック(異国情緒ある)というのはたしかに変だ。彼の姉に聞いてもらい、姉も知らず、調べてもらって、アニスとわかった。

ふむ。当たらずとも遠からず。ぼくはカレー作り出して、ちょっとスパイス覚え始めてる。フェンネルとアニスは、カレーに欠かせないクミンと同じセリ科のスパイス。

クミンはキョフテとか中東料理にもよく使う。

フェンネルは、インド料理屋に口直しのためにレジ横においてあったりするが、ドイツでは野菜として葉を食べる。

キャラウェイもセリ科の仲間で、これはザワークラウトとかドイツ料理によく使う。

 

帰りはローマ時代の門のようなものを見た。上に登ると子どもの遊び場から街を見下ろせる。


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記事紹介: ドイツの学者のイスラム批判

社会学者のKoopmansさんがイスラム教を批判する本を出したというインタビュー記事。

 

 

Radikaler Islam und Verfall der Demokratie „Die muslimischen Länder rutschen immer tiefer in die Krise“ Hans Monath

 

急進的イスラムと民主主義の没落

イスラム教の国々はますます深刻な危機に陥りつつある」

Hans Monath

原理主義イスラム教徒の社会を破壊していると社会学者のRuud Koopmansは言う。宗教とその変革、またThilo Sarrazinについての対談。

 

Ruud Koopmansはフンボルト大学社会学と移民研究の教授で、社会調査のためのベルリン科学センター(WZB)の移民、統合、国の越境の支局の局長である。

 

インタビュアー:  Koopmans先生、なぜあなたは社会科学者としてあなたの新著『イスラムの崩壊した家』の中で、20億の信者がいる世界宗教を批判したのですか。

Koopmans:      私はイスラム教に敵対的なのではなく、批判的です。私はイスラム教を世界宗教として批判していません。私が批判しているのは過去40年間のイスラム世界での原理主義の増加です。1979年は、イランでイスラム革命があり、メッカの大きなモスクへの攻撃があり、ソビエト連邦アフガニスタン侵攻があり、イスラム原理主義の拡大にとって決定的な年でした。それが原因でイスラム教の国々はしだいに深刻な危機に陥りました。

 

イ:  どのような基準でその危機をとらえていますか。

Koopmans:  ひとつの非常に重要な問題は民主化の基準です。60、70年代から民主主義は、南欧ラテンアメリカなど、世界で大きな進歩を遂げました。今民主主義のイスラム教の国はセネガルチュニジアの2つだけです。

 

イ:  他の判断基準は何ですか。

Koopmans:  私はイスラム教の国々の人権の状況を調査しました。女性や同性愛者、宗教的マイノリティの権利です。これらすべての分野でイスラム教の国々での状況は過去数十年で悪化しており、国際統計では最下位にあります。

 

イ:  イスラム教の国々の暴力の歴史はどうですか。

Koopmans:  それは私の著書の中で重要な役割を担っています。私は戦争や内戦での暴力の状況を調査しました。その結果、今すべての戦争や内戦の約4分の3がイスラム教の国間やその国内で行われているとわかりました。イスラム教のテロはここ数十年で膨大に増えています。世界中のテロリストの犠牲者のおよそ85%はイスラム過激派グループのためです。

 

イ:  希望のきざしは見つかりませんでしたか。

Koopmans:  少なくとも経済分野にはありません。成功した産業国はほとんどイスラム世界の外にあります。たとえば70年代に似たような経済水準だったエジプトと韓国を比べると、韓国は西洋の豊かさと結びつきを得たのに対し、エジプトはたいていの他の国より悪い状況にあります。

 

イ:  イスラム教の国々の停滞には他にも理由はないのですか。たとえば植民地主義の遺産など。

Koopmans:  私は他の原因説明を検討し、それらは非イスラムの国々とイスラム教の国々の違いの原因ではないという結論に至りました。イスラム教の国々の多くは、イランやトルコのように植民地化されていなかったり、シリアやイラクのように短期間のみでした。私自身驚いた研究結果なのですが、長く植民地化されていた国の方が、特定の機関や価値観が広まっているため他よりも人権や民主主義に関して良い状態にあります。もちろんそれで植民地主義を事後に正当化するつもりはありません。

 

ここ。植民地主義は、領土を奪って植民地支配をしている最中だけの話だったっけと引っかかった。日本は植民地支配をされてないしむしろしていた側だけど、それでも欧米の人から植民地主義的な目を向けられることはあるんじゃないか。「あいつらは遅れているから導いてやろう」という態度で干渉を正当化するのも植民地主義と呼ばれるんじゃないか。主張内容はリベラルでまっとうでも。

 

 

イ イスラム教への不安は不合理だと多くの人が思っています。これは適当ですか。

Koopmans:  いいえ。イスラム原理主義への不安はイスラム教徒ももっています。それは死と荒廃の種をまくからです。西欧の国々でもある集団はこれらの現象を恐れる理由があります。イスラム教共同体の中の女性や異なる信仰をもつ人、同性愛者のことを考えてみてください。そしてイスラム原理主義者のテロはイスラム教徒だけでなくすべての人を脅かします。まちがいなく恐れる理由はあります。

たぶんこの人の著書の中ではきちんと分けて論じられてると思うんだけど、この発言だけ見るとイスラムへの不安という文脈でドイツのイスラム教共同体とテロ組織が並列に述べられていて危うい感じがする。

ドイツのイスラム教共同体やモスク共同体は、共同体によってリベラルなとこも保守的なところもあるらしいが、基本的に法律はちゃんと守っている。

前に紹介した犯罪学の論文には、訳出していなかったが、結論に「イスラム教徒の難民がモスク共同体に入れることも適応の成功に欠かせない。モスク共同体では仮借や異論はなしにドイツの法律の重要性を認めている」とあった。また、こういった共同体からあぶれた若者が過激派組織にリクルートされる、とも述べられている。

もちろん保守的な共同体には内部に差別構造があるだろうし、長期的には改善していってほしいけれど、イスラム教徒でひとくくりに不安の対象とすることは社会への統合を妨げてけっきょくは過激派組織に向かう人を増やすことになるんじゃないか。

 

 

イ:  そうするとあなたはイスラム原理主義を極右のような民主主義に対して危険を及ぼすようなものと考えているのですか。

Koopmans:  イスラム教の国々では民主主義は徐々に損なわれているか廃止されています。西欧の移民社会ではイスラム原理主義と極右は、社会構造上の条件やイデオロギーの機能を見れば非常に似ています。ここで忘れてはいけないのは、ドイツの人口の約4%というマイノリティであるイスラム教徒の中で30%が原理主義を支持しているということです。これはもちろん絶対数では極右の支持者よりすくないですが。

 

イ:  これまでのところ学問と一般大衆はあなたの調査結果にどう対応していますか。

Koopmans:  宗教の影響を認めようというきざしは残念ながら非常に少ししか見られません。イスラム世界での宗教的マイノリティや背信者、女性や同性愛者の抑圧に対する無関心はショッキングです。これが私がこの本を書いた主な理由のひとつです。政治とメディアにはこれらの問題に対する宗教の重要性を認めようとしない傾向が強いです。「イスラム教」に関する限りではそのとおりです。しかしこれらの問題には無視できない宗教的な側面があります。

 

イ:  あなたはたとえばAfDの政治家Björn Höckeのような極端な右派の代表者があなたの著書を政治的な武器として利用するかもしれないとは考えませんでしたか。

Koopmans:  極右が私の著作を政治的議論で弾薬として利用するなら私にそれを妨げることはできません。しかし私は現実の問題を詳述しています。なので外国人敵視やイスラム嫌悪の人たちがイスラム世界の弊害を指摘するのに何も私の著作にたよらなくてもできます。彼らはすでにそうしています。本を読む人はこのテーマに違った視点がもてることに気づくでしょう。

 

イ:  つまりあなたは、イスラム教の国々からの移民がドイツの裕福さと教育水準を下げていると述べるThilo Sarrazinのような説は主張していないのですか。

Koopmans:  していません。Thilo Sarrazinが主張しているのは、7世紀の伝統をそのまま21世紀の現代の行動の指針としてうけとれば原理主義者がコーランの解釈に権限をもつだろうということです。彼の主張は、原理主義的な解釈だけが唯一可能な解釈でありそれが真のイスラム教を表しているというものです。そのため彼は原理主義者と同じメッセージを発していることになります。それに対して私はイスラム教の改革の可能性を信じています。

 

イ:  誰がその改革を進めるべきですか。

Koopmans:  イスラム教の国々にもドイツにも革新的なイスラム教徒がいます。彼らにとっては簡単ではありません。ドイツでも彼らはいくつかの既存の大きなイスラム教連盟に攻撃されています。つまり、これらのリベラル勢力がもっと多くのドイツ一般市民の支援を受けるべきです。

 

イ:  あなたはイスラム批判者がどんな危険に晒されているか話していますね。あなたの持説がいったん広く議論されるようになったら、ご自身の安全については恐れていますか。

Koopmans:  

そうする理由はありません。この本は昨年すでにオランダで出版されています。そこでは好意的に受け入れられています。私はイマームとも何度か議論しています。私はドイツで議論のきっかけを与えることを望んでいます。これまでは二極化した議論があったと思います。一方では問題はイスラム教と何も関係がないと言い、他方はイスラム教は改善できない災いだと見なしています。もし私たちがそれを乗り越えたなら、私の著作のメッセージが届いたということです。

 

80年代から原理主義が増加したといのはよく聞くけど、原因は何なんだろう。歴史を知らないのでよくわからない。西欧に対する不信からフェミニズム自体が侵略の方便のように見られてしまっていると、ここの記事で語られていた。正論でも、どういう立場から誰のために主張するのかよく注意しないといけないのだろう。

イスラム教の改善を信じているというのはまことに良識的で無難だけど、善いイスラム教徒と悪いイスラム教徒を外野からジャッジして、それでイスラム嫌悪に反対してますと言えるのかも、かなり疑問。

 

トルコ本国のイスラム教徒は、ドイツのトルコ系移民よりも世俗化していて酒とかふつうに飲むらしいけど、やっぱりアイデンティティって他人との比較だからドイツにいるほうがイスラム教徒であることを強く意識するのかもしれん。